日常28(歳三、飯島比呂)
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8月10日、昼。
歳三は自分のベッドで目覚めた。自力で帰ったのか、はたまた誰かに送ってもらったのか。その辺りはさっぱり覚えていなかったものの、まあちゃんと帰れたんだしいいかと歳三は思う。歳三は権太と深酒をした後はしばしばこうなる。そんな時は大体権太が家まで送ってくれるのだ。
歳三は枕元にあった端末に手を伸ばした。
ディスプレイを見る。
『鍵はリビングのテーブルの上に』
それだけメッセージが届いている。送り主は権太であった。
歳三は端末に向けて片合掌をし、太い首をゴリゴリと回す。
「いや、久々に呑んだぜ…。だがまだ頭痛が痛ぇな…。頭痛が痛い…ふふふふ、頭痛が痛ぇってなんだ?俺にもわからねぇ…」
ブツブツとそんな馬鹿みたいな事を呟きながら、歳三は布団の中でもぞもぞと蠢き、全裸になって風呂場へとむかった。服などは全てベッドの中に脱ぎ捨ててあり、体毛などがシーツの上に散らばっている。
シャワールームに入ると歳三は肚に力を籠め、歯を食いしばった。ぶわりと全身に汗が浮かび上がる。この時歳三の体温は50度を優に超えていた。汗は歳三の肌をだらだらと流れ落ち、その発汗量は異様で、常人ならば脱水症状を心配しなければいけないだろう。
熱が更に高まる。汗が更に噴き出る。汗が蒸発して、水蒸気がシャワールームに立ちこめていく。
数分後、歳三の酒気はさっぱりと抜けていた。
アルコール程度ならば訳がない事であった。強力な毒物などはまた話は別だが。
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最後に軽く水を浴び、その水も肉に宿った余熱のせいで次々乾いていく。シャワールームから出た歳三は全裸のまま台所へと向かい、大ジョッキに水道水を注いで一気に飲み干した。
歳三は今日は探索も外出もいくつもりがなかった。朝起きた瞬間から引きこもろうと決めたからだ。歳三の辞書に予定や計画性などという言葉はない。
歳三はテレビをニュース番組にチャンネルを合わせ、先日の秋葉原の一件の事が報道されていないかを確かめた。素っ裸の男女がダンジョンに何人も捕らわれていたのだから、少しくらいは…と思ったのだ。
だが歳三の考えとは裏腹に、どの局のニュースも秋葉原の一件は報道していなかった。この時点では歳三は気付いていないし、なんだったらどの時点であっても歳三は気付かないのだが、協会が圧力をかけて情報封鎖をしているのだ。この圧力にあらゆるマスメディアは抗し得ない。
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ダンジョン探索者協会という組織は必要とあらば暴力を、それもとびっきりの暴力を振るうのを躊躇しない組織だという事をメディアは知っている。そしてそれが咎められない事もしっている。探索者協会と政府はほぼ一体と見て良い程ズブズブだからというより、警察権力を遥かに超える暴力を有しているからである。
ただの暴力ではない。
常軌を逸した力だ。
超能力で走行中の列車をまるまる浮かせて脱線事故を防いでしまう力だ。
火事で燃え上がる11階建てのビルに正面から乗り込んで、取り残された人を救出後、屋上から飛び降りて無傷でいるようなそういう力だ。
人は未知をこそ恐れる。
政府は、ひいては協会はそういった未知の、超常の力をいくつも有しているのだ。警戒して然るべきである。
マスコミにもマスコミなりの矜持があるが、彼等はそのプライドをなんとか飼い慣らそうとした。幸いにも妥協点…落としどころは国の方から用意をしてくれた。
国は政府やそれに連なる機関を一切批判せず礼賛ばかりしろとは言わなかったのだ。むしろ政権批判や協会批判は好きなだけしろとすらいう。だが "やるな" と言われた事は絶対にやってはいけない、ただそれだけの話だ。
それはそれで業界人としてのプライドは無傷とは言えないが、これ以上を求めるならば命に関わる…そう多少でも鼻の利く者達は思った。
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──まあいいか
歳三はテレビをつけっぱなしのままメッセージチェックをする。桜花征機、協会、協会から紹介されたFP、それに…
──ティアラ?
