理由なんて普通にくだらないもので
翌日の昼食時のことだった。
俺と春菊が、食堂で昼食をとっている時、後ろから声をかけられた。
「秋篠君、隣いいかな?」
俺は、その声に思わず硬直した。
「……どうぞ、伊波さん」
「ありがとう」
伊波は俺の隣に、うどんの乗せられたトレイを置いた。
春菊は、この間の質問もあり、俺が橘と伊波の間で揺れているんじゃないかと邪推し、ニヤニヤと笑っている。
最初は、他愛もないクラス内の内輪話をしていたのだが、春菊がトイレに立った時だった。
伊波が目を細める。
「なーんか、私のこと嗅ぎまわっている?」
その目は、妖しげな光の中に確かな獲物を痛みつける捕食者の光を放っていた。
素養のあるものなら一瞬で奴隷にしてくださいと懇願していたであろう。
俺は、脂汗を隠しながら必死で誤魔化す。
「なっ、何のことかな?」
俺の下手な演技に失笑を我慢しているのか、伊波の表情がやや和らぐ。
「あら、誤魔化さなくてもいいのよ? わざわざここまで来ているんだから、もう最終確認の段階だと思わない?」
その通りだ。
俺は、短く息を吐いた。
「あぁ、嗅ぎまわっていたよ」
「私のパンツを?」
「違う、動向をだよ」
こいつ、こんな冗談も言えたんだな。
いや、立場的に上に立っている余裕からだろうか?
「で、私をどうしたいの? 結婚したい?」
にこりと笑ってちらりと見える白い歯と多めに露出したオデコがきらりと光る。
俺は思わず口にした水を吹き出した。
「あら汚い」
俺は呼吸を整え、これ以上相手のペースに持っていかれないために真面目なトーンで話す。
「お前こそ、何がしたいんだよ」
伊波はまるで俺の言葉なんて耳に入ってないように、コップのふちを指先で一周させる。
「そう言えば、もうすぐ中間テストだね。ちゃんと勉強してる?」
俺は少しイラっときて話題を戻そうとする。
「そんなこと、どうでも―」
「どうでもよくない!」
周りが少しギョッとなるような大きな声を伊波が出した。
俺も一瞬たじろいだ。
「とにかく、勉強はしっかりするのよ」
伊波はそんな周りの視線も気にせずに念を押した。
そして、ワンテンポずれて俺の質問に答えた。
「あっ、で何だっけ? 橘さんの事? そこは私に任せといてよ」
あまりにも素っ気ない返事に、脳みそが熱くなっていくのが分かった。
「どこに、お前に任せていい要素があるんだ?」
「お前なんてひどい、さっきみたいに伊波さんって呼んでよ。それか血冷でもいいよ」
下手に腹の内を隠していても、こいつは今みたいにおどけた調子ではぐらかしてくるだけだ。
もう、下手な駆け引きはやめよう。
「お前はなんで橘をイジメるんだ?」
伊波の顔が初めて緊張感が混じったような表情を見せる。
「もう、血冷でいいのに。橘? あぁ、あのブサイクの事?」
俺は思わず両手をテーブルに叩き付けた。
「……理由を教えろ」
「意外と堪え性がないね」
流石におちょくり過ぎたと思ったのか、声に真面目なトーンが混じる。
伊波は静かに告げた。
「……『殿堂入り』」
それは、少し前春菊が俺との雑談で話した戯言の一つ。
「……まさか、そんなものを本気で目指してるやつがいるなんてな」
賢い奴かと思っていたら、春菊よりも馬鹿じゃないか。
「あなた、今のクラスメイトたちのスペック分かってる?」
「あっ? 何言ってるんだ?」
流石にクラスメイトのことぐらい把握している。
と、皆のことを思い浮かべようとしたところで昨日のリンネとの会話が思い出された。
あれ? そう言えばこのクラス。
伊波は呆れたようにため息をつく。
「……分かったようね。そう、うちのクラスには例年にないほど優秀な生徒が集まっている。クラス替え前から優秀な子は勿論、二年になってから学力が上がった子や部活での成績が上がった子が多くいるわ」
殿堂入りを狙う根拠はわかった。
だが、橘と何の関係があるんだ?
俺は目で続きを促した。
「で、橘さんって将棋っていうゲームが全国屈指なのよね? 私もルールぐらいは把握しているけど、かなり頭を使うゲームみたいね。つまり地頭はいいのよ。それなのに橘さんの成績は知ってるわよね?」
俺は苦い顔になる。
「……下の中かな」
「そう、つまりやる気の問題じゃない? 私は何度か勉強会に誘ったんだけど断られちゃってね。私は大して気にしてないけど、私の周りはそうはいかなかったみたいね」
そんなしょうもない事なのか。
いや、イジメや嫉妬はそんなしょうもない事の集合体か。
伊波はピンっと人差し指を立てる。
「で、ここで交換条件」
俺は訝しげな顔をする。
「私だって『殿堂入り』を狙うクラスでこれ以上問題は起こしたくないわ。そこで、橘さんと仲のいい秋篠君がさり気なく勉強を見てあげてよ。そして、中間テストでそこそこの結果が出ていれば、私が周りにこれ以上の陰口はやめさせるわ」
「……随分自分勝手な交換条件もあったものだな」
伊波はウインクをする。
「女はみんな自分勝手なものよ」
伊波は遠くから戻ってきている春菊を見ると、立ち上がり「どっちみち秋篠君に選択肢はないと思うけどね」と言い残して去っていった。
春菊は暢気な声ですれ違う伊波と談笑していた。
まぁ、色々腑に落ちない点はあったが、やっと全体像は見えてきたかな。
敵が分かって、事情が分かって、対策が見えた。
点が繋がった。




