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おから村正  作者: 鵜狩三善
人恋刀二世道行(ひとこいがたなにせのみちゆき)

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22/23

虹のたどり着いたところ

 雪が、その強さを増している。

 月も星も厚い雲の向こうへ隠れ、山間(やまあい)はなお暗い。

 固体のように濃い闇の中を過たず宗介が進めるのは、せんより借り受けた知覚のお陰に他ならなかった。

 けれど。


「宗介、そろそろ休んだ方が」

「……いや、大丈夫だ。まだ、持つ」


 案ずる声に答える宗介の顔は、夜目にも白い。声音は弱く、足取りにも(もつ)れが見える。

 小山田から受けた傷はじくじくと血を流し続け、降り注ぐ雪と共に彼の体温を奪いつつあった。


 境内を離れたのちは、強行軍が続いた。巾木村を離れる道行きは平易なものではなかった。

 何故なら社の周囲には、宗介の逃亡に備えて鴨井が人を配していた。要路の悉くに、徳五郎の手勢が伏せられていたのである。

 蓑笠を着込んだ彼らは、雪と人目を回避すべく木陰や茂みへ潜み、もしも宗介の姿を見かけたら、呼子(よびこ)を用いて人を集めるよう指示されていた。


 だがどのように身を隠そうと、器怪たるせんの知覚を躱すのは不可能だ。せんは目で見、耳で聞くのではない。ただ存在を感知し、認識する。

 彼女の導きにより、宗介は気取られることなく包囲を抜けおおせた。しかし隠密行に徹した結果、宗介たちは街道を大きく外れ、傷を負った体での山歩きを余儀なくされている。


 とはいえ、仕方のない決断だった。

 疲労困憊(こんぱい)の今、数を繰り出されれば到底(のが)れえなかった。現在の宗介は、それほどに消耗が深い。

 ()を受けたまま兵庫と七剣のうち六人と立ち合い、逃亡を優先して傷の手当てを後へ回したのだから、これに関しては無理が祟ったという以外なかろう。

 そのまま闇と雪の山中を駆け続けた宗介の姿は、狩り立てられ、弱り果てた獣のさまに酷似している。


「……」


 その隣で、はらはらと気を揉みながら、せんは無力を噛みしめていた。

 もしも自分に血肉を備えた体があれば、宗介に手当てを施せていたろう。肩を貸すことも、背に負うことだって叶ったはずだ。わずかなりとも、ぬくもりを分け与えるだって。

 けれどせんはそうではない。その身は不甲斐き幽姿でしかない。

 できるのは傷ついた宗介を見守ることだけ。ただ、それだけだ。今までの傍観と、まるで変わりのないありさまだった。

 息を詰め、ぎゅっと強く、せんは拳を握り締める。

 しかし気を凝らしたところで、先のような現実性を、物理干渉能力を得るは叶わなかった。あれは炎のような感情の昂ぶりと、勿来の社という神域の双方があればこその奇跡であったのだろう。


「せん、頼めるか」

「あ、はいっ! どうかした? 何かわたしにできること、して欲しいこと、ある?」


 呼びかけられて我に返り、せんは食いつく勢いで宗介に顔を寄せる。


「どうにか、街道へ出たい。方角がわかるか?」

「うん、任せて!」


 勢いよく頷くと、せんは闇を透かして周囲を見渡す。 

 宗介が借り受ける知覚は、せんのそれと同質のものだ。が、やはり当人と宗介とでは精度が異なる。認識できる範囲にもその鮮明さにも、桁違いの開きがあった。ゆえに遠く、先の目的地を探るのならば、彼女こそが適任である。


「こっち! ゆっくり行くから、ついて来てね」


 すぐさま行く手を見出したせんが、ふわりと先に立って進み始める。幽姿の彼女ならば()けずともよい木々を丁寧に()けて歩むのは、後に続く宗介への配慮に相違なかった。

 ほの光るその背から、最前までの暗澹(あんたん)たる気配は消え失せている。人の役に立つを快とするのは付喪神の(さが)だ。それが想い人にとっての重宝ならば尚更で、宗介に頼られたせんは、すっかり喜色に満ちていた。

 そんな彼女の様子を確かめて、宗介は目元だけで笑む。

 宗介は、器怪の詳細な(さが)を知りはしない。けれど彼は、頼られてはしゃぐせんの姿を幾度も見ていた。だから沈むせんから深い自責を嗅ぎ取った時、宗介は彼女の気を逸らすべく咄嗟の頼みを口にした。

