日記
「ねぇ、ヘイテス。これ見て」
アネッサが『オスカー8歳』と書かれた古びた一冊のノートを差し出すと、受け取ったヘイテスは一枚めくり読み進めてていく。
「なんだアイツ。日記なんてつけてたのか?」
「ふふっ。あの子ったらこの時から憧れていたのね」
ヘイテスは緩む口元に手をあてながら、我が子が興奮して話していた『ある日』を思い出していた。
――――
「それじゃあ、行ってきます!」
「気をつけてな。届け終わったらまっすぐ帰って来るんだぞ」
お父さんが頭をガシガシ力強く撫でてきます。
僕の名前はオスカー=キーセルム。8歳です。
家は雑貨屋さんです。
今日はお届け物を詰めたリュックを背負って、初めて一人で配達に行きます。
お母さんが妹を抱っこしながらお店の前で心配そうにこっちを見ているので、僕は元気に手を振りました。
今から荷物を持って行くのは蜥蜴の尻尾という、この街1番の傭兵ギルドです。
そんな恐ろしい所に僕みたいな小さな子供が配達なんて危ないと思うかもしれませんが、それは大丈夫。
僕はそのギルドの人達と仲良しなのです。
お父さんとお母さんが昔ギルドに入っていたので付き合いが長く、僕は赤ちゃんの時から可愛がってもらっていました。
それに家からギルドまでは一本道なので迷う心配もありません。
ただちょっと心配なのは……離れて後ろについてきているパトリシアお姉ちゃん。
ほっかむりをしてますが、はっきりいってバレバレ。怪しさ満点です。
パトリシアお姉ちゃんは本当のお姉ちゃんではないですが、僕が小さな時からいっつも遊んでくれました。
とっても若く見えるけど、子供もいるママさんなのです。
しかも現在2人目を妊娠中。妊婦さんが追跡調査なんて、ちょっと勘弁して欲しいです。
パトリシアお姉ちゃんの横には、僕の2歳年下の男の子、プリンツ君も一緒についてきてます。
僕はピタリと足を止めて振り返りました。
「パトリシアお姉ちゃん、見えてるよ」
僕の呼びかけに、あたりをキョロキョロと見渡し挙動不審になるお姉ちゃん。
「な、な、な、何言ってるっすか? 自分、パトリシアじゃないっすよ。ねぇ、プリンツ、そうっすよね?」
「うん。ママは違うよ。オスカー君の勘違いだよ」
嬉しそうに僕に手を振るプリンツ君。
本当に嘘が下手な2人です。
仕方がないので歩き出すのですが、パトリシアお姉ちゃんは誤魔化せたと思ったのか、ほっとため息をついて再び後ろをついてきます。
「そのまま真っ直ぐっすよ」とか「あともうちょっとっすよ」と声が聞こえてきますが、気にしたら負けです。
しばらく歩くと、無事蜥蜴の尻尾のギルドに到着しました。
何度見ても大きくて立派な建物です。
コンコンとノックをすると、扉が開いて綺麗な女の人が出てきました。
ギルドの事務を担当しているシェフリアさんです。
「あら、オスカー君。こんにちは。今日は配送のお手伝い? ウィブさん、オスカー君が来ましたよ」
「はい、今行きますね」
シェフリアさんの呼びかけに、男の人が応えました。
にこやかに出てきてくれたのは、このギルドのマスターをしているウィブさんです。
ウィブさんはとても有名な傭兵で「食の救世主」とか「流麗の双剣士」とか、すごいあだ名を持っています。
「オスカー君、いらっしゃい。中に入って荷物の確認しようか?」
「はい!」
「あっ、パトリシアさんも中に入りましょ?」
突然声をかけられたパトリシアお姉ちゃんは首を何度も横に振って、プリンツ君を抱えて逃げて行っちゃいました。
まだバレていないと思っていたのかな?
