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追憶の攻防
一部残酷な描写があります。ご注意ください。
「私の婚約者は……俺が選んだのはイザンバ・クタオ伯爵令嬢ですから」
彼がその名を紡いだという事は企みが暴かれたという事。
ピシリ、ピシリ、と世界がひび割れる。
——動きを止めた人々
——色を無くす景色
まるで砂で作った城が波に攫われるように、組み立てたパズルが落ちて壊れるように、ガラガラと音を立てて世界はその形を崩す。
ある箇所は溶けて、ある箇所は流れて、またある箇所は沈んで。
全てが真っ白になった空間、そこに残ったのは三人だけ。
エンヴィー・ソート侯爵令嬢、デブリ・ストーキン伯爵令息、そして、コージャイサン。
泰然自若としているコージャイサンとは対照的に二人は戦々恐々だ。それでも口を開いたのはエンヴィーだった。動揺はあれどそれよりもプライドを傷付けられたと彼女は憤る。
「なぜ……納得できません! 家柄も財産も美貌もわたくしの方が優れていますもの! なのに……どうして! わたくしの何がいけないと言うのですか⁉︎ 全てがわたくしより劣る、何の役にも立たないあの女よりもわたくしの方がよっぽどコージャイサン様のお役に立ちますわ!」
卒業パーティーで王子たちが婚約破棄を告げる中、コージャイサンはただ一人それをしなかった。
顔良し、家柄良し、実力有りに加えて誠実な姿勢。その相手が自分であればどれほど幸せな事だろうか。
さらに王の誕生日を祝う宴。寄り添う二人の姿に火が付いた。
声を荒げ、主張するはエンヴィーの矜持。それを聞いてコージャイサンは思う。
「では家柄と財産と容姿。それらを差し引いたあなたに何が残るのですか?」
「え?」
「現にあなたは何も持たない。家が没落し、財産を失い、時間と金をかけた容姿は見る影もない」
コージャイサンがそう言えば、彼女の姿はたちまち変化した。
豪奢なドレスは消え去り、その身を包むは質素なワンピース。手入れされていた肌も髪も荒れ、窶れた顔。とても侯爵令嬢とは思えない見窄らしい姿だ。
デブリはその姿に嫌悪感を表し、しかしコージャイサンは構わずに淡々と言葉を続けた。
「自分で得たものがないあなたをなぜ選ぶとお思いなのか、理解できません。ああ、その獄中生活だけはイザンバの暗殺を企てた事をきっかけにあなた自身で得たものですね」
突き放すような言葉に悔しさから歪むエンヴィーの顔。
そう、彼女がいるのは獄中だ。そんな彼女が呪いを手にしたのだから手引きしたものが誰なのか。わざわざ言わなくてもわかると言うもの。
一層冷めたコージャイサンの視線に晒されて、彼女の瞳はたちまち潤みだした。
「そんな事を言うなんて……ひどい、酷いです! わたくしたちが捕まったのもあの女のせい、これは冤罪なのです! わたくしは何も悪くない! あの者たちが勝手に勘違いして勝手に乗り込んだのよ! わたくしは知りませんわ!」
彼女のそれは自己弁護。
ワッと顔を隠したかと思えばキラリと目尻に光る涙。
「お願い、コージャイサン様……冤罪で囚われてわたくし悲しくて悲しくて……。もうわたくしにはあなた様だけが頼りなのです。どうか一刻も早くわたくしを救いに来てくださいませ」
彼女のそれは自己憐憫。
エンヴィーはコージャイサンの手を取り追い縋った。窶れたとは言え美少女が縋る姿に男心は果たして揺れるのか。
「お断りします。冤罪で捕らえるほど防衛局の調査はザルではありません。あなたは罪を犯し、罰を受けるためにそこにいるんです」
安定のお断りである。けんもホロロとはこの事か。
表情にも声にも同情すら見せないのだからエンヴィーに襲いかかる絶望感は相当だ。
「いいえ! いいえ!!」
それでも、まるで駄々をこねる子どものようにエンヴィーは激しく頭を左右に振った。握る手に正当性を込めて。
「あの女とはただの政略結婚でございましょう? 図々しくもその座に居座り続けた邪魔者を排除しようとしただけのこと、何も罪など犯しておりませんわ! コージャイサン様の隣に相応しいのはわたくしです! あなた様に恋したあの日からわたくしはこんなにもお慕いしているのに! わたくしは愛のために戦っただけですのに!」
