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「……なぁ、ヴィーシャ。クソ苦い薬持ってねーかぁ?」
「奇遇やな。ウチも欲しいと思てたとこや」
気怠げなイルシーの声に返すヴィーシャの声もなんとも言えないほどの起伏のなさ。
二十分ほどで戻ったはいいがサロンの空気が甘ったるいのだ。
イルシーたちが戻った事を伝える為に扉をノックした時、部屋の中から大きな音がした。
何事かと慌てて押し入ればソファーの端で頭を抱えるイザンバの姿が。
二人がナニをしていたのかはさておき、彼女は思いっきり反り返りソファーの肘掛けで頭を打ったようだ。それはもう実に景気のいい音だった。
その殴打した頭が気になるコージャイサンと離れようとするイザンバの攻防が甘ったるく、飛び出たのが先の発言である。
そんな彼らの声に、表情に、イザンバは顔を覆い隠す。
「コージー様、本当に大丈夫だから離して」
「何言ってるんだ。ほら、治してやるから見せてみろ」
「じゃあ、たんこぶよりも別のもの消してください!」
「それは残すものだから無理」
そんな彼女の首筋にはコージャイサンの咲かせた赤い花弁が一つ。そしてよくよく見れば鎖骨のあたりに散る同様の赤。
それを見つけたヴィーシャとジオーネは密かに拳を合わせた。
さて、たんこぶを治し、サラリと髪を弄んでいたコージャイサンがここでやっと従者たちに視線を向けた。
「ああ、準備を終えたのか。ザナ、実はもう一人付けたいんだがいいか?」
その申し出にイザンバが疑問符を浮かべるのは当然で。
「何でですか? 護衛なら既に充分ですよ?」
「護衛もさせるけど、どちらかと言えば行儀見習いか」
「それなら公爵家の方がいいと思いますけど」
「そこは気にするな。で、コイツを頼む。本格的に付けるのは今任せている仕事が終わってからになるが」
ヴィーシャの影から現れたのは薄緑色の髪に同色の瞳、可愛らしいメイド。
視線を彷徨わせるのは緊張からか、その初々しさにイザンバは頬を緩めた。
「お嬢様、どうぞ『リナ』と呼んだげてください」
「リナですね。よろしくお願いします」
「……お願いいたします」
「んん?」
——何やら聞き覚えのある声
——見覚えがある髪と瞳の色
よくよく観察した事で見えたその正体にイザンバは目を見開いた。
「もしかして……——リアンですか?」
「………………はい」
暫くの無言のあと、ようやく覚悟を決めたのか重い口から出た肯定。
「えぇぇぇぇぇえっ!!!?」
そして、イザンバの口から飛び出た絶叫。彼女以外の全員が思わず耳を押さえているのだからその声量は推して知るべし。
あまりの事に彼女は驚き立ち上がった。そのままリアンの前に移動するとあらゆる角度から観察し始めるではないか。
しかしながら、どこからどう見ても美少女である。
「どうしたんですか!? なんでメイド服着てるんですか!? ついに男の娘に目覚めたんですか!?」
「違います!」
「そうなの!? でも、これは一大事ですよ! お布施はどこにすればいいですか!?」
「お布施!?」
場を支配するのはキラキラと感激を露わにする瞳と同じく感極まった声。
勢いに呑まれたリアンは一言ずつ返すだけで必死だ。
「こんないいモノ見せてもらったら感謝の気持ちを込めてお布施をしなければ! 暗殺者の里に送金したらいいですか!?」
ここで送金という単語に反応したイルシーが手を挙げた。なんと素早い事だろうか。
「それなら俺が貰うぜぇ」
「何勝手なこと言ってるんだよ!」
もちろんリアンが反対の声を上げるわけだが、この人だって黙っていない。
「そうやで。ここまでしたんはウチとシャスティなんやからお布施はうちらのもんや」
ヴィーシャの発言に間違いはなく、むしろシャスティと分けると言っているのだから優しい。
「いや、それならあたしが」
「ならば自分も」
「みんな黙って! 一番体張ってるの僕だけど!?」
とりあえず便乗したジオーネとファウストにリアンの青筋は限界だ。しかし、そんな姿も美少女なのだから誰も恐れない。