 もちろん街道を目指したいことに嘘はないが、それはこの期に及んでまでする心配りであった。


「そこ、太い根っこがあるからね」

「わかった」

「あ、この斜面、ちょっと滑りやすそう」

「気をつける」


 機嫌よく宗介を先導しながら、大人しくせんに世話を焼かれながら、四半刻(およそ30分)ばかり進んだろうか。

 やがて山の名残(なご)りの木立のうちから、ふたりは人が踏み固めた道筋を見る。

 先んじて踏み出したせんが、大きく開けた夜空を仰いた。そののち、体ごとくるりと回って振り返る。


「抜けれたよ、そうす――」


 その、眼中で。

 続いて木々を抜け出ようとしていた宗介が、何かにつまずきでもしたかのように倒れ込んだ。


「宗介っ!?」


 慌てて飛び戻ったせんは、ぞっと血の気が引くような感覚を覚える。

 立ち上がろうとした宗介が、果たせずまたがくりと膝を突いたからだ。その横顔からごそりと、命が()げ落ちて見えたからだ。


「宗介? ねぇ、宗介!?」

「しまったな。気を抜いた」


 (いら)える声も甚くか細い。辛い呼吸を幾度かしてから、宗介は片手で腹の傷を抑え、残る片手と両膝で這い進む。そうしてたどり着いた木の幹に、どうにか背をもたせかけた。


「まだ、持つつもりだったけれど、でも、ここなら大丈夫だろう」


 緩慢な動きで腰からせんを外し、脱いだ肩衣(かたぎぬ)で大事に(くる)む。これ以上雪に濡れないようにの処置だった。


「待って。やだよ。何言ってるの?」


 声音と表情から不穏を聞き問り、隣へ貼りついたせんがぐっと顔を近づける。

 どうにか安堵させようと、けれど力なく宗介は微笑んだ。


 勿来の社から落ち延び、しかし徐々に利かなくなていう己の体を感知して、宗介が一番に案じたのはせんのことだった。

 おそらく自分の命脈は、遠からずで尽きる。そうしたら、せんはまたひとりぼっちになってしまう。

 その前にせんを、彼女を認識できる誰かに託したかった。

 確実なのは兵庫だが、彼にはとても頼れない。兵庫はせんを、悪しきを為す妖魅と断じいる。見つけ次第へし折らんとするのは知れていた。となると、兵庫の権威が及ぶ壬生道場や巾木村の人間も駄目だ。

 そうなると、世間の狭い宗介にはもう当てがない。


 しかしこのままでは自分は山野に息絶えて、せんをそのまま錆びつかせてしまいかねない。それは途方もなくよくない話だ。

 考えた宗介は、それで最寄りの街道を目指した。

 路傍に行き倒れた者の刀であれば、誰かが手にすることとてあろう。その誰かにせんが見えるとは限らない。だがあたらこの名刀を、道連れにしてしまう事態だけは避けられる。

 宗介が呟いた「ここなら大丈夫」とは、そのような意味合いだった。

 

「宗介。ね、宗介。もうちょっと、もうちょっとだけ頑張ろう? もう少し行けば、きっと、なんとかなるから。絶対、助けてくれる人が……」


 宗介の耳が死の足音を聞くのだと察し、せんは震え声を絞る。必死の面持ちで希望的観測を語りはするが、それは彼女自身、信じていないことだろう。

 近隣に人里はない。旅人とて同じことだ。こうも冷たい雪の()に、こんな田舎道を行く者などあるはずもない。

 ここは選択肢のない行き止まり。完全な袋小路だ。


「すまない、せん」

「でも、でも……っ」

 

 頑是(がんぜ)ない子供のように、せんは目に涙を溜めて、ただ首を横に振り続ける。


「頼む、そんな顔をしないでくれ」

「駄目。そんなの駄目。だって宗介は辛いことばっかりだったんだから、やっと村を出たんだから、これから幸せにならないと駄目なんだよ。色んなものを見て、色んなことをして、楽しくしないといけないんだよ。もっと、もっと幸せにならないと――!」