彼女のそれは自己顕示。
あなたの為にしたのだと嘯く姿に罪の意識はない。
だから彼女は企てた。
——あんな平凡な女、死んでも問題ない、と。
だから彼女は呪った。
——あの女が存在しなければわたくしが選ばれる、と。
全ては自分だけが愛されるた為に。
けれどもコージャイサンはどこまでもつれない。忌々しい女の記憶を封じても、哀れな女を演じても。
彼から向けられるのはいつだって熱の篭らない瞳。
「あなたの愛は必要ありません。私が欲しいのはイザンバだけです」
「そんな……嘘よ……では……では、わたくしの全てを知りたいと、そう仰ったのはなぜです! わたくしの事を愛しているからでしょう⁉︎」
彼女のそれは一縷の望み。
優しい微笑みと共に貰った言葉が最後の支えなのだ。
「ああ、肝心な言葉が抜けていて申し訳ない。私はこう言いたかったんですよ。『あなたが私に思考を全てを見せてくださるのなら』とね」
いい笑顔を浮かべたコージャイサンの悪びれもしないその態度。わざと省いた言葉を教えてあげるのは親切心か、はたまた無慈悲か。
「え? 思考……?」
彼の言葉をエンヴィーが理解するには少しばかり時間を要した。
そして思い当たった可能性。視線を向けた先にはエンヴィーがギュッと握りしめたコージャイサンの手がある。
まさか、と心が叫ぶ。
——そんな事はあり得ない、と。
まさか、と心が嘆く。
——それは本当に、と。
まさか、と心が折れる。
——信じていたのに、と。
青白くなったエンヴィーにさらに追い打ちをかけるように美しい顔が微笑んだ。
「そのまさかです」
「——ひっ!」
エンヴィーは勢いよく手を振り払った。知らぬ間に思考を読む彼が恐ろしいと喉を引き攣らせて。
情報源として扱われていた——そんな気付きたくなかった事実に悔しさからギリギリと奥歯を噛み締めた。
「侯爵令嬢であるわたくしになんて事を——っ!」
もはや可愛さ余って憎さ百倍。語った愛すらも憎悪に変えてエンヴィーはコージャイサンに向けて炎球を放つ。
けれども彼が作り出した氷の壁にあっさりと阻まれるではないか。
言葉でも、態度でも、拒絶を表す彼に怒りが募れば—— 質素なワンピースが黒く染まった。
「わたくしを愛さないばかりか、このような屈辱を与えるだなんて! 許さない!」
さらに怒りを乗せて、繰り出すほどに温度が上がる炎球は赤から黄色、そして、青みを帯びて。
感情任せの炎球だが、呪いの影響か数段力が増しているようだ。
周囲に水蒸気が立ち込める中、響くはエンヴィーの声のみ。
「うふふふふ、鞭、そうこれは愛の鞭よ! さぁ、跪いて頭を垂れなさい! わたくしはソート侯爵令嬢、誰よりも、誰からも愛される女よ! あはは、あーはっはっはっは!」
高笑いが場を支配する。青みを帯びた炎球は言葉通りに鞭へと姿を変えると真っ直ぐにコージャイサンへ向かって振るわれる。何度も、何度も。
エンヴィーの脳裏に鞭によりボロボロになったコージャイサンが許しを乞う姿が過ぎり、それはそれはうっとりと笑った。なんと自尊心を満たされる光景だろうか、と。
しかし水蒸気が晴れていくにつれてその表情から勝利は滑り落ちた。
氷壁はその形を保ったまま、コージャイサンにも傷一つついていないから。それどころかエンヴィーの炎の鞭が持ち手だけを残して消えた。
後退りを始める彼女に向かってコージャイサンが指を鳴らすと、たちまち作り上げられた氷の檻がエンヴィーを捕らえた。
「なにを……こんなものっ!」
エンヴィーは青い炎を纏い、さらに凝縮した炎球を作り檻を攻撃した。
しかし、氷に触れた途端に炎は姿を消す。何度やっても、何度手段を変えても——氷の檻は崩れる事なくエンヴィーを囲い込む。
「そんな……炎が氷に負けるなんて……あり得ない……」
変わらない景色に現実の光景がダブって見える。
茫然自失となるエンヴィーにコージャイサンは密かに口角を上げた。
