第二十七話 cutting
若干のグロ注意
百花さんの指示にしたがって、まず手近な家を探す。
何処が空き家かは外から見た限りでは判断しにくいが、百花さん曰く駐車場があって車がない家なら高確率でということで、暗い中目をこらして見つけ出した。
車を一台、駐められるスペースのある一軒家だ。
街灯で辛うじて照らされる家は、クリーム色の外壁と青色の屋根が見える普通の二階建てって感じだな。
「順くんは待ってて。安全かどうか、確かめてくるから」
「……頼む」
「任せて」
ウィンクをして見せて、百花さんが車から降りる。しばらくして、ガラスの割れる音が聞こえた。
俺はエンジンを切らず、レバーをPに動かしてからシートに身体を倒した。
「大丈夫、まだ大丈夫だ」
まだゾンビ化の症状は始まっていない。
ただ、痛みはまだ続いている。
あのくそゾンビ、思いっきり噛みちぎりやがったからな。
なんとなく噛まれた手を持ち上げる。
出血は、まだ続いていた。リボンもすっかり色が変わってしまい、吸いきれなかった血が車内にしたたり落ちていく。
「替えを探して返さないとな」
生き残れたら。そう思うけど、言葉にはしない。信じると言った以上、俺もそのつもりでやらなきゃ不誠実だろう。
手をおろし、静かに百花さんを待つ。今はそれしかできない。
そうして待っていると、視界の隅に見える玄関が動いた。
「おまたせ、急いで中にッ!」
やがて、百花さんが走ってきて車のドアを開けて叫ぶ。
そうしながらも、手は忙しなく動いてリュックや鉈と言った物資をまとめて抱えていく。
「わかった。先に行ってるよ」
「うん……台所で、待ってて。玄関から中に入って突き当りの左側のドアを開ければすぐだから」
エンジンを止めて、鍵を抜く。
流石に荷物の一つも持てないほど弱ってないけど、ここはお言葉に甘えておこう。
ダイニングキッチンには、明りがつきっぱなしになっていた。
ずいぶんとお金をかけたのか、食洗機ややたらとデカイ冷蔵庫。コンロは電化されたモノで、今は百花さんが設置したであろうお湯が沸かしてある。
テーブルは六人が座れるようにか、かなり大きい。その上には、この家にあっただろう大量のタオルや救急箱に、アイロンがあった。
ずいぶんと集めたのか、ちょっとした小山になっている。
その向こうには大きな窓ガラスがあり、庭が見えるようになっているようだ。
ただ、今はソファーが移動していてその上に観葉植物や本にゴミ箱と、手当たりしだいに乗っていて景観は悪い。
隣の部屋への扉はしまっているが、位置的にリビングかな。いまは用もないし、行かなくていいか。
適当な椅子に座り、百花さんを待つ。ドタドタと音がする当たり、すぐに来そうだ。
と思ったのもつかの間、ドアが勢い良く開かれて百花さんが入ってきた。
「すぐに準備するから、もう少しだけ待ってて」
セリフと動きだけなら、夕飯の準備でもするかのようだ。でも、実際は違う。
百花さんは持ってきた鉈を沸かしたお湯の中に突っ込む。その合間、食器棚からコップを出して水を注いだ。
そして、台所からこっちに来て救急箱から薬を出して俺に手渡す。
「コレ、飲んでおいて。気休めにしかならないと思うけど、ないよりはマシだと思うから。
それと、腕をかなりキツく縛るけど、絶対に解かないで」
「わかった」
何の薬かは、錠剤だけで判断付かない。とりあえず、先に錠剤を口に入れてから水を飲み干す。
そして血が滴る腕を、百花さんに向けた。
予め準備してたのか、細めの荷造りヒモで肘の上あたりを何重にも縛る。
痛く、キツイ。思わず悲鳴が漏れそうになるけど、なんとか飲み込んだ。
最終的には、完全に血が止まってしまったようで、噛まれたところの感覚も少なくなった。変わりに、縛った当たりが痛むけど。
「……うん。それじゃあ、次にテーブルに大の字になって寝てくれる?」
