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終わりと始まり

 夏休み最後の夜は、明日の準備の為に手続きの書類をひたすらに書き続けていた。特例で学年を上げるため、どうしても書かなければいけない書類が複数あるのだ。とは言っても、大体が寮の滞在日数などの短縮調整や、授業数が減る為の学費の払い戻し等が大体の書類なのだが。


「あー! もう、終わんないよー!」

「私も手伝いますから、頑張ってくださいよー……」


 シエルが慣れない事に痺れを切らして、唸っていると珍しくルリがフォローに入って、二人一緒に書類を進めていた。


 エリーはというと、ささっと終わらせシエルとルリの様子を眺めながら明日からの事について考えていた。特例で学年を上げる、という事は同学年だった生徒からも、同学年になる生徒からも良い視線は向けられないだろう。勿論、彼女達を快く思わず、貴族という権力を使い、何か仕掛けてくる生徒だっているだろう。そんな者達からシエルや自分達の身を守るための策を考えていた。


「なんじゃ? 気難しい顔をしおって……そんなに明日からが不安なのかの?」

「……まあ、そうね。貴族なんていうプライドの塊みたいなのがいるこの学園で飛び級なんて、絶対にいい事は起きないわよ……しかも、私達は貴族じゃなくてただの一般的な平民、反感を買わないわけが無いわ」

「ふむ……まあ、そうじゃのう……いきなり下の人間が自分と同じ立ち位置にまで上がればまあ、何かは言いたくなるじゃろうて、そやつに能力があろうが無かろうが、のう。しかも貴族ならまだしも平民と来た。格好の獲物ではないか」

「間違いなく、何かしら仕掛けてくる人間はいるでしょうから、何とか対策をしておきたいのよ。……しぃは優しいから、何かの拍子に付け入られるかもしれないし」


 シエルの優しさを利用する人間達もこれから現れるだろう。だからこそ、エリーは前以上に人を見る目に気をつけていかなければならない。ぺちっと軽く両頬を叩いて気合を込めると、ふぅっと息を吐いて気を引き締めていた。


「ふふ……何だかんだ言っておっても、主も人の子、という訳か」

「……どういう事よ」


 クオンのその一言に、少し不機嫌になったエリーが口を尖らせて言う。


「別に、貶す為に言ったわけではないぞ? ただ、お主も不安になる事もあるのだな、と思っただけじゃ」

「……そうね、私は別に神様でもなんでもない、ただの一人のエルフだからね。だからこそ、シエルを守るために、全力を尽くすのよ」


 エリーはそう言うとベランダに出て、鞘に収められていた自らの剣をすらりと抜く。僅かに薄蒼の刀身が月光を反射し、淡く光を放つ。


「……この剣にも、何だかんだ作ってもらってから助けられっぱなしね。あのドワーフの人には感謝くらいしておこうかしら」

「んん……やはり夜はいいのう。静かで、人の気配も無い。のんびりと時を過ごすには最高じゃな」


 いつの間にか隣で気持ち良さそうに身体を伸ばしているクオンの姿を見て、エリーは少し呆れた口調で言う。


「貴女はいつもマイペースね……少し憧れるわ」

「別に、いつもというわけでは無いが……まあ、妾が他人に合わせることが苦手なのもあるがのう」


 クオンは困り顔でぴょん、とベランダの柵に座る。


「妾はいつでも自分の出来る精一杯をするだけじゃ、どんな事でもの」


 そう言うとすっと立ち、すうっと大きく息を吸い込み、次の瞬間一気に声を上げるような動作をしながら、町のほうへ身体を向けて一気に吐き出した。その後、ふぅ……と一息つく。


「主は今の音が聞こえたかの?」

「……?いや、何も聞こえなかったわ」


 エリーが不思議そうにそう答えると、クオンは満足そうに首を縦に振る。


「ふむ、そうか……ならば良いのじゃ。さて、明日からどうなる事か、楽しみよのう?」

「……私はあまり楽しみではないけれどね」


 そう愚痴りながら部屋に戻ると、疲れ果てたのか書類の山に埋もれて眠っている二人の姿があった。書類自体の処理はどうやら全て終えたらしく、こてんとシエルが頭を乗せているものが最後の書類だろう。


