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さぁ、気を取り直して。
「私は失敗しましたがちょうど得意な方が来たのでお願いしようと思います。と、言うわけでー。はい、お兄様」
「え、僕がやるの?」
「だって私より上手じゃないですか。ね、お願いします」
アーリスが出来る理由は言わずもがな妹にある。
その昔、突如庭で剣を振り回し始めた彼女の危なっかしさには度肝を抜かれた。しかもその理由が「剣をくるくる回したい。なぜならカッコいいから」。
その気持ちは大いに分かるが、とにかく妹の手からよく離れて飛んでいく。このままではいずれ大惨事になると、説得を重ねて剣から棒への変更に成功したが、やはり飛んでいくのは変わらない。落ち込む妹を励まそうとしたのが始まりだった。
しかし結果として剣の稽古を受けていた為にイザンバよりも扱いが上手く、アーリスの方が向いている事が分かったのだ。また妹が「すごい! お兄様すごい!」と言ってくれるのも大きかった。
さて、妹に頼まれたアーリスは彼女の手拍子に合わせてくるくると棒を回し始めた。
両手で、片手で。体の正面だけでなく、側面で回したり、体の周りを一周させたり。そうかと思えば回転を利用し首を経由させて持ち替えた事に皆を驚かせた。
一番歓声が上がったのは棒を上へ高く投げて本人はくるりとターンし、見事にキャッチしてそのまま回し続けた時だ。
もちろん棒が手からすっぽ抜けるなんて事はない。パフォーマンスとしてはとても安定していて、最後にきちんと棒を収めて礼をした。
そんな彼に観衆から拍手が沸く。イザンバがドヤ顔なのは仕方がない。だって彼女にとっては自慢の兄なのだから。
彼のパフォーマンスを食い入るように見つめていたカティンカの顔を、イザンバは横から覗き込んだ。
「すごいでしょう! あれが剣で出来たらカッコいいと思いませんか?」
「思います!」
「じゃあカティンカ様もやってみましょう。手の皮が剥けるといけないんで革手袋付けてくださいね」
控えていたジオーネから渡されたのは黒の革手袋。軍服ともよく合うシンプルなデザインだが。
「わぁー、これもピッタリー! イザンバ様、恐ろしい子!」
「イエイ!」
カティンカの言葉を褒め言葉として受け取ったイザンバは目の横でピースを作り明るく言った。
「あ、両手と片手、どっちがしたいですか?」
「片手で! 私も剣回したい!」
「ですよねー! なら棒よりもステッキの方がわかりやすいし。ジオーネ、ステッキを二本持ってきてくれますか?」
「かしこまりました」
すぐに動いたジオーネはクラッチハンドルのものを二本持ってきた。ステッキを受け取ると、イザンバはその場で一回、軽く回してみせる。
「お嬢様、もう少しこちらに」
「あら。そうですか?」
しかし、先程のすっぽ抜けを見ているせいか、ジオーネにさりげなくカティンカとの距離を取らされた。怪我をさせるわけにいかないもんね、と納得はしたが、気持ちは少ししょんぼりする。
しかし、しょんぼりしたままでは本当に怪我をする。イザンバは一つ深呼吸すると、気持ちを切り替えて顔を上げた。
「棒を回すのも剣を回すのもコツは一緒なんです。しっかりと握りしめるのではなく緩めで、親指と人差し指で支えて残りは添える感じですね。ステッキのグリップの部分は体の前、先端は後ろで円を書く感じで動かします。まずはゆっくり動かしてみましょう」
イザンバの指示に従い、ゆっくりとステッキを動かす。手元に集中し、どんどんと真剣な表情になるカティンカ。最初は固かったステッキの動きも滑らかになってきた。
「そうそう! カティンカ様上手ですよ! その動きに慣れたら次の段階にいきましょうね」
「イザンバ様の教え方がうまいんですよ。それにこの格好だとスカートを気にしなくていいからやりやすいし」
「確かにスカートだと引っかかったりしますね。……私もパンツスタイルでやればもっと上手に出来たのかなー」
——どんな格好でも飛ばしてそう……。
見守っていたメイドたちも含めて女性陣全員が思ったが、誰も口にはしなかった。
ふと、カティンカの視線が一瞬男性陣の方に向くと、順調に回っていたステッキが止まった。
「あの、イザンバ様」
「どうかしましたか? あ、手痛いですか?」
「いえ。手は大丈夫です……あの、その……」
「はい」
「………………私、この格好でクタオ伯爵令息様にご挨拶して良かったんでしょうか?」
彼女の言葉にイザンバを始めメイドたちも揃って首を傾げた。どうやら彼女たちとカティンカとでは現時点で認識の差があるようだ。
「何か問題あったっけ?」
と、シャスティが周りに振れば。
「婚約者様がコスプレしてー。お嬢様がハッスルしてー。皆さんがコスプレしてー。お嬢様がハッスルしてー。うん、いつも通りー」
ケイトは指折り確認して。
「兄君は探偵vs怪盗のコスプレ写真を見た時も褒めていらしたぞ」
ジオーネの発言にカティンカの耳がぴくりと動き。
「あ。でもそやったら直に見はんのは初めてちゃう?」
ヴィーシャの言葉にイザンバが気付きを得た。
「それだ! しかも令嬢だって言ったのに二度見してました! 兄が失礼しました!」
「兄君が二度見したのはお嬢様がレグルスのコスプレをさせたからですよ」
「事実と現状が一致してないですもんねー。本当再現度高すぎですよ! 素晴らしい!」
