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おから村正  作者: 鵜狩三善
ひもじヶ原雪追分(ひもじがはらゆきのおいわけ)

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9/23

蛇骨雪恨

 同時刻、名輪家離れにて。

 眠れぬまま酒を煽り続けていた五右衛門が、ふと顔を上げた。空気が、唐突に澄んだ気がしたのだ。

 恐る恐る蚊帳を出て、母屋の屋根の上を見る。そこに蛇の姿はなかった。


「おお……!」


 思わず快哉を漏らした。

 勘違いではなかった。蔓延していたあの毒気が、綺麗さっぱり消え失せている。

 生き延びたのだ。今回も、また。そう思った。

 自身の運を確信し、老人はにんまり満足の笑み浮かべた。


 過去にも妖魅と接したためか、はたまた生来の素質か、五右衛門もまた蛇を見ている。

 それは彼の行動からも窺い知れよう。五右衛門が離れに閉じ籠もったは、さとの死んだ年の暮れのこと。しかし最初の死者が出たのは、年が明けて以降である。

 五右衛門は誰より早く蛇を見た。最も恨まれ憎まれるが己であるを理解して、蛇除けの札で難を逃れんとしたのである。


 彼の予想通り、蛇による奇怪な殺しは起きた。

 当初、五右衛門は村を逃れるつもりだった。権力も金も、命あってのものである。遠く土地を移せば、蛇もそうそう追ってはこれまい。

 が、それは叶わなかった。

 母屋の上に座す蛇が、常に五右衛門を睨んでいたのだ。もし札の守りの外へと出れば、それがたちどころに襲い来ると老人は悟らされた。


 焦った彼は、伊右衛門捜索の(てい)を装って別の命を下した。

 ひもじヶ原の怪をかつて鎮めたような、験力(げんりき)を持つ人間を探し歩かせたのである。

 当然ながら、これは雲を掴むような指図だ。この時ばかりは五右衛門も、過去の己の行いを悔いた。


 ――あの爺、殺すのではなかった。


 過日、名輪家を救った行者は痩せこけた老人だった。萎びて、まったく役立つようには見えなかった。が、彼の験力は本物だった。

「何とかしてみましょう」と請け負ったのち、のんびり間の抜けた念仏を唱えると、彼は行動を開始した。

 札を撒けば蛇は逃げ散り、原に供養塚を築けは怪事はたちどころに鎮まった。

 全ては、拍子抜けするほどあっさりと済んでしまった。

 このあっけなさが、五右衛門に悪心を起こさせた。こんな簡単なことに大枚を支払うは惜しい。そう思ったのである。


 その夜、五右衛門は行者を歓待した。

 多量の酒で酔い潰し、枯れ枝のようなその体を塚へ運ぶと、手ずから首を絞めて殺した。前後不覚の状態で、誰にともわからず殺されたのなら、恨みの矛先も見つかるまい。そのような算段である。

 骸は塚の下へ(うず)めた。ここならば誰にも見つかるまいと考えていた。

 

 果たして、思惑通り事は運んだ。

 行者は村を救い、訪れた時と同じく誰にも知られず旅立だった。そういうことになった。

 今となっては後悔しきりである。同じく始末するにしても、今ならばもっと上手いやり方を思いつく。

 しかも行者のような異能を備えた人間との縁を、そこで断ってしまった格好である。関係の糸を残しておけば、あの蛇へ迅速に対処できたろうにと思えば悔やまれてならない。


 そんな五右衛門にとって、巾木宗介の来訪はまさしく奇貨であった。

 瘴気を払った手並みを見、五右衛門は確信した。二度も続けてこのような来訪を得られるとは、やはり自分は幸運に生まれついている。

 なので、今度は上手くやろうと心を決めた。

 あの浪人が無事戻ったなら、たっぷりともてなしてやろう。

 身なりは良いが、どうせ浪人者である。贅沢の味を知れば簡単に(なび)くに決まっている。気に入った様子であれば、みよに(とぎ)をさせてもよい。

 老行者と同じく、実に騙しやすそうな宗介の顔を思い浮かべて、五右衛門はほくそ笑む。

 そうして懐柔した後は、金四ツ目だのなんだのについて、知る限りを吐き出してもらおう。縁繋ぎに役立ってもらおう。今後のために。村が、名輪が、更なる権勢を得るために。


 小躍りせんばかりの足取りで、五右衛門は離れを出んとした。

 と、その頬を掠めるように白いものが落ちた。ひとつならず、ふわふわと続けていくつも。

 

