しょうもなおじさん、ダンジョンに行く⑨
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ほうきにまたがった魔女の編隊が大気を切り裂きながら降下する。
先頭のスミス坂本・裕子が、掌サイズの水晶レンズ装置を掲げた。
これは『Ein-Sof Λ-インターフェロメータ』──“光で闇の穴を探す観測器” だ。
まあ要するに精度が高い望遠鏡である。
「こちらケレン72、Hakhanah(場の準備)に入るわ」
合図と同時に、随伴ドローンが森上空へ散開。
腹面プロジェクタの青白い線が樹海表層へEtz Chayyim──生命の樹──を描く。
裕子はレンズを軽く叩いて焦点を絞った。
これは Tzimtzum、無限光を“ぎゅっ”と縮めて負の空間ポケットをつくる手順だ。
次いで投下されるのは “231ゲート”グラフェンウェハ──手のひら大の黒鏡。
表面の銀文字が自然光を拾って宙にホログラムを反射する。
板が地に吸い付くと Shevirat ha-Kelim──これは“器の破砕”を意味する霊的爆撃である。
目に見えない穢れが器のガラス片のように砕け、黒煙の渦となって枝間にうねった。
「周波数ローテ開始。──Shem ʿAv!」
裕子たちは頭に Sephira-F0 レゾネータ(十個の水晶でできた音叉冠)を装着。
骨伝導スピーカーが裕子たちの胸に低い振動を送りこむ。
この振動を媒体として、魔女は特殊な“歌”を歌う事ができるのだ。
432 Hz Chesed〈慈愛〉、528 Hz Gevurah〈剛毅〉──周波数が切り替わるたび、森に聖歌のベースラインが響きわたる。
──Wa-Hey-Vav…… Yod-Lamed-Hey……
72神名の詠唱が七拍子で重なり、黒煙の渦は音に合わせて縮み、金色の粒子へ変わる。
「何だか分からないが、悪いモノが浄化されてる」と素人でも察せる光景だ。
要するに、魔女たちが今やったことはこうだ。
まず“光で闇を吸い出すレンズ”──インターフェロメータで樹海の負のエネルギーを一ヶ所に集め、 次に“黒鏡”ウェハを地面に並べて、その悪意の塊に割れ目を入れる。
そこで聖歌のシャワーを浴びせて、一気に浄化。
量子フォトニクス工学やユダヤ神秘思想で知られるカバラ学などを融合させたハイブリッドエクソシズム──それが現代の、いわゆる魔祓いの儀式である。
「《Hotam》完了。《Rishum》ログ送信──望月さん、魔祓いの儀式は完了です。ただしいうまでもありませんが一時的に負の場を抑制しているにすぎません。もって8時間といった所でしょう」
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「で、結局何がどうなったんだ?」
野獣が尋ねる。
「裕子さんの話を要約すると、寄生や洗脳──そういったものが抑制されるそうだよ。ただ、余り何度もできる儀式じゃないそうだ。この手の儀式は“秘匿”により出力が増幅されるそうだけど、人目に触れた時点で、うーん……そうだね、なんというか、暫くエネルギーをチャージしないといけないらしい」
望月の答えに野獣は首をかしげる。
「よくわからんが分かったぜ。でもなんで最初にやらなかったんだ? そうしたら余計な犠牲が出なくても済んだし、企業連中とも連携出来たじゃねえか」
野獣の疑問は尤もであった。それに対し、「間に合わなかったんだよ」と望月は言う。
「色々な意味で間に合わなかった。桜花征機、岩戸重工という日本を代表する大企業が虎の子の特殊部隊を派遣してきたのは、富士樹海の脅威に対処するために合力するという意味もあるけれど、富士樹海から得られる“素材”をいち早く入手したいという企業目的のためだ」
「ああ、要するに突出したがる企業を抑えられなかったんだな、お前の力不足だったってわけだ」
野獣の言う通り、もし早い段階で裕子の魔祓いを実施していれば、多くの犠牲を避けることができたかもしれない。
だが現実には、そう簡単にはいかなかった。
