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転写機の紙が尽きた為、シャスティとケイトを含めた使用人たちの波が引いた後。イザンバを膝の上に乗せたまま、コージャイサンは真剣な眼差しを友人たちに向けた。
「二人に頼みたいことがある」
「うん、いいよ」
あっさりと、それはもう驚くほどにあっさりと頷くアーリスにイルシーが脱力するのも当然で。
「あのさぁ……内容聞いてから返事しろよぉ」
「大丈夫、普段はそうしてるよ。でもコージーの頼みだし、そんな悪い話じゃないでしょ?」
ふんわりと微笑むアーリスの姿に見える絶大な信頼。コージャイサンも当たり前だと言うようにゆるく口角を上げている。
「信頼感エグくないですか? 男の熱い友情……滾るわぁ」
「はげしくどうい!」
目の当たりにした男の友情にオタク女子二人は涎が出そうだ。なんと眩しい事だろう。
そんな彼女たちの声を流してコージャイサンは言う。
「検証に付き合ってほしい」
その言葉と同時に従者がそれぞれの前に置いたのは色違いの小箱。その中にはベルベットクッションに乗せられた二センチにも満たない水晶が鎮座しているが、見ただけでは何か分からずアーリスが尋ねた。
「これは?」
「伝達魔法の改良版だ。警告音を変えて、通信時間の制限をなくした」
「へ?」
「形状はこれからまた変えるんだが、これに関して二人に協力してもらいたい」
「既存の術式に手を加えるのは難しいはずだけど……まぁコージーだしやっちゃうか〜。あれ、でもザナとコージーで使えばいいんじゃないの?」
コージャイサンの説明に思わず惚けた声が出たが、しかし彼を知っているからこそアーリスは妙に納得してしまった。そして、同時に疑問も持つ。
「もちろん使うが、俺たちはこれから同じ邸に住むから動作確認程度にしかならない。そこでこういう言い方はなんだが、ちょうどいいのがアルたちだ。まずは魔力量。距離。そして、結界の有無」
「結界?」
「ああ。うちの邸の周りには最近になって父が張った結界がある」
それは新月の夜の事。セレスティアは共に王城にいたが使用人たちを守るために張られたゴットフリート謹製の浄化の炎付きの聖結界だ。それが今でもある。
つまりはこういうことだ。
王都にあるオンヘイ公爵邸、邸の周りに結界があり。
ジンシード子爵邸も王都にあるが、結界はなし。
そして離れたクタオ伯爵領の邸、こちらも結界はなし。
それらを踏まえた上で魔力量が近い三人が使う事で通信状態や本体と魔力の消耗具合を検証したいのだ。
「そういうわけで、ザナとアルとカティンカ嬢がそれぞれ伝達魔法を繋いで欲しい。もちろん報酬は出す」
「別に報酬はいらないよ?」
「だめだ。貴重な時間を使ってもらうんだからな」
「ふふ、分かった。有り難く受け取るね」
もはや身内と言っても過言ではないのに、コージャイサンはきっちりと線を引く。友達だから、でなぁなぁにしないところがまた彼らしいとアーリスは笑った。
「伝達魔法を繋いで話す時間は最低でも三分。これは元の伝達魔法の制限だ。検証の基準にする。ああ、無理はせずに自分の予定を優先してくれて構わないが可能なら毎日が望ましい。一日の回数は問わない。何回使用したか、何分使ったか、あとは使ってみて気になる点があれば控えておいてくれると助かる。今渡したものを一月後に新しいものと取り替えて、また一月後、改良したものに取り替えるから」
大まかに説明された今後の流れ。
話を聞き、この検証は決して彼の遊びの延長ではないと感じて、カティンカは自身がそこに相応しくないのではと及び腰だ。
「あの……私は魔力が多いとかではないのでお役に立てるかどうか……」
「それをいうなら僕たちも平均値ですよ。ね、ザナ」
「はい」
兄妹は同じような笑みを浮かべてカティンカに言う。
能力の突出したものがすればなんだって容易いだろう。けれども、今コージャイサンが必要としているのはそれではない。
「魔力が多い者の方が少数です。有事の際でもなし、その人たちしか使えないものを作っても仕方ないでしょう」
——魔力値が平均のイザンバでも使えるように
——魔力値に関係なく誰でも使えるように
「これは仕事の依頼です。引き受けてくださいますか?」
「そういう事なら……はい。微力ながらお手伝いさせていただきます」
仕事と聞いてカティンカは真っ直ぐに彼を見て引き受けた。これにはイザンバが大いに喜んだ。
「わーい! カティンカさま、いっぱいおはなししましょうね」
「ザナが話せない時は俺が伝えるから」
「そんなしんぱいしなくてもだいじょうぶですよ」
健康には自信がある、と言う彼女にコージャイサンは笑みを深めた。
