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音の力を舐めてはいけません

 「んっ……おはよ、しぃ……」


 エリーが寝ぼけ眼を擦りながら二人きりの朝を迎える。シエルは珍しく寝息を立てながらまだ眠りに付いている。安らかな寝顔にくすっと笑みがこぼれ、柔らかな金色の髪をそっと撫でてしまう。んぅ……? と不思議そうな寝顔になり、シエルがゆっくりと起き上がる。まだ脳が覚醒していないのか、ぼんやりした瞳でエリーを見つめている。


 「おはよ……? えーちゃん……」


 朝の日差しが反射してきらきらと輝く金色の髪が眩しく見える。まだ夢との境界にいるシエルに、エリーは少しだけ大胆な行動を取ってみた。


 「ええ、おはようしぃ……♪」


 そう言うと、額に軽く口付けをした。すると、シエルが何をされたのか一瞬よく分からない顔になった後、顔を真っ赤に染めてあわあわと慌てながらも照れた表情を見せた。その表情もエリーにとってはとても魅力的で、心を惹かれるものだった。


 「もー……朝からびっくりするじゃん……」

 「ふふ、ごめんなさい……そういえば、あの二人は結局どうしたのかしら?」

 「ルリとクオンー……?」


 そういえばまだ見ていないなと、思っていると窓をコンコンと叩く音がして、そちらの方角を見るとそこには──

 何が起こったのか想像もつかないほど汚れた服でぐてーっと背中に担がれているクオンと早く開けてほしいと焦燥感を全身から出しているルリの姿があった。

 何やら急いでいた感じなのでシエルが窓を開けると、


 「うわっ、酒臭っ!?」


 思わずエリーは口に出して叫んでいた。それほどに強烈な臭いだった。恐らくはクオンは酔い潰れてあんな状態になったのだと推測するが、どうしてそこまでお酒を飲んだのかという理由が2人は気になった。少なくともあそこまで泥酔出来るほどお酒を飲めるお金は渡していない。


 「一体何があったのよ……」

 「え、えっとですね……うっぷ…すいません……ちょっと、クオンさん降ろしますね……」


 やはりルリもクオンの酒の臭いにやられていたのか、クオンをソファーにそっと降ろすとうぅ~……と呻きながらベッドの方へゆっくり歩いていき、倒れこむようにベッドに身を投げた。


 「で、結局何でこんな事になってるの?」

 「あー……それはですね……」


 今にも死にそうな体で、ルリは昨日何が起こったのかを話し始めた──



◇◆◇◆◇◆◇



 「もうお金も残ってないですし、帰りますか…?」

 「何を言っておるのじゃ、まだまだ遊び足りないのじゃ!」


 クオンはまだまだ力を余らせているのか、夜の街を楽しもうとしていた。そんな時に一際賑やかな場所を発見する。何事かと思いそちらの方へ近づいてみると、そこには屈強な男達が集まって何やらバトルロイヤルのようなものを行っていた。

 その横にあった立て札を読むと『この男達と戦って見事に勝ち抜けば賞金と今までの掛け金全てを手に入れられます!』と書いてあった。その横には元々の賞金と現在までに戦った人たちの掛け金が書かれていた。それを見たクオンがにやりと明らかに悪役のような笑みを浮かべると、


 「妾も挑戦させるのじゃ!」


 クオンがそう声を上げた途端に周りにいた男達全員が大声で笑い始めた。それも仕方ないことだと思うが、クオンは無視して立て札に書かれている分の掛け金──今の財布の中身全てである銀貨一枚を差し出すと、四人いた男のうちの一人は苦笑してクオンを屈強な男の待つリングの中に入れた。

 外野からは手加減してやれやら、間違っても殺すなよなんて声ばかりが聞こえてきた。ルリも若干の不安を覚えながら試合開始のゴングの音を聞く。

 刹那、クオンの姿が消え次の瞬間、男の首に回し蹴りをお見舞いする。すると、男は何が起こったのかも理解することが出来ないまま、床の味を知ることになった。

 観客達はルリを除いて何が起こったのか理解できなかった。やはり吸血姫であるが故に夜であるほうが本来の身体能力を得ることが出来るのだろう。クオンは挑戦的な表情で次の男が現れるのを待つ。男達も今の一瞬の一撃でクオンが只者ではないと理解したのか、一気に周囲の観客のボルテージが上がる。それに負けじと二人目の男がリングに立つ。


