第二十三話 逃亡中(ベリーハード)
百花さんの手を引いて、走る。
店の構造はよくわからないが、黒森は大体の店舗が奥でつながっている。何処へ出るかはわからないけど、今はとにかくあのカマキリから遠ざかるしかない。
後ろを見る。
荒く息をする百花さんの背後に、カマキリはいた。
「クゥルルルルルルルルルル」
鎌を右、左とデタラメに振り回し、進路を作りながらカマキリが迫る。
幸い、百花さんの手を引いてるのを差し引いても、速度はこっちのが早い。
どうもアレは、鎌を振りながら動くってことができないようだ。
園芸用品の売り場を抜け、次はホームセンターらしき店に移る。
「まずッ」
家具や掃除用品なんかが陳列された広めの通路は、あのカマキリでも通れそうなほどだ。
左右に素早く目を向けるけど、通行用のなのか更に広い通路があるだけで、下手に向かうと追いつかれるかもしれない。
「順くんッ!」
百花さんの声に、後ろを振り返る。
いつの間にか間近に迫ったカマキリが、鎌を振り上げていた。
「うわッ!」
百花さんを抱き寄せ、跳ぶようにホームセンターの中へ。
一閃。
その瞬間を狙ったかのように、風を斬る音が耳に届く。
「痛ッ」
「ごめん。庇えれば、カッコ良かったんだけどね」
強かに身体を打ったけど、どうにか二人揃って立ち上がる。
後ろを見れば、店の壁が真一文字を描いていた。バランスが崩れ、壁と商品がバラバラと落ちる音が響き渡った。
鎌が埋まったのか、カマキリはまだ動き出そうとしない。
チャンスか。
そう思い目線を素早く動かすも、それはカマキリによって邪魔された。
「クゥルルルルルルルルルル」
カマキリが威嚇するように鳴く。残った左側の鎌をデタラメに振って、当たりをめちゃくちゃに切り裂く。
攻めに転じるには無理があるか。鎌を両方なんとかしないと、近づくことすらできない。
くそ、まだまだ鬼ごっこは続行かよ。
「ねっ、ねえ。私を置いて……」
荒く呼吸を繰り返す百花さんが言い切る前に、俺は叫ぶ。
「言わせねえよッ!」
また手を引いて、走り始める。
たくっ、俺に生きろっつたんだから自分が諦めんな。
――とは言え、限界はあるか。
風切り音と破砕音が耳に届く。
あの威力の前じゃ、下手な場所に隠れたらそこごと輪切りにされちまう。
百花さんと俺の体力も無尽蔵じゃない。全力疾走を続けられる時間なんて、あと五分もないぞ。
ここで終わり、か?
文字通り、死神の鎌が首筋を撫でるける感覚がした。
果ての見えない店の中を走りながら、ただ嫌な感覚だけが肌を撫で付ける。
逃げ切れないんじゃないかと言う、後ろ向きな考えが胸の奥底で燻ぶる。
今まで、ゾンビを相手にしてきて考えたこともないことだ。
これは、いよいよ本当に駄目かもしれないな。
その考えが結果を招いてしまったのか。俺は、とうとう足を止めた。
止めざるしかなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ――ご、ごめっ――」
「はっ、はっ、はっ……」
返事を返す余裕はない。
行き止まりだ。
食品売り場から飛び込んだ倉庫の中。どうにか距離を開けてきたってのに、ここでとうとう進めなくなっちまった。
遠目に、入り口を破壊する鎌が見えた。まだ入ってこないようだが、もう出られそうにない。
出入口の向こう側には何もなく、いよいよ追い詰められたと言う実感だけがふつふつと湧き上がる。
死ぬかも。いや、まだだ。
頭を振って、とにかく生き残る手段を探す。
まず目につくのは、行き止まりにある金属製の扉。銀色で、ドアノブらしきレバーが左右に付いているけど、ビクリとも動かない。
見た目や触れた雰囲気的に冷凍庫のようだ。
下手に逃げこむと凍死する可能性もあるな。背に腹変えられないけど。
とは言え、開かないのなら意味は無い。
「どう、しよう……」
呼吸を荒くしたまま、青ざめた百花さんが聞く。
俺が聞きたいと悪態を胸にしまって、とにかく何かないかと目を走らせる。
その時、ひときわ大きな音がなった。
「クゥルルルルルルルルルル」
耳障りな音が、密室の倉庫内に反響する。
カマキリが入ってきたのだ。
キョロキョロとその三角の頭を振って、俺達を認めるとゆるりと、身体をこっちに向ける。
