出発前に英気を養いましょう
ガタゴトと揺れる馬車の中、エリーはギルドから自分たち宛に差し出された手紙を読み返している。折角の休暇で、あわよくばシエルといい事でもしようとその矢先に次々と面倒事がおこり、まるでエリーの邪魔をしているかのようにも感じられた。
「ほんと……なんなの? 休みなのに学校に呼び出しなんて、しぃが一緒じゃなかったら絶対断ってたわ」
「えーちゃんそんな事言っちゃダメだよー?呼び出し先が学校でも差出人はギルド……? ってとこなんでしょ?」
シエルが露骨に嫌がっているエリーを優しく窘める。そう言われてか、それともシエルに言われたからか、エリーは不服そうな顔をしてはいたが、わかったと一言いうと、
「……えーちゃん?何で私の膝の上にいるの?」
「いちゃ……ダメ?」
珍しいエリーの甘えた声に少しシエルも驚いていたが、くすっと笑ったあとに膝の上にある頭を優しく撫でてみた。すると、面白いほどに動揺していてそれを見てルリが堪えきれずに声を殺しながら笑い声をあげていた。
「ふ、ふふっ……お嬢様に撫でられて……痛っ!?」
エリーは頭をシエルの上に乗せたまま、風魔法で浮かせたぶ厚目の本でルリの頭を叩いている。しかも鈍い音が向かい側の席に座っているにも関わらず聞こえてくるという事は、結構な勢いをつけて叩いているのだろう。やられたことのある身としては、なんとかしたい光景ではあるが、一方的なものだとは言えないし何よりエリーが心なしか楽しんでいる様にも見えて、今止めに入れば多少なり巻き添えを食らうかもしれない、という答えを出したシエルは。
(耐えて……るぅちゃん)
心の中で祈ることに決めたようだった。
◇◆◇◆◇◆◇
陽が完全に登る前に出発したのだが、帝国についた時には陽が地平線の向こうに沈む間際だった。城壁を越えると待ち構えていたのか、セッカがやっほーと手を振っていた。シエルは馬車から降りると、とことこと走り寄っていく。
「長旅ご苦労様。ごめんね、いきなり呼び出しちゃって」
「ほんとにね、しぃが行かないって言ったら私は絶対に来ないつもりだったのに……」
嫌味が篭もりに篭ったエリーの言葉にセッカは苦笑して、シエル達に何かが入った封筒を渡す。エリーがそれを目の前で綺麗に破ると、中から手紙と何か複雑な模様が彫り込まれた石が入っていた。
「何、この石……?」
シエルがそれを見ると、普通の石とは明らかに違うという事が分かった。おそらくエリーも分かってはいるのだろうが、その石には魔力が宿っていた。大きな魔法に使えるほどの魔力は感じなかった為、おそらくは何かの鍵にでも使うのだろうとそれの用途を解釈していた。手紙を読み終えたのかエリーは大きくため息をったのに…ついたあと、
「どうしてお偉方はこう、上から目線でしか物を言えないのかな…」
「そういう仕事に就いているんだから、それ位許してあげよ?」
シエルは不機嫌なエリーを宥めながら、手紙の文面を聞かせてもらう。やはり、入っていた石は鍵だったようで、今回の迷宮に入るための鍵としてギルドが渡してきた物らしい。肝心の依頼の方は、どちらかと言えば試験のように思えた。内容としては、その石の鍵を使って入る迷宮の最深部に居るという魔物の素材を一週間以内に取ってくる、という内容らしい。
「改めてここから出たらそこから始める…って書いてあったわ」
「じゃあ、今日は休んで明日から出発しよっか」
シエルは改めて馬車に乗り込むと、えーちゃんはやくーと急かしていた。それに従って急ぎ足で馬車に駆け込んだ後に、
「あ、私も入ることって出来たりする?」
セッカがエリーにそう聞いたのだが、それににっこりと微笑んで。
「悪いわね、この馬車三人用なの♪」
そう言い残して学園の方向へと走り去って行った。
自室に早くも帰ってきてしまった三人は明日に備えて早速準備を始めていた。……とは言っても、保存の効く食料や水、そして最低限の衣類などを休暇前にアトラに作ってもらった魔力によって容量の変わる魔力鞄に詰め込んでいるだけだったのだが。
