日常44(歳三他)
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"巣" の客の面々はすわ喧嘩かと瞳に好奇心を宿して歳三達を見ていたが、そうではないと分かると興味を失ったようで、各々の仲間達との会話を再開し始めた。
歳三はにわかに羞恥心を覚えたか、妙に挙動不審な様子で縮こまっている。ハマオはそんな歳三をなにとは無しに見つめていた。その視線には、無論"色"の類は込められてはいない。探索者の少なくない数は(ある程度任意に性別が変更できるため)バイセクシャルだが、ハマオはその例には含まれない。ハマオは女が好きなのだ。
酒、暴力、セックス!
ハマオの大好きだったものベストスリーだ。
これでいて横浜では喧嘩に明け暮れていた半グレらしく、社会のダニに相応しい趣味だと言える。
とはいえ、ティアラと何となく組む様になってからは大分大人しくなったし、健全に承認欲求を満たす事の快感に気付いてからは性格もかなり丸くなったが。気に食わない奴をぶん殴って恐れられるより、配信でモンスターに格闘で挑んでリスナーから称賛の言葉を投げられるほうが気持ちよいという事に気付いてしまったハマオである。
ともかくも、このハマオという男は暴力には慣れ親しんでいる。だから暴の匂いというものがよくわかるのだ。どれだけ人畜無害そうな人柄であっても、探索者という生き物からは暴力の強い匂いが香る。ハマオはその匂いで相手の危険性を脳裏で具現化する癖があった。
例えばティアラならば美しい黒い毛並みを持つ人食い雌豹であり、比呂ならば高空から獲物を狙う人食い大鷹である。
しかして歳三は…
──毒針持ちのアルマジロって感じのおっさんだ
それがハマオの歳三に対する第一印象であった。
見くびっているわけではない。
秋葉原のダンジョンで歳三が為した暴虐をハマオは目の当たりにしている。ただ、自分の目でみてなおハマオには歳三が強者には見えないのだ。強者というよりは害虫、害獣の類に見える。勿論そんな事は恐ろしくて口には出せないが。
§§§
やがてトイレに立ったと思われるティアラと比呂が戻ってきた。ティアラは何か含む所が多分にある笑みを浮かべていたが、奇妙なのは比呂だ。
歳三は以前、探索者あるある悲劇を見た事があるが、それにも似た茫とした様子であった。比呂の全身からは、大切な者を不可逆的に喪失してしまった者特有の喪失感が放射されている。ちなみに探索者あるある悲劇とは、探索者の友人、仲間、あるいは恋人が死んで自分だけが帰還してしまう事である。
一言で言えば、元気がない。
そんな比呂をティアラが面白そうにニタニタしながら眺めており、歳三もハマオも小首をかしげざるを得なかった。
「ほら、飯島君…ちゃん。しっかり自分で言わないと。今後の関係もあるでしょう?」
ティアラが比呂の肩を叩いて言う。その口ぶりは教えを授けるといった様子でありながら、表情は口ぶりとは真逆だ。ティアラの表情を見たハマオはティアラの前職時代を思い出す。濃密な嗜虐の気配がティアラの瞳を揺らしていた。
──そういえばあの人は客の尻の穴に筆をつっこんで、尻の動きで書道をさせるのが好きだったっけなぁ。その時の顔によく似てるよ。面白がってて、めちゃくちゃ下品なんだ
比呂は俯いて、僅かに肩を震わせていた。
それを見た歳三は言葉をかける事ができない。
恐らくはとてつもなくショックな出来事があったのだろう、というのは鈍い歳三とて察する事ができる。
だが、それだけだ。
それから先に思考が進まない。
大丈夫か、と声をかける事は簡単だが、どうみても大丈夫じゃない相手に大丈夫かどうか声を掛けるというのはどうなのだという想いが歳三の中にある。というより、過去、歳三がまだ一般人であった頃に何度か失敗をしてしまったのだ。この"大丈夫か"は曲者で、これを使う場合はその背後にある状況や意図、そしてそれがどのように受け取られるかを考慮する必要がある。
ただ声をかけるだけでなく、具体的なフォローができる状況なのか、それとも他の方法で対応すべきかを判断することが重要なのだが、歳三にその判断は出来ない。この辺りの呼吸は日常生活を送っていく中で何となく体得していくのだが、根が消極的かつ保守的にできている歳三は、失敗を恐れて…というより傷つく事を恐れて経験を積んでこなかったのだ。