 傍らに(ひざまず)き訴えるせんの(かんばせ)を、やはり綺麗だなと宗介は眺めた。

 そうして、囁く。


「せんが思うほど、俺は不幸じゃない。むしろ幸せだった。せんと会えたからだ」


 宗介にとってせんは、儚い幸福のかたちそのものだった。

 彼女と過ごす時間は、いつか沈む小舟にふたりきり乗り合わせるのに似ていた。

 ()も帆も(かい)もなく川面(かわも)に揺られ、行く当てもなく流され続け、いずれどうしようもなく大海に飲まれると知りながら。

 それでも。

 寄り添っている間は、幸せだった。


「せんが見えるのは俺だけじゃない。兵庫さんだって、せんを見えてた。そういう人に巡り合って、それで」

「やだ。やだったらやだ。わたし、宗介じゃなきゃ嫌だよ。やだよぅ……」


 触れえないと知りつつもその涙を拭おうとして、宗介は苦笑する。

 もう、腕が上がらなかった。


「ごめんなさい。宗介、ごめんなさい。わたし、なんにもできない」


 せんは宗介に触れるが叶わない。

 できるのは無力を噛みしめることばかりだ。刺し貫かれるような心の痛苦に、ひたすら慟哭(どうこく)することのみだ。

 身の内に渦巻く感情がとめどない雫となって溢れ出る。だが頬を伝うその涙さえ偽物だった。それは宗介の身に滴ることなく、ただただ虚空へ消え失せていく。

 まるで嘘で塗り固めた作り物だと、せんはそう自嘲する。

 わたしは幻の如く無価値極まる。証拠に宗介へ何もしてあげられない。隣に居るのに、こんなに傍に居るのに、少しも彼の役に立てない。

 何もかもが虚ろな自分にとって、宗介と過ごした時間だけが本当であったのに。この想いだけが、本物だったはずなのに。


「こんなに宗介のこと大切なのに、それなのに、わたしなんにも……っ!」

「ちがう」


 残された命を吐き出す声音で、宗介が紡ぐ。


「せんが何もできないなんてことは、ない。せんは、してくれた。俺に、数えきれないくらい、信じられないくらい、たくさんを」


 あの春宵(しゅんしょう)からずっと寄り添ってくれた心は、宗介にとってかけがえのない救いだった。

 心の中の脆くやわらかな部分を抱きとめてくれる感触は、それこそ泣き出してしまいそうに優しく、あたたかかった。


「だから、俺もせんを……思ったのに……。なのに、駄目だな……」


 弱い吐息と共に呟かれ、せんがくしゃくしゃに顔を歪める。


「ほほう?」


 その時である。ふたりの頭上から、どこか楽しげな声が落ちてきたのは。

 不意の音声(おんじょう)に、せんがはっと背後を振り返り、宗介も辛うじて視線だけを動かす。


 そこに居たのは人馬だった。

 (いなな)きも馬蹄の響きも、それどころか気配すらなく、宗介とせんのどちらにも悟られず接近を遂げていたのは連銭葦毛(れんせんあしげ)。灰の地毛に細かな白斑(はくはん)の散るこの毛並みは、名馬の証しとして古来より知られるものだ。この馬も風評に(たが)わない、大きく立派な馬体していた。

 馬上の男も、同じく豪傑の体躯である

 太い骨格に、相応しく太い筋肉が乗っていた。ために、胴が太い。腕も太い。足も太い。網代笠の下の眉、目、鼻、口、耳と、顔を形作る部品までもが悉く太く大きい。英俊豪傑とは、およそこのような顔立ちをするのであろう。

 などと述べれば甚く魁偉で威圧的な人相をするようだが、ふたりを眺め下ろす視線には、不思議と子供めいた愛嬌がある。

 ために、年の頃がよくわからない。角度によって宗介の少し上とも、或いは五十を越えた老境とも見えた。


 更にわからないのはその素性だ。斯様な武者振りを示しつつ、しかしこの男は雲水の姿をしていた。

 墨染めの直綴(じきとつ)絡子(らくす)を掛けて腰には(ふくべ)。上に合羽を纏う出で立ちである。だが笠の下の頭は剃髪(ていはつ)せず、茶筅(ちゃせん)(まげ)を結うようで、ますます僧職の気配がない。


騒々しい(・・・・)と思うてみれば、付喪の()と、その憑かれか」


 太い眉の下で、皿のような双眸(そうぼう)がぎょろりと動く。それは宗介のみならず、確かにせんの幽姿を捉えていた。

 くは、と大きく口を開け、男は酒臭い息を吐く。


「これは良いものを拾うた」

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― 新着の感想 ―
ケンタウロスが出たんかと思った(小並感)。 なんか、最後にとんでもない奴が登場したな。どうにか助かるんだろうという希望はあったが、まさかこんな…オッサンおかわり…いや、ええんやで。ここで安易に美女を出…
わあい!もう一話、嬉しい! middle of nowhere、宗介ちゃんから見たせんちゃんのようであり、せんちゃんから見た宗介ちゃんのようでもあり……。 互いに替えのきかない二人がここで別れるなんて…
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