そんな彼らのやり取りにイザンバはニコニコとした表情でこう宣った。
「とりあえず全方位に渡せばいいということですね!」
「ザナ、落ち着け。破産するぞ」
そんなコージャイサンの言葉がイザンバを現実に引き戻す。ハッとした彼女は大きく深呼吸をした。
「オタク破産ダメ! 推しは永遠! 細く長い応援投資! よし、落ち着いた!」
全くもってその通り。感謝の気持ちを表したいのは分かるがお金には限りがあるのだ。
落ち着いたとは言うが、イザンバのテンションはとてもではないが治りきらない。
「やー、でもリアル男の娘マジエモい! 男の娘ってある種の才能ですよねー! ほら、顔つきとか骨格とか! 見た目だけならすでに完璧! しかも僕っ子でしょ!? ノリノリでやってくれるのもいいけど、ちょっと照れが入っているところがまたあざといって言うか! このままでも十分たまらんのですが〜〜〜!」
なんとまぁ、だらしなく緩んだ表情だろうか。全身全霊でリアンの女装を褒め称えている。
当のリアンはその勢いに完全に引いているのだが。
彼が後ずさった一歩分、イザンバは半歩だけ詰めると優しく諭すような声色で話しかける。
「でもね、男の娘の真髄は自分の魅力を百パーセント、いえ、二百パーセント出す事だと思うんですよね。だからね、リアン。さっきの元気な感じもいいんだけど、もうちょっとだけお淑やかに振る舞ってみませんか?」
「そういう事だ」
「え? どういう事ですか?」
振り返った彼女の疑問符を浮かべた表情。コージャイサンはゆったりと足を組み直すと主としての顔で語る。
「アイツはまだ感情の制御が甘い。冷静さを欠けば実力的に優位でも足元を掬われるからな」
「コイツ潜入してても役に成り切れねーんだよ。だからボロが出やすくてさぁ。で、切り替えが早いイザンバ様にご指導願おうと思ってさぁ。俺はイラついて殺っちまうかもしんねーし?」
ケラケラと笑うイルシーだが口から飛び出た言葉のなんと物騒な事か。
二人の言葉を顎を指先でトントンとしながら纏めるイザンバ。
「えーっと、つまり……あえて苦手そうな環境に身を置いて、強制的に感情の制御方法を身に付けようと言う事ですか?」
「そうだな」
「うわー、鬼畜ー」
誰と組んでも、どこに行っても問題ないように。
敵地に潜入する彼らには必要な技術である事は間違いないが、他に手段はないのか、とコージャイサンの肯定にはイザンバも呆れてしまう。
だが、当の本人はともかく他人事のイルシーは呑気なもので。
「ま、リアンの潜入訓練も兼ねてると思ってくれればいいからさぁ」
「うーん、でも私も人に言えるほど感情を制御できるわけじゃないですし教えられる事ってないんですけど……。だってこんな良いもの見せて貰ったら……ねぇー! 今年の運、使い切った感あるー!」
どうも彼女は納得していないようだ。現についさっき、と言うか現在進行形で男の娘万歳! と荒ぶっているところだから余計にだろう。
「そうか」
コージャイサンはそれだけ言うとチラリと視線を投げる。するとどうだろう。
「こんにちは、イザンバ嬢。少しお話ししてもよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょうか?」
まるで社交場にいるような聞き慣れない声がかかった。条件反射で淑女の仮面を被り微笑んで振り返ったイザンバだが、果たして今誰が彼女を呼んだのか。
けれどもそこに人の姿はなく、首を傾げる彼女にコージャイサンがイルシーを指差した。ニィッと口角を上げるあたり先ほどの声は彼なのだろう。
コージャイサンはそんな彼女を諭すように言う。
「淑女の仮面をつけているときはどれだけ内心で騒いでいても顔に出さないだろう? 見せてやってほしいのはその姿だ」
「いつまでも言葉一つに過剰反応していてはいけませんからな。自分もイザンバ様のそのお姿には敬服しております。ここはリアンの成長のために、どうか飲み込んでください」