別の場所では、霊姫達が夕食作りに奮闘していた。食堂の人に事情を伝えた所、もう帰ってしまうため夕食を作ることは出来ないが、材料は好きに使っていいとのお許しが出たので、三人が準備をしている内に私達で料理を作ってしまおう!と考えたようなのだが──
「え、エリミア! 塩入れすぎだよ!」
「だーいじょうぶだよ、これくらい」
シルフィードが作っていた料理鍋の中にこれでもかと塩を振りかける、というより塩を投げ込んでいる、と表現した方が良いのではないかと思うほど入れていた。
「ここから三分待って……火を弱くして……それから……」
また、その横ではルクスリアが鉄板で何かの肉を焼いているようなのだが、ぶつぶつと呪詛か何かのようにレシピを呟いているので、なにか怪しい物ができるのではないかと得体の知れない不安感にシルフィードは襲われていた。そんな中でも、シルフィードは手際よく野菜を切り皿に盛り付ける、いつの間にか作っていたドレッシングをそこに回しかけると、まるでレストランで出されるようなサラダが作られていた。
それを見て、軽く驚いている二人にドヤ顔を決めている。シルフィードが明らかに出来なさそうな料理で負けたという事に悔しさを感じながら目の前の自分の今作っている物を改めて見てみる。
「「……くっ!!」」
結果、二人の言葉が見事にシンクロした。ルクスリアの料理はまだ出来ていない分何とかなるのかもしれないが、エリミアの鍋の中は既にどんな味になっているのかがわからない程の匂いになっていた。正直な話、それを出されて美味しい物だと言われても素直に信じられないレベルの物になっていた。
「いや……私は、まだ大丈夫……ここから何とかするのよ、私……っ!」
ルクスリアが気合を入れると、焼いていた肉に何かのスパイスを振りかける。それから、どこからか酒瓶を持ってくるとそれでフランベした。炎が高く立ち上がり、ふんわりと良い香りが漂う。
「え、え!? 何それ!? るーしゃ凄いじゃん!!」
何故かテンションの上がっているエリミアに少し困惑しながら皿に一口大に切った後にソースを回しかけ、完成させる。
多少の不安があったのだが、結果的にかなりまともなものが出来て、シルフィードは内心でほっと一息ついていた。問題はエリミアの作っているスープなのだが……
「助けて……わかんない……」
泣きそうな声で助けを求めていた。流石にそこまで言われて助け舟を出さないほどの鬼畜精神は持ち合わせていない。仕方ない、と呟いたあとにスープの味を確かめるべくスプーンで少しすくい上げて甜めてみる。
「っ、塩っ辛!! ……薄くしないと流石にあの娘達には出せないわね…」
どうしたものかと考えながら、材料を眺め見ていると良い物があった。
「そっか、スープスパゲティとしてなら…うん。多分なんとかなる」
エリミアはとにかくシルフィードにすらあんな反応をされたスープを何とか出来るなら何でも良いようで、祈るように鍋を見つめている。しばらく見ていると、グツグツと煮立った鍋の中にパスタを投入して茹でていた。
しばらくして良い香りが漂い始め、スープもパスタが多少塩分を吸ってくれたようで、スープの塩辛さも飲むことどころか舐めることさえ憚られるようなレベルでは無くなっていた。
「うん、まあ……これくらいなら大丈夫、かな?」
シルフィードは、スープをすくったスプーンをシンクに投げ込み、残りの皿の盛り付けを終える。シルフィードはこの戦争のような料理作りを終えると、大きくため息をついて。
「この二人と料理するの疲れるわ……」
そう呟いたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
「んーどれも美味しいよ!」