思い返すはイザンバとの会話。あれはオタバレをして暫く経った頃、コージャイサンが天地闘争論を読み終わった後の事だ。
『……氷が炎に勝つことは可能なのか、ですか? 可能ですよ。そもそも温度とは、物質の熱振動です。だから下限が存在します。絶対零度——熱振動が小さくなってエネルギーが最低になった状態の事です。つまり対象の熱振動を強制的に奪い、零点振動状態を作り出せば、そもそも炎は形を保つことができません。ただ術式に応用しようと思うと相当難しくなります。炎の術式も上級になればあり得ない温度になってますしね。まぁ、我が推しのサタン様はやってしまうのですが! サタン様マジチート! ……それは二次元だから? 知ってますー!』
可能ならやってみたい、と実行するのがコージャイサンだ。
流石に絶対零度の術式構築は十一歳では出来ずに骨が折れたが、二人でああでもないこうでもないと言いながら過ごす時間はとても有意義だった。
「本当に……ザナと出会えたからこそだな」
その知識に救われた事も、好奇心を刺激された事も、もう数え切れない。
余裕の表情のコージャイサンに対してエンヴィーの溜まった鬱憤はこの男へと向けられた。
「どうして……デブリ! あの女の記憶を排除すれば彼をわたくしの虜に出来ると言ったじゃないの! それなのにこんな恐ろしい目に合わせて! どう言う事ですの⁉︎」
突然牙を剥かれたデブリだが、彼は下を向くばかりで何も発さない。
「黙っていないでなんとか仰いなさい!」
令嬢らしからぬエンヴィーの大声にデブリの体はプルプルと震え出した。飛んだきた叱責に怯えているのだろうか。
「——素晴らしい!!」
だが彼から飛び出したのはなぜか特大の賛辞。デブリは恍惚とした表情をコージャイサンに向けて朗々と語り出した。
「ああ、やはり英雄の再来と呼ばれるに相応しいその力! 我らの宿願は成る! この国の真の女王たる姫をこちらに呼び戻せる! 貴殿の父親は権力に屈したが、歴史を正しく理解したその時こそ貴殿はその魔力を、その全てを姫に捧げるのです!」
「お断りします」
伝家の宝刀が振るわれた。あまりにもあっさりと断られてデブリは目を剥いたが、次いで大袈裟に嘆いてみせた。
「ああ、貴殿ともあろう人が何を馬鹿な事を……! まさかエンヴィー嬢を抱かなかったのですか⁉︎ 抱いていたら呪いがもっと深部に侵入して貴殿は我らの言葉を素直に聞き入れる心になったというのに!」
つまりは操り人形ということか。
目論見が外れていた事にデブリは信じられない、とエンヴィーを睨みつけた。
「エンヴィー嬢も何をしていたんだ! あれだけの時間があっただろう!」
「わたくしのせいではありませんわ! コージャイサン様がちっとも触れてくださらないんだもの!」
「この役立たずが! もういい!」
するとどうだろう。いきなりガバリと上着を脱ぎながら頬を染めてコージャイサンを見つめるデブリ。
これには流石のエンヴィーも引いている。
気持ち悪い。コージャイサンがそう思い、白い目を向けたと同時にそれは成された。
「私が体……ギャッ!」
なんと紫銀の炎がデブリの目を焼いたのだ。
時間にして数秒。しかし、勢いは強く。
「ぎゃあぁぁぁああ! 痛い痛い痛い痛い痛い!!」
炎が消えても残る鋭く強い痛みにデブリはのたうち回った。その様子にエンヴィーは吐き気を催しているようだ。
一方でデブリから離れた聖なる炎はゆらゆらと揺れながら人の形を作る。色合いこそ紫銀だが、コージャイサンが見間違うはずのないその姿。
「ザナ」
その柔らかな声音は今は側に居ない人に向けて。
たった一言にエンヴィーの敗北感は一層深まった。彼女は一度だってコージャイサンにそんな声で呼びかけられた事はないから。
「この前もアレが呪いだと教えてくれて助かった」
本物ではないけれど、コージャイサンはイザンバに接するように語る。
ヒトガタは答えるように微笑むとコージャイサンに近付きギュッと抱きついた。そして、そのまま体積を小さくしていく。まるでコージャイサンの中に溶け込むように、守りを与えるように。
