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さて、ところ変わってサロン。
メイドたちの手により男装を解いたカティンカは熱弁をふるっていた。もちろん内容は推しの事。この熱弁が始まる前にアーリスから名前呼びの許可が出たのだが、カティンカにはそれよりも否定せずに話を聞いてくれるという事が嬉しくて嬉しくて。その口は嬉々として言葉を紡ぐ。
しかもアーリスは妹で慣れているのか嫌な顔ひとつせず、それどころか所々で自分の考えをサラッと伝えるのだ。
「え、そういうのって男でも憧れますよ。カティンカ嬢が好きになるの分かるなー」
「そうなんです! 流石アーリス様分かっていらっしゃる! それでこの後の展開がまた胸熱でして——……」
するとまたカティンカが鼻息荒く語るという無限ループ。まぁ従者もメイドも慣れたように聞き流しているが。
そんな風に盛り上がっているところ、サロンの扉が開いた。
二人が戻ってきたのかな、とそちらに目をやったアーリスはコージャイサンを見て金縛りになったように固まった。いや、正確には彼というよりも、その腕に抱っこされている幼児を見て。
歳は三歳くらいか。ピンクのうさ耳パーカーとショートパンツ、白のハイソックスを身につけた茶髪でヘーゼルアイの女の子だ。
つられたようにそちらに視線を向けたカティンカなぞ口がぱっかりと開いているではないか。令嬢にあるまじき大口にヴィーシャが近づき、そっとその口を閉じた。
二人の反応にコージャイサンはゆるく口角をあげるだけ。なんとか気合いで金縛りを解いたが、動揺を露わにアーリスが尋ねた。
「え、コージー、その子はもしかして…………」
「ああ」
「ここにきて隠し子発覚⁉︎」
「ぶはっ!」
アーリスの発言に盛大に吹き出すイルシーを横目にコージャイサンと幼女は顔を見合わせた。するとすぐに彼女の表情に不満が現れる。
「だからじぶんであるくっていったのに」
「そう膨れるな。この方が早かっただろう」
どうやら抱き上げられているこの状態が悪い、と舌たらずに幼女は言う。その様子に眼差しを緩めたコージャイサンは宥めるように、見せつけるようにその頬を指の背で撫でた。
「彼女は俺の至宝。とても——愛らしいだろう?」
彼の言葉に幼女は居心地が悪そうに、対してアーリスは愕然とした。
「そんな、いつの間に……ザナも産んだなら教えてくれたら良かったのに! 僕もお祝いしたかった!」
「あ、イザンバ様が産んでる前提なんですね」
「ザナ以外でコージーの子を産む人なんて居ないでしょう⁉︎」
「成る程、ご家族公認。了解です! あの子の年齢考えたら学生結婚してることになっちゃいますけど気にしたら負け!」
鼻息荒く言い切るアーリスにカティンカは静かに突っ込んだが、彼の勢いにそのまま乗る事にしたようだ。
そして、アーリスの脳は学生結婚という単語をスルーした。もちろんそんな事実はないのだが、コージャイサンはそこに触れずに会話を続ける。
「祝いはいつでもいいぞ」
「分かった! 初めまして、小さなレディ。伯父のアーリスだよ。お菓子、ぬいぐるみ、洋服、何が好きかな?」
アーリスが幼女に向かってニコニコと挨拶をするが、どこかちぐはぐな彼らの会話にイルシーは「流石は兄妹」と笑い沈んだ。よくよくみればメイドたちも皆肩を震わせている。
「すきなものはほんです! って、ちがいます! コージーさまもなんでそこでノッちゃうんですか!」
「俺は事実しか言ってない」
「え?」
好きなものも母親似なんだね、なんてアーリスの能天気な思考が違和感を感知して。ぱちりと瞬いた彼にコージャイサンは言った。
「アル、よく見ろ。見覚えのある顔だろう?」
そう言われて改めて視線を合わせると、えへへと笑う彼女にアーリスはじっと目を凝らした。
——その顔立ちも
——その瞳も
——その笑い方も
「え、まさか……そんな……」
「ああ、ザナだ」
コージャイサンの言葉にしばしアーリスの脳の処理速度が落ちた。いや、もしかしたら逆に速度が上がって宇宙の真理をとき解いているのかもしれない。
どちらにせよ、その後に口から飛び出すのはやはり驚きであり。
「えぇぇぇぇえっ!!??」
アーリスとカティンカの声が揃った。
時は少しだけ遡る。場所はイザンバの部屋。
「これが伝達魔法で言ったザナにしか出来ない事……伯爵ご要望の幼児化の薬だ」
手渡されたのは魔力回復薬とは色が違う小瓶。受け取ったイザンバは数日前の会話を思い出しながら、目の高さまで持ち上げた瓶を軽く揺らす。白い絵の具に青の絵の具を一滴垂らしたような、薄い薄い水色がチャプンと踊る。