 「お主も先ほどの男のようにしてやろうかのう?」

 「残念だが、俺はさっきのやつのようには……いかんっ!!」


 男の声と同時にゴングがなったと思えば、すぐさまクオンに向かって突撃してくる。筋骨隆々の肉体は華奢なクオンと二周りほども体格差が存在したが、クオンはくすりと笑うと同じように若干相手の体の軸から右にズレた位置から相手に向かって同じように走り出す。そこまで広くないリングのため、お互いが距離を詰めれば二、三秒とかからずに相手と肉薄する。まるで壁が迫ってくるような迫力の男をクオンは嘲笑うように、身を屈めて膝裏へ足払いの要領で蹴りを入れる。勢いをつけて走り寄ってきた時に、そんな事をされてしまえば当たり前だが、盛大に転ぶ。そこにクオンは容赦なく踵落しをたたきこむ。

 低い呻き声を上げながら、意識を失う。残る男は二人、男達にも同様が走り始める。観衆達もざわめき立ち始め、勝てるんじゃないかとの声も聞こえ始める。


 「ほれ、さっさと次の奴を寄越さぬか、暇になってしまうぞ?」


 相変わらず挑戦的な口調で話しかけるが、もう馬鹿にする男はいない。むしろ、一切の手加減を抜きにしてクオンを叩き潰すといった気概すら感じる。三人目の男がリングに上がると改めて割れるような歓声が巻き起こる。負けじとルリも頑張ってくださいー!!と声援を送る。そんな声が聞こえたのか、くすりと小さく笑みを浮かべると三人目の男に向かってにやりとあくどい笑みを浮かべて、


 「さっさと来るのじゃ、でっかいの」


 すると、今度の大男はなまくらのナイフを取り出し襲いかかってくる。なまくらとはいえ、片方の腕にぶら下がることが出来そうな程に太い腕から繰り出されるナイフの一振りは、致命傷とはいかずとも、骨折程度は覚悟しなくてはならないだろう。

 だが、そんな攻撃も同じように躱し、同じようにカウンターの機会を伺う。小柄である事も相まって、大木のような腕から放たれる攻撃を掠ることすら無く、それはまるで風の中を踊る1枚の木の葉のようにも見えた。


 「行くぞ? でかいの」


 すうっ、と一息息を吸い込むと一瞬で相手の懐に入り、掌底を鳩尾に打ち込む。少女の掌底如きで倒れるような身体の作りをしてはいないが、先程の一撃はその限りではない。能力を使い、音を内蔵に響かせ一撃の重さを限りなく引き上げていた。

 音響掌底の利点は、見えるように能力を使う必要がない事だ。故に、相手は何をされたのかも分からなければ、第三者の目からも分かる事はない。

 とは言うが、そもそもクオンの能力がこの世界の人間に見破れるとは思えないが。


 「がはっ……な、に……しやがった……!?」

 「お主は他人に手の内を晒すほど甘いのかのう?」


 吐血している男が悔しそうに呻いているが、至極当然の返答だった。勢いづいている今なら調子に乗って口も軽くなると考えたのだろうが、そんなに戦いの世界と吸血鬼の世界は甘くないのだ。

 チッ、と男は悪態を突くと一瞬の間もなくナイフを投げつけてくる。ある程度肉薄している二人の距離感ではナイフがクオンの体に届くまで数瞬と無い、音速にすら届きうるナイフを自らの全力で躱そうとはしたが、


 「痛っ……」


 腕に軽く掠ったのか、赤い一筋の線が流れる。反射的にぎゅっと傷跡を握ると手のひらがじんわりと赤く染まる。それをぺろりとひと舐めすると、瞳が真紅に染まり、魔力がさらに高まるのをルリは感じ取っていた。


 「……ただの人間が妾に傷を負わせた事については褒めてやるのじゃ、じゃが……っ!!」


 先程の移動よりも更に早く、そしてさらに重い音響掌底を顎、胸、再び鳩尾、とほぼ同時に三度打ち込んだ。流石に一打受けただけでもあれだけ聞いたものを三打、しかもほぼ同時に受けてしまえば立ち上がる事は不可能だろう。

