日常80(歳三、金城権太、青葉日美子)&ある日のモブ探索者⑦
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その日、歳三は一歩も家から出なかった。
買い物にも出かけておらず、煙草とビールだけを摂取してテレビを見ている。
どこにも出かける気はしなかった……というより、何一つしたくないという気分だった。
金城 権太からの呑みの誘いでさえも、「ちょっと具合が」というしょうもない口実で断っており、今や歳三のマインドは灼熱のアスファルトの上で干からびているミミズとそう変わりは無い。
まともに仕事が出来なかった事への失望をため息に乗せて、諦念を放屁に乗せて──…歳三はただただハアハアプウプウと自己嫌悪しているだけだ。
過剰なストレスのせいで放屁が止まらない。
自律神経のバランスが乱れて副交感神経が上手く働かなくなり、胃腸の働きが低下しているのだった。
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先の教導について、探索者協会は歳三に対して批判的なアクションを一切取らなかった。
実際に歳三がひよっこ達を殺害していたら大問題なのだが、ダンジョンで起こり得るトラブルを実践したというのは何ら批判に値しない。
だが、突然自殺をしようとした事については協会は困惑しきりであった。あがってくる報告を読む限りでは粗悪なドラッグでもきこしめしたにしか思えないからだ。
だが協会もいい加減歳三との付き合いが長い為、「なぜそんな事を?」などという愚問を投げかけたりはしない。そんな愚問には愚答が返ってくるであろうことは火を見るより明らかだったからだ。
傍からみればイカレの所業ではあるが、歳三と協会の間には「ああ、佐古さんか……」で通じてしまう負の信頼感がある。
また、協会の見解としては歳三に何らかのペナルティを与えるという考えはなかったが、より専門的なカウンセリングを受けさせた方がいいのではないかという意見が散見された。
これについては人的資源管理部が検討しているとの事。
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買い取りセンターの職員は査定部という部署に所属しており、査定部の者はセンターに出ずっぱりではなく、交代でオフィスでの事務仕事などに従事している。
そして夕刻。
「佐古さんはまだふさぎ込んでるんですか?」
青葉日美子が金城権太に尋ねた。
二人はデスクが隣合っているのだ。権太は査定部の平職員である。少なくとも表面上は。日美子のほうは正真正銘のド平だ。
日美子はまだまだ新米のケは抜けないものの、一癖も二癖もある探索者達の相手をしている内にタフになってきた。何と言っても女性職員の多くが敬遠する権太に対してフラットに接しているのだから。
ちなみに権太が敬遠されている理由は目つきがいやらしいから、そして禿げてて太っているからである。
少なくともダンジョン干渉を受けている者で極端な不細工という者は滅多に居ない。ダンジョン探索を続けているうちに本人が考える理想の容姿に少しずつ近づいていくからである。
このご時世、その気になれば大変異前よりずっと手軽に容姿を変えられるので、権太の様な……と言ってはなんだが、"そういう系" の容姿の者は変人扱いされるのだ。
ちなみに余談だが、大変異後、長年ルッキズムの跋扈に厳しい視線を向けていた者たちもこれには喜色をあらわにしたものだった。ただ、干渉による容姿の改善が一般人にまで普及する事はなかった。
なぜならば、一般人がダンジョンに潜ると大体くたばってしまうという干渉美化の唯一、そして致命的な欠点があったからである。
「ええ、まあねえ……。まあ何か失敗したらしばらくああなっちゃうのはもう昔からの事ですから……」
権太は苦笑しながら答えた。
歳三がまだひよっこだった頃からの付き合いがある権太は「色々な事があったなァ」とやや遠い目をする。
「早く元気になるといいですね。金城さんから佐古さんの人柄とかを聞くと、ちょっと信じられないくらいですけど、よく観察してみたら普通にコミュニケーション能力不全のおじさんって感じで、怖くなくなりました」
日美子の酷い言い様に権太は一瞬ぽかんとするも、その言葉を否定は出来ない。ちなみに権太は日美子に「少し不器用なだけで別に怖い人じゃないですよ」と言っただけである。
「それより、あのお話は本当なんですか?ほら、専属の……っていう話」
日美子がやや声を潜めて権太に尋ねた。
「まあ、余り口外はしてほしくない……といっても、結構広まってしまってますからね。多分近日実施されるとおもいます」
権太が苦々し気に言う。
"あの話" とは何なのか?
