第二十六話 bite
広げられた地図には一点、後から赤く塗られた場所があった。
居住地区――ブラウクヴェルと書かれている――の建物ばかりのようだ。
「夜間になると、カマキリとエイはこの赤く塗られた範囲に留まって動かなくなる。逃げるのならば、夜をおすすめするよ」
「ソレがわかってるなら、倒しやすいんじゃ?」
所在地がわかるなら、罠なり爆弾をセットするなりできるはずだ。
「と来るだろうが、そううまく行かない。
何故か、この周辺にはゾンビが大量に発生していてね。人口比から考えても、少しおかしいくらいだ。
その上、入ろうとするとカマキリが全力で殺しに来る」
ようするに、入ったら間違いなく死ぬエリアってことだ。
逆に言えば、そこまでして守る必要があるってことなんだろうけれども……俺の手に余るな。
自衛隊の人たちに頑張ってもらうか、未来の誰かに対処してもらおう。
「なら、俺達が車を止めた場所に戻るならどういうルートがイイっすかね」
「車かい? どの当たりだ」
手渡された地図を百花さんと見る。
しかし、改めて見ると黒森はかなり広いな。正直、現在地すら良くわからないし、似たような店が多いからどこにあるのかもよくわからない。
「えっと、ここね。店名が同じだから、間違いないはずよ」
店名とかぜんぜん見てなかった。けど、位置的にみて出入口からそう離れていない。多分、間違いなさそうだ。
「ふむ。現在地はここだ。行くならば、店内を通るルートが確実だろうね」
公園地区の端っこ。地図上にはなにも記載されていない箇所を指さし、まっすぐにその上を走らせる。
止まった場所は、すぐ近くにある飲食店だった。
「出入り口はシャッターが閉まっているが、二階部分の窓は開いていてね。
昇降用に脚立を用意してあるから、活用するといい」
中に入ってからは隣り合っている窓や、ドアを抜けていけばいいらしい。本来なら従業員の使う作業用とか搬入用だとか。
「夜間のライトアップって、どうなってます?」
「局所的にされているね。あのカマキリが壊したりした部分に関しては、なんとも言えないが」
なら、入るまではなんとかなりそうだ。後はここを抜けて、リュックと武器を回収して脱出と。
方針は固まった。
あとは出たとこ勝負だ。
「それじゃあ最後に。夜まで、適当な部屋を借りても?」
「ご休憩かな?」
「ええ、休憩ですね?」
「ちょっ、順くん何を言ってるの!」
百花さんが顔を真っ赤にして叩いてくる。
疲れてるから、夜まで休もうって話しなんだけど……ああ、そういうことか。
ニヤニヤと笑う桑名さんの顔でようやく分かった。いわゆる、城のようなホテルでって話か。
「では、奥の部屋に案内しよう。可能なら、コレが今生の別れでないことを祈るよ」
「お互いに」
軽く目配せしあってから、来た時と同じように、桑名さんが前に立って歩くのをついていく。
百花さんは顔を赤くして、もうもうと俺を叩くばかりだった。
さて、夜。時刻として見れば二十時。
空は暗くなり、人工の明りがなくては一メートル先も見えない。
もっとも、俺達の手にはその明りがある。
手持ち型の、赤くてデカイ懐中電灯だ。
懐中電灯は店舗に備え付けてあったようで、行く先々でいくらでも拾えた。
二人揃って道を照らし、すっかりと暗くなった店の中をおっかなびっくり進んでいく。
一応、飲食店から包丁はもらってきたけど、これじゃあ心もとないしね。
「ゥォォァァァァァウォアァ」
ときおり聞こえるゾンビの声。あのカマキリからすれば、ずいぶんと可愛らしい物に感じられた。
「……よし、百花さん」
周囲の安全を確認し、百花さんを手招きする。
教えたとおり、先に周囲の安全を確認してから百花さんが走り寄って来る。
二人が隠れてもなお余裕のある柱を背中に、俺達は並んでたった。
「ねえ、今はどのへんかな」
「えっと……」
ライトで当たりを照らす。あっ、あった。
店名を確認し、そこら中で配布してあった地図と比べてみる。
「今、この店だから後、二店舗分ってところだね」
思いの外、順調にここまで来ている。
確かに外はゾンビだらけだが、施錠がしっかりしてあるのか店の中はあまりいない。
「ゾンビ、あまりいなくて良かったね」
「そうだな。多分、自衛隊の人たちが通りやすいように準備してあるんだと思うよ」
壊されてたりする場所は、たぶんカマキリの仕業か俺達のように物を探しに来た人たちだろう。
「でも、問題は車の周りだよ」
「うん」
外にでる必要がある。あの周辺にどれだけいるか、そしてどうやって回避するか。
最悪、リュックを諦める必要があるな。
「まっ、ともかく行ってみよう」
見てみないことには始まらない。俺は、百花さんの手をとって歩き始めた。
荒らされた店内から、使えそうな鉄パイプを回収する。
何度か振ってみる。うん、やっぱり馴染むな、これ。
「あっ、鉈も拾っておくね」
「手斧もあるといいかな」
確か、外に落ちてたはずだ。道中、拾えたら拾っとこう。
外に行く前、俺達はカマキリがさんざんに暴れた店内を物色していた。
ゾンビも入り込んでいるが、店の中は死角が多い。以外なほど簡単に、処理することができた。
百花さんが上手く引き寄せ、俺が背後から殴って殺す。二人だからできる方法だな。
入念に準備を済ませた俺達は、入り口付近に待機して外を伺う。
「リュックは……良かった、まだある」