「いや、そんな大層な事はしてないんですけど……」
ファウストが丁寧に頭を下げるものだからイザンバは気恥ずかしくて身がすくむ。
まるでみんなが一目を置いている、そんな風に捉えられて尚更だ。
「引き受けてくれるか?」
彼の問う声に滲む柔らかさ。
イザンバはリアンに目を向けた。その瞳は成長を望み、自らを鼓舞する光が見える。ならば——断る理由はない。
「分かりました」
微笑みからイザンバの表情が一転。鳴りを潜めた元気の良さに変わり、すっと背筋の伸びた貴婦人の振る舞いが現れた。
「見た目、表情、仕草、言葉遣い。これらは武装です」
——侮られないように
——悟られないように
——揺さぶられないように
——失わないように
凛とした淑女の仮面はイザンバがセレスティアから教わり作り上げたモノ。
そんな彼女の一呼吸おいただけの変化にリアンも真剣な眼差しとなる。
「今から『リアン』と言う個を隠して『リナ』になる。『リアン』の感情も衝動も全部横に置いて、全く別人の新人メイド『リナ』を作り上げるんです。やれますか?」
イザンバが問うのは出来る出来ないではない——やるか、やらないか。
「はい」
リアンが返す答えはもちろん『応』一択。最初、イルシーの提案を聞いた時は「絶対にやらない!」と反発したのだが……。
——腹立たしいイルシーの小さな変化に
——自分たちとは違う戦い方をするイザンバに
覚悟を決めた。
「女同士もそこそこエグい事してきますけど、大丈夫ですか?」
「はい!」
「その出来栄えなら確実にナンパされますけど、それも?」
「うっ……はい!」
リアンだってキレてばかりではいけない事は分かっている。
——何よりももっと主のために、自分のために強くなりたい。
そんな決意を胸に頷き返す。
ここでイザンバの視線がコージャイサンに向いた。
「コージー様。とある単語に過剰反応せず、上手に受け流す事が合格ラインと見ていいんですよね?」
「ああ」
彼の肯定を受け取り、リアンに向き直るイザンバの表情は真剣そのものだ。
「なら私も我慢してたんですけど、もう言ってもいいですか?」
「え?」
さて、あれだけ興奮の声を上げていた彼女は何を我慢していたというのか。
キョトンと首を傾げたリアンが目にしたのはイザンバの満面の笑み。
「リアン、すっごく可愛いですね! もう天使が舞い降りたのかと思うくらい可愛いくて、お布施じゃ感謝を表せないくらい可愛い! 私がナンパ男なんてどれだけでも撃退してあげますからね! こんな可愛い男の娘、そう易々とあげられませんから!」
可愛いの大連発である。
なるほど、彼女はどうやらリアンの性格を考え、あえてその言葉だけは言わないようにしていたらしい。恐れ入る。
さて、言われたリアンは飛び出しそうな拒絶の言葉を必死に飲み込んだ。
「っ〜〜〜はい……。よろしく、お願いします」
「フゥーッ! かっわいいなぁぁあ! もうっ!」
ところが昂りすぎたイザンバは距離感を吹っ飛ばして抱きついた。なにせ目の前にいるのは美少女だ。あちゃー、と頭を押さえたのは誰だろう。
「ザナ」
「おっと——つい。リアン、ごめんなさい」
「…………はい……」
だがリアンの顔色は悪くすでに心が折れそうなほどだ。あまりにも色をなくした彼にイザンバは大いに慌てた。
「大丈夫ですか!? もしかして接触恐怖症!? 本当にごめんなさい! ちょっと興奮しすぎちゃって……え、どうしよ、今にも倒れそうだけど……ソファーで休みますか?」
「あの……僕は、大丈夫です。それよりも…………主が……」
「え? コージー様?」
くるりと振り返ったイザンバが見たもの。
彼は長い足を組んでソファーにゆったりと座っている。なんとも絵になる姿だが、その表情に携えられた圧と言ったらない。目が笑っていないのだ。
なんだか部屋の温度が下がったように走る悪寒。
リアンと共にプルプルと震えだすイザンバはまるで仔猫か仔ウサギのようだ。
「ヒェッ……わた、私……その……本、取ってきますぅぅぅ!」
