日常31(歳三)
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協会を出た歳三は、じりじりとした日差しに目を細めた。空を見上げれば、真っ青な空と大きく柔らかそうな真っ白い雲が広がっている。
──夏だなぁ
歳三は何とはなしに思った。そして耳をすませてみる。
都会の喧騒だ。多くの人々が様々な話をしている。全く静かではない。
足元を見てみた。勿論薄灰色の地面があるだけだ。
薄汚れていて、情緒の欠片も感じない。
──夏の真昼の静かには、タールの光も清くなる…だったか。都会の夏はうるさいし、地面は清くはなさそうだ
歳三が言っているのは中原中也の夏の日の歌という詩の一篇の事である。だが根がドにわかに出来ている歳三は、現代日本の、ましてや都心ではコールタールの舗装路などは中々目にする事はなく、道路のほとんどはアスファルトで舗装されている事など知る由もなかった。
ともあれ、歳三は中原中也が好きなのである。なぜ好きかといえば、中原中也の人格がしょうもなさすぎるからだ。だが頭のてっぺんから爪先までしょうもなさがみっちりと詰まっている男でも、美しい言葉の数々をひりだせると言う事実が歳三を彼のファンにした。
歳三が気に入っている彼のしょうもなエピソードがある。
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ある夜、とある店で坂口安吾が酒を飲んでいると、酔っぱらった中原中也が現れた。その店には中也のオキニの女性がいるからだ。
だが、トラブルが起きる。肝心の女性は安吾に惹かれてしまったのだ。中也としては当然嫉妬する。中也程のしょうもない男だ、安吾にむかって喧嘩を仕掛けてしまった。
しかし、問題があった。安吾はデカく、中也は小さいのだ。とても喧嘩で勝てる相手ではなかった。そこで中也は何をしたかと言えば、少し離れた場所でシャドーボクシングをし続けて安吾を威嚇したのだという。この余りのしょうもなさに安吾はほだされ、以後二人は友人となったとか…。
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ちなみに中原中也自体をどこで知ったかと言えば中学生時代に望月から教えてもらったのだ。
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きゅるりと腹が鳴る。
そういえば、と歳三は朝食を食べていなかった事に気付いた。
「いけねぇ、朝飯を食い損ねると寿命が減っちまうぜ。朝飯を食わない奴は食う奴より10年くらい寿命が少ないらしい。ネットにそう書いてあったからな。間違いねぇだろう」
と、そんな事をいって歳三はたまさか目に入った蕎麦屋へと足を進める。『霊代 九字蕎麦』だ。
『九字蕎麦』は高野グループが全国展開している有名蕎麦屋で、味自体は普通の蕎麦なのだが、その来歴がやや異色であった。
というのも高野グループは霊能界隈では有名な密教集団であり、大変異以前から人に仇為す怪異の類と向き合ってきたのだ。霊能界隈も探索者界隈と同じように大小様々な団体があるのだが、探索者協会でいうダンジョン探索者協会にあたるのがこの高野グループであった。『九字蕎麦』の九字とは早九字の九字である。早九字とは臨・兵・闘・者…のアレだ。本来は道教の呪法だが、仏教密教修験道あたりにも取り入れられている。
齢150をこえるという高野グループ総帥、寂空大僧正は岩戸重工と昵懇であり、その繋がりを有効活用し、老い朽ちる肉体を次々に機械化した。脳はナマだが、その恐るべき精神力で脳の劣化を全く感じさせない。政界とも繋がりが深い妖怪坊主である。
九字蕎麦は高野グループの重要な資金源であった。怪異の類と向き合うには大きな危険を伴い、また、金もかかる。他にも収入源はあるが金の入手手段は数が多い方が良い。また、この全国展開は国もそれなり以上の支援の手を入れていた。
これは全国に九字蕎麦…高野グループの手を伸ばしておくことは、国防に繋がるからだ。国としては高野グループを中心にダンジョン外で起こる怪異、心霊現象…そういうものにあたってもらいたいという意図がある。
ともかくも各陣営にはそれぞれ様々な思惑があるが、しかしそれはそれとして上手くやっていた。それでも北見市事変以前はギスギスしていた部分も少なくはなかったのだが、現在では積極的な人材交流なども行われており、関係は良好といえる。
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歳三は冷やしとろろ蕎麦を頼んだ。これにオプションでミニ納豆をつけ、更にはネギ盛り。歳三はこれ以外を頼んだことがない。ちなみに商品は食券式だ。
店内には何人かの客が居た。眼鏡をかけて肩掛け鞄をもった小太りの一般人青年の横には、銃器を背負ったボディスーツの女が二人おり、その横には全身を筋肉で膨れ上がらせた密教坊主が座っている。
現代日本ではどこもこのような様子だ。日本人はどちらかというと排他的な性質を持っていたが、それも大変異までである。大変異以降、人々の精神は妙な形で変容してしまった。
それは異変に対しての異様に早い適応である。この変化は世界規模で発生しており、専門家などは "ダンジョンの発生が大きく関係しているのではないか。これは世界規模での催眠のようなものだ" などと述べているが真相は定かではない。
──ねえ、この前のサバイバー配信みた?
──見たみた。末期がん治ってよかったよねー
──でも腕無くなっちゃったよ
──病気なおったんだから黒字でしょ。腕は機械のを買えばいいじゃん
探索者とみられる女二人が会話していた。
サバイバー配信とは不治の病にかかった一般人がダンジョンに挑み、ダンジョンの干渉力で病を治療しようという悲壮感たっぷりな配信のことを言う。
ダンジョンに挑むには用意すべき物品が多くあるが、そのあたりは何と行政に申請することで補助金が出るのだ。ただし、無事に治癒した後は探索者協会に強制的に所属させられるが。さらに、チャレンジの経緯を動画として配信しなければならない。これは国が設けたサイトで視聴が出来る。
サバイバー配信はDETVのように動画配信サイトにアップするエンタメよりのものではなく、国が音頭を取り、難病により死を待つだけであった人々を人財としてリサイクルする為の国策の一つである。
国としてはサバイバー配信はハングリー精神あふれる人材をゲットできるチャンスだ。なぜ動画を出さねばならないかといえば、後続が続くようにという意図がある。現代日本にはまだ多くの難病患者がおり、死を待つのみの彼らが探索者として"生還" するのならば大きな戦力となるだろう。
ちなみに10人の挑戦者がいたとして9人は死ぬ。病人がダンジョンにいくのだ。まあ普通は死ぬ。しかしごくまれにガッツを発揮して、"生還"する者もいるのだ。そういった者は非常に強力な探索者となる可能性が高い。
ちなみに動画については成功例しか載せないので問題はない。




