10
話が纏まったところで従者たちが机の上に置いたのはお茶ではなく写真。それを見たカティンカが奇声を発した。
「きゃあぁぁあっ!」
そう、先程アーリスが交渉をしたアダムとイヴのコスプレ写真だ。まだ不満たらたらなイルシーの隣でヴィーシャがコロコロと笑う。
「見るだけやったらタダですから」
「あー、タダとかもったいねー。お前、閲覧料って言葉知ってるかぁ?」
「男がいつまでもやかましぃわ。……なぁ、ジオーネ。後でちょっとええ?」
囁くような小声と小首を傾げたあざとい仕草に、しかしジオーネは分かっていると得意げに返す。
「あ、その顔は何か企んでるな。ものすごく悪女らしいぞ」
「褒め方上手なん一瞬やったな。ふふ、あの反応……あんたも一肌脱いでや」
「それなら得意だ。任せろ」
少しだけ先を思ってヴィーシャの口角が麗しく持ち上がった。ジオーネにもちろん否はない。全ては彼らの主の意のままに。
そんな従者たちの企みはカティンカの興奮の声の裏側。それに気付いている主人は許可を出すように一つ頷いた。
打って変わって、写真に釣られた表側は大層騒がしい。
「うわぁー! うわぁー! これはヤバい! ちょ、アーリス様も見て! ヤバいヤバいヤバい!」
「うん、見てますよ。これ彼でしょう? 今とも顔も雰囲気も全然違うし……どうしたらこんな風になるんだろう? すごいね」
「きゃぁぁあっ! この仮面ズラしての不敵な笑み! ああああああ、解釈一致ぃぃぃ!」
「やったー! うれしいー!」
「……うう……なんで今手持ちがないんだろう。見るだけなんて…………切ないっ!」
感動と切なさの涙を流すカティンカの隣でアーリスは感心しきりだ。
——その正体が同一人物である事に
——その技術力の高さに
リゲルの顔とアダムの顔は系統が違う。どう見比べても全くの別人であるのだから。すごいね、とアーリスはイルシーに向かって素直な賛辞を送った。
すると、彼はニヤリと笑う。
「お望みとあらば兄君も別人にしてやるぜぇ?」
「いや、僕は」
「おにいさま、ぜひ!」
「アーリス様、是非!」
遠慮しようとする本人よりも周りが乗り気とはこれ如何に。アーリスは困ったように、誤魔化すように頬を掻いた。
「あー……まぁ、それはそのうち……機会があれば」
「よろしくお願いします! てか、イヴお姉様まじでエロ可愛いんだが! メイドさんが言ってた足のラインが綺麗って本当分かる! 鼻血出る! モデルがいいっていうのもあるけど撮った人も天才か⁉︎」
「わたしがとりました!」
「流石イザンバ様ー!」
撮影者まで褒められて、またもやイザンバはえへんと胸を張った。
そして、カティンカの興奮が治ったタイミングを見計らったように伝えられた伯爵夫妻の帰宅。
夫妻にも幼くなったザナを見せたいからとコージャイサンに言われていたカジオンは、自身が先に見ていることなどおくびにも出さず澄まし顔で彼らをサロンへと導く。
そして、夫妻はコージャイサンの膝の上のその姿を見て————固まった。
「コージー、その子はもしかして…………」
「そうです」
「ここにきて隠し子とはどういう事ぉぉぉ⁉︎」
「ぶはっ!」
ああ、やはり親子である。オルディの反応にコージャイサンとイザンバはまた顔を見合わせ、イルシーは再び腹筋に打撃を受けた。
既視感のある反応に、写真を見ていた時の興奮が嘘のようにカティンカは見守りの精神だ。
「あー、あの気持ち……すごくよく分かりますよね、アーリス様」
「……僕もあんなでした?」
「まぁそうですけど、でも誰だってああなりますから! 大丈夫、何も恥ずかしくないですよ! むしろ反応が素直で可愛いっていうか!」
「うぅ……恥ずかしい」
アーリスは同じ反応をすでにした身としては居た堪れない。恥ずかしいやら情けないやらで顔を覆った。
しかしながら、両親は周囲の反応を気にしているどころではない。なんなら目に入っていない。オルディの切ない叫びが響く。
「せめて……せめて結婚式まではって……お願いしたのに……! ザナはまだうちの子です!」
「それは間違いなく。ザナはお二人にとっても俺にとっても至宝です」
「でしょ! ああ、もう……もう本当にコージーのものなんだ……せめて、心の準備は、させて欲しかったなぁ……」
ぐすんと鼻をすする音がした。心の準備時間なら婚約してから今日まで中々に長い時間があったじゃないか。なんて誰もが思った事だろう。
だが、イルシーが笑い沈んでいる今、誰もツッコもうとしない。決して泣きじゃくる伯爵に絡まれるのが面倒なわけではない。決して。
「でも……うん、二人の子だ、可愛い、とっても可愛いよ! 初めまして、私たちの可愛い孫娘。オルディお祖父様だよ! 好きなものを教えておくれ、なんでも買ってあげよう!」