さて、同じ紫銀の炎でもコージャイサンはじんわりと広がる温もりを感じているが、デブリは息も絶え絶えだ。なんとか痛みを逃すも、もはやその目は誰かを映すことはおろか光を感じる事さえも出来ない。その絶望が口をつく。
「ああ……そんな……これでは貴殿の姿が……あの冷たい視線を……向けられていると……見ることが……感じることが出来ないっ!」
それは魂からの悲痛な叫びなのだろう。しかし、コージャイサンの表情は無である。せっかく温まった心が願いの片鱗が見えた事で急速に冷えたようだ。
——早く終わらせよう。
終わりに向けてコージャイサンが場の舵を取る。これ以上こいつに関わりたくない、そんな思いを抱いて。
「先ほど仰っていた姫とは、もしや群青の瞳と髪で褐色の肌の女性ですか?」
無表情で優しい声を出すと言う器用な事をやってのけるコージャイサンがデブリに問うと、彼は勢いよく首を縦に振った。
「そう、そうです! かの英雄の妻、初代王妃のレイジア妃をご存知ですか? 女たちの嫉妬から非業の死を遂げられた妃殿下ですが、なんと鳥に変じる能力をお持ちだったそうです。つまり死してなおその翼で現世に戻られるのです!」
鳥と死、そう聞いて思いつくのは不死鳥だ。
デブリは英雄の妻をそう例えるが、もしも本当に不死鳥ならば彼女を最愛の妻としていた英雄がすぐにでも蘇らせているであろう。
そもそも本当に変身できたのかも怪しい、とコージャイサンは白けた気持ちで耳を傾ける。
「そして姫はその正統なる後継者、妃殿下を呼び戻す器! 姫こそがこの国の正当な君主なのです! 月のない魔の夜に英雄の再来と言われる貴殿の魔力で贄を人柱として捧げれば姫と妃殿下は一体化し完全にお戻りになる! その時こそ我らは正しき歴史の元、姫の側近として国を導くのです!」
意を得たりとペラペラと動くデブリの口。
イルシーの報告と合致する部分、欠けていた部分をコージャイサンは脳内で補完していく。つまり姫自身も器という贄なのだ。
「貴殿の力は姫に捧げる為にある! あの呪いの力を見たでしょう? エンヴィー嬢の魔力量をさらに増幅させたのです! それを貴殿が使えば……もはや、騎士団長も魔術師団長も防衛局長すらも赤子同然となるのです! さぁ! 我々と共に国を、世界を、新たに作り直しましょう!」
コージャイサンの声がする方に焼け爛れた顔を向け、期待に満ちた声でその手を伸ばす。
「不愉快です。自分では何もしない癖に口を開けば理想論ばかり。父親そっくりですね」
詰られた事でビクリ、と揺れたデブリの肩。ここでコージャイサンがその腕を掴んだ。途端に聖なる炎が上がりデブリの腕を焼くのだから、また彼から悲鳴が上がる。
「ぎゃぁっ! なにをっ!」
「父親が持っていたタバコ、以前はソート侯爵家にあったものですね。随分と性格も嗜好が変わられたようだ。長男は……ああ、そちらも黙らせたんですね。あなたにとっては黙っていても家督が転がってくる邪魔者でしかないようですし、ご長男の方が優れているようだ」
「それは……っ!」
「甘い餌に釣られ、振るわれる暴力に見て見ぬ振り。身内が犯罪に手を染めた事を隠蔽。さらに自身も犯罪教唆および実行。それでも防衛局の魔術師ですか?」
無遠慮に思考を読まれ、家の恥部を晒され。言葉に乗る侮蔑に痛みも忘れてデブリはコージャイサンに非難の声を上げた。
「我らに楯突いたこと後悔しますよ! 側近殿は強大な力をお持ちだ! 魔力量が多いだけの貴殿とは違い、我らと変わらぬ魔力量で古に禁忌とされた強力な術式を彼は使えるのですから!」
こんな時でも頼るのは他人の力。まさに他力本願、負け犬の遠吠えとはこのことか。
「あんな平凡な女にいいように操られて恥ずかしくないのか! あれは高貴な姫とは違い、権力者に媚び、男を体で籠絡するような売女なのだ! そうでなければあのように招待券を三枚も——……っ!」
デブリからそれ以上の言葉は出ない、否、出せない。
冷たい視線どころではない。例え目が見えなくても、肌を、魂を射通された。その上、握られた腕からはミシミシと骨が軋む音がする。
竦み上がったデブリは、ただただ恐怖から歯を鳴らす事しかできない。
「お前ごときがザナを愚弄するな」