「仰向けでいいか?」
「うーん、うつぶせのほうが良いかな。ちょっと苦しいと思うけど、出来ればテーブルの端から頭は出しておいて」
言われた通りにする。
大の字に両手と足を開いてうつぶせに。顔は、ちょっとだけ外に出した。
「ゴメン。危ないと思うから、両手と足も縛るね」
ごそごそと百花さんが見えない位置で動き、身体がテーブルに拘束されていく。
「……」
これから何をされるのか、何となくわかってきた。
確かに、コレならゾンビ化を食い止められる可能性はある。
ゾンビ化する前に、感染源を切り離せばいいんだから。
「……順くん、今更だけど、本当に信じてくれる?」
「ここまで準備して、今更待ったは無しだよ。それに、信じるって言っただろ」
「うん。うん、でも……ううん」
困ったように口を開きかけ、それでも最後には固く目をつぶって迷いを払うように首を振った。
そうして、寝っ転がって動けない俺の頬に手を当てた。
「今はまだ、何も言わないね。これで最後に何てしたくないから」
「分かった。それじゃあ、頼む」
「うん」
舌をかまないように、猿轡として細めのタオルを噛んで、落ちないように後頭部で結んでくれた。
息がしにくい。
そうして、百花さんは俺の腕に消毒液をまんべんなく塗りつける。
まだ少しの時間しか立ってないけど、だいぶ感触は薄い。
これならとも思うけど、楽観視はしないほうが良さそうだ。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ――」
見えない背中側で、百花さんの荒い息遣いが聞こえる。
釣られて、俺の心臓も緊張で高鳴った。
大丈夫とか信じるとか言ったけど、流石に怖い。
知らず知らずの内に、手を固く握った。
体中から汗が出てくるのがわかる。
「――ふぅ……行くね」
そうして、百花さんの声がした。小さく、震えて、それでもはっきりと。
覚悟と決意を持って。
俺は思わず目を閉じる。
暗い。真っ暗な中、ブォンと言う音が聞こえた。
「ガ、グッ――ィィギィィイイッッッ!」
歯を食いしばる。
閉じた目を見開く。
視界にはドアが見えた。開いてない、隣の部屋へのドアがぐにゃぐにゃと歪んでいる。
なんでそんなものが見えるのか、良くわからない。そもそも何だってそこを見てるんだ。
血がテーブルの上を滑って、広がっていく。
その生ぬるさが、普段であれば不快だったはずだ。
でも、今はそんなものに頓着する暇なんてなかった。
だって、痛いんだ。
痛い。痛いッ!
喉の奥から叫び声が、次から次へと溢れてくる。
タオルが唾液で染まり、限界まで食いしばるせいで今にも貫きそうだ。
もう一度、腕にたたきつけられる衝撃。
「グゥゥウウウウゥァアアァアァ!」
身体の芯に衝撃が響く。
ありえない。何なんだ、これ。
痛くて、痛くて。
身体が自然に暴れて、テーブルを叩く。
ヒモが邪魔だ。肌に食い込んで、それでも千切れない。
暴れて、痛みの元をとにかく離したくて、むやみやたらと叫んでは叩く。
「骨が――固くてッ! ごめんね、ごめんッ! ごめんなさいッ!」
叫ぶ声。泣いている。百花さんもまた、泣いている。
衝撃がまた。
痛みが途切れない。そうして、断続して響く新しい痛み。
激痛なんてもんじゃあ、ない。
身体の全体を壊しかねないほどに、ただひたすらに痛みが続く。
「ごめんね、ごめんねッ! もう少し、あとチョットで――」
何度目かもわからない。
百花さんの泣き声と、痛みが繰り返されて頭の中で反響する。
視界はもう滲んで何も見えない。
喉が枯れそうなほどに、叫び声が溢れてくる。
せり上がった胃液がタオルからこぼれて、床にこぼれていく。
そうして、叩きつけるような音が一度。
「これで――斬れた!」
左側が軽くなった。拘束が意味をなさなくなったからだ。
終わった、のか?