 再び吐血して、今度こそ地面に倒れたまま男は起き上がる事は無かった。

 残るは一人、観客のボルテージも最高潮だ。四人目の男は静かにリングに上がると、


 「今までの戦いを見させてもらったが、少なくともただの少女と見てかかるのは失礼のようだ。一人の戦士として、私は全力で君を倒すとしよう」


 今までの三人の男とは静かながら段違いの迫力を放っている。クオンもそれを感じ取っているのか、今までとは違う嬉しそうな笑みを浮かべて、


 「ほう? お主は分かっておる様じゃのう、ならば手加減も必要ないかの?」

 「無論、手加減はなどいらない。全力でかかってくるといい」


 お互いに定位置に立つと、ゴングの音が響く。だが二人がその音の直後に動くことはなかった。

 さながら居合い抜きの勝負のような今までとは打って変わって静まり返ったリングに、思わず観客達も静まり返る。

 刹那、クオンが一息で距離を詰め三人目の男と同じように音響掌底を叩き込もうとする、が


 「奴の二の舞は踏まんよ」


 男は素早く身を捻り、掌底と躱す。返す刀に仕込みナイフで攻撃を仕掛けてくる。小柄な身体を生かして紙一重の所で躱し、カウンターの回し蹴りをお見舞いする。だが、分厚い筋肉の壁に阻まれ思ったようにダメージを与えられていないことを肌で感じた。舌打ちをした後、素早く屈み足払いを仕掛ける。だが、これも同じように分厚い筋肉の壁に阻まれると思われた。実際、男もそう思ったはずだ。

 だが、そうはいかなかった。クオンは音響掌底と同じ要領で、足払いをした瞬間に相手の足の骨に直接振動を与えた。ある程度セーブはしたものの、かなり強めに振動を打ち込んだため恐らく骨折とはいかずとも、骨に罅が入る位はダメージを与える事が出来ただろう。男の表情が驚きと苦痛の入り混じったようなものへと変わっていた。


 「これも……奴にした技の一つか」

 「まあ、そんなものじゃ」


 ふんっと鼻を鳴らすと、男は無理にでもにやりと凶暴な笑みを浮かべて、


 「なるほど、な……面白い……!」


 男は再び疾走する。足の骨に罅が入っているはずだというのに、全くそれを感じさせないほど力強い走りだ。まるで格闘家のようなフェイントを織り交ぜた不規則な動き。今までに経験したことのない動きに、若干の驚きを覚えるも、表情に出さず相手の動きの隙を見つけようとする。


 「甘いぞ、それくらい予想済みだ」


 ぐっと力を込めると今まで不規則に距離を詰めたり離したりとしていた男が一気に距離を詰める。そのままの勢いを利用して拳を捻りながら突き出してくる。咄嗟の判断で身を捩り回避行動を取るが、独特な気流の流れが生まれ、一瞬だけだが動きに鈍りが出てしまう。このままでは躱しきれないと判断したクオンは受け流そうと構えを変える。

 強烈な一撃が肌を掠めるが、どうにか直撃を避けることが出来た。


 「ちっ……外したか……」


 悔しそうな舌打ちと共に再び距離を取る。だが、あの一撃である程度の事は理解出来た。

 第一に、あの攻撃は至近距離から打たれてしまえば、自分の身体では回避は不可能ということ。第二に、恐らくあの攻撃はかなり足に負担をかける技だと推測したため、打てて後二発だという事。そして第三は──


(不規則な動きで惑わしてはいたが、隙が大きい事じゃ!)


 相手の足を少しでも回復させないために怒涛の攻勢に入るクオン。小柄ゆえの下半身への集中した攻撃に、男は防戦一方となる。そこで、もう一つの隠し玉をクオンは使った。


 「よくぞここまで妾と戦ったのう、人間としてはかなりのものじゃ……じゃが、戦いはもう仕舞いじゃ!」


 まるで曲芸師のように片手で宙を舞うと、そのまま地面に踵落としを繰り出す。すると、真後ろの床が捲れ上がり後ずさりしていた男の足を奪い取る。バランスを崩した男にすかさず密着しもう一度音響掌底を叩き込む。


 「今度は手加減できんぞ……っ!」


 鳩尾に綺麗に叩き込まれると、綺麗に体内にダメージを与えることが出来たのか、うめき声を上げ地面に倒れる。

 一息後に試合終了のゴングが鳴り響き、見事に勝ち抜きが達成されたことを大きな音で伝えてくる。それからさらに一息遅れて周りの観衆が息を吹き返したように割れんばかりの大歓声を送ってくる。あまりの歓声の大きさに、クオンは思わず耳を塞いでしまうほどだった。ルリに至っては地面にきゅう……と倒れていた。仕方なさそうにルリを担ぎ上げると、ゴングを鳴らしていた男の下に歩み寄って、