シエルが本心からそう言うと、三人は心底ほっとした気持ちになり重い肩の荷が下りたようなそんな気分になった。はぁ…と今度は三人同時にため息をついて、問題ないことを確認し合っていた。
食事が終わり、食べた後の皿を洗っていると。
「シエルは魔力が見えるから、普通の人間みたいに生活できてるんだよね?」
唐突にそんなことをエリミアが聞いてきた。シエルはてきぱきと皿洗いをこなしながら、そうだよーと肯定する。
「でも、魔力がないものだと全く見えないからやっぱり普通の人よりは不便かな……本とかもちょっと高級なやつとか、古いものしか読むことができないし」
苦笑交じりの声でそう言ってはいるが、それでも不満だというような態度は全く見せなかった。少し間をおいてシエルは続ける。
「私は私だから、ほかの人を羨んだって何も変わらないもの。それに、私にはえーちゃんがいるから。私の見えないものはえーちゃんが見てくれる。逆に、私にしか見えないものは私がえーちゃんに教えてあげる。それで、二人ともがいいなら、それでいいかなって私は思うの」
エリミアはその言葉を聞いて、ふっと顔の表情を緩めた。そして、そっとシエルを背中から抱きしめる。
特に驚いた様子がないのは、それに悪戯心などなく、純粋にただそうしたかったということが分かったからなのだろうか、シエルは気にすることもなく皿洗いを続けていた。
「そんな風に、割り切れる人って大人でもあんまりいないんだよ? シエルと同じ年くらいの子なんて特に、ね。長い時間いろんな人を見てきたからわかるの……でも、シエルにはそれが出来ちゃってる。それは、ある意味凄い事なのかもしれない。だけど、だからこそ……それが時には足枷になったりすることもある。それを覚えておいてね」
軽そうな雰囲気を全身から醸し出していた、エリミアと同一人物とは思えないほどに真面目な言葉にはシエルも少しの驚きは覚えた。だが、そんなものは心の奥にしまいこんで、背中から回された手をそっと掴む。水に濡れた手が、エリミアの手に重なると。
「私は水の霊姫だからね、水は私の手足みたいなものよ♪」
水滴がふわりと浮き上がり、それが複数集まって様々な形を織り成した。魔力によってされているそれはもちろんシエルにも見ることができ、それを見てくすりと表情を綻ばせた。
「そうそう。女の子は笑ってなくっちゃ」
エリミアが楽しそうな声でそう言ってから、あと少し頑張ってね。と言って霊姫達二人の会話に入り込みに行ってしまった。エリーはまだ明日のための準備をしているし、ルリは珍しく武器の手入れをしていた。一人一人やることは違えど、迷宮探索のための気合は充分という事なのだろう。
そんなことを考えているうちに皿洗いも終わっていて、手をタオルで拭いているとエリーがお風呂空いたよ、と伝えに来てくれた。そこでシエルは少しだけ口元を愉快そうに歪めて、
「えーちゃんも一緒に入る?」
そんなことを言ってみると、面白いほどに動揺して、顔を真っ赤に染め上げていた。
「い、いい一緒に!? いい、良いよ! 勿論! 何時間でもしぃと一緒に入るよ!?」
「ふふ、ありがと。でも、えーちゃんはさっきお風呂入ってきたんでしょ?だから、また今度……ね?」
耳元で最後の部分を蠱惑的に囁くと、エリーは少しぼーっとした表情をした後、うん!と随分と元気のいい返事を返してくれた。
シエルが脱衣所で服を脱いでいると、横からもはや聞きなれた声が聞こえた。
「シエルって着痩せするタイプだったんだ……」
そう言ってまじまじと胸のあたりを見つめられると、同性とはいえども恥ずかしさが出てきてしまう。顔を少し赤らめながら、浴槽へ逃げ込むように入る。体中の疲れを心地よい温度のお湯が、それをじっくりと取っていってくれる。そういえば、何でエリミアが脱衣所に居たのだろう?と思ったその時、
「私も入るーっ!」