まだ痛い。痛い、けど、もうコレ以上は、痛くないんだ。
安堵が胸の内を支配しようとして、けれども即座に凍りつく。
「ごめん。斬れたけど、まだ……もう少し、あとチョットだけ我慢して」
「ウゥグゥウァ」
何かを言おうとして、でも声は言葉にならない。
ただただ腕の喪失感と痛みと吐き気とめまいと涙を堪えて、うめき声を上げる。
まるで、ゾンビみたいに。
でも、なってたまるかと毒づく。ここまで我慢するんだ、絶対に、ゾンビになんてなってやらない。
「ごめん。これで最後、終わりだから」
百花さんの声が頭の上からした。
背中に体重を乗せて、身体を圧迫する。
「――行くよッ!」
じゅうっと肉の焼ける音がした。
「ウギィ、ギャァアアアアアアッァアァァァァァッ!」
焼ける。
腕が、傷口が。
もう出ない何て思っていた叫びが、ただただ漏れていく。
痛くて、気が遠くなる。
痛くて、目が覚める。
辛い。ただただ、苦痛だけが続いていく。
「もう少し……あと、ちょっとだけ……頑張って、順くんッ!」
「あっ、がひっ……」
息が詰まる。
もはやどこが痛いのかもわからない。
いつまでも、どこまでも続きそうな生き地獄。
でも、それも、ようやく終わりが来たようだ。
圧迫感が、背中から消えた。
全身のあちこちが痛む。身体は、ぴくりとも動かない。
「終わった、よ。順くん」
「あ、ぐっ……ずっ……」
「今、タオル外すね」
涎と嘔吐でぐしゃぐしゃになったタオルが、口から外れる。
すると、溜まっていた物がこぼれ落ちてフローリングの床を汚した。
「はっ……げっ……はっ……」
気持ち悪い。でも、吐き出すほどの体力だって、残ってない。
「お疲れ様。ありがとう、こんな無茶を信じてくれて」
親が子供にするように、百花さんが俺の頭を撫でる。
「すぐに拘束も解くから。このまま、ゆっくり休んでて」
百花さんが視界に現れたり、消えたりする。
拘束を解いてるんだろうけど、その感触も実感もわからない。
「あとは、口の中も掃除するね。気持ち悪いし、喉につまったら大変だから」
軽く身体を起こして、百花さんがいつの間にか用意していた歯ブラシで俺の口の中を洗う。
歯磨き粉も何もないけど、口をゆすぐ気力もない今は有りがたかった。
「はい、最後に水を口に入れて……そうそう、そのまま垂れ流して良いから。どうかな、少しは口の中も楽になった?」
「……」
大分マシ。そう言いたかったけど、上手く声がでない。ただ小さく、倒すように首を縦にふる。
「うん。なら、良かったよ」
そう言って、百花さんは俺の顔に触れてそっと顔を近づけて来た。
額と額をくっつけて、息遣いが間近でわかるほどに。
涙でいっぱいの俺の目と、同じように潤んだ百花さんの瞳が交差する。
「私、頑張るからね。今まで、順くんがやってくれたみたいに」
ゆっくりと、百花さんが語りかけてきた。
手が自然と伸びて、百花さんが俺の身体を慰めるように撫でてくる。
ああ、全く。ここで返すようにできりゃあ、格好もつくだろうに。
でも、もうだめだ。
限界。
俺はその声と、柔らかい手だけを感じながら、深く深く落ちていった。
次回でエピローグになります。掲載は7月21日の12時から。