「でも、ゾンビも集まってきてるね」
ざっと見て七体。少ないほうだけど、中にいたのも合わせると十分な位だ。
「これくらいなら、適当な場所に集めて走れば良いかな?」
「鉢植えが確かその変にあったよ」
陶器製の、まだ割れていな鉢植えを百花さんがライトで照らす。
「よし、それを投げてから走ろう。荷物は――」
「私が拾うから、順くんは車をお願い」
俺が拾う。そう言う前に、百花さんが言った。
「大丈夫?」
「うん。流石に、ソレくらいはしないと」
「……わかった。なら、フォローできるように前を走ってくれ」
「了解であります」
なんて、笑いながら敬礼のまね事をした。
鉢植えを遠く、車とは逆側に投げる。しばらくして、割れる音が聞こえた。
ゾンビが移動を開始するのを待つ。
待って、確認しながら様子を見てから、百花さんに合図を送った。
まず、百花さんが前を走る。
俺はその揺れる髪を追って、着かず離れずの距離を行く。
車までは十メートルほど。障害物もあり、足場も悪く、視界狭いと悪条件ばかりだが、カマキリよりはマシだ。
リュックはすぐそこに落ちている。まだ種なんかも残っているけど、当面はこれでやりくりするしかないだろう。
今後を思うと不安も残るが、それでもまだまだやれることはありそうだ。
――なんて、意識を逸らしたせいだろうか。
百花さんがリュックを拾うため、身体を屈める。
前を見ていない。
屈んだ百花さんの向こう。陳列棚の向こうから手をのばす姿。
そこに、人がいた。
人だったモノが。
ゾンビが、いた。
「百花さんッ!」
走る。
声に驚いた百花さんが、俺の方を振り返る。
違う、そっちじゃない。
距離は後、二歩。大丈夫、間に合う。
ゾンビが手を伸ばす。百花さんは気がついてない。
鉄パイプ――ダメだ、百花さんに当たる。
俺は鉄パイプを投げ捨て、手を伸ばす。
間に、あえッ!
「――ッ!」
「ゥォァァァゥアァオアァァオァ」
「順、くん……?」
呆然と、こっちを見る百花さんが右手側に見えた。こっちの腕は、上手く動いてくれたようだ。
百花さんの身体が血に濡れていくけど、大丈夫。噛まれてない。
ああ、だって。
そりゃあそうだ。
痛い。
伸ばした左腕。ゾンビを遠ざけようとしたその手。
そこに、憎たらしいゾンビが歯を突き立てているんだから。
「っ、イッ、グッゥゥゥゥ、ヅッ!」
歯を食いしばり、悲鳴を噛み殺す。今、ゾンビが来たら終わる。
俺も、百花さんも。
「のッ、野郎ッ!」
こらえた痛みを乗せ返すように、体重を乗せてゾンビを陳列棚に向けておもいっきり倒すようにぶつける。
「グッ、ギィッ!」
クソッ、噛みちぎりやがった。
でも、離れた。今はコレで十分。
まだ呆然としている百花さんの手を、無事な右でとる。
――良かった、跳ね除けられなかった。
「ゴメン。我慢してくれ」
謝ってから、俺は百花さんを車に押し込んでダッシュボードにおいておいた鍵を回す。
早く、早く。
エンジンがかかる。ライトを付けて道を照らす。
俺を噛んだゾンビが、血をしたらせてこっちを見ていた。
轢き殺してやりたいが、後回しだ。
バックし、車を出入口へと向ける。
アクセルを全力で踏む。よし、大丈夫そうだ。
「良し、安全なところまで行くよ。そこで――」
一息ついたからだろうか、痛みが酷くなってきた。
ああ、ヤバイな。これ。
「待って。待ってよッ! これでお別れなんてヤダッ!」
百花さんが車内の明りをつけて、解いた緑色のリボンで噛まれた方の腕をキツく縛る。
固く、痛いほどに。
鮮やかな緑が、瞬く間に赤く黒くなっていく。
「ヤダって言っても、もう無理だって。噛まれた奴は絶対にゾンビになる」
「でも、まだなってないッ!」
「時間の問題だ」
「何か、何か方法があるはずだよッ! ほっ、ほらッ! 自衛隊の人なら、血清とか持ってるかも」
「なら、もう救助が来てる。それがないんだから、ないよ」
よしんばあっても、タダではくれないだろう。
「でもっ、でもッ――」
百花さんは何かないかと、狭い車内の中をグルグルと見渡す。
「……ねぇ、順くん」
やがて、何かを見つけたのか静かに俺の方を向いた。
顔にははっきりとした意思が張り付いている。
「カマキリに襲われた時、自分の事を信じてくれって言ったよね?」
「えっ、ああ……」
言った。ギリギリで鎌を避ける必要があったから、命がけだったし。
「なら、ね。私のことも、同じように信じて賭けてくれる?」
百花さんが手を伸ばし、俺の顔に触れる。
「君の全部で。私に、残りの時間の全部を賭けて、生き残る道を、選んでくれる?」
さっきまでの狂乱状態からは信じられない程に、穏やかな声。
それとは裏腹に、手は震えていた。
怯えているのがよく分かる。それでも、信じてくれと。死ぬなんて言わないでくれと、言ってくれる。
深く息を吸う。
ああ、まったく。しょうがない。あんな賭けに乗らせたんだ。俺だけ逃げるのはフェアじゃないしな。
それに、死にたくない。
「わかったよ。生きるか死ぬか、確立は二分の一だ。なら、信じてみる。
――信じるよ。百花さんのこと、全部。俺の命、全部で」
同じ言葉を、返した。
「うんッ!」
百花さんが、ようやく笑った。
願わくば、コレが最後じゃないこと。また明日も、明後日も見れると良いんだけどな。
次回は7月20日の12時です




