第十九話 運転の練習
風間先生が持ってきた車は、トヨタのカローラフィールダーと言うらしい。イマイチよくわからないけど、百花さん曰く可愛くないそうだ。
ぱっと見で、一般的なファミリーカーなイメージ道理の車だ。
ずいぶんと轢いて来たようで、色がフロント部分は赤黒く、そこ以外はシルバーになっている。
ただ、ボディはかなり頑丈なのか、へこみこそあっても致命傷にみえる傷はない。あっても解かんないだろうけど。
今は、校庭内のゾンビが片付くまでは正門に壁として設置してある。
そのゾンビも、体育館から聞こえてくるマイケル・ジャクソンのスリラーに釣られて、続々と集まりつつあるようだ。
俺は、それを百花さんや百菜とぼんやり眺めていた。
出番がないのだ。
作戦は単純に、集めてドアを閉めるだけ。後は取りこぼしを始末して正門と裏門を閉鎖する。
裏門はもう閉めてあるから、後は車で塞いでる正門だが、こっちも鍵を持ってきた風間先生がやる予定だ。
ので、ひと通り片付いて車の運転を練習するまでは出番がない。
桐原先輩も、別の部屋で休んでいるようだ。なんでも、彼女がいるとか。
一方、俺もかつては想像すらできなかった両手に華だったりするけど。
今までは一人で寝るだけだった俺の部屋が、ずいぶんと明るくなったものだ。
黒森まで行けたら、家具でも調達してみようかね。
「それじゃあ、黒森まで行くから車の運転を練習するんだ」
机に座った百菜が、足をふらつかせながら言う。
「へへへ~そして、教師役はお姉ちゃんです」
ふふんと、百花さんが胸をはる。
ふるんと揺れた。すげえな、マジで。
「うえっ?」
百菜が顔をしかめた。声も上ずっていて、本気でと俺に目で訴えてくる。
「風間先生は他の車を確保しに行く予定だからな。軽トラとか、ガソリンとかも欲しいんだとさ」
「そうそう。それで~後は運転できるのは私だけだもんねー」
何が嬉しいのか、さっきから百花さんはやたらとにこにこしている。
「あ~……うん……シートベルトは、絶対にしてね!」
百菜が引きつった顔のまま、俺の肩を叩いて言った。
その意味は、まあすぐに知ることとなる。
ガクンと身体が前に倒れる直前、シートベルトにひっかかった。
食い込んで痛むが、お陰で窓の外に投げ出されなかったようだ。
うん。外しとけとか前に思ったけど、しててよかったシートベルト。
なきゃ、死ぬ。
「と、こんな感じだけど……あれ、どうしたの?」
「運転下手すぎ」
「ええぇ!」
百菜がげんなりしてた理由がよく分かる。なんというか、運転が荒い。右に曲がってまっすぐに戻るとき、余計に左に行ってから、それを修正しようとして更に右に。そんな運転だ。
その上、スピードが出たり急に減速したりともうめちゃくちゃだ。
「もう良いから、席変わってくれ」
口頭の指示で、どうにか覚えよう。
「ううぅ、せっかく役に立てそうなのに~」
だから喜んでたのか。
とはいえ、俺も今は車酔い的な意味でキツイのでフォローはしない。
一旦外に出て、軽く深呼吸。あー、気持ち悪い。
うっとおしいゾンビどもが校庭から一掃された開放感があるのに、気分は正反対だ。
校庭のゾンビどもは、もうすっかりと片付いていた。
正確には、体育館に押し込んだだけだけど。アレも気を見て、なんとかしなくちゃならないが、今は手段も方法もない。定期的に様子を見るくらいが、今の限界だ。
取りこぼしも、まあ一体ずつならよほど無茶しなきゃ、負けはしない。
多少の時間はかかったが、学校内の安全はとりあえず確保出来たと言っていいだろう。
「――ふっ、ぅ……よし。それじゃあ、改めてやるか」
身体をよく伸ばし、気分を入れ替える。
まだ気持ち悪いけど、とりあえず問題はない位には動けそうだ。
「無理はしないでね」
「元凶が何を言うか」
申し訳無さそうにする百花さんに笑いながら返して、俺は運転席に座る。
エンジンは切ってある。
さて、動く前にしっかりとシートベルトをしておこう。百花さんがするのも確認し、それから習い始めることにした。
「まずは、ブレーキを踏んでね」
「ブレーキ……左がそうだったな」
事前に聞いた話だと、右足でアクセルとブレーキを操作するらしい。けど、やりにくかったら両足でも良いよと、百花さんが言う。
さっきの運転から判断するに、たぶんそれは間違った方法だと思うので、右足でブレーキを強く踏む。
「それで、エンジンキーを回してエンジンをつけます」
左にひねると動かないので、右奥に回す。
駆動音がする。動いたと思い手を離したら、すぐに音が消えてしまった。
「ブインブインブインって感じの音から、ブオオオンって音に成るまではキーを回したままにしててね」
「わかった」
二度目の挑戦で、エンジンが起動した。ブレーキは踏みっぱなしだ。とつぜん動き出しても困る。
「次に、正面のパネルに色々書いてあるでしょ。速度とか、走行距離とかのやつなんだけど、その中にPとかDとか英語が書いてあるのがわかるかな」
「ああ、あるな」
「それが今の車の状態なの。Pがパーキングで、止める時のだね。Dがドライブで、Rがリバース。Nがニュートラルなんだけど、使わないから気にしなくて良いよ。
今はパーキングに設定してるから、そこが光ってるよね」
使わないのなら搭載されないと思うんだけど。まあ、余計なことは聞かないようにしよう。
「それじゃあ、左側にあるレバーを動かして光ってるのをDに合わせてね」
左側のレバー。ちょうど、座席の間にあるやつか。今はフロントガラス側に倒れていて、そこがPと横に表示してある。
それをDの位置に動かす。
がくんと、車の何かが入れ替わった感覚があった。
「あっ、ゴメン。言い忘れてたけど、レバーはブレーキを踏んでないと動かないんだ」
「たまたま踏みっぱなしだったけど、ラッキーだったのか」
「そだね。それじゃあ、ブレーキから足を離して、アクセルを踏んでみよう」
「わかった」
とはいえ、思いっきり踏むと急発進するのは俺でもわかる。そっとブレーキから足を離す。
と、車がゆっくりと前に進みだした。
「うわっ!」
慌ててブレーキを強く踏み込んだ。
「きゃっ……あっ、そういえばオートマはアクセル踏まなくても動くんだった」
「早く言ってくれよ、そういうこと……」
「ごっ、ごめんね!」
手を合わせる百花さんを尻目に、俺はまたゆっくりとブレーキから足を離した。
次回は7月13日の12時です。