 ――雪か。


 そう思った。

 が、違った。

 間違っていた。

 畳に落ちたその光は、途端、蛇に変じた。


「な、なあッ!?」


 舞い込んできた光の数だけ、畳の上に蛇が生じる。


「あの若造、一体何をした――!?」


 五右衛門は知らない。

 ひもじヶ原の亡魂にとって、供養塚は確かに安らぎであり慰めだった。殺められてなお()し続けられた、行者の念仏もまた。

 彼らはそれで眠っていたのだ。

 が、さとの火のような激情がそれを破った。原は恨みを思い出し、文字通り一丸となって名輪を祟った。

 怨念が一気呵成に村を滅ぼす奔流とならなかったは、行者の名号あればこそだ。

 とはいえ、時間の問題だった。決壊はいずれ目に見えていた。


 そのような状況で、今宵。

 供養の塚は妖蛇に潰され、解放された行者は亡霊のほとんどを導いて現世を離れた。

 目的を果たした宗介も、名輪には戻らず村を出ている。これについては幾度か記した通りだ。彼は蛇を斬りに来たではない。さとを取り返しにやって来たのだ。だから宗介は邪魔立てする悪縁を――集合した大蛇のみを屠って去った。


 ゆえに、ひもじヶ原には残るのだ。

 わずかな、しかし凝縮された濃密な恨みの念が。

 それらを戒めるものはもう何もない。行者もなく、宗介もいない。

 名輪五右衛門は、それを知らない。


 突如生じた激痛に、五右衛門は声を上げた。

 見ればふくらはぎに蛇が食らいついている。


 ――ひもじい。


 払う間もなく、やわらかな肉が食い千切られた。

 蛇は肉片を嚥下(えんか)し、身を震わせる。わずかなりとも恨みを晴らし少しなりとも腹を満たし、その姿がふと掻き消える。

 が、蛇はただ一匹のみではない。


 ――ひもじい。


 鳴きながら、畳の上を蛇行する。

 家人を呼ぶべく声の限りに叫んだが、母屋には何の反応もない。癇癖(かんぺき)の老人のため、常に不寝(ふしん)の小者が控えるはずであるのに、だ。

 彼岸入り。

 気づかぬままに五右衛門は、常世へ取り込まれている。


 ついに五右衛門は悲鳴を上げた。上げながら逃げようとした、その足がもつれた。

 転倒の衝撃に顔をしかめる間すらなく、再びの激痛が走った。

 五右衛門の右足に、その小指に、蛇が牙を立てている。 

 そして、ぶつり、と。

 音を立てて、指が噛み取られた。嬉しげにそれを呑み込み、その蛇の姿もまた消える。


 ひぃひぃと喘ぎながら、五右衛門はそのさまに光明を見た。

 我が肉を食らえば、満足して蛇は消え失せる。そして這い来る蛇はあと七、八匹。

 食われるは痛い。恐ろしく痛い。しかしそれで損なわれるのは蛇ひと噛みぶんの肉のみだ。

 ならば、まさに身を切る選択ではあるが、上手くこの身を食わせることで生き残るが叶おう。老人はしぶとく、そのように思考したのだ。


 しかし。

 ぶつりと音を立てて、蚊帳が破れた。その破れ目から、ぞろぞろと蛇が零れ出す。

 先ほどまで五右衛門が籠っていた蚊帳の中には、いつの間にかみっしりと、数え切れぬ蛇体がひしめいていた。


 ――ひもじいよぉぉぉぅ。


 雪崩打って、蛇が五右衛門へ襲いかかる。

 少しずつ、少しずつ、小さくなりながら、五右衛門は恐怖と痛苦に泣き叫び続けた。

 それでも彼の音声(おんじょう)は、決して外へは届かない。


 明くる朝、家人が絶命した五右衛門を見つけた。

 正確には、五右衛門の顔だけを見つけた。

 肉も骨も齧り取られて、彼の肉体は他になかった。

 頭蓋骨の前面、苦悶を貼りつけたその顔以外を、五右衛門はこの世に残さなかった。

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