歳三は適切な対応ができない自分のしょうもなさを儚んで、自分自身までもが落ち込んでしまった。悲しいのはこのしょうもなさを自分でも自覚しているという点だ。正しく社会経験を積んできた大の男なら、もっと堂々と胸をはっている筈だと歳三は思う。自信に満ちて、押しが強く、年下の相手の悩みなど笑って吹き飛ばしてしまえるはずだと歳三は思う。
だが、現実はこうだ。
元気が無さそうな青年に声一つかけられない情けない中年オヤジ。
歳三の脳裏に醜い芋虫が、中年男性の頭部を持つ芋虫がうねうねと藻掻いている。社会というシャーレの中で、歳三と同じ顔を持つ芋虫がうねうねともがき苦しんでいる光景が想起される。
結句、ハマオとティアラの眼前に、肩を震わせ落ち込んでいると思われる比呂と、なぜだかよくわからないが連鎖して落ち込んでしまった歳三というしょうもない光景が広がってしまった。
§§§
「飯島ちゃんが落ち込むのは分かるんだけど、佐古さんが落ち込む理由はよくわからないわね…まだ何も言っていないんだけど…」
ティアラの言葉に歳三は首を振りながら気にしないでくれという。歳三はこの時、ダンジョンに帰りたくて帰りたくて仕方がなかった。到底人間社会で生きていける気がしなかったからだ。人間社会に在っては、いつどこで何をどうしたらいいのか分からなくなってしまう。分からない事への回答を連続して求められることは歳三にとって酷く苦痛であった。
対して、ダンジョンは違う。
ダンジョンではシンプルだ。即ち、殺るか殺られるかである。
歳三の肉体は、そう──闘争を求めていた。
歳三が探索者を志そうとした切っ掛けは、真っ当な社会人として更生したかったからだ。ダンジョンに挑み、ダンジョンから獲れる素材の数々を売却する事で社会へ貢献ができる。社会に貢献したものは社会に居場所ができる。社会に居場所がない人間は真っ当ではない。歳三はそんな事を思いながらダンジョンに挑み続け、四半世紀。当初の目的はいまでは真っ当な人間になるためという皮を被った逃避へとやや様相を変えてしまっていた。もはや自身の性根を変えるというのは極めて困難な事であるということを、ほかならぬ歳三自身が思い込んでしまっているのだ。だから歳三は変わらない、変われない。
「やはり、ダンジョンか」
根が厄介ドメンヘラ中年である所の歳三は、ほんのちょっとしたことから自身の居場所はもはやダンジョンにしかないと思い込み、その胸中の思いを思わず口にする。
「そうそう、ダンジョンなのよ。よくわかったわね。やっぱり骨格とか?まあ案外よくある事だしね」
ティアラが何かを勘違いだか深読みだかをしたようで、話をすすめていく。ハマオもここに至って比呂に何が起きたのかをようやく理解したようで、比呂をまじまじと──特に胸のあたりを注視し、凄まじい勢いで飛んできた何かに額を強打され、がくんと首をのけぞらせた。
「い゛ッ…でぇッ!!!」
ハマオは額を押さえて顔を顰めた。
押さえた手から赤いものが滴り落ちる。
ティアラが酷く冷たい視線でハマオを見ていた。
手元は親指を立てるようにしていた。何かを弾き飛ばしたようだ。
「ハマオ~。そういう視線を向けるんだったら比呂ちゃんが今の性別にもっとこなれてからにしなさいよね。視線にもTPOが適用されるのよ。私がそう決めたの」
比呂の顔はもはや熟れたトマトの様に真っ赤になっていた。
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比呂の事情
ティアラの言葉
ハマオの反応
この場で起きているすべての事が、歳三には何の事だかさっぱりわからない。分からないが事は進んでいく。
「とにかくね、ほら、飯島ちゃん」
ティアラが促すと、比呂は頷いた。
顔色は依然赤い。
「ぼ、僕…女の子になっちゃいました」
比呂が言う。
歳三は頷いた。
§§§
歳三は比呂が男だろうが女だろうが割とどうでもよかった。
それより、震える程落ち込むくらいなのだから何か致命的な不幸が起きたのかと思っている。
致命的な不幸…それは例えば仲間の一人が刑事事件の被疑者となってしまったとか、税金の未納で給与口座が差し押さえされただとか、そういうのっぴきならないとんでもない事態だ。更に恐ろしい不幸もある。比呂の友人たちが探索で死亡したとか、そういう世界の終わりのような出来事だ。根が悲観主義者である歳三は、悪い事を想像する際にはとびっきりの不幸を想像するように出来ている。