コージャイサンの感情を正しく受け取った彼女は部屋から飛び出した。まさに脱兎の如くである。
そんな彼女を見送ったコージャイサンはふぅ、とため息と共に威圧感を霧散させた。
「イザンバ様ってほんと地雷踏みに行くよなぁ」
とはイルシーの言。
その隣、頬に手を添えたヴィーシャはうっとりとした表情で。
「お嬢様、あないに震えてなんて可愛らし……可哀想に」
「それは分かるがヴィーシャ、顔がヒドいぞ」
「こんなのが側付きでほんとイザンバ様が可哀想だよ」
ジオーネとリアンの呆れたような声に。
「イザンバ様にご武運を……」
ファウストは静かに祈りを捧げた。なんでこうも癖がある連中なんだというのは今更か。
口元をニヤニヤとさせながらイルシーが立ち上がる気配のない主に問うた。
「今日は追わねーの?」
「確かにああも逃げられると追いたくなるが……たまには待つ」
ゆるりと口角を上げる主に彼らの表情も釣られてしまう。
扉の向こうに消えた背を見つめる翡翠の優しげな眼差し、ところが瞬き一つで纏うものを冷たさへと変えた。
「新月まで時間がない。お前たち、分かっているな」
「当然」
主の望みは彼らの望み。狩りを控えた高揚感が場に混ざる中、コージャイサンは一人を名指しした。
「リアン」
「はい!」
「ストーキン邸掃討が終わり次第日中のみザナに付け。ただし期限を設ける。一月でものにしろ」
「仰せのままに」
未来は自分が選んだ選択肢から成る。ならばこの先は全て彼らの主の為に……。
「あれ、コージー様だけですか? みんなは?」
本を手にサロンに戻ったイザンバが目にしたのはコージャイサンのみ。見渡したところで彼らの影も形もない。
「ああ、他にも準備があってな」
「そうですか。はい、これがさっき言っていた日記です」
「ん。もしかしたら手元に戻らないかもしれないが……」
申し訳なさそうな彼の言葉にイザンバからは苦笑が漏れる。それは彼女も想定していた事で。
「まさかの内容ですしそれは構いませんよ。どうぞ資料にしてください」
「悪いな。今度何か買いに行くか?」
「コスプレしてくれるんだからそれでチャラですよ! むしろお釣りが出ます! いや、私が貢ぐ!」
「はいはい」
「あの、それと……貢ぎ物にしてはアレなんですけど……えっと、これ……」
そう言って彼女がポケットから取り出したのは一つのお守り。そこには一針ずつ丁寧に刺繍が施されていて。
花に囲まれた可愛らしい蛙。
——無事に帰れるように
そして、想いを込めた枯れない花は紫のアネモネ。
——あなたを信じて待つ
配られたイニシャルだけを刻まれたお守りの中で、それは明らかに特別仕様だ。
つい見入ってしまうコージャイサンを誰が責められようか。
「他の人と同じようにヴィーシャたちに預けても良かったんですけど、出来れば自分で渡したいなと思って……。まぁちょっと色々念だけはこもりすぎた感がありますしこんなの気休めにもならないと思いますけど! でもやっぱりどんな時でも無事でいて欲しいと言いますか。えっと、だからね……」
イザンバが慌てて言葉を紡いでいるといつの間にかお守りはコージャイサンの手の中に。
そして、彼はそのまま彼女自身を腕の中に引き寄せた。
「ありがとう。これがあれば俺はどこにいてもザナのところに戻ってこられる」
「そんな大袈裟な……」
ギュッと抱きしめてくる腕の中で見上げた笑みはとても嬉しそうで花さえも霞む麗しさ。
その笑みを受けて、彼女の表情も自然と綻ぶ。
「コージー様」
「ん?」
「ご武運をお祈りしています」
この笑顔をいつまでも隣で見られますように、と。
「ああ」
限りのある時間を少しでも長く繋げられるように、と。
——心が間に合わないことがあっても
——見落としてしまうことがあっても
それでも一度知ってしまった温もりを手放せるわけがない。
持てる精一杯の力で、鮮やかで輝くような笑顔を守りたいから。
いつかの縁が紡いだ今日から続く未来へと。
これにて「腕の中の花笑み」は了と相成ります。
読んでいただきありがとうございました!




