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合唱
二人は屋台で軽食を買い、のんびりと庭園を歩く。
貴族が屋台だなんてと眉を顰めそうだが、それはこの二人。聖地巡礼でこういったことも経験済みなのでなんの抵抗もない。
「骨董品屋に行かなくていいんですか?」
「ああ。翻訳しながらとなると時間もかかるし、まだ暫くは忙しいからな」
「分かります。趣味に没頭するには時間と体とお金が足りないんですよね」
うんうんと神妙に頷くイザンバ。その言葉の一部にコージャイサンは疑問を持つ。
「時間と体はともかく金も足りないのか?」
「ええ、いくらあっても足りません! 今度イルシーにコスプレしてもらう予定なので更に足りない!」
「ああ、なるほどね」
そういえば結構ふっかけてたな、と思い返すコージャイサンの目が遠い。
イザンバは次のコスプレ撮影会に向けて衣装の準備から依頼料までしっかりと揃えなくてはならないのだ。そりゃ足りん。
それにしても、とイザンバは別の話題を振る。
「コージー様でも古代ムスクル語となると時間かかるんですね。アレ、難解ですもんねー」
「分かるのか?」
「実はコージー様が魔導研究部に入ったのは古の術式に興味を持ったのがきっかけだって仰っていたから、どんなものかと興味が湧きまして」
「それでわざわざ?」
イザンバの答えにコージャイサンは嬉しそうだ。
自分がきっかけで、自分の好きなものにちゃんと興味を持ってもらえるのは中々に喜ばしい。
そんな彼に対してイザンバは肩をすくめる。
「まぁ、術式は使えないですけれどね。古代語が読めるようになるのは面白いですから。当時の日記とか読んでると『ああ、古代も現代も人のする事は変わらないんだな〜』って」
「そうだろうな」
彼女の答えにコージャイサンはクツクツと笑う。
古代だろうが現代だろうが、生きる為に食べ、糧を得る為に働き、回復する為に寝る。
技術が発展しても人の営みの根本に大きな変化があるわけではないのだ。
本来ならば『今日を一日生き抜いた』それだけで表彰される程にすごいことで、古代の人々はその苦楽を日記に綴っていたのかもしれない。
「あ」
「あら」
和やかに会話をしていたらばったりと出会した。本日二回目となる貴族との遭遇、その相手は誰だろう。
「コージャイサン様、イザンバ様、ごきげんよう」
そこには筋骨隆々な女性とその肩に担がれたお尻。荷の重さを感じさせないほど自然な淑女の礼をするこの女性。
「お久しぶりです、ビルダ嬢。本日もいい感じにキレていますね
「ビルダ様、ごきげんよう。肩にちっちゃいドラゴンも余裕で乗せられますね」
実際にはお尻だが。ビルダは右肩に荷を担いだまま、左上腕二頭筋を見せ付ける。
ブレない体幹、ブレない筋肉愛でキラリと煌めくビルダの白い歯と笑顔が今日も眩しい。
「ナイスバルク!」
そんなビルダにコージャイサンとイザンバは親指を立て、同じく煌めく笑顔を返した。
しかし、いい笑顔を交わす三人にお尻、もとい担がれていたオリヴァーから抗議の声が上がる。
「待って! このままポーズをするな! 会話をするな! 降ろせ! 降ろしてくれ!」
「逃げませんか?」
「逃げないよ!」
オリヴァーはビルダの肩から降ろしてもらうとサッと服を払い、帽子を整え、こちらも美しくポージングする。
「こんにちは、レディ。僕はオリヴァー・シスト。美しき社交界の貴公子とは、そう! この僕のこと! 以後お見知り置きを」
いちいちポーズを決めながら、最後はイザンバの方に視線を向けて美しく微笑みかける。常ならばここで女性は頬を赤く染めるのだが……。
「オリヴァー様。イザンバ・クタオと申します。それでは、ごきげんよう」
あっさりと流してしまうイザンバにオリヴァーの膝がかくりと折れた。
美しい微笑みなどコージャイサンで見慣れている彼女なのだから当然だ。
すぐに姿勢を正し、オリヴァーはめげずに会話を続ける。
「さすがは噂の的のイザンバ嬢だね。見た目は平凡ながらもその立ち振る舞いは洗練されていて、なるほどオンヘイ卿との仲も伝わると言うものだよ。そうそう、僕はあなたに会ったら聞きたいことがあったんだ!」
また噂。何のことか気になるがイザンバは微笑みを浮かべてオリヴァーの質問に備えた。
「まぁ、なんでしょうか?」
「オンヘイ卿の婚約者であるあなたなら分かるだろう? 僕と卿のどちらが美しいか! なに、卿に遠慮することはない! 真の社交会の貴公子はどちらかを述べてくれたまえ!」
また突拍子もない、とイザンバは内心思った。
けれども問われたのだから答えねばならない。イザンバは回答の前振りとして笑みを形作ると口を開いた。
「すみません。顔の造形には興味がないものでどちらと問われても分かりかねます」
「ほぇ⁉︎ さっきビルダの筋肉はほめたのに⁉︎」
「顔の美醜と肉体美は立っている土台が違いますから」
「それはそうだが……」
ニコニコと言い切るイザンバにオリヴァーから勢いが削がれる。しかし、ここで彼はもう一人無理やり当事者にしたコージャイサンに話を振る。
「オンヘイ卿! 君も気になるだろう⁉︎」
「いえ、特には」
「何だってー⁉︎」
これまたあっさりと返すコージャイサンに驚愕の声を上げる。顔重視の彼にとって二人の返答は理解しがたい。