もちろん他の者の表情も様々で。
従者たちはそれはそれは生ぬるい視線を。
アーリスはそっと遠くを見て。
カティンカはニマニマとした笑みをむけた。
そんな中またも動いたイルシーがカティンカの前に二通の封筒を置いた。まずは一つ目。
「右側はあなたのお父上に」
「父に、ですか?」
「ええ。従来の伝達魔法の時間制限がない分あなたの時間を取る事でしょう。ご家族の誤解を招かないために検証に協力している旨を記してあります」
「かしこまりました」
公爵令息からの手紙に家族の反応を思うと少しばかり憂鬱になるが、これは部屋で一人で喋っていると思われてはいけないとの配慮だ。有り難いことである。そして二つ目。
「それと正確な検証のため、あなたには最低でも三ヶ月は子爵邸で使用していただきたい。その事も直に子爵に説明したいと思っています。その為、左側はご家族に」
「……これは?」
「急で申し訳ないが、俺たちの結婚式の招待状です」
「えぇ⁉︎」
突然ご縁のなかったレアアイテムが舞い込んだ。困惑するカティンカの対面でまたもや嬉しそうな声が上がる。
「わー! コージーさまさすがです! カティンカさま、ぜひおこしください」
「もちろん……って言いたいけどそんな……とんでもないです! あの、結婚式っていつですか⁉︎」
「三日後です」
淡々としたコージャイサンの答えに、ますますカティンカは顔色をなくした。
「むむむり、無理です! いえ、あの、行きたくないというわけではなくて……は、恥を忍んで言いますと、公爵令息様の結婚式に見合うドレスを持っていませんので……友達の晴れの日を見窄らしい私が台無しにするわけにはいきません!」
「もちろんその点についてはご家族の分も用意してあります。日がない事も分かった上で、こちらからの申し出ですから。帰りにコイツに運ばせますのでご安心を」
「え?」
何を言われたのか、理解に時間を要している彼女を尻目に、「コイツ」と指名された従者はリゲルの顔でニヤリと笑った後、綺麗に一礼した。
カティンカの理解が追いついた時、真っ先に湧き上がったのは畏れ多い。そして、脳裏に駆け巡った友人が受けてきたであろう数多の嫉妬。
「ま、まさかとは思いますが……その、ドレス、オンヘイ公爵令息様が選ばれた、とか?」
「いいえ。うちの母です」
「公爵夫人が」
なんだろう。コージャイサンが選んでいなくてホッとしたが、しかし公爵夫人が選んだと聞いて安心できる要素はなかったなと気づく。
——私が引き受けるの前提で、水晶も、招待状も、ドレスも用意していた……? え、それって……。
至れり尽くせり……いや、違う。
アーリスが引き受ける前提は分かる。なぜなら彼らの間にはしっかりとした友情があるから。
だが、カティンカは今日初めて挨拶をしたのだ。それなのに全てが揃っている。
この事実にゾッとした。
これは有無を言わさない決定事項の通達。提案ではなく命令だ。だって、これだけ用意されている中で『断る』という選択肢だけはない。
説明前と同じように微笑んでいるはずなのに、ずっと重くのしかかる傲慢で尊大な高位貴族の圧。
先程まではなかったそれに知らず知らずのうちに息苦しさを感じて、座っているにも関わらずつい身を引いた。
それでもなんとか……カティンカは口にする。求められている答えを。
「お、お心配り、誠にありがとう存じます。し、子爵家一同慶んで出席させていただきます」
帰ったらまた家族が騒いで大変だろうが、今のカティンカの心境はそれよりもただひたすらに……
——オンヘイ公爵令息様、怖ッ。
「アンタが出せる答えは『はい』一択なんだから余計な事考えんなよぉ」
「そうだけど……てか、こっちも怖ッ!」
まるで心の内を覗いたようにタイミングよく言う従者に、カティンカはまた震えた。この主人にしてこの従者ありである。
しかし残念ながら……まだ終わりではない。
「お誘いしておいてなんだが結婚式には王族も来られます。ですがあなたの淑女の仮面にはどうやら激しい経年劣化が見られるようだ。時間はないが人を遣りますから仕立て直すといい」
「重ねてのご無礼、申し訳ございません。あの、当日はもう、黙っていますので」
「遠慮なさらず。あなたはザナの友人ですから。ああ、派遣する内の一人は俺の部下ですが調教が得意でして」
「調教⁉︎ それはまた美味しい設定で!」
「最低限そういう反射を飲み込めるように励んでください」
「…………ハイ。承知イタシマシタ」
淡々としたコージャイサンの物言いにカティンカは応じるのみ。
イザンバの友人だからこの場では許されていただけで、カティンカの振る舞いは公の場ではいただけないと判断された。励んでくださいと言いながらこちらも実質は命令。