「全く……シルフィード、いるんでしょ?」


 エリーは表情を緩め、仕方なさそうに虚空に声をかける。


「はいはーいっ、珍しいわね、エリーから私に話しかけてくるなんて」


 そこに微風を吹かせ現れたのは翠緑の長い髪と青い瞳の少女、霊姫シルフィードだ。


「珍しいって……まあ、そうね……よくよく考えたら珍しいわね──って、そうじゃなくて、しぃとルリの二人をベッドに連れて行って貰いたいのだけど」

「私に力仕事を……!?」


 シルフィードが冗談気味にそんな事を言うと、無言で絶対零度のような冷たい視線でエリーが睨みつける。シルフィードはわかってる、と言わんばかりに腕をぶんぶん振って焦りながら、


「う、うそうそ! 分かってるから……本気にしないでよもー……」


 シルフィードが指をくるっと動かすとふわりと風が渦巻き、二人の身体がゆっくりと浮く。そして、ゆっくりと動き、ふわりとベッドの上に二人の身体が降りる。


「ありがとね、シルフィード」

「……どうしたの? 素直にお礼を言うなんて珍しい……」


 シルフィードが驚いたように言うと、エリーが二度目の冷たい視線を向ける。


「あー、もう、冗談だから! 真に受けないでよもー……」

「そんな事言うのが悪いんでしょ。素直にお礼くらい受け取っておきなさい」


 はぁ、とため息を一つ付いて机に散乱した書類を一つにまとめて置く。そして、自らも眠りに付くために寝衣に着替える。

 二人の小さな規則正しい寝息を聞きながら、エリーも同じように夢の世界へと落ちていった。



◇◆◇◆◇◆◇



 ……また、私はあの夢を見ているの?

 燃え盛る町を見下ろして、空色の瞳のシエルと見つめあう。


「……また、ここに来ちゃったの?」

「……また?」


 私は思わずそう聞き返す。確かにこの夢を見るのは二度目だが、シエルがそれを知っているはずが無い。


「うん、私は貴女の中にあるシエルから作り出されたから。貴女の事は何でも知ってるよ」

「何でも……?」


 もう一度聞き返す私にシエルは、こくりと頷く。


「なら、私の……この夢で見た、シエルと話してた相手は、誰……?」


 私は震えた声で、シエルに聞く。


「それは──」


 シエルが口を開いた、その時。



「ダメですよ?私の事を話すのは」



 私の胸に、紅い華が咲く。


 ──あの時と、一緒じゃない……何も、分からないまま……また、怯えなければいけないの……?


 声を上げる事すらできないまま、悲痛な表情のシエルの顔を見ることしか私は出来ないのだろうか。……そんなのは、嫌だ。嫌なのに……私は夢の中でも、シエルを守れないままなの?


「……ごめんね、えーちゃん……」


 止めて、そんな顔しないで、泣かないで、そんな言葉すらも出すことが出来ない。胸の紅はどんどんと広がって、私の身体を蝕んでいく。

 段々と五感が失われていく嫌な感覚に飲まれながら、背後から声が聞こえた。


「正体を知られてしまうのは不味いですけど、これだけは教えてあげる。私は、いずれ貴女達と合間見えるわ。その時を楽しみに待ってることね」


 くすくす、と嘲笑うような笑い声と共に私の意識は闇に堕ちた。



◇◆◇◆◇◆◇



「……っ!」


 嫌な汗をびっしょりとかいて目が覚める。横になったまま窓の外を見ると、陽はまだ登っておらず、日の昇る直前だろう。まだ二人は寝ているらしく、安らかな寝顔と寝息を立てている。


(……安心するわ、しぃの寝顔を見ると)


 ただ、どうにも眠気は吹き飛んでしまい、二度寝するには無理があった。仕方ないとばかりに服を着替えてから静かに扉を開き、外へ出る。

 こつこつと靴を鳴らす音だけが聞こえ、彼女一人だけの足音が廊下に小さく響く。流石に日の出前という事もあり、人一人廊下を歩いていない。仄かに月明かりが指す廊下を歩き外への扉を開く。

 残暑とはいえ、肌寒さすら感じる空気にぶるっと身体を震わせながら、とてつもなく広い校庭をのんびりと歩いて回る。


「……いつか、出会うか……」


 ぼそりと呟いて、はっきりと覚えている夢の内容を思い出す。ぎゅう、と握りこぶしを作りそしてゆっくりと手を開く。

 そして、すっと息を吐き、ひゅんと居合いのように一瞬だけ刃を抜いた。音もなく抜かれ、一筋の剣閃を残して消えた。


「あー、こーら、勝手に樹を切ろうとしないのー」

「……学園長、いたんですか」


 セッカがぷんぷん、という擬音が似合うような随分と軽い雰囲気でエリーに話しかける。ぺしんとエリーの剣閃の太刀筋に乗っていた樹の幹を叩くと、ゆっくりとエリー二人分が両手を広げなければならないような太さの木がゆっくりと傾いていく。