エリミアあたかもプールサイドから飛び込むかのような勢いで飛び込んできた。学生寮とはいえ、多くの貴族たちが通う学園だからか、生徒の部屋の浴室でさえも結構な広さがある。今回はそれのおかげで二人がぶつかるという事態は免れたが……
「霊姫何だしもうちょっとおしとやかに入ってよ……」
普段こんな事を言わないはずのシエルでさえも、そう言いたくなってしまうような入り方だった。だが、当の本人はどこ吹く風で、ぱしゃぱしゃとバタ足で水柱を立てていた。エリミアは立てた水柱を自分の魔力で制御して、龍のような形に仕立て上げていた。しかも、無駄にクオリティが高いのが少し悔しい。
その後もバチャバチャと水柱を立てては、謎の建築物を作っては壊すを繰り返していた。
「さっきの真面目なみーちゃんは何だったんだろ……」
「みーちゃん?」
シエルが無意識に口にしてたその愛称が気になったのか、食い気味に聞いてくる。慣れてしまったのか、ちゃぷちゃぷと手のひらの上で、入浴剤の関係で少し乳白色になっているお湯を眺めながら。
「だって、エリミアって愛称で呼ぼうとすると大体の人がエリーって言うでしょ?」
「あー……うん。そうだね」
エリミアもそれについては、同意した。愛称とはいえ、同じ名前の人間がいれば紛らわしくなるのは自明の理だ。だから、シエルはエリーとは違う愛称を考えていたのだろう。
「……ん? だから、シエルは私の愛称を考えてくれてたの!?」
「うん。エリミアってちょっと呼びにくいし……」
シエルが苦笑交じりにそう言うと、エリミアもどうやら同じように感じていたのか、うんうんとうなずいている。自分の名前を本人が呼びにくいと認めるのは正直どうかと思うが、よく思っていてくれるのならそれで良いのかな、そう思った。
「しえるー洗いっこしよ?」
「ん? いいよー」
ざぱっと浴槽から出ると、鏡台の前に座る。その後ろから、エリミアがボディソープを手で泡立てて優しく体を洗ってくれる。絶妙な力加減で思わず体の力が抜けてしまう。ふみゅう……と気の抜けた声が思わずシエルの口からこぼれてしまうほどに心地良いものだった。体も心もすっかりエリミアに許したその瞬間、
「ひゃうっ!?」
エリミアの両手がシエルの胸を揉みしだいている。むにゅむにゅといやらしい手つきで揉まれているのだが、何故か力が入らずなされるがままになってしまう。
「やっぱり結構なモノを持ってるよね……」
羨ましげに呟くエリミアだが、その両手は休むことなく揉んでいた。
「ぅ、んう……そんなにぃ、大きくないよぉ……あっ……」
色っぽい声が言葉の節々から漏れ出し、身体をびくびくと震わせている。抜けだそうとしても、自らの体がその快感に囚われて動くことができない。
「ふっふーん。私のテクニックはどうよ? 百年練習した賜物よ!」
ドヤ顔を決めているが、エリミアの細かい表情はシエルには見えないし、何より見えたとしてもそんな余裕はない。何とかして逃げ出そうと、画策しているが、どうしても体に力が入らない。このまま為されるがままなのだろうかと困っていると。
「私も混ぜなさい!!!!」
ばーんと扉が開き、エリーが飛んでくる。低空飛行でシエルの体に抱き着くと同時に、エリミアを浴槽へ吹っ飛ばす。みぎゃああとおかしな叫び声と共に浴槽へ派手にダイブした。
「えーちゃん、私を助けに──」
来てくれたの!? との声は続かなかった。なぜなら、エリーの鼻息が荒いし、何よりも危ない雰囲気を全身で発していた。
「え、えーちゃん……?」
もしかしたら、劣情を抑えて助けてくれるかもしれないという淡い期待にかけたかったのだが──
「しぃが……しぃが悪いんだよ……? あんなこと言うから……もう我慢できないじゃない……っ!!」
どうやら本当に期待は淡いものだったようだ。しかも、その直後には。
「私も混ざりますー!」
「それじゃあ、私もっ!」
ルリとシルフィードまで参戦し、もはや何が何だか分からなくなったまま浴場での宴は湯がぬるくなるまで続いたとか。