端末を睨みつけ、下唇を人差し指と親指でつまむ。歳三が何かを考える時の手癖だ。ややあって、ああ、と頭上に幻想の電球をぴかりと光らせた。これまでプライベートで権太以外の者から連絡が来る事が無かった為、あるいは詐欺か何かではないかとちょっと考えてしまったのだ。
以前歳三はこの手の詐欺に見事に大金を支払った事があるのだ。格安で幸せな人生を確定させてくれる黄金期の超越黄金龍を魂に招来してくれるというのだ。これでいて歳三はハッピーエンド主義者である。幸せな人生を確定させてくれるというのなら断る手はなかった。
格安というのは嘘ではなかった。最初は1000円だった。専属占い師との永久無料パスポートの発行料金が1000円とは何と良心的なのだ、と歳三は感激し、喜んで金を支払った。
実際は当たり前の話だがカラクリがあった。
その専属占い師は自分を超越する業前の弟子がいるということで、その弟子を紹介してくれるという。歳三は喜んでその話を受ける。
だが、その弟子とのやり取りにはポイントが必要だったのだ。
ポイントは購入しなければならない。1ポイント10円で、1通送信するためには150ポイントが必要であった。つまり1500円だ。
これは高い。高いが、歳三の経済力はその辺の中小企業の社長などよりも高かった。何せ乙級探索者であり、1度の探索で数千万を稼ぐ事など珍しくもない。歳三は馬鹿みたいにドカドカポイントを購入し、その弟子と連絡を取り合った。
黄金期の超越黄金龍を魂に招来するためには"施術"をしなければならず、その施術には"言霊"とよばれる霊力がこもった言葉を何度も送る必要があるという。
"施術"はこの様な内容だ。
★★★
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★★★
こんなものがもう何十回何百回と届くのだ。一度の"施術"で数万円が優に飛ぶ。だが歳三は"施術"をつづけ、遂に3億ほど遣ってしまった。それでも歳三はこの話の怪しさに気付かない。
結局、事が発覚したのは権太との飲み会の時だ。歳三の端末にあまりにも多くの通知がくる事を怪しんだ権太は歳三を問いただし、歳三が詐欺の被害者おじさんと化している事を理解すると、「こ、このおばかさんッ…」と絶句し、各所へ連絡をし始めた。
歳三は余りにもしょうもない詐欺にあってしまったのだが、協会は歳三に目を掛けている。真面目に依頼をこなし、協会に忠実で、しかも馬鹿みたいに強い歳三だ。依頼成功率は100%、接敵した如何なるモンスター…それがイレギュラー個体であろうとも完殺している恐るべき探索者である。
馬鹿みたいに強く、しかし本当に馬鹿だというのは珠に瑕ではあるが、これはもう仕方がない。馬鹿といってもやれと言われた事はやるし、やるなと言われた事はやらない。つまりは良性の馬鹿なら救いは山ほどある。世の中にはやれと言われた事はやらず、やるなと言われた事はやる悪性の馬鹿もいるのだ。歳三はそういった連中と比べて余程マシであった。
この手の詐欺はネットの足跡を辿っても大抵大元へと辿り着けないものだが、そこは探索者協会だ、"意思遡行" というPSI能力を有した職員がメッセージに籠められた意思の出所を探知し、都内某所の雑居ビルを協会の警備部管轄のアサルト・チームが強襲したのだ。
アサルト・チームは8人態勢の強襲部隊である。本来は国内で悪さをする敵性外国人探索者をぶち殺す為のチームで、隊員は単身でアフリカゾウを殴り殺せる猛者ばかりだ。調査部所属の久我善弥などは元々は警備部から異動してきたクチで、それゆえにやや暴力的手段で物事を解決しようとする悪癖がある。
詐欺グループは10人程度の人数であった。雑居ビルの一フロアを借り切り、デスクと端末を並べて詐欺仕事を働いているチンケな集団である。強力なPSI能力を振るったりする者もゴリラより強い腕力で殴りかかってくる者もいない。要するに全員一般人という事である。
そんな連中は一人残らず攫われ、枝はないか、葉はないかと拷問紛いの尋問を受け、悪事で稼いだ金を根こそぎ没収され、足りない分は身体を金に換えさせられ、残った連中は全員警察へと引き渡された。勿論歳三の金もかえってきた。警視庁が作成した特殊詐欺対策マニュアルという冊子と共に。
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「…どれ、何の用事だろう…この前の礼かな?」
フィッシング詐欺ではない事が分かりほっとした歳三は、自分でも説明が出来ない妙な高揚感を覚えつつメッセージを開封し、思わず声をあげた。
「なにっ」
それは誘いであった。
──お礼…?3人で食事だと…?よろしければお友達も連れてきてくださっても構いません…?ともだち…トモダチか…
望月柳丞
金城権太
この二人がまず思い浮かぶが、前者はどこで何をしているか知らないし、後者は仕事である。ついで、これまでの交友関係を思い浮かべてみる。歳三の交友関係は狭く浅いが、探索者稼業をしていくにあたって、顔見知りとなった者もいなくはない。あるいは池袋のセンターにならそんな顔見知りと…そんな考えが頭に思い浮かぶ。
歳三はこれまでの探索、これまでの経験でほんの少し成長していた。もう今までの様に知らない相手と話して顔を紅潮させながら無言で睨みつけたりなんてする事はない…と自分では思っている。
「行くしかねぇか。逃げ場はない」
観念したような面持ちで歳三は外出の準備をする。予定はなにもなく、外出するつもりもなかった今日という日だが、状況は変わったのだ。
ちなみにティアラは "もしお一人でいらっしゃるのが嫌でしたら、信用できるお友達とご一緒でもかまいません" くらいのノリで、歳三を困らせようとかではなくてむしろ気遣いから提案したに過ぎなかった。仮に歳三が1人で訪れても特に何も気にしなかっただろう。
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強すぎる日差しに辟易しながら、飯島比呂は池袋へ向かっていた。ここ最近、比呂は池袋を拠点に探索者稼業をしている。
彼は世田谷区在住なので池袋はやや距離があるのだが、様々な理由を鑑みて池袋を拠点とする事に決めたのだ。なんだったらマンションを借りようかとも考えている位だ。ちなみに四宮真衣等と仲たがいしたわけではない。連日の探索に二人が先に音を上げ、しかしこれでいてタフな比呂が空いた時間をソロ探索につかっているだけの事である。
──暑いのは良いけれどな。日焼けが嫌だなぁ
そんな事を思いながら比呂は長槍を担ぎ直し、歩を進めていく。
本文中の占い詐欺の手口は実際のものです。メッセージ内容も多少かえていますが、大体同じようなものです。出会い系サイトの鬼島というサイトを見てインスピレーションを得ました。サルでも騙されないような手口ですが、あれで年間億の被害額が出ている非常に悪質なスピリチュアル詐欺です。心が弱っていたり、判断力が低下している人は引っかかるのでしょうね。皆さんは騙されないようにしましょう。