中に入ってリュックから荷物を取り出すと、机の上に並べていきます。
回復薬に調味料、タオルや洗剤です。
「うん。確かに。オスカー君ありがとうね。はい、これが商品の代金だよ。もうこれでお手伝いは終わりでしょ? 何か飲み物でも持って来るね」
お金を貰ったので、無くさないようにリュックにしまいます。
ウィブさんが飲み物を取りに離れると、わざとらしくパトリシアお姉ちゃんが入ってきました。
「おぉっ、オスカー久しぶりっすね。お手伝いなんて偉いっすね」
僕は苦笑いを浮かべました。
パトリシアお姉ちゃんがテーブルに着くと、プリンツ君が隣に来て「オスカー君、遊ぼっ」と服を引っ張ってきます。
二階からは「あっ、オスカー君だ!」とレイチェルちゃんが嬉しそうに手を振ってきます。
レイチェルちゃんはウィブさんの娘で僕の一歳年下。尻尾の生えている不思議な子です。
僕とプリンツ君、レイチェルちゃんはよく遊ぶ友達なのです。
とても美味しい甘いミルクとサクサクのクッキーを食べると、プリンツ君に引っ張られて中庭へ移動しました。
いつも遊ぶ時はここに来ます。
中庭に出ると大きな狼が寝てます。
初めて見た時は怖かったけど吠えたりはしないし、上に乗せてくれたりもする優しい狼なんです。
名前はニテルっていいます。
僕たちが傭兵ごっこで遊んでいると、1人の男の人が大きなあくびをしながら中庭にやってきました。
僕たちを見ると少し微笑んで、ニテルの横でゴロリと寝転びます。
「パパ、またお昼寝?」
その人はプリンツ君のお父さん、ニケルさんです。
いつも眠たそうな顔していて、今のようにゴロリと寝そべっています。
プリンツ君が言うには、ぐうたらパパだそうです。
「あっ、マスターここに居たっすか?」
パトリシアお姉ちゃんも中庭にやって来て、ニケルさんの横にちょこんと座ります。
すごく年齢差がありそうですが、2人は夫婦なんです。
パトリシアお姉ちゃんはニケルさんの事をマスターと呼んでます。
ウィブさんがする前のギルドマスターがニケルさんだったので、今でもそう呼んでるそうです。
プリンツ君には悪いけど、ニケルさんの評判はあまり良くありません。
よくお店に来る傭兵さんから聞いた話です。
僕の生まれた時の蜥蜴の尻尾はD級ギルドでした。でも凄い人ばかり揃っていたそうです。
今のギルドマスターのウィブさん。
この街の傭兵組合支部長で、王国で特別指定されてた凄く強い魔物を倒したグランツさん。
王国魔導師組合長のカルさんや、次の国王候補と名高いエドワールさんの奥さん、ティルテュさん。
そして僕の憧れ、『対偶の守護者』と呼ばれるノースさんと、みんなが憧れる人達がいたのです。
でも、その、ニケルさんがパッとせず、ずっとD級のままでした。
ウィブさんにギルドマスターが譲られると、あれよあれよとA級ギルドになったのです。
前にお父さんにその話をしたら大笑いしてました。
お母さんも笑っていたけど、僕にこう言いました。
「いい、オスカー。人の噂なんて簡単に信じちゃダメよ。自分の目で見て感じた事が真実なのよ?」
僕にはよく分からなかったけど、きっと深い大人の事情があるんだなと思いました。
楽しく遊んでいると、いつの間にか空がオレンジ色になっていました。お仕事に来ていたのに、夢中で遊んで夕方になっちゃいました。
僕はプリンツ君とレイチェルちゃんに「またね」と言って急いでリュックを背負います。
「それじゃそろそろ帰ります。今日はありがとうございました」
「もう日も落ちかけてるから気をつけて帰るんだよ」
ウィブさんに挨拶をして帰ろうとすると、パトリシアお姉ちゃんが慌ててやって来ます。
「オスカー1人じゃ危ないっすよ。送っていくっす」
「僕は大丈夫だよ。それにパトリシアお姉ちゃんはお腹に赤ちゃんがいるんでしょ? その方が危ないよ」
まだお腹はちっちゃいけど、妹が生まれる前にお父さんが「赤ちゃんがお腹にいるんだ。無理しちゃいけない」と、よくお母さんに言っていたので間違いないです。
「うぅ。マスター、マスターが送って行くっすよ!」
「えっ! 俺!?」
パトリシアお姉ちゃんに言われて渋々ニケルさんがやって来ます。
別に僕1人で大丈夫だけど、こうなったパトリシアお姉ちゃんには何を言っても聞いてくれません。
僕はニケルさんと家に向かうのでした。
