返ってきたもの、失ったもの
「……また、過去を見てきたの?」
私が視線を合わせずに彼女に問いかける。空に浮かぶ無数の泡のような物には様々な国の人間が映されていた。ある泡には戦争中の人間たちの姿が、ある泡には豪奢な館で何かを話す者たちの姿が映されている。
「うん。君を……救うためだから」
「……無理だよ。何回繰り返したの?」
私が質問すると彼女は頭の中で数を数えてから私に答えてくれる。
「今回で834437回目だね。でも、少しずつ……本当に少しずつだけど、変わってるんだ。だから……きっと変えれる。君を……シエルを救ってみせるよ」
「そんな事……しなくてもいいよ。どうせ、運命は一緒だよ。何をしても変わらない。どの過去も、きっと私はここに縛りつけられる」
私が諦めた声音でそう漏らすと、彼女は悲しそうな瞳で私を見つめてくる。
「ううん、きっと変えられる。僕が、変えて見せる。だから……」
「私の為に……そんなに頑張らないでもいいよ。いくら霊姫でも魔力は無限じゃないんだよ? それだけの数を繰り返しているなら……きっと、魔力だってかなりの量使ってしまっているんでしょ?」
私の言葉に彼女は少しの間をおいてから
「大丈夫だよ。僕は霊姫、これくらいの事で魔力が尽きることは無いよ」
彼女の言葉が嘘だって私には分かっていた。でも、彼女はそれを隠して笑顔で答える。
どうしてそこまでして彼女が……ロキが私を救おうとしているのか、本当は分かってる。この娘は──
◇◆◇◆◇◆◇
何千何万と……時を繰り返した。シエルを救うために、繰り返す時の中でいくつもの失敗を繰り返した。
全てを喪い壊れた剣姫を、世界に絶望して全てを支配した霊姫を、いくつもの世界で見てきた。そして、どの世界でもシエルを救うことが出来なかった。
最初は……シエルの過去が気になったから、シエルに頼んでみたんだ……『君の昔の事が知りたいって』そうしたら、シエルは力を使ってシエルの過去を見る事の出来る魔法を作り出してくれた。
それで、僕はシエルの過去を見に行ったんだ。そこで見たものは……とても悲しくて、そして理不尽で残酷な記憶だった。
産まれて間もなかった僕はシエルのそんな過去が許せなくて……少しでもシエルの心が晴れるようにって僕はシエルに笑ってもらえる様に努力したんだ。吟遊詩人の真似事をしてみたり、シエルが外界でも活動できるような依り代を作ったり……
でも、シエルは僕の努力を見てありがとう、と優しい声で言ってくれたが一度も笑ってくれたことは無かった。それが何故かなんて、過去を見たらすぐに理解できた。
だから、僕は過去を変えて……シエルの笑える未来を作ろうって決めたんだ。シエルの作った魔法は……シエル自身も気づいていなかったみたいだけれど、どうやら物理的な肉体を持たない霊姫は過去に干渉する事が出来るらしい。だから僕は何度もシエルの過去に遡って過去を変えようとした。
でも、ほんの少しの改変程度なら出来ても……僕の求める未来を掴むことは出来なかった。それでも……何千何万と繰り返していくうちにある程度の法則は掴めてきたんだ。過去への遡りが50万を超えた辺りからは、僕の知っている過去から大きく離れたような事象も起こせるようになってきた。これで……シエルを救えるって実感が湧いてきた。でも、そう甘くはなかったんだ。
シエルが7人目の霊姫になる……という事実は世界にとって非常に重要な事実らしく、ここを回避する事が不可能な事が分かった。……正確には無理やり回避することも出来はするけれど……その時はその時で大きな代償を払うことになってしまう。
どれだけ足掻いても……最後の最後で救える未来を逃してしまう。でも、ここまでの改変が出来たのならきっと、何か手がある筈だと考えながら繰り返したんだ。そこから更に15万回……その辺りで僕の身体に起き始めていた異変に気付いた。僕の中にある魔力が目に見えて減り始めたんだ。それは世界が僕のやろうとしている事を否定しているようにも思えた。
僕の魔力が減っていくと霊姫としての力はもちろん、干渉できる部分にも制限が出てくる。それでも、僕は諦めずに繰り返し続けた。正直……泥沼だったと思う。あと少しだって分かっているのに、繰り返せば繰り返すほど見えていたその少しが遠ざかっていく。間違える度に何がダメかを必死で考えて、次に活かして……それを繰り返した。
そして、もう遡れる回数が僅かっていう時に気づいたんだ……今遡っている世界は僕にとっては過去だけれど、その人達にとっては過去じゃない。だから……僕にとっての過去だとしても、彼らにとっては今なんだ。
だから、僕には無理でも、彼らになら……きっと変えられる筈だってそう思ったんだ。そこで僕が頼ったのは1人の貴族だったんだ。彼は特殊な力を持っていて僕の繰り返した世界を断片的にだけど覚えることが出来るらしい。今回の君達は出会っていないけれど、いくつかの世界では君達とそいつは出会っていて、協力し合ったこともあったんだけどね……
って、話が逸れそうになったね。僕は残りの遡れる世界全てで彼に賭けることにした。彼に教えられる事を教えて、繰り返し続けた。彼の覚えている事は繰り返すたびに変わっていたけれど、それでも僕一人で繰り返していた時よりはよっぽどマシだった。あとは、全てが噛み合うのを祈りながら……僕のやれることをやるだけだったんだ。
