第64話
第二自習室へ入り、私は窓を瀬戸先輩は扉を背にして対面した。
「話って、何?」
「昨日先輩は私に空を譲れと言いましたよね」
「そうね、言ったわ」
「渡しません。手を引いてください」
空を好きになるなとは言わない、諦めろとは言わない。ただ空の周りをうろちょろするな。
「それはあなたが決めることじゃないでしょ」
「昨日のことだって先輩が決めることでもないですよね」
「なら、どうして昨日そう言わなかったの。言えばよかったじゃない」
後出しは卑怯だと言いたいのだ。
余裕の顔で私を見つめる先輩。
「蒼井のこと好きじゃないんでしょう?」
「好きですよ」
「でもそれは恋愛感情ではないでしょう」
「どうして先輩が私の気持ちを理解したような気になっているんですか」
私にすらイマイチこれが何なのか分かっていないのに、どうして仲良くもないただの第三者でしかない先輩に分かるの。
確かに私は可愛くないかもしれない。空の隣を歩いているときなんて釣り合いがとれていない。先輩の方が私より空と似合っているかもしれない。しかしそれは外野から見た意見に過ぎない。空は私が好きで私は空が好き。だから一緒にいるし手放したくない。私は空の横から下がるつもりはない。私と空が良ければそれでいいんだから。
「自分勝手な考えだと思わないの?」
「思いません」
「あなたに恋愛感情がないなら、恋愛感情を持っている人に譲ってもいいんじゃないの!?」
「よくないです」
空のことを恋愛対象として好きだという女がいても譲るつもりはない。
空がその女のことを好きになったら考えるだろうが私への執着ぶりからしてその可能性は薄い。
先輩は本音で私に話している。ならば私も、お持っていることを遠慮なく言わせてもらう。
「あなたが空を好きだとして、あなたが私から空を奪おうとして、果たしてそれが成功すると本気で思ってるんですか」
嘲笑しているわけではなく、これはただの事実でしかない。
先輩は顔を真っ赤にしてヒステリックに叫ぶ。
「あんた、それでよくここまで生きてこれたわね!?性格悪いわよ!」
「先輩こそ親友を餌にして、空に近づいたじゃないですか」
「だからあれは違うって言ってるでしょ!!」
「誰が聞いても私と同じこと思いますよ」
「うるさいわね!!本当に違うんだってば!」
ヒートアップしていく先輩。
顔のパーツがひくひくと動いている。相当怒っている。
色んなしわが顔に集まり、今の先輩が空の横で歩いたなら不釣り合いと指をさされるだろう。
可愛い顔をしている人でも激しい感情を吐露するときはこんなにも可愛くない顔になるのだ。
「あんた本当に性格悪いわね!!なんであんたが蒼井といるわけ!?」
性格が悪いなんて今更だ。
もう更生なんてできやしない。
性格は簡単に変えられるものではないし、変えることができたと思っても切羽詰まって追い詰められると本性は出てくるものだ。
一度植え付けた性格は、二度と消えることはないと私は思っている。
「その性格の悪い女以下ってことですよ。認めたらどうですか」
「はぁ!?」
「嫌ですもんね、こんな性格の悪い女が空といるのが。嫌ですもんね、自分よりブスな女が空の横にいるのは」
「うるさいのよ!」
「あなたより劣っている私に、あなたに見向きもしない男が好意を寄せているんですよ」
嫌味に聞こえたかもしれないがこれも事実だ。
現実を突きつけられた先輩は唇を噛みしめ歩み寄る。
「だから、うるさいって言ってるのよ!!」
とん、と私の肩を押した。
決して軽く押したわけではないが強く押したわけでもない。
力任せにするほど子供ではないが、弱くするほど怒っていないわけでもない。
中途半端な押しに私はよろけた。
そして足がもつれ、倒れそうになったが咄嗟に向きを変えた。
後ろから倒れるのではなく、横から倒れた。自分の反射神経を褒め称えたい。
「いった」
ひりひりと微弱な痛みだった。
摩擦が生じたせいで膝の皮が擦り剝けた。
小さく痛みがあるそこを見て、大した怪我ではないことを知る。
怪我をさせるつもりはなかった。ただちょっとよろけさせようとしただけ。そんな顔をしながら私を見下ろす先輩。
互いに無言になる。
「....何してるの」
丁度そこへやってきたのが空だった。
先程からガラス越しに見ていたのは知っていた。
私が床に倒れたので慌てて扉を開けて入ってきたのだろう。
皮が剥けた膝からは、血が出ていた。
それを見た空は目を見開いた。
「先輩、何してるんですか」
「ち、ちがっ」
「俺」
すぐに弁解しようとする先輩の言葉を遮る。
「人に怪我をさせるような人、好きじゃないです」
軽蔑の色を剥き出しにして先輩を見つめた後、私に微笑んで手を貸してくれた。
有難くその手を掴み立ち上がる。
「もう、関わらないでください」
先輩は絶望したかのようにその場に座り込んだ。
彼女は非を認める人間だ。恐らくこの前のも、空の気を引きたいがために謝罪をしたわけではないはずだ。
非を認めた先輩は罪悪感により、この先私たちに関わることはないだろう。怪我をさせただけならまだしも、空本人から関わるなと言われたのだから、そうする他ないのだ。
第二自習室を出て教室に戻る。
「はい、絆創膏。大丈夫?痛くない?」
心配そうに私の顔と膝を交互に見る。
「血が出てるんだから、すごい痛いに決まってるじゃん」
もらった絆創膏を膝に貼り付け、鞄を持ち下校する。
「本当に?痛くない?病院行く?」
「だから、とんでもなく痛いに決まってるでしょ」
私は、嘘を吐いた。