コージャイサンはそんなオリヴァーに構わず「それに」と続けた。
「ザナの性癖は把握していますから」
その言葉の威力は場を凍結させるが如し。コージャイサン以外の三人が固まる中、いち早く復活したのはこの人だ。
「言い方ー! それはダメです! アウトです!」
「だが事実だろう?」
「それはそうだけど語弊が! 一般的な解釈との相違が!」
コージャイサンの肩を掴み「ほら見て!」とイザンバが対面の二人を示す。
「……二人の仲はそこまで進んでいるんだね」
呆然と呟くオリヴァー。
「仲睦まじいのも納得です」
妙に納得したビルダ。二人の反応にイザンバは絶望を露わにする。
「ほらー!」
「はいはい。それにしても今日はよく淑女の仮面が外れるな」
「誰のせいですか!」
キャンキャンと吠えるイザンバをいなし、コージャイサンは懐からとりだした仮面を手渡す。
毎度登場のその仮面、今回ばかりは勢いに任せてどこかに放り投げてしまいたい衝動にイザンバは見舞われた。
それでも彼女はぷるぷると震えながらその衝動を抑え、体裁を整える。もはや今更な気もするが。
コホンと咳払いをして対面する二人に詫びた。
「お見苦しいところをお見せしてすみません。噂についてお伺いしてもよろしいですか? 先程も他の令嬢から言われたのですが、何のことかさっぱり分からず」
眉尻を下げて問うイザンバにまず答えたのはビルダだ。
「それは先の王城での舞踏会でのことです。お二人がテラスで愛を交わしていたと」
それはイザンバが想定していなかった答え。驚愕に目を見開き、言葉を失う彼女にオリヴァーから追撃が入る。
「二人が熱い抱擁と口付けを交わしていたのを見たという人が居る! そう、庭からも、ホールからも! つまり何人も!」
「すごい速さで出回っていましたよ」
初めて聞く噂の内容にイザンバは混乱を極める。対照的にコージャイサンは涼しい顔のまま。実はこの男、噂の内容を知っていたのだ。
「自分の色を纏い美しく着飾った婚約者を前にして、それを情熱的ととるか自制心の効かない軟弱者ととるかは人次第ですが……」
そう言ってチラリとコージャイサンを見遣るビルダの視線には厳しさが混ざっているが、続く言葉はそうではなかった。
「そうは言ってもお二人の婚約期間が長いことは周知の事実。その後のイザンバ様の表情がとても良い方向に変わっていましたので、皆さん好意的に受け止められているようです」
ビルダのフォローにイザンバは言葉を飲み込んだ。
「それは鼻呼吸がしやすくなったからです!」そう言いたいのを必死に飲み込んだ。
そうしないと言わなくていいことまで説明することになるから。
先程とはまた違う絶望を背負い落ち込む彼女の肩にコージャイサンは優しく手を置いた。そう「ドンマイ」と。
ビルダのフォローをよそに、オリヴァーは自分の想いを語る。
「いくら着飾ろうとも僕は横に並び立つのは美しい女性でないと嫌だけどね。だからこそ、この前見つけた彼女とデートしていたのに!!」
「お断りされていたでしょうに……。お相手の方が丁寧に私に知らせてくださったのですよ。オリヴァー様、女性を追いかけ回すのは品位に欠けますのでおやめくださいまし」
どうやらオリヴァーは別の女性とのデートのためにここを訪れたらしい。そして、それをビルダに阻止された。
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ! いつも、いつも、僕を追いかけてくるのは君の方じゃないか!」
「オリヴァー様の粗相を見逃すわけには参りませんから」
「僕は粗相なんてしないよ!」
力いっぱい否定しながらそっぽを向くオリヴァー。ふと、彼はここであることに気がついた。コージャイサンの視線が自分を見ているのにどうにもかち合わないことに。
「オンヘイ卿? どうかしたのかい?」
「ああ、実は……」
答えようとしてコージャイサンは口を閉じる。何を思ったのかイザンバの方にいい笑顔を向けたあと、オリヴァーに視線を戻してこう言った。
「◆⌘∮○⌘⁂⌘☆〓§々⌘⁂§ £∮○▼〻☆∮⌘∮〓⌘々∮」
「んほっ!」
突然の難解な言葉にイザンバから形容し難い音が漏れ出した。不意打ちとはひどい。
オリヴァーとビルダはもちろん首を傾げることになった。音の出どころも気になるが、なによりも彼の言った言葉。
「えっと……なんて?」
「ですから、◆⌘∮○⌘⁂⌘☆〓§々⌘⁂§ £∮○▼〻☆∮⌘∮〓⌘々∮」
「ちょ、待ってくれ! 分かる言葉で言ってくれないかい⁉︎」
オリヴァーの言い分はもっともなもので。
コージャイサンが発したのは古代ムスクル語だ。この場でその意味が分かるのはイザンバだけだろう。
わかる言葉で言えと言われたコージャイサンだが、あえてオリヴァーに対して同じ音を繰り出す。
そして、自分も発声すれば何かわかるかもと閃いたオリヴァーは彼の真似をする。なんども、何度も。
途中から楽しくなってきたのか『カッコいい僕』のポーズをつけて。
突然始まった二人の掛け合いを冷めた目で見つめるビルダの隣で、イザンバは吹き出さないように、荒ぶる内心を必死に抑える。
——オリヴァー様やめて! それ言いながらポージングしないで! 無理きっっっつい!!!
その願いも虚しく、無情にも彼女の腹筋にクリティカルヒットを飛ばし続けることとなってしまっている事をオリヴァーは知らない。