混乱と寂寞と親愛を順に吐き出すオルディの隣でフェリシダが腕を広げた。
——その目はしっかりと幼女を捉えて
——その声にたっぷりの愛を乗せて
「ザナ、いらっしゃい」
「はい、おかあさま」
「え?」
しかし、こちらはそうではない。驚きはしたが夫の取り乱しようにかえって冷静になり、彼らのやり取りを先に思い出したからこそ柔軟であった。
とことこと近づいてきた幼女を抱き上げる。腕にかかる久方ぶりの幼児の重み。その顔をしっかりと見つめた後、母は嬉しそうにゆっくりと娘の頬に擦り寄った。
「ふふ、本当に懐かしい姿ね。なんだか私まで若返った気分だわ。あら! 頬にとても弾力があるわ! 気持ちいいわね!」
「え? ………………ザナ?」
「はい」
ここにいるのは孫ではなく娘だと妻は言う。オルディが首を傾げれば、イザンバも鏡写しのように動いた。
「伯爵、ザナの幼児化した姿を見たいとの話、覚えておいでですか?」
「…………あ! あーーーーー!!??」
コージャイサンの言葉に今度こそしっかりと思い出した。「自分で言ったのにね」なんて妻のお小言にも、約束を守ってくれた娘の婚約者にも、そして何よりも懐かしい娘の姿に、またウルウルと視界が潤む。
オルディは妻から娘を受け取り、その腕にしっかりと抱きしめた。
「ザナーーーーー!」
「いやーっ! おひげちくちくするー!」
ところが残念な事に中年男性ともなれば夕方に髭が伸びている事がある。これは幼児の柔肌には痛い刺激だ。
父の腕の中から逃げ出したイザンバはコージャイサンの後ろに隠れた。オルディがショックで再び膝をつく。
「ザナ、治すから頬見せて」
「……ありがとうございます」
イザンバの頬は少し赤くなっただけだが、それでもあの逃げっぷりにコージャイサンはすぐに治癒魔法を使う。ぷにぷにもちもちの頬は瞬く間に元通り。
安心したように微笑む彼の奥で、オルディの悲し気な声がする。
「お父様が悪かったよ……お髭は当てないからもう一度抱っこさせて……」
「あとでね。おとうさまとおかあさまにしょうかいしたいひとがいます。んー、やっぱりしゃべりにくい……おにいさま、おねがいしてもいいですか?」
「いいよ」
引き受けたアーリスが立ち上がり、カティンカに向かって手を差し出した。
突然舞台に引っ張り上げられる事になったカティンカはその手の意味が一瞬、分からなかった。
だが、伯爵夫妻を相手に座ったまま挨拶をするわけには行かない事に思考が行き着けば、途端に駆け巡る緊張と不安。揺れる青空にヘーゼルが優しく微笑みかけると、彼女は安心感を得たのか、そっとその手を重ねた。
娘の言葉に二人は初めてその存在に目がいった。それほどまでに、幼女の衝撃が大きかったのだろうが、この光景もまた両親にとっては衝撃的である。
アーリスの隣に立つ、スイートオレンジの髪に澄んだ青空のような瞳の若い令嬢。フェリシダは即座に淑女の仮面を被った。
「旦那様、お客様の前よ。お立ちになって」
「失礼」
妻の言葉に途端にピシッとしたが、なんとも言えない今更感。舌足らずな妹に代わりにアーリスが紹介を担った。
「彼女はザナの友人のカティンカ・ジンシード子爵令嬢です。ザナととても気が合う方ですよ。カティンカ嬢、僕たちの父オルディ・クタオ伯爵と母のフェリシダ・クタオ伯爵夫人です。すみません、騒がしくて驚いたでしょう?」
「いえ、そんな……」
「初めまして、ジンシード子爵令嬢。恥ずかしいところをお見せしてすまないね」
「イザンバ様と親しくさせていただいておりますジンシード子爵が娘、カティンカと申します。とんでもございません。ご家族の仲の良さがイザンバ様のお人柄に繋がっていると伝わってまいりました」
家族仲や娘の人柄を褒められれば悪い気なぞしない。オルディは嬉しそうに頬を緩めた。そして、じっとカティンカを見ると口を開いた。
「君はもしや……アr」
「そういやさっきまでイザンバ様の写真撮ってたんだよなぁ。伯爵も買うだろぉ?」
「もちろん! って誰だ⁉︎」
この発言はイルシーだと喜び勇んで振り返れば居たのは軍服を着た水色の髪の別人。オルディは驚き仰け反った。
「コージーのさまのぶかで、いまはリゲルのコスプレしてるんです」
「部下でコスプレ……成る程。では、リゲル君。早速見せておくれ。金は一万ゴアあれば足りるかな?」
娘の言葉に思う事があったのだろう。そこには触れず、早速写真の売買へと移った父にアーリスがギョッと目を剥いた。
「待って待って! 買いすぎでしょ! どういう値段設定なの⁉︎」