笑ってみていたい他人事がとてつもない勢いで自分事になってしまった。
なんとなく、彼の魂胆が読めたイザンバが見上げれば、彼は柔らかな笑みを浮かべて言った。
「そういう事だから少し人員を変える。結婚式まではアイツを戻すから」
「わかりました」
話の流れをしっかりと理解している婚約者によく出来ました、とその頭を撫でた。
二、三度撫でたあと、なぜか彼の両手はイザンバの耳を塞いだ。そして、小さな耳に合わせて張られたのは防音魔法。ぱちぱちと瞬いた後、不安げに見上げてくる彼女にその効果を認めて、コージャイサンは安心感を与えるように微笑んだ。
そして改めてカティンカに視線を向ける。先程よりもずっと、ずっと冷たい視線を。
「それと一番肝心な事なんですが、俺もアルも男に興味はありません。あなたがそれを好むのは構いません。ですが先程妄想が口から漏れていたのは無意識でしょうが、人によっては大変不愉快になります。金輪際、俺やアルでそのような妄想をしないように」
今日のほとんどの事はオタク特有のものと許されていたのは間違いない。だが一点。ここだけは決して許されてはいなかった。
「こ、この口が誠に申し訳ございません。い、以後気を付けます!」
「ええ、その言葉を信じましょう…………——二度はない」
まだ辛うじて和やかな前半とドスの効いた後半。彼の放つ威圧感は先程の比ではない。弟のゴミを見るような目なんて本当に可愛いものだ。
脳内で不敬罪と処刑台が結び付いて一気にカティンカの肝が縮む。
「ハハハハハイィィッ! お二人では妄想いたしません! 誠に、誠に申し訳ございませんでした!」
——オンヘイ公爵令息様、怖ぁぁぁっ!
カティンカは誓った。同性のあれこれは二次元のみで妄想すると。
例え実在の人物で妄想してしまったとしても、彼の前では二度と口には出さない、と。
平身低頭詫びる姿はかつての自分を見ているようで、向けられた温度差に未だ震えるカティンカが可哀想になる。たまらずアーリスは助け舟を出した。
「コージー。女性を怖がらせすぎたらダメだよ」
「ただの注意だ。今のままでは後々困るのは彼女だろう」
「それはそうだけどね。……あれってそういう意味だったんだ」
とアーリスに浮かぶ苦笑。
そんな中で音が聞こえないイザンバだけが不思議そうに辺りを見回した。だが彼の手が離れた瞬間、耳はまた様々な音を拾う。
「ねぇ、なんのおはなしですか? なんだかカティンカさまがおびえてるみたいですけど……」
「ああ、淑女の仮面の仕立て直しは少々厳しめになると伝えただけだ」
「そうですか? それならいいけど……コージーさま」
「ん?」
しれっと答えた彼の言い分は嘘ではないが全てではない。友人の様子にも彼の言い分にもどこか腑に落ちない顔をしたイザンバは彼に向かってビシッと指をさす。
「やりすぎはめっ! ですよ」
アーリスと同じ内容を、まるで子どもに言い聞かせるような言い方で。コージャイサンはキョトンとした後、声を出して笑った。
「ふ、はははは! ああ、分かった。気を付けるよ」
そう言って約束すると言うように、彼女の頭にキスを落とす。
膝に座るのもあーんも諦めの境地にあったとは言え、これはまた別物。しかも兄と友人の目の前で。
イザンバの丸い頬は瞬時にこれでもかというほどに赤くなった。
「っ——コージーさま、めっ!!」
いくら語気を強めても、降りようと暴れても、彼はただ上機嫌そうに笑う。
幼女の愛らしい仕草が強張った空気を霧散させたが、しかしアーリスは隣で俯きプルプルと震えているカティンカが気になった。名前呼びを許されたにも関わらず冷たい態度の友人にショックを受けたのではないか、と。
「カティンカ嬢……大丈夫ですか?」
「………………はい。その…………推しカプのイチャイチャに悶えてるだけなので」
——鬼畜隊長の噂は伊達じゃねぇ! けどイザンバ様限定でゲロ甘! ギャップヤバすぎ!
「あ、大丈夫そうですね」
萌えがあれば復活できるカティンカのメンタルも中々に逞しい。ブレないその姿にアーリスはなぜか妙にホッとして……そんな自分に首を傾げた。
しかし、彼が考える前に萌ゆる気持ちを鎮めたカティンカの意を決した声が通る。
「あの、い、色々と、本当に色々とご迷惑をおかけいたしますが! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
——友人に恥をかかせない為にも
——公爵令息の命に応える為にも
例えその期間が短すぎようとも彼女に出来る事は限られた時間を足掻く事だけ。決意を見せるその表情にコージャイサンもゆるく口角を上げた。
「ええ。期待していますよ」
——色々と、な。
翡翠の奥の思惑までは対面する二人に知らされないままに。