「そうか。それで…あの子たちはどうなったんだ?ほら、仲間がいただろう」
「真衣と翔子には後で話します。はは…きっと驚くでしょうね…」
奇跡的に会話が繋がっているが、ここにきて流石に歳三も違和感に気付いた。どうやら話の主題は比呂が性転換したことらしいぞ、と。
──だとしたらやべえな
何がヤバいのか。
歳三は先程の出来事を思い返す。自分は拳を胸に当てていなかったか?その時すでに性転換が完了していたとするならば、歳三は30以上も年下の女に対してセクハラを働いた事になる。それは歳三にとって非常にヤバい。性転換した事をそこまで深刻に捉えるということは、セクハラが顕在化する恐れがある。歳三が恐れているのはまさにそこであった。
「あ、ああ、まあそれはな。話せばわかってくれるはずだ。ところで、さっきの事だが…。少し気になる事があった。 あし…こし…足腰、そう足腰がな、ちょっとな。足りていないかもしれないぞ。さっき、俺が押したとき少しよろけたように見えた。足元が不自由なダンジョンも多いんだ。足元から奇襲をしかけてくるモンスターも多い…ええと、何年か前の話だ。どこかの山のモンスターで…大きなミミズと戦った事がある。都内のダンジョンじゃない。他県のダンジョンでな、ミミズの神様を祭っている神社があって、そこがな、ダンジョン化したんだ。それで…ミミズって土に潜るだろ?大変な事になっちまった地面で戦った事があって…。だから」
歳三のミミズ並みの脳はもはやショート寸前であった。
自分でも何を言っているかわからない。だが何をしようとしているかは自覚している。要するに話をそらそうとしているのだ。話をそらし、かつ先程のセクハラについて比呂がどう思っているのか、それが刑事事件に発展する可能性、何らかの賠償を求められる可能性を探っているのである。仮に比呂が歳三にネガティブな感情を抱いているなら、この様なアドバイスのような話など聞く耳を持たないだろう。
ちなみに歳三が言うダンジョンは実際に存在し、歳三はそのモンスターと戦った事があるが、これを打倒し損ねている。弱点である頭部を極めて強固な念動で保護しており、全身から冷気を放射して大地を凍り付かせながら掘削、そして足元から襲い掛かってくる全長20mの怪物である。当時は乙級ダンジョンであったその神社は、現在では指定が見直され甲級となっている。氷裂長虫と名付けられたそれは、歳三が完全打倒に至らなかった数少ないモンスターの一体だ。
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歳三と違って比呂は察しがいい。ゆえに、歳三の言葉が自分の実力不足を指摘している事はすぐに理解した。
──つまり…もう少し強くならないと一緒にダンジョンには行ってくれないって事か。でも、一度は一緒に行ってくれるって言ってたのにな
雄性体だった頃には思わなかったであろう甘な考えが比呂の脳裏を過ぎるが、すぐにそんな考えを振り払う。
「…わかりました。足腰、ですね。確かに、色々勝手が違う事もあるとおもいますから…この体に慣れないといけませんし…一緒にダンジョンにいくのは僕がもうちょっと強くなってからで大丈夫です。…残念、ですけど…命懸けの話だから、仕方ないとおもいます」
歳三は大きく頷いて窮地を脱したことに安堵した。もっとも、実際は窮地でもなんでもなく、歳三がアホな勘ぐりをしたせいで勝手に追い込まれている気になっていただけなのだが。
ともかくも、歳三が短く安堵の息をついた時。
端末が短い通知音を鳴らした。歳三が端末を確認すると、そこには金城権太からのメッセージが一通届いている。
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『一つ頼まれ事があるのですが、話だけでも聞いてもらえませんか?簡単に言うと、1試合だけ空手の大会に出場して貰いたいのです』
──流石に簡単に言い過ぎだぜ
そんな事を思いながら歳三は端末のディスプレイを見つめていた。
またぼちぼち書き始めます。ちなみに歳三の外見イメージとしては、殺し屋イチという漫画に出てくる "ジジイ" というキャラクターを酷く陰キャにした感じです。また、アーマードコア6ですが一週目をクリアしました。レーザーランスがとても良いですね