高度な魔祓い儀式は、莫大なエネルギーを消費する上に、その成否は儀式の秘匿性に依存する。
こうした儀式はそれを行うこと自体が知られない状況であればあるほど、霊的なエネルギーが凝縮され、最大の効果を発揮するからだ。
今回のように複数の企業や組織が介入し、それぞれが独自の目的を持って動く状況では、秘匿性を維持することなど到底不可能だった。
さらに言えば、桜花征機や岩戸重工といった大企業が特殊部隊を送り込んだ時点で、魔祓いの機会は既に失われていたのである。
彼らが持ち込んだ「欲望」や「打算」といった負のエネルギーは、皮肉なことに樹海に巣くう穢れを一層強化し、裕子の儀式に必要な「清浄な場」を乱してしまったのだ。
望月が言う「間に合わなかった」とは、そういう意味である。
「あのタイミングで裕子さんが儀式を行ったところで、失敗する可能性が高かった。むしろ状況が整った今だからこそ成功した──まあ、結果論だけどね」
望月はさらに言葉を続けた。
「企業側も精神干渉を防ぐための特殊な機器を使っていたみたいだけれどね。それでも防ぎきれなかったから、この儀式の必要があった。ともかく、これでやっと人員を安心して送り込める」
そう言って望月は再び端末を操作した。
通話要求先は探索者協会の現会長である桐野光風だ。
通話要求は即座に繋がった。
「桐野会長、準備は出来ました」
端末の向こうから、澄んだ少女の声が返ってくる。
──「上手くいったか、よし、ではこちらも手勢を送り込む」
穏やかな口調ながら、どこか含みを持った声色だった。
声だけを聞けば少女そのものであるが、その正体は望月がかつて探索者協会で会長を務めていた頃、副会長だった桐野光風という老爺である。
彼は度重なるバイオ手術と肉体換装により、現在では可憐な少女の姿をとるに至っていた。
なぜ少女の姿なのかという疑問もないではないが、それは本人の趣味嗜好の為と言わざるを得ない。
外見に騙される者は少なくないが、中身は生粋の老人──変態だ。
その桐野こそが、望月を協会から追放した張本人でもある。
とはいえ、二人の間に個人的な確執はない。
望月の追放は表面的なポーズに過ぎなかった。
二人は富士樹海がもたらす精神汚染──精神への寄生が、想像をはるかに超えるスピードで協会内部に蔓延していくことに気づいていた。
だからこそ一計を案じ、敢えて望月を追放という形で協会本体から切り離したのである。
追放された望月は、協会から引き抜くという形で能力の高い探索者を隔離する役割を担った。
結果として、それら優秀な人材は精神汚染の被害を免れ、外部で健全な状態を保つことができたのだ。
残された桐野は汚染が手遅れとなった探索者を粛清し、残った人員に対して精神干渉を防ぐ施策を打ち出した。
高野グループをはじめとした外部企業との連携によって生み出された精神防御機器の開発もその一つだった。
まあ、そうした手段はあくまで苦し紛れに実行されたものであり、確信に基づいていたわけではなかったのだが。
偶然、功を奏したに過ぎない。
むしろ協会内部では精神汚染の脅威に対して効果的な手段を打てず、内部崩壊寸前まで追い詰められており、最悪の場合は協会本体が潰れる事も二人は計算に入れていた。
望月と桐野の芝居が功を奏し、探索者協会は辛うじて崩壊を免れた──それが真実である。
望月は静かに息を吐いた。
ようやくここまで辿り着けた。
彼が密かに進めてきたこの計画は、今まさに最終段階に入ろうとしている。
端末越しの桐野の声が、その意を汲んだかのように響いた。
──「……長かったな。ようやく仕上げだ」
望月は端末を閉じて頷いた。
その背後では、野獣が興味深そうに会話を聞いていた。
「なるほどな、お前らが裏でこそこそやってた理由はそれか」
望月は軽く肩をすくめる。
「こそこそと言われても否定はしないよ。でもおかげでようやく舞台は整った」
野獣は大きく頷き、闇に覆われた樹海の奥を鋭く睨んだ。
「よし、ならさっさと始めようぜ」
こうして、探索者たちは富士樹海へと再び乗り込んでいった。