「首席はあんなだけど腕は確かだ。効果も継続時間も研究員で実証済みだから心配しなくていい」
コージャイサンが元に戻って出勤する前には三種変化の原因究明も済んでいた。そして熱意の赴くままに変身薬まで作っていたのだから、癖の塊のような男ではあるがファブリスはやはり魔導研究部長である。
しかし、その後は別の事に集中していたため、丁度いいとばかりにコージャイサンが臨床試験を引き継いだ。特に、継続時間が短めのものを念入りに。
「そこは心配してませんけど。ふふ、マゼラン様なら躊躇せずに飲んでそうですね」
「正解。その姿でうろうろするからクロウ先輩がマゼラン先輩の腰を紐で繋いで握ってた」
「あはははは! まるで迷子防止ですね!」
幼児化した研究員の世話はクロウが一手に担っていたが、その姿を想像する事は容易くイザンバは楽しげに笑う。けれどもその笑いはすぐに収まり、視線が下を向いた。
「どうした?」
「えっと、お父様は喜ぶでしょうけど、お兄様を追い詰めてしまわないか心配で」
「そうだな。もしかしたら急かされていると思うかもしれない」
「ですよね……」
——結婚の話題を避けている兄
——早く結婚して欲しい父
二人の落とし所は未だ見つかっていない。
無理矢理どうこうは考えていないが、今から成す事がどんな心象を与えるか——兄妹であっても量りきれない。
迷うイザンバの頭をコージャイサンがそっと撫でた。
「アルは腹が決まれば早いと思うけどな。それに器の大きな男だ。自分の兄が信じられないか?」
同性の他人だからこそ、兄妹とは違う見え方をするのかもしれない。彼の言葉に背を押されるように、イザンバの覚悟が決まった。
「いえ、そうですね。よし、女は度胸! ……って、コージー様?」
「ん?」
「あのね、そこにいるんですか?」
「うん」
さも当然と頷く彼にイザンバはスゥーッと息を吸うと、ニッコリと作った笑みを向ける。
「私これから着替えるんです。せめて廊下に出ててほしいなー?」
「心配しなくても幼児の肌に欲情しない」
「欲……⁉︎ もう! そういう事じゃないです!」
「はいはい。ああ、服はそこに置いてあるから。支度が済んだらノックして」
「……はーい」
なんで服が置いてあるのか、なんてイザンバは考えない。この邸にはすっかり馴染んだ彼の手の内の者がいるのだから。
そんなこんなで幼児化したイザンバは兄と友人に特大のサプライズを仕掛けにサロンに戻ってきたわけだ。
衝撃抜けきらないアーリスに変わりカティンカが口を開く。
「まさかのイザンバ様ご本人⁉︎ え、今度は時空歪んだ⁉︎ 歪みはどこ⁉︎」
「おおおおお落ち着きましょうカティンカ嬢。ザナは十九歳なんです。この子はどう見ても……ちっちゃい!」
「アーリス様が落ち着いてください! 語彙力吹っ飛んでます!」
どうやらまだ兄は現実が信じられないらしい。
正体を明かしたイザンバはコージャイサンに下ろしてもらうと、まずはあわあわとしている兄……ではなく、友人にとことこと近づきこう言った。
「カティンカさま。へんしんしてきました!」
「そう来たかー! しかしながら大変可愛らしゅうございます! うさ耳幼女とか天才的にラブリー!」
「どうしてそんなあっさり受け入れてるんですか⁉︎」
同じく驚きはしたがまだカティンカの方が比較的冷静で。取り乱すどころか喜ぶ彼女にアーリスは力一杯尋ねた。順応が早すぎやしないか、と。
対してカティンカはそれはもう素晴らしい笑顔を返す。
「だって幼児化とか夢があり過ぎるじゃないですか!」
「夢⁉︎ ちっちゃくなる事が⁉︎」
「オタクならみんな推し一人につき最低三回は妄想しますよ! カプなら軽率に片方を幼児化させます! そう、こんな風に! あ、幼児化と同じくらい性転換も夢がありますよねー!」
「待ってください! カッコいいから好きなんじゃ……⁉︎」
「推しに性別は関係ない! どんな姿でも推しは推し! なぜなら惚れ込んだ根っこは姿ごときで変わらないから!」
はっきりと、きっぱりと、カティンカは言い切った。その足元でイザンバは同意を示すように小さな手で盛大な拍手を送っている。
アーリスがふらりとよろめいた。
「お……奥が深い……!」
彼女たちオタクの「好き」という想いを侮っていたのかもしれない、と。反省と尊敬を見せる彼にこの男は冷ややかだった。
「そんなご大層なもんでもねーだろぉ」
「ほんま誰かさんと違って素直なお人やわ」
ひねくれ代表に視線を向けたあと、ヴィーシャは心底感心した。
そんな外野の声は青空の瞳をキラキラと輝かせるカティンカには届かない。
「けどまさか生きているうちにそんな事象にお目にかかれるなんて! あ、イザンバ様、お触りはありですか?」