「アル、そこは気にするところでも惜しむところでもない。それだけの価値があるからだ。ところでアルは幼児化しないのか?」
「えぇー……」
先程と似たような言い分にプラスアルファ。矛先が自分に向いたアーリスは父の言葉にすっかり脱力してしまって。
「では、今度はアルの分を用意しておきますね」
「頼むよコージー!」
「ちょっとコージー!」
重なったクタオ父子の正反対の声音に、コージャイサンは楽しげに笑った。
ころりと話題を転がされて呆気に取られる娘の友人に、フェリシダは謝罪と気にしないでという思いを込めてウインクを一つ。
カティンカは丁寧に礼を返した後、膝を折り小さくなった友人と視線を合わせた。
「イザンバ様。今日はお招きいただきありがとうございました。驚く事も多かったですけど、すごく、すっっっごく楽しかったです!」
「わたしもたのしかったです! またおさそいしてもいいですか?」
「はい!」
迷いないカティンカの返事にイザンバは嬉しくなった。しかし、自分のことであるからこそ、未来の約束にふと思い至る。
「あ、でもつぎはこうしゃくけかも」
「それはちょっと、いやかなりハードルが高いので遠慮したいです」
「じゃあまたここで! ひにちはでんたつまほうできめましょう!」
「了解です! それじゃあ、私はそろそろお暇します」
彼女たちの友情もまた確固たるものになるだろう。
カティンカが帰るのであればついでに荷物を届けさせようと、コージャイサンも彼女に合わせる事にした。
「ザナ、アル。俺も帰るよ」
「え、帰るの? 泊まっていけばいいのに」
「魅力的なお誘いだが、残り少ない家族団欒を邪魔する気はない」
「あー、そっか……ありがとう」
もちろんコージャイサンとて大変後ろ髪を引かれる思いだ。
だが、あと三日。
——待てば、ずっと共に過ごせる婚約者
——経てば、巣立ちを見送る家族
この違いは大きく、とてもではないが水を差す訳にはいかない。
そして、この団欒の為に帰ってきたと言っても過言ではないアーリスにとっても、彼の言葉は胸中に嬉しさと寂しさを呼び起こした。
しかし、その寂しさにまだ縁がない者が一人。
「お泊まり……理想の嫁育成計画がリアル進行……あぁぁぁあ、なんかめっちゃ寒い! むしろ痛い!」
「その頭は飾りですか? 先ほどの返事もただの反射だったんでしょうか?」
「とととととんでもございません! 推しカプもダメでしたか⁉︎ メイドさん達と一緒でお二人を推しているだけなんです!」
「推すのはいい。だが目の前の人物で妄想するなと言っている。あなたの指導は特に厳し目にと伝えておきます。大いに励んでください」
「ヒョッ! イザンバ様、アーリス様! ど、どうかとりなしを……!」
ものすごく小声であったのに、彼の耳は相当優秀なようで。途端に彼の纏う空気は一変し、物理で冷やされたカティンカは戦々恐々だ。
助けを求めるが兄妹は揃って親指を上げ、あまつさえイイ笑顔で言った。
「ファイト!」
「うわーん! 鬼兄妹ー!」
伯爵夫妻の前だというのに、つい全力で嘆くカティンカ。そんな彼女を見てイザンバは悪戯っ子のように笑う。
「おにいさま、おにだって。つの、はやしちゃいます?」
妹がにんまりとした笑みを浮かべて頭の左右に角に見立てた指を一本ずつ立てると。
「生やしちゃおっか」
兄も同じく指をにょっきりと立てる。またもや良く似た笑顔を向けられてカティンカは「うっ!」と胸を押さえた。
「っ——本当ノリいいな、この兄妹……どちらも大変可愛らしゅうございます!」
「あはははははは!」
兄妹の楽しそうな笑い声につられて周囲にも笑みが浮かぶ。
さて、少し反応が違うのは両親だ。目の前に広がるのは我が子たちと仲良く話す令嬢の姿なのだが、しかしイザンバが幼児のせいでどうやら違う光景に見えたようだ。
「あぁ……まるでアルがよm……」
思わず漏れた単語にフェリシダは急いで夫の口を手で塞いだ。
「しっ! ダメよ、旦那様。気持ちは分かるけど今は言ってはダメ。その時が来るまでは我慢。ね、我慢ですよ?」
「…………………………もういいかい?」
「早いわ。まだダメよ」
夫妻のやり取りにコージャイサンの視線を受けた従者たちは密かに頷く。
その日はいつかきっと——。
さぁ、あなたにはこのつむぎ音が聞こえただろうか。
カラカラと、か細い縁に信用と安心という糸を撚り合わせ。
カラカラと、重ね合わせ続けた先に生まれる美しくも愛しき絆。
どこからが運命で、どこまでが人の思惑か。
この先、続くか切れるかは——誰かは知らむ。
活動報告にカティンカ帰宅後のジンシード子爵家の様子をアップ予定です。
これにて「イト紡ぐ休日」は了と相成ります!
読んでいただきありがとうございました!