「っと、あぶないあぶない」


 ぱちん、と指を鳴らすとぱんっと軽い音と共に木が砕け散る。ぽんぽんと手を鳴らして、斬られた後の切り株に腰をかける。


「ふふ、今日から新学期ね。……でも、気をつけてね貴女達はただでさえ注目を集めすぎてるんだから」


 セッカの心配そうな声に、エリーは剣の柄に手をかけたまま答える。


「もしも、しぃに危険が迫ったら私が全てを捨ててでも守り抜くだけ。どんな犠牲があろうが、どんな代償を支払おうが関係ない。……しぃが、シエルがいなくなる以上に、辛い事なんてないもの」

「そう、ね……貴女はそういう子だものね。それを私は否定しないわ、ただ──」

「ただ、何よ」


 妙にもったいつけた言い方に、エリーはつい突っかかってしまう。


「貴女がそうして、失うものはとても大きいかもしれない……だから、いつもでなくていいし、沢山でもなくていいから、ほんの少しだけ、私達を頼ってくれないかしら……? 出来る事は、協力するから」


 セッカのその言葉に、エリーは少しだけ頬を緩め、背後を向いたまま口を開く。


「……ありがとう、ございます。でも、大丈夫。私はどんなものにでも負けないし、屈しない、から……」


 その表情を見せたくないのか、セッカと顔を合わせることなくエリーは逃げるように町へと歩いていった。


 守衛に軽く挨拶を交わして、町に出る。朝日もようやく地平線の向こうから姿を見せ始め、町の人間も店を開く準備の為にせわしなく動きはじめる。

 特にあても無くぶらぶらと歩き回っていると、街の中央の噴水広場に出る。深夜は水が出ていないのか噴水なのに水の出ていない不思議なオブジェクトを見ることが出来た。


「君見たいな子がこんな朝早くからこんな所にいるなんて珍しいね」


 ぼんやりと眺めていると、横からどこかで見た記憶のある銀髪の青年が話しかけてくる。


「……貴方、誰?」


 エリーの記憶を漁っても、この青年の名前は出てこない。男嫌いとは言っても、名前程度は覚えている。あくまでも彼女はシエルに変な事をしてくる男を近づけたくないだけなのだ。


「あれ……名前、言ってなかったっけ……僕はアルカ、アルカ・エストレーラだよ。フレイ・エストレーラの兄のね」


 そう言われて、ようやく記憶が合致した。エリーは覚えておくわ、と短く答えるとふい、と顔を背ける。


「あれ……僕、嫌われてる?」

「別に、そういう訳ではないけれど、貴方こそどうしてこんな所にいるわけ?」


「質問に質問で返さないで欲しいんだけどなぁ……まあ、いいけど。僕が答えたら君も教えてよね」


 アルカが疲れたため息を吐きながら、噴水を見つめて言う。


「僕は純粋に仕事帰りだよ……朝帰りなら、ここを通ったほうが近いからね。それに、ここは──」


 言い終わる前に、噴水がぶしゅっと音を立て、水を吹き出す。その水飛沫が朝日を反射し、きらきらと宝石のように光り輝く。


「……へぇ」


 その風景にエリーは思わず感心してしまう。自然に作られる風景とはまた違うが、人の手によって作られたその景色も捨てがたいものだった。


「これが、あるからね。どうだい?」

「そうね……確かに、悪くはないわ。覚えておくくらいにはね」

「気に入ってもらえて光栄だよ。君たちは今日が新学期の始業式だろう? 遅れないようにね、僕が言える義理じゃないけど」


 それじゃあ、僕は帰って寝るよ……と大欠伸をしながら、マイペースに歩いて去って行った。


「……私も、戻りましょうか。もうしぃも起きてると思うし」


 周りでは朝市が始まり、賑やかな首都の朝が訪れていた。

 気持ちも大分落ち着き、ふぅ……と一息つくと、ぱんっと両頬を昨日のように叩く。


「よっし、もう大丈夫……!」


 改めて、気合を入れなおし、駆け足で寮へと戻っていく。


 新たな日々で、新しい物を四人で手に入れるために。

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