しばらく一緒に歩いていたけど、ニケルさんはあくびばかり。
家まで走ればすぐに着く所までくると、僕はニケルさんの袖を引っ張りました。
「あ、あのっ、もう家も近いから、ここまでで大丈夫です」
「まだ半分くらいしか来てないぞ」
ニケルさんは家まで送ってくれると言ったのですが、眠たそうな顔を見るとなんだか悪い気がしちゃいます。
「走ればすぐですから」
「いいのかオスカー?」
「はい。ありがとうございました」
僕はニケルさんに一礼して、家に向かって駆け出しました。
少し暗くなってきていたので、慌てて走った僕はドンと何かにぶつかりました。
「痛ってーな。なんだこのガキ!」
尻もちをついた僕を掴みあげたのは、とても大きく怖い男の人。
剣を腰にぶら下げた傭兵らしき取り巻きらしき人たちも集まってきます。
「ご、ごめんなさい」
「兄貴大丈夫ですか? このガキ! 手前ぇ、誰にぶつかったのか分かってんのか!」
何人もの怖いおじさんに囲まれて、僕は泣きたくなるほど怖くて怖くて。
謝っても許してくれなくて。
「おいガキ、手前ぇの家まで案内しろ。たっぷり慰謝料貰わねぇとな」
我慢できずにとうとう泣き出したその時です。
「おい。何してる」
現れたのはさっき別れたばかりのニケルさん。
ツカツカと歩いてくると男の手を払いのけ、優しく僕を抱えてくれました。
「なんだ手前ぇ。このガキの親か? こいつはB級ギルド、深海の王のランディ様にぶつかりやがった。痛い目に遭いたくなきゃ、慰謝料として金貨10枚用意しな」
ニケルさんが助けに来てくれたのは嬉しかったけど、相手は6人。しかもB級ギルドと言っているので、とても強い人達です。
「深海の王ねぇ。はいはい、悪かったな」
「なんだその態度!」
1人の男が怒って殴りかかってくると、ニケルさんは僕を下ろし、スッと手を払いました。
何気ない動作だったのに、男は顔に手をあて蹲ってしまいます。
更に逆上した男たちが剣を抜いて襲いかかって来るのですが、1人、また1人と簡単にニケルさんにあしらわれていきます。
僕には衝撃でした。
あのニケルさんがめちゃくちゃ強く、とてもカッコよく見えるのです。
「おい、お前らどうした?」
いかにも雰囲気のある厳つい男の人が新たにやってきました。
その人はニケルさんを一目見ると顔を青くして謝り出すのです。
「ニ、ニケルさん。す、すいません。うちの若い衆が何かしましたか?」
「んっ、あぁ。あんたミミックって言ったっけ? そいつらが難癖をつけてきたんでな」
ミミックと呼ばれた人はダラダラと汗を垂らしながら倒れている人達の頭を掴み、地面にぶつけるように下げさせていました。
「す、すいませんでした。ど、どうかここは穏便に」
「……次はないぞ」
「は、はい」
「さっ、行くぞオスカー」
差し出された手を握り、僕の家へと歩き出すと後ろから会話が聞こえてきます。
「マスター、あいつ何者なんですか?」
「馬鹿野郎! 昔教えただろうが! あの人が竜の咆哮潰した張本人だ。お前らうちのギルドも潰す気か!」
よく分からないけど、ニケルさんって本当は凄い人みたいです。まるで正義のヒーローです。
家に着くと、お父さんとお母さんが出迎えてくれました。
「ただいま」
「オスカーお帰り。どうだ、うまく出来たか? って聞くまでもないか。なんだ、ニケルが送ってくれたのか?」
「あぁ。遅くなって悪いな。ゆっくり話をしたい所だが、戻るのが遅くなるとパティが心配して見にきちゃうから帰るとするよ。んじゃ、またな」
ニケルさんは僕の頭をポンと叩くと、手をヒラヒラさせて帰って行きました。
僕はその背中がとってもカッコよくて、ずっと見ていました。
――――
「あの日のオスカーは興奮しっぱなしだったものな」
「そうね。ずっと、『ニケルさん、ニケルさん』ってうるさかったもの」
ヘイテスが最後のページを開くと、大きく書かれた文字が目に入る。
――僕は蜥蜴の尻尾の一員になって、ニケルさんみたいになりたいです!
オスカーは先日、蜥蜴の尻尾のギルドマスターをウィブから受け継いだ。
オスカーやプリンツ、レイチェル達次代の面々が活躍するのは……またどこかの話で。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
これにて『蜥蜴の尻尾』から続いた『切れた尻尾』完結です。