「どうぞー!」
「失礼しまーす! わぁ〜、ほっぺぷにぷに〜アーリス様、こりゃたまらんですよ!」
幼児のほっぺは無敵。傷付けないように細心の注意を払いながらイザンバに触れるカティンカだが、それはもうあっさりと陥落した。
「……ねぇ、僕も抱っこしていい?」
「はい」
アーリスは恐る恐る小さくなった妹を抱き上げる。腕にかかる重みは決して成人女性のものではない。
——うわぁ、本当に……小さいんだ。
信じられないけど信じるしかない。彼は落とさないようにしっかりと妹の背に手を回した。
すると、それを見たヴィーシャがコロコロと笑いながら言う。
「あら、そうしてたら兄君の方が隠し子連れてきたみたいですよ」
「え⁉︎」
顔を見合わせる兄妹。思考が停止している兄をじっと見つめたイザンバだが、次の瞬間には無邪気に笑って抱きついた。
「パパー!」
「はーい、パパだよー! わぁー、本当にほっぺぷにぷにだ。このまま一緒に領地に帰ろうかー」
「いや、それコージャイサン様の嫁だから!」
「やだなー、冗談だよー」
イルシーがツッコむが、アーリスはもちもちの幼児の頬の虜。頬擦りしたまま、適当にいなした。
さぁ兄の気持ちが落ち着いたところで、説明のため再度着席。イザンバを膝の上に乗せたアーリスの隣にコージャイサンも腰掛けた。カティンカは対面に一人だが、気にした様子はない。
「それで……なんで幼くなってるの?」
「それはおとうさまのせいです」
見上げてくる妹に、なぜここで父が出てくるのかとアーリスは首を傾げるばかり。
そこでコージャイサンが説明を引き継いだ。
「俺が仕事中のトラブルで幼児化したんだが」
「え、大丈夫だったの⁉︎」
「オンヘイ公爵令息様の幼児化! ナニソレ美味しい! 絶対美幼児だし、ショタ需要増し増しでは⁉︎」
「そうなんです! ほんとうにしんじられないくらいかわいくて!」
話の腰を盛大に折り曲げにくるカティンカの勢いには大変覚えがある。むしろ続いたイザンバと遜色ない。
部屋にいる全員から呆れたような視線を向けられてカティンカは身をすくめる。すぐに詫びなければと思うのに、周りの、特に公爵令息の反応が怖くて動けない。ああ、なんと居た堪れない事だろう。
見かねたアーリスが口に人差し指をあてて「しー」と伝えると、彼女はコクコクと頷いて口をキュッと引き結んだ。なぜかイザンバも手で口を押さえているが。
そんなカティンカにやはり既視感を持つ男二人は苦笑を浮かべながらも会話を続けた。
「まぁその時に母が昔の服を引っ張り出して写真を撮ったんだ。それを聞いた伯爵も撮りたがっていてな。いずれはと約束したんだ」
「へぇ、そうだったんだ。あ、でも、このままじゃ結婚式が……」
「効果は半日で切れるから心配しなくていい。魔導研究部で臨床試験も済んでいる」
「あー、それなら良かった」
「結婚したらザナの籍は公爵家に移る。それから幼くなったとしても危なくて外に出せないからな。ギリギリになったが伯爵の願いを叶えられた」
結婚後の警護ももちろん万全にするが、それでも幼児ほど誘拐しやすいものはないだろう。抱き上げられる容易さを彼は身をもって知っている。
誘拐のリスクを考えると、イザンバの幼児化は公爵家に移る前の方がいい。彼が臨床試験で継続時間が短いものを優先したのもこの為だ。
「そっか。なんかお父様の我が儘のためにごめんね。ありがとう」
「気にしなくていい。俺も——……」
そう言いながらしなやかな指先がイザンバの頬をつつく。その表情はとても穏やかで恋愛の熱は見えないが、慈愛の心が滲み出ているようで。
「幼いザナを愛でたかったからな」
「わぁ〜……これは……僕まで照れちゃう! ご馳走様!」
聖母も裸足で逃げ出すような笑みを間近で受けた兄妹のみならずメイドたちも頬を赤らめた。
しかしながらこれに照れない人物もいるわけで。
「これは婚約者というよりも理想の嫁育成計画では……? もしくは性別という概念を越えてアーリス様が出産……? 不健全な匂いがプンプンする! 妄想が捗ってしょうがないんですけど!」
緊張感も忘れて萌えの興奮が高まってつい口が滑る。むしろ妄想に忙しく滑っている事に気付いていない。
「えーっと、僕は男だから妊娠も出産も出来ないんだけど」
「だいじょうぶ。おにいさまのしらないせかいのはなしです」
「そうなの?」
なぜか幼児から見守るような視線を向けられたアーリスは納得出来たような出来ないような。
妄想で顔をニヤけさせるカティンカにコージャイサンは思案顔。その後、静かに従者たちに視線を投げかければ彼らは揃って目礼をした。