それは副会長である桐野光風が提言した "ろ号計画" とよばれる施策である。
一言で言えば上級探索者に対して専属の職員──…オペレーターをつけようと言うものだ。これには一定等級以上の探索者に対する協会の干渉をより強めようという意図がある。
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旭ドウムの一件は協会会長である望月の求心力を低下させた。
ダンジョンに関する事故で膨大な犠牲者が出てしまったのだから、これはある程度は仕方がない。
だがその影響は会長派の基盤にも及んでおり、副会長派はこれを好機と捉えて切り崩しに動き出した。
更に副会長の桐野光風はこの機に乗じて、乙級以上の探索者に専属の職員を配置するという提言を行う。専属職員は副会長以下、派閥の重要な幹部が任命する事、というのがまたいやらしい。
表面上は探索者の支援を強化するためとされていたが、その背後には副会長派による探索者たちへの影響力を強化しようというものだ。
なお、協会会長望月はこれに反対をしている。
"ろ号計画" は短期的には探索者達の強力なバックアップとなるが、長期的に見た場合、ダンジョンからの干渉を弱め、探索者の弱体化に繋がるとの理由からだった。
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【ある日のモブ探索者⑦~乙級探索者 鍋川 良助】
薄暗い坑道のような、ただし、坑道より縦も横も広いその通路で、しょぼくれた外見の中年親父が絶叫している。
親父の名前は鍋川良助。
渾名は「ナベッチ」。
今年43歳になる中年探索者だ。
ナベッチの眼前では身長4メートル近い巨大な鬼が両の腕を振り回しながら暴れている。
「陽平くん!でかいのがいたぞ!殺っちゃう!?」
『坑道大鬼だ!あいつはやばい!戦車より強いんだ!でも大丈夫だ、ナベッチ!あいつの目の前で屈んで!下段攻撃だ!坑道大鬼は上下の移動が苦手なんだ!』
「わかった!」
ナベッチは "陽平君" の助言に従って、ぐっとしゃがみこんだ。
大男、いや、緑色の肌をした坑道大鬼が不意に視界から消えたナベッチを探して周囲を見回している。しかし下方は見ない。
『ナベッチ!おへその部分を貫くのよ!そこが弱点よ!』
さらに助言が飛んだ。
今度は"陽平くん"ではない。
"朱美ちゃん" だ。
「ありがとう朱美ちゃん!」
ナベッチは礼を言って、Zephyr Innovations製汎用ハンド・ランスの柄を握り締め、思い切り坑道大鬼の部分を突いた。
これは要するに手槍である。
投げてもいいし、突いてもいい。
刃筋が立っていないとモノの役に立たない剣の類とは違い、素人でも扱える。
Zephyr Innovations製汎用ハンド・ランスはまさにその素人向けに開発された武器であり、ダンジョン素材を使用した軽く、頑丈な手槍だった。
とはいえ坑道大鬼の皮膚はしなやかで、更に耐貫通性に富むために普通は刺し貫く事などは出来ない。
ただし、ヘソは別だ。
ナベッチが突き出したハンド・ランスの先端部は音速を優に超え、凄まじい音と主に坑道大鬼の腹部へ炸裂し、成人男性の頭部の2回りくらいの大きい穴が空く。
断末魔をあげる事すらも許されずに坑道大鬼は膝を突き…そして倒れた。
坑道大鬼の口元から大振りの牙が零れ落ちる。象牙の様な質感の大きく立派な牙だった。
所謂レアドロップという奴だ。
"陽平君" が牙を指差して朗らかに笑った。
『結晶大牙だな。協会が高値で買い取ってくれるはずだ。さすがナベッチ、持ってるねぇ』
『今晩はいつもより豪華なご飯を食べたらどう?インスタントばかりじゃ体を壊しちゃうわよ』
と、これは朱美ちゃん。
ナベッチは笑いながらそれを拾い上げ、荷物袋の中に仕舞った。
「今回もありがとう、陽平君、朱美ちゃん」
感謝を伝えるも、その場にはナベッチ以外には誰もいない。
当然だった。
"陽平君" も "朱美ちゃん" も、ナベッチが頭の中でつくりだした妄想なのだから。
ナベッチは独りぼっちの探索者なのだ。
誰もナベッチと一緒に探索に行ってくれない。
なぜならナベッチは顔の半分が溶けたように崩れているからである。
戦傷だ。
かつてナベッチがもっと若かった頃、ダンジョン探索で顔に大怪我を負った彼は見るも無残な姿となってしまい、その姿を気味悪がった彼の妻は子供をつれて家を出て行き、周囲の者達も彼から去っていった。
独りぼっちになってしまったナベッチは余りの寂しさに脳内で友達をつくりだした。
それが陽平君であり、朱美ちゃんだ。
だが、完全な妄想の産物というわけではない。
彼等はナベッチの旧友がモデルとなっている。
ではオリジナルの彼等はどこにいるのだろうか?
