望月
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六本木の街並みに足を踏み入れた瞬間、歳三は圧倒されていた。
自身が虫けらだと言う事を芯から思い知ったのだ。
ニンゲンサマの、それもハイソなニンゲンサマの世界に虫けらが足を踏み入れていいものか? ──否である。
煌びやかな高層ビルの数々、まるで自分が小さな虫になったように、巨大な世界に放り込まれてしまった気がした。
脚が震え、その振動でアスファルトにヒビが入る。
「あ、あの……マンションの前の道路を、その、壊されてしまうと……えっと、迷惑なので……」
マンションの管理人らしき男がおずおずと話かけて来たので、歳三は速やかに謝罪をして修理費を支払う事に同意した。
口座には唸るほどの金があるので特に問題はない。
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指定された店までは徒歩10分やそこらだ。
ちなみに今日の歳三はレンタルスーツを着こんでいるが、どうにも似合っていない。
165にも満たない中年男性──しかもスーツを着慣れていない歳三であるので、どうしてもその姿はコミカルでユニークなものになってしまう。
人目を避ける様に歩いていくと、高層のビルの間にひっそりと佇む料亭が見えた。
「ああ、やべえ……」
そんな事を言いながら道の真ん中で立ち尽くす。
歳三の目からみてもこれが高級料亭であることがアリアリと分かるのだ。
料亭の前に立ち尽くす事、数分。
歳三は7分たったら入ろうと決めた。
7はラッキーナンバーだから。
逆に6はダメ──悪魔の数字だからだ。
そうして7分後、意を決して横引きのおシャンティな扉を開けると──
いらっしゃいませ、ご予約のお客様でしょうか?
そう声をかけてきた従業員は、二十代後半くらいの男である。
黒を基調とした和装の制服に、居住まいはきりりと正統派の料亭スタイルだが、その目つきや空気には「どんな来客にも動じない」というプロのタフさが宿っている。
歳三は従業員と真正面で視線を合わせることができず、ちょいと顔を背けながら「よ、呼ばれて……」と蚊の鳴くような声で答えた。
何しろ、この料亭は六本木のど真ん中にある高級店だ。
一人15万円のフルコースが当然のように供される場所だと聞いて、歳三はずっと内心でビクビクしている。
こんなしょぼい中年のおっさんが、敷居をまたいでいい世界なのかと。
それでも従業員は、まるで意にも介さないようだった。
まあといっても、歳三の稼ぎならば15万円どころか1500万円くらいだったとしてもポンと支払えるのだが……。
従業員はやや思案していたが、すぐに「ああ、金城様のお連れ様ですね」と言う。
「あ、はい、そう……そうです」
歳三は数回、勢いよく首を縦に振る。
まるで嘘じゃないと証明するかのように。
「では、奥の個室へどうぞ」
従業員の声は穏やかだ。
どんなにコミュ障の客が来ようが、高級店だからといって変に見下すこともなく、むしろ懐が深い。
年季の入った木の床を案内され、通された個室は畳敷きの一室だった。
落ち着いた照明が、ほんのりと畳の上を照らしている。
壁には墨絵のような掛け軸が飾られ、どこか静謐な日本庭園の趣きを感じさせる雰囲気だ。
すでにその座敷には二人の男が座っていた。
一人は、歳三にはおなじみの太々しい体格をした中年男──金城権太。
「おお、佐古さん! いやあどうにも久しぶりといったところですねぇ」
権太は手を振りながら、悪人面で笑う。
歳三はペコリと頭を下げ、「ご、ご無沙汰で……」と小声を返す。
そして、もう一人の男。
こちらは一見して年齢が分からない風貌をしている。
髪は完全に白髪だ。
しかし老人のような衰えはなく、むしろどこか少年めいた瑞々しい雰囲気があった。
顔立ちは細く、鼻筋はきりっと通り、瞳の色は深い黒。
まつげがやや長めなせいか、横顔にどこか中性的な柔らかさがある。
加えて、身につけているのは黒を基調にした和装だ。
質感は上等な絹だろうか。
着流しのようにゆるく羽織っているが、一分の隙も感じさせない独特のオーラがある。
歳三の目からみても、お偉いさんだ! ……とわかるような風情。
その男は歳三の姿を認めると軽く顎を引いて微笑んだ。
大きくも小さくもない、けれど実に自然な会釈。
例えば、長き時間を超えて生きた仙人が若返ったらこうなるのかもしれない。
そんな人知を超えた雰囲気すら纏っている。
「やあ、久しぶりだね。佐古君」
男はまるで昔からの知り合いに会うように、穏やかに言った。
あまりにも自然体すぎて、歳三は一瞬固まる。
“久しぶり”?
歳三がただ呆然と見つめていると、男は少し笑みを深めた。
どこか苦笑の様なものが混じっている。
「もしかして──僕の事を忘れているなんてことはないよね? 僕だよ、望月だ。望月 柳丞。君は僕の下の名前の読み方を覚えるのに丸一年かかってたよね」
悪戯めいた笑みを浮かべた男が望月だと名乗ると、歳三の両目がこれでもかというほど見開かれた。
まさかそんなはずはないと思いながら、必死に顔の輪郭や表情の動きを追う。
すると確かに、遠い昔の記憶の中に刻まれた「望月君」の面影が見え隠れしていた。
かつて一緒に放課後を過ごし、無二の友になってくれたあの少年──他ならぬ、歳三が初めての友達だと思えた人物。
「も、望月君……」
歳三はかろうじてそれだけを発すると、胸の奥がぐわりと熱を帯びていくのを感じた。
燃えるような、名状しがたい感情が喉元まで迫り上がってくる。
──本当に?
白髪の姿をしたその男は、少年のまま時間を止めてしまったような眼差しを返してくる。
歳三の脳裏では、一瞬にして昔日の風景が呼び起こされていた。
並んで歩いた校庭や、からかわれる歳三を望月が庇ってくれたあの場面。
数十年という隔たりをものともせず、記憶は鮮やかに形を取り戻す。
しかし声に出すには、あまりにも気持ちが溢れすぎた。
何をどう伝えればいいのか全然わからない。
言葉はしどろもどろになり、そして最終的に出てきたのはぎこちない挨拶だけだった。
「ひさしぶり、だね……」
まるでブルドッグが笑ったような、不細工な歳三の笑みである。
若い女などは生理的嫌悪感を露わにするかもしれない、しょうもないおっさんの笑みである。
望月はそんな歳三の間抜けな笑顔を見て、ふう、と息をついたように微笑んだ。
昔と変わらない、何もかもを見徹す様な、透き通った瞳で。