……最後の最後で、全てが噛み合ってくれて本当によかった。もう……僕に思い残す事はない。
◇◆◇◆◇◆◇
「……いまいちよく分からないんだけど、貴方は今ここにいるしぃとは別のしぃの力で霊姫になった……って事よね?」
「そうだね、それでいいよ。だから、正確には今のこの世界の闇の霊姫ではないんだ。均衡を取るために今はこの世界に闇の霊姫はいないけれど……僕が消えれば近いうちに新たな闇の霊姫が産まれる筈だよ」
「それで……あんたは、どうなるの?」
エリーの言葉にロキは少し困った表情を浮かべて、
「僕は僕の居た世界に戻るだけさ。だから心配しなくていいよ」
「……そう、それならいいんだけど」
エリーはそう答えたが、きっと心のどこかではロキがどうなるか分かっているのだろう。
「もうそろそろ……時間かな。僕の知らないシエルが見れたし……何より、僕の叶えたかった一番の願いが叶えられた。本当にありがとう」
「そんな……お礼を言われる事なんて……こっちの方がありがとうって言いたいよ。その……私の為……だったんだよね?」
シエルがそう言いながらロキにそっと近づく。そして、その空色の瞳でロキをじっと見つめる。
「……」
何も言わずにわずかに微笑んでから、シエルの頭を撫でる。
「君の本当の瞳の色が知れて、本当によかった」
そう言うと、己の役目を果たしたと言わんばかりに少しずつ身体が薄れていく。シエルは消えゆくロキの手を最後まで優しく握っていた。
ロキの姿が消えてすぐ空間に亀裂が入り、神殿も同じように崩れ始める。
「ここにいるのは不味いかも……早く逃げよう、しぃ」
「う、うん……っ、でも……どうやって……?」
「分かんない……けどっ、崩れそうなここにいるのは危ないからとにかく外に出よう」
エリーはシエルの手を引いては知って神殿を駆け抜ける。空間と同時に崩れていく神殿を駆け抜け、神殿を抜けた次の瞬間、硝子の砕けるような音と共にシエル達は元居た部屋に戻って来ていた。
「……戻ってこれた……の?」
「そう……みたいね」
今までの戦いがまるで嘘のように窓の外では星霊祭が続いていた。2人は本当に戻ってこれたんだ、という安堵と同時にあの戦いでいなくなってしまったシルフィード達の事を考えてしまう。
「これから……どうする?」
「どうするって言われても……学校で勉強して卒業して……」
シエルが指折り数えながらこれからの事を考えている様子を見て少しだけほっとする。
「……みんな、いなくなっちゃった。シルフィも、セラも……エリミアも、ルーシャも、ツバキさんも……それに、ロキも」
「……そう、ね。……しぃは納得しないと思うけど……私も、みんなも貴女を助ける為に全力を尽くそうって決めてあの戦いに臨んだの。それこそ、自分の命を捨てる覚悟で……私と……しぃ以外のみんなはいなくなってしまったけれど結果としてしぃを助けられた……だから、最善ではないけど……最良だったって……そう思いたいの、思わせてほしいの」
エリーの苦虫を嚙み潰したようなその言葉に、シエルもそれ以上の言葉を紡げなかった。外の喧騒とは対照的に2人の間には重苦しい静寂が流れていた。このまま2人で向き合っていても何も始まらない……お互いにそれを理解しているが動き出すことが出来ない。
2人が押し黙ったまま向かい合っていると、扉を叩く音が聞こえてきた。
「だれ?」
シエルが戸を叩いた人物へ問いかける。
「お嬢様……! いたんですね! 良かった……急に気配が消えてなくなってしまったから……」
シエルの声を聴いて扉を開いたのはルリだった。小走りでシエルの元に寄ってきて抱き着くと、涙ぐんだ声で
「本当に……ほんとうに、良かったです……」
「ごめんね。心配かけちゃった……かな」
「そうですよ! ちょっとだけでしたけど、それでも怖かったんですからっ、こんなこと初めてだったので……」
ルリのその言葉に引っかかりを感じたシエルはルリに質問する。
「ちょっとって……どれくらいの時間だったの?」
「え……? えっと……確か30分くらい……でした。それが……どうかしたんですか?」
ルリの答えにシエルは直感的にあの空間は時間の流れがおかしくなっていたのだろう、という答えに行きつく。彼女……エターニアであればそれくらいの事は出来てしまうのだろう、という確信があった。
「ううん、気になっただけ。教えてくれてありがとう、ルリ。そういえばクオンはどこにいるの?」
「クーちゃんですか? 今日は……見てないですけど……まだ星霊祭も続いていますし、街に出ているんじゃないかな……って思います」
ルリの言葉にシエルは自然と笑みが浮かぶ。ああ、私たちは戻ってこれたんだなと改めてそう思えた。
そんなシエルの表情を見て、ルリははっと気づき声を上げる。
「お嬢様……もしかして……その、目が見えるようになったんですか……?」
「うん、そうなの。見えるようになったんだ。ルリの顔もちゃんと見えるようになったよ。こんな顔だったんだね」
シエルが優しくルリの頬を撫でてにこりと笑うとルリの瞳に涙が再び浮き上がる。
「そう……なんですね……っ、良かったです……お嬢様……っ!」
「これからは……一緒にいろんな物を見ようね。もちろん、えーちゃんも一緒に、ね?」
シエルがエリーの方を見つめると、エリーはこくんと頷いて2人の様子を見つめていた。