——その憤怒たるや
——その無情たるや
——その酷薄たるや
コージャイサンから放たれる身の毛がよだつほどの殺気はデブリには耐えられないもので、顔色を失い、そのまま泡を吹いて気絶した。
「あ……あ……」
氷の檻の中にいるエンヴィーも彼の殺気に当てられてしまったようで腰を抜かしひどく青褪めている。
全てを思い出したコージャイサンの目的は呪いに接触することで彼らの目的を正しく知る事。そして商人に関しての情報を探る事。
エンヴィーからは商人を匿っていた事実を。そしてその場所を。しかし、彼女はそれしか知らなかった。
そこで対象をデブリに変更したが、掌を焼かれて以来警戒して近づいてこないのだから余計に時間がかかった。
それも先ほど調子に乗って話し、確認のため思考も読んだのだからおしまいだ。これから先の企み。そして商人に関する情報。炙り出せないなら追い込むまで。
随分と時間がかかったが——ようやくだ。
「では、用は済んだのでこれで失礼」
「どうやって……どうやって帰るおつもりですの? ここはわたくしの呪詛の世界ですわ。いくらコージャイサン様でも呪いはどうする事も出来ないでしょう? さぁ、わたくしに愛を乞うて。そうすれば許して差し上げますから」
「あなたの許しなど必要ない」
まだ自分が優位だと、信じるしか道がないエンヴィーの精一杯の見栄をコージャイサンは一刀両断。一瞥すらくれずに集中し始めた。
——祈るように、希うように、心を鎮めて
「I AM a Being of Silver Violet Fire. I AM the purity God desires.」
清廉な空気を纏ったコージャイサンの形のいい唇から紡がれた聖なる炎の呪文。彼の掌にそれはそれは純度の高い銀色混じりの紫の炎が現れた。
それは呪いを使役した身を焼き始め、肌を焼かれる痛みにエンヴィーは一つの可能性に思い至った。
「待って、何を……っ!」
「I AM a Being of Silver Violet Fire. I AM the purity God desires.」
二度目の詠唱で紫銀の炎がその濃度を上げた。
エンヴィーの肌が、髪が、服が、チリチリと音を立てる。
「やめて……わたくしは……ただ誰よりも愛されて、誰よりも幸せになって、誰からも羨まれる結婚を……!」
「あなたに一つ感謝を。あなたのお陰でザナがどれほど得難く、ザナのいない世界がどれほどつまらないか——よく分かりました」
今のコージャイサンがあるのは間違いなくイザンバの影響が大きい。
まぁ、本人としてはオタ活に精を出していただけだろうが、行った場所、見たモノ、交わした言葉——それらは確実に彼らに根付き心を、絆を育てた。
ただイザンバを排除し、その場に座っただけのエンヴィーには出来なかった事だ。
それでも、エンヴィーは認めたくない。
「いや……そんな……いや……いやよ! 起きなさい、デブリ! わたくしを守りなさい!」
「う……んん…………あつ、痛い痛い痛いっ! 何だ、どうなっている⁉︎ エンヴィー嬢、何とかしてくれ!」
大きな声に、というよりもデブリが感じたのは身を焼く熱さと痛さ。
情けなくも狼狽える彼らとは反対にコージャイサンは悠然と微笑んだ。
「それでは、二度と会うことはありませんがご機嫌よう。I AM a Being of Silver Violet Fire. I AM the purity God desires.」
三度の詠唱で放たれた巨大で濃密な紫銀の炎。
エンヴィーはその美しさに目を奪われ、そして、同時に恐怖した。
「いやあぁぁぁぁぁあ!」
エンヴィーの喉から出た悲しい響き。
永遠に共に居てほしいと願った人が少しの情けも見せずに容赦なくその刃を振り下ろしたから。
デブリには何がなんだか分からない。エンヴィーの絶叫に恐怖だけが煽られる。ただジリジリと肌を焼く熱は確かなもので。
「ぎゃああぁぁぁぁあ!」
呪いを使用した二人には逃げるも避けるも出来ない浄化の炎。
眩い紫銀の炎が押し潰すように、閉じ込めるように、昏い夢の世界を呑む。