時間がない。
「まだ諦めるなよ。何か、手があるかも……」
左手側には搬入用なのか段差があって、その先には閉じたシャッターがある。唯一の希望だけど、開かなかったら一巻の終わりだ。
開閉スイッチが見当たらないので、手動だと思う。試しておきたいけど、カマキリが居る以上はそんな余裕もない。
くそ、もっと速くに動いていればよかった。
右手側。壁と作業用の服や手袋なんかが並ぶ棚がある。登った先は、残念ながら壁だ。
台車もある。これに乗って相手の下を潜る……駄目か、どう見ても二人乗れるほど大きくない。
都合よく通風口なんかがアレば良かったけど、映画のようには行かないらしい。
もはや道は、一つしかない。
だけど、ただ行くだけじゃダメだ。多少でも可能性を高めておかないと。
「……なぁ、百花さん」
「うん……」
覚悟を決める。チャンスは一度だけ。
「俺を信じるか?」
「うん」
即答に、俺は思わずマジマジと見返した。
カマキリの頭が倉庫に入ってくる。
「死ぬかもしれないぞ」
「でも、私じゃもう百菜ちゃんに会えなくなっちゃいそうだもん」
だから、と強く溜めて。
「信じるよ。順くんのこと、全部。私の命、全部で」
まっすぐに俺を見て、百花さんは朗らかに笑ってみせた。
「――」
台車を手元に寄せて、カマキリと俺達の間に挟む。
持ち手をカマキリに向け、荷物を載せる方に足を置く。
向きはシャッターの方へ。
片手で百花さんを抱き寄せ、反対の手は台車の持ち手をしっかり掴む。
「頭は自分で守って」
「わかった」
ぎゅっと、百花さんが強く俺の身体の中に顔をうずめた。
カマキリを睨む。憎たらしい顔だ。
距離も大分近づいた。走り抜けるのも、もう無理だろう。
でも、なめんなよ。まだ、殺されてやんねえからな。
鎌を振り上げる。
位置的に、俺から見て右から左下に切り抜ける感じか。
そうだよな。お前は何時も、最初はこっちから見て右からだ。
「――ッ!」
振り下ろされる一瞬。その前に、俺はコンクリートの地面を力いっぱい蹴った。
自然、台車に乗った足だけが地面に残り、蹴った勢いはそのままタイヤに加わり前へ。
強く、百花さんの身体を抱く。
鎌が風を斬る。
金属の擦れる嫌な音がした。ブシューと、空気が漏れる音が遅れて聞こえる。
「クゥルルルルルルルルルル」
悲鳴じみた鳴き声。
身体が宙に舞う。
手は絶対に離さない。落ちる。
空中の向こう、嫌そうに身体を揺するカマキリが見えた。
「ぐぁッ、痛ッ!」
「きゃっ!」
背中から落ちる。頭を無理に持ち上げ、ぶつけるのだけは回避したが、痛い。
百花さんを離して、立ち上がる。
よし、まだカマキリの鎌は金属製の扉から抜けてない。それに、なんか様子が変だ。
「クゥィィィィィィィィィ」
今までとは異なる鳴き方。まるで、痛がっているみたいに聞こえた。
いや、今はそれどころじゃない。
痛みをこらえて、俺は百花さんの前に出てシャッターを持ち上げる。
「――は?」
が、ダメだった。
「開かない、の?」
ガチャン、ガチャンと重たい音が無意味に繰り返される。
「くそ、なんでだッ!」
がちゃがちゃと鍵らしき所をいじる。でも、いっこうに開く気配はない。
すぐ隣も同じだ。遠くは……、
「クゥルルルルルルルルルル」
確認するために振り向けば、鎌を引き抜こうとするカマキリが見えた。戻って段差を登っている頃には、もうヤツが背中に迫りそうだ。
駄目、か。駄目なのか。
「くそう……ッ!」
強くシャッターを叩く。もう、道がない。
「ごめん、百花さん」
「うん。しょうがないよ。順くんは、がんばった」
さっきまでとは逆に、百花さんが俺をその胸に抱きしめる。俺も空いた手を、握り返した。
遠く。せめてもの抵抗に、振り返ろうとするカマキリを睨む。
「――さて。ラブロマンスを展開している所申し訳ないが、少しだけ息を止めててくれるかな」
不意に。
シャッターの向こうから声が聞こえた。
そして、あれだけやっても開かなかったシャッターが開き、下から何か玉状の物が転がってくる。
「えっ?」
疑問に思うのと、玉がはじけて煙を出すのはほとんど同時だった。
次回は7月17日の12時です




