ひもじヶ原縁起
ひもじヶ原。
そう呼ばれる土地がある。村の西、里山の端に横たわる、それはかつて墓場であった場所だ。
二十年以上の昔。
全国を飢饉が襲った。食糧不足はこの村も例外ではなく、当時は多くの餓死者が出た。
その骸を弔ったのがひもじヶ原である。
否。正確には骸ではない。
まだ息のある、しかしもう死んだも同然の人間たちを、そこへ遺棄したのだ。
それでも、彼らは生きようとした。
手だけ、腕だけで這いずって互いに争い、人肉相食んで生きようとした。
しかしながら、誰も生き延びるは叶わなかった。
飢饉を乗り越えてのち村の者が墓地を訪れると、そこには舐めたように白い骨ばかりが、鬼哭啾啾の風情で転がっていたという。
深い恨みを抱いて死んだ者の骨には、ささくれが生じるとの巷説がある。
ささくれはやがて鱗へ変じ、骨は蛇となって報仇雪恨を遂げるのだという。
墓地の骨どももそうなるに違いないと人々は恐れ、誰もその地を踏まぬようになった。寺は移転し、墓所は新たに作られた。里山は捨てられ、原となった。
名輪五右衛門が働きを見せたのは、こののちである。
彼の尽力により、村へ商人が寄りつくようになった。交易が成り立ち、暮らしは上向き、飢饉の傷跡は徐々に癒えゆくようだった。
万事上手く運び始めたかと思われたその頃、名輪家の男が死んだ。
ただ死んだのではない。
蛇に貪り食われて死んだのだ。男は寄り集まった数十匹の蛇に、手と言わず足と言わず、顔と言わず喉と言わず、それこそ全身を食い破られていた。
肉も骨も食い千切られて、棺に納めた男の目方は、生前の半分もなかったという。
死者は、それひとりでは終わらなかった。
以後もどこからともなく蛇どもは現れ、次々と人を食い殺した。
蛇に襲われるのは、当初、名輪の人間ばかりであった。
ゆえに誰かが言った。これは餓死者の祟りであると。
彼らを墓地に捨てるよう命じたのは五右衛門であり、ゆえに名輪は呪われたのだと。
だが、見当外れだった。
蛇たちは昼夜を問わず村内に姿を現すようになり、その上、人を見ては人の声で鳴いた。
――ひもじい。
――ひもじい。
――ひもじいよぅ。
そうして更に、幾人かが食い殺された。
祟られ、呪われるのはこの村自体だと誰もが悟った。
恐怖が蔓延したある日、ひとりの行者が村を訪れた。事情を聞いた彼は蛇除けの札を撒き、次いでかつての墓地に供養の塚を築くよう告げた。その言葉に従えば、蛇の怪事は立ちどころに止んだ。
それきり騒ぎは静まって、蛇骨の恨みが人の口に昇ることはなくなった。
けれど時折、たとえば血のような夕日が西の端に沈む時、村人たちは原に転がる骨たちのことを思い出す。きっと蛇に成り果てたに違いない、飢え渇いた骨たちのことを。
それゆえ土地は呼ばわれるようになった。
ひもじヶ原、と。
だが実害を生じなくなった妖威は次第に色褪せ忘れられ、やがてただ物語られる過去になった――はずだった。
「昨年の暮れ、倅が、伊右衛門が行方知れずになった。それが事の始まりだ」
名輪と蛇の因縁をひとくさり語ると、五右衛門はそう続けた。
みよは下がり、離れには宗介と彼の二人きりである。
「三十を越えてようやくできた惣領息子だ。手を尽くして捜したが、消息はまるで知れなかった。そうこうするうちにな、ひとり、死んだ」
男は名輪で使う小者だったという。
それが、殺された。
名輪家に暮らすその男が、朝になっても一向に現れない。
別の使用人が男の部屋を覗くと、彼は寝床の中で紫に膨れ上がって死んでいた。あまりの死にざまに発見者は声も出ず、立ちすくんで死体を長く見つめる羽目になり――そうして、気づいた。
男の体にぽつぽつと、上から降り注ぐものがある。
目を上げると、そこには梁にぶら下がる蛇がいた。かっと開いた口から、牙から、骸へ何かを滴らせているのである。それが毒液であるのは、男の死にざまを見れば明らかだった。彼は、一晩中これを浴び続けて死んだのだ。
天井の蛇を始末し、五右衛門はこのことに口を閉ざすよう命じた。