あの世だ。
オリジナルの陽平君も朱美ちゃんも故人である。
とあるダンジョン探索で死んだ。
ナベッチはその時顔に大怪我をしたのだ。
3人は仲が良かった。
いつでも3人一緒だった。
今はもう、ナベッチは独りぼっちである。
しかしそれはあくまで外から見た場合での話だ。
ナベッチは昔は兎も角、いまはもう寂しくはない。
なぜなら、いつだって2人が一緒にいてくれるからである。
陽平君も朱美ちゃんも、ナベッチの話し相手になってくれるし、探索時、戦闘時は様々なアドバイスをしてくれる。
「それにしても、危ない所だった。2人が助言してくれなかったら頭から食べられてたかもしれないな。陽平君も朱美ちゃんもが居なかったら探索者なんてやってられないよ」
・『そんなことないよナベッチ』
ナベッチは情けなく呟くと、ふわりとした朱美ちゃんの囁きがナベッチの耳を撫でた。
・『ああ、俺とナベッチと朱美。良いチームだっと思うよ。もし誰かが欠けていたら、俺達はあんな深く潜る前に死んでいたはずだ』
陽平君の声は普段ナベッチが耳にする彼の声とは何か声の調子が違っていた。
「そうかな、そうかも知れないね。…あ、そうだ、協会から受けた依頼を忘れていた!ええと、装備品でもなんでもいいんだけど遺品はないかな」
ナベッチはぐるりと周囲を見渡す。
『ナベッチ、あれはなにかしら?』
朱美ちゃんが注意を促してきたので、そちらに首を向けると首にかけるアクセサリー…ペンダントのようなものが落ちていた。
『あれでいいんじゃないか?』
ナベッチは陽平君の言葉に頷く。
「もっと何かあればいいのだけど、アイツが全部食べちゃったのかな。とにかくこれで依頼は達成か」
端からみれば独り言をブツブツ呟いているようにしかみえないナベッチだが、彼の中では3人で探索をしているつもりなのだ。
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──『探索者協会福岡支部、買い取りセンター』
「はい、それでは…確かに。今回もありがとうございます。鍋川様。達成報酬はいつも通りに銀行振込みに致しますか?」
「振込みでお願いします」
ナベッチが短く答えると、センターの受付嬢はかしこまりました、と答え手元の端末を操作した。
「お手数ですがご確認お願いいたします」
ナベッチが端末を操作し、口座を確認すると報酬が確かに振り込まれていたので、その旨を伝える。
「有難う御座います。それではこの後はどうされますか?依頼を見ていかれますか?」
ナベッチが少し考えていると、受付嬢の瞳になにやら媚びる様な色が浮かんできた。
(受けて欲しい依頼があるのかな?)
基本的に自分に余裕がある限りにおいては良識的なナベッチであるので、まだ疲れてもいないし見るだけ見てもいいか、と思ったその時。
『今日はこれから配信があるんじゃないのか?ナベッチ、見たいっていってたじゃないか、次郎氏の配信。それにしても変わった配信者さんだよな。モンスターを生かしたまま切刻んで、戦闘中に料理をして食べるだなんて』
陽介君の声が聞こえてきた。
「ああ、そうだったね、忘れていた。あ、羽村さん。ちょっと用事があるのを思い出してしまって…申し訳ないですけどこのまま帰ります」
受付嬢の羽村は、そうですか…と答え、視線をナベッチの周囲に飛ばした。
(やっぱり誰もいない)
羽村は"それじゃあ"と去っていくナベッチの背に訝しげな視線を注ぎそれを見送った。
羽村 麗がこの部署に来たのは半年前の事だが、鍋川はコンスタントに依頼を受け、そして達成している。
最初はその容貌に驚きこそしたものの、穏やかな振る舞いは他の探索者達とは少し毛色が違っていた。
探索者はダンジョンとの適合が進むにつれ身体能力が向上していくが、そうなると性格に悪い意味での自信が付いてしまう事も珍しくはなかった。
探索者同士のトラブルが起きたら被害は甚大だ。
しばしば発生する暴行、傷害、殺人事件の凄惨さは、探索者という者達の危険性を浮き彫りにさせる。
その点、羽村から見る鍋川はこういってはなんだが年相応の中年おじさんであった。
ただし、彼が乙級の探索者である事を除けば。
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「誰もいないでしょう?」
ふいに背後から声がかかる。
羽村が振り向くとそこには容貌魁偉、髪の毛を短く刈り込んでいる2mに届かないほどの大男が立っていた。左腕はない。
元乙級探索者にして現在は探索者協会の職員をやっている我堂 正次である。
「彼にとって、誰かいるのはココですからね」
コンコンと太い指で頭をつつく我堂に、羽村はむっとした表情を浮かべた。
それに気付いた我堂は手を振り、「いや、彼を馬鹿にしてるわけじゃないんです」と弁解する。
「私も彼の事は現役時代に少し面倒見ましたよ。今でこそぱっとしないおじさんですが、若い頃の彼は…ああ、やっぱりぱっとしなかったかもしれないですね…」
ウィザードリィライクなハイファンタジー小説、「ダンジョン仕草」の改稿でやや時間がとられて投稿が遅れました。