「ほれ、さっさと掛け金と賞金を寄越さぬか」


 肩で自分よりも少し大きいルリをいとも容易く担ぎ上げながら、空いた片手をちょいちょいと振りながらはよはよとせがんでいる。男も約束どおり、掛け金の全てと賞金を袋に詰めて手渡した。結構な人数が挑戦していたらしく、大体の金額は金貨二、三枚分にも相当するだろう。


 「ふふん、感謝するぞ?」



◇◆◇◆◇◆◇



 いまだ興奮の冷めやらぬリングの観衆を達の隙間を縫って通り抜けて、酒を取り扱う店が多い通りに出ると、ルリをぺちぺちと叩きながら起こす。あそこからも大分離れた場所なので、喧騒からも大分かけ離れている……というわけではないが、賑やか程度には落ち着いている。叩かれ続けていると、不機嫌そうな唸り声を上げて目を覚ます。


 「起きたか? 犬っ娘」

 「んぅ……お、おはよう……ございま……す?」

 「あほか、まだ夜じゃ。ほれ、これを持て」


 地面にルリを降ろしながら賞金の入った袋を持たせる。後半は歓声にやられてダウンしていて何が入っているのか分からなかったが、じゃらっとという硬質な音とずっしりとした重さでようやく中身が何なのか理解する。


 「ほああ!? こ、これって…ええ…!?」

 「うむ、あの戦いを勝ち抜いてふんだくってきたぞ。さあ、このお金で飲むのじゃー!!」


 そう言って酒場の扉を元気よく開ける。店主は一目で普通の人間ではないと見抜いたのか、気前良くいらっしゃいと声をかける。


 「ここの店で一番美味い酒はなんじゃ!?」

 「んーそうだな、果実酒になるけどいいかい?」


 構わんぞ! といってカウンターの席にぴょこんと飛び乗ると、酒が出てくるのを楽しみに待っているようすが全身から滲み出ていた。ルリも隣のいすにぴょんっと少し飛び乗る形で座る。店内は随分と落ち着いた雰囲気で、馬鹿騒ぎをする一般的な大衆酒場というよりは、少し上品なお酒を楽しむための酒場、といった感じに思えた。数分も待たないうちにクオンの前に小さめのグラスに琥珀色の果実酒、そしてそれを冷やすかのように大きめの氷が一つだけ浮いていた。そしてルリの目の前にも似たようなグラスが置かれていたが、こちらの中の液体は少し色が濃かった。


 「え……? 私は頼んでないですよ……?」

 「ん? ああ、気にしなくていいよ、これは僕のサービス。それに、そっちはお酒じゃなくて普通のジュースだから怖がることは無いよ。ちなみに、小さなお嬢さんの方は八十年物の黄金糖梅酒、結構飲みやすいと思うよ?」


 ほー……と感心した後に、クオンはグラスを持ってごくごくと一気に飲み干してしまう。横で少しだけ驚いた表情になりながらも、グラスに入ったジュースを口に含んで恐る恐るこくりと飲み込む。すると、爽やかな複数の果物の香りと味が口腔を駆け抜け、そのまま鼻腔へと抜けていく。ルリにとっては今までに飲んだどんな物よりも美味しい飲み物だったのか、その表情はまるで桃源郷をみた太古の人間のような表情、と言い表すのが近いかもしれない。と思わせるほどに幸せそうな表情だった。

 クオンも少し頬を上気させて、この果実酒はいいのう……と随分上機嫌な感じでマスターにおかわりを頼んでいた。酒場のマスターは笑顔を絶やさずに、二人に聞いてくる。


 「君達、二人とも人類族(ヒューマニア)ではないようだけど、ご主人様とかはいたりするのかい?」

 「んむ、いるぞ。随分と変わった奴らじゃが少なくともつまらん奴らではないのう」

 「そうですねー……確かに変わったご主人様ですねー、私の事を奴隷として買ったと思えば、いきなり友達になろうなんて……笑っちゃいますよね?」

 「ふふ……そうなんだ、随分と信頼しているんだね、そのご主人様に。そっちのお嬢さんは聞いている限りだとまだ契約したばかり……なのかな?」


 そんな他愛の無い話ばかりをお酒の力なのか、それとも店主の人柄なのか二人は笑顔を絶やさないまま夜が明けるまでジュースと酒を飲みながら語り明かしていた。

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