が、その対応を嘲笑うかのように、もうひとり、死んだ。
同じく名輪の小者だった。
これは布団の中で、ぐずぐずになっていた。何か太いものに巻きつかれ、つま先から頭のてっぺんまで、肉も骨も微塵に砕かれたのだ。
ぐにゃりと形を失ったその骸は、人の中身を詰め込んだ皮袋のようだった。
翌日には、更にもうひとりが死んだ。やはり名輪の人間である。
村近くの川での溺死だった。
その足には無数の蛇が、重しのように巻きついていた。
川辺の土には必死に爪を立てた痕跡と、結果剥がれた爪とが残り、これは蛇どもに引きずり込まれたのだろうということになった。
三人とも、長く名輪に仕え、それだけ信用のある人間だった。
腕っぷしは強いが気質が荒く、恨みを買うこともあったろう。しかしこのような殺し方のできる人間などいるはずもない。
村では再びひもじヶ原の名が囁かれるようになった。
新年早々から村を怯えと恐れが覆った。その中で、死は続いた。
次に死んだのは五右衛門の女房、たきである。
下働きの娘が、老女の口から蛇の尾が出ているのを見つけた。蛇体のほとんどが、彼女の喉奥へ潜り込んでいるのは明白だった。
たきの苦悶の形相は凄まじく、もがいて畳を掻き毟った跡まである。蛇によって息が詰まり、窒息したのだと思われた。
が、違った。
喉の蛇を引きずり出そうとしたところ、たきの腹中がうぞうぞと蠢いた。なんと更に数匹の蛇が彼女の内へ入り込み、その臓腑を食い荒らしていたのである。
身の危険を感じた五右衛門は母屋を逃れた。過日、行者が書いた蛇除けの符で離れを厳重に閉じ、そこへ籠もった。
「姿を消した倅が何か馬鹿な真似を、たとえば塚を穢すような振る舞いをしたのかもしれん。そう思って様子を見に行かせた。が、確かめられずに終わった」
拒絶を怒声でへし折ってひもじヶ原へ行かせた小者は、一昼夜帰らなかった。
翌日彼は、離れの近くで行き倒れているのが見つかった。数日絶食したような、大層なやつれようだった。
回復させて話を聞けば、念仏と三味線が聞こえたのだと言う。
日の高いうちに原へ入ると、まず巧みな三味線の音がした。その途端、不意に日が暮れた。中天にあったはずの太陽は失せ、瞬きの間に辺りは、月も星もない夜の帳に包まれていたのだという。
必死で彷徨う耳に、
――なぁむあみだぶつ。
そんな、間延びした念仏が響き続けた。
語り終えるとこの男は村を発足し、以後は知れない。
「半死人を捨て、まだ望みのある者たちで食い物をわけるよう指示したのは確かにわしらだ。名輪の者だ。しかし、仕方のないことだった。村が生き延びるには他にやりようがなかった。それを恨むは筋違いというものだろう」
語り終えた五右衛門は、そう付け加えた。
「もちろん、そうせざるを得なかった悔いはある。だからこそ繰り言を容れ、供養もした。そこより先は履き違えた逆恨みであろう」
浅ましい限りよ、と五右衛門の鼻息は荒い。貧者は斯くも富者を羨むと言わんばかりの形相だった。
つまるところ、己に非はないとの訴えである。
宗介の好まぬ種類の倨傲だった。
仮に道理があって踏みつけたとしても、それを顧みないのは誤りだろう。若さも手伝い、そのように彼は思う。
「……」
否定的な腹の内が、気のないため息となって外へ出た。
ただでさえ良い印象がない上に、嘘まで吐かれている。手を伸べる気が失せるのも無理からぬところであろう。
が、宗介の態度を五右衛門は咎めなかった。器量の広さからではない。縋る者が他にないからだ。
「まあ、わかった」
「退治てくれるか!」
短く呟くと、五右衛門がすぐさまに食いついた。
その酒気から逃れるように宗介は立ち、屋上の蛇を見やる。蛇眼は、宗介を見定めるように睨めている。
「今夜、その原に行ってみよう」
「おお!」
「妖異が治まったなら、当然金子は弾んでもらう。出し渋るなよ」
踊り上がらんばかりの老人に、宗介はちくりと告げる。
だがその寸鉄は、五右衛門の面の皮を刺し通せないようだった。
老人はこれでもう安心だとでも言うように、喜色を漲らせるばかりである。