ジオーネの指摘にメイク担当に拍手を送るイザンバに、カティンカも便乗して盛大な拍手を送りたいところだが、彼女が言いたいのはそういうことじゃない。
こんな反応は仕事関係以外にはないもので、カティンカは戸惑いながらも気持ちを言葉にした。
「えっと、そうじゃなくて。あの、ぬいを拾って貰っておいて本当に今更なんですけど……その、伯爵令息様はオタクに嫌悪感とか忌避感とかは」
「私の口から言っても信じるかはカティンカ様次第ですけど。多分お兄様は初めてお会いした時から気にしてないですよ。だって、ほら……妹がオタクだし!」
親指で自身を指す彼女の笑顔のなんと眩しい事だろう。メイドたちもそこに否定の言葉はない。
なんとなく、イザンバは彼女の言わんとした事が理解できた。
「気になるなら聞いてきましょうか?」
「いえ! そんなわざわざ……ただちょっと……ご不快に思われてないなら、いいんです」
思い詰めたように吐き出された言葉に、彼女が抱くトラウマを垣間見た気がした。
さて、男性陣。こちらではなんとコージャイサンにアーリスが教えていた。くるくると回していた棒を収めて彼は言う。
「成る程、コツは分かった」
「やっぱりセンスいいね。すごく様になってるしカッコいいよ!」
あっさりと棒回しを習得するコージャイサンにアーリスは曇りない笑顔だ。ぱちぱちと拍手を送る。
「ハッ。こんくらい余裕」
また、主人の後ろで聞いていたイルシーは元よりその器用さを発揮して棒をくるくると回したかと思うと、上げた腿の下を通して持ち替えているではないか。
「他にも技はあるのか?」
「あとは彼がしてるけど応用みたいなものだし。もし剣でするなら体を傷つけないように気を付けてね」
「そうだな。戦闘中に回す事はないと思うが、確かに……挑発にはいいのかもな」
アーリスの注意喚起は順当なもので。くるりと回る棒の奥に、コージャイサンの挑発的な笑みが浮かぶ。
そんな二人の会話を聞いていたイルシーは悪戯を思いついたように口角を上げると、棒を片手に地を蹴った。和やかな空間を壊すように高く強い音が響き、女性陣も含め全ての視線がそちらに向く。
「わっ! ちょっと、危ないから!」
慌てたのはアーリスだ。打撃を受け止めたコージャイサンは従者の行動に心底呆れたように息を吐いた。
「お前な……」
「ハハッ、流石コージャイサン様。じゃあさぁ……これならどうだ⁉︎」
イルシーは悪びれた様子もなく棒を振るう。棒の回転を利用しながら両端で早い連打。かと思えば槍のように突きを繰り出す。
対するコージャイサンも難なく防ぎきり、回転でフェイントを仕掛けると顔面に向けて右足を蹴り上げる。水色の髪を掠めた靴先に、そのまま上体を逸らし片手でバク転をしたイルシーがご機嫌に口笛を鳴らした。
「うわ、うわ、うわぁ〜〜〜! シリウスとリゲルの稽古風景みたいで興奮しますねー!」
カティンカが話かけてもイザンバからの返事がない。
「あれ、イザンバ様? おーい」
再度呼びかけてもその視線は打ち合う二人に釘付けで、瞬きすらしていない。不審に思ったカティンカはその距離を詰め——ある事に気が付いた。
「ちょ、ヤバい、息! 息して!」
「お嬢様! 失礼します!」
カティンカの焦りの声にすぐさま反応したヴィーシャが少々強めにその背を叩く。強制的に肺の空気が押し出され、イザンバの意識が戻ってきた。
「ぷはっ! しまった……つい呼吸も忘れて魅入っちゃいました」
「わかりみ〜」
「ヴィーシャもありがとう」
「いえ、失礼いたしました」
その礼を受け取ったヴィーシャは静かに下がった。それを見送ったオタク女子二人の視線は再び打ち合う主従へと自然と向かう。
——自分に出来ない事だからこそ魅了される
今度はちゃんと息をしているな、なんてイザンバの様子を横目に盗み見ていたカティンカに、友人からそれは素晴らしい笑顔で爆弾が投げられた。
「カティンカ様! 是非上達してあそこに混ざってくださいね!」
「私に死ねと仰っている⁉︎」
「やだなー、冗談ですよー」
「本当に⁉︎ 絶対無理ですからね⁉︎」
前回よりも少し気安さが出たやり取り。まだ本気と冗談の区別はつかないけれど、それでも言葉を交わす距離によそよそしさも忌避感もない。
「っていうか、くるくる回すところなら私よりもクタオ伯爵令息様の方が断然様になってるし、打ち合いもあのリゲルにレグルス様やってもらえばいいんじゃ……?」
「それなら依頼料寄越せよぉ」
「きゃぁぁぁあっ!」
ボソリと呟いた独り言に背後から声が返ってきてカティンカは叫んだ。イザンバの背後に隠れた彼女が見たのはニヤニヤと笑うリゲル。先ほどまでコージャイサンと打ち合っていたのにいつの間に、と驚きが隠せない。
友人の声に驚いたイザンバだが、そんな事はおくびにも出さず。
「よしよし、ビックリしましたね。あの人いつもああなんですよ。でも確かにそれなら怪我の心配もないし絶対カッコいい! いつかしてもらいましょう!」
「是非!」
いい案を貰ったとホクホク顔のイザンバは、ふと今ならいけるのではないかと思いついた。
「ねぇ、カティンカ様。私たちはもう一度あれをしません?」
「あれ?」
その意を汲み取れず首を傾げるカティンカに向き合ってイザンバは、くるりとステッキを回して剣のように構えた。その表情は楚々とした令嬢でも、にこやかなオタクでもなく、覚悟を持った凛々しさ。
「『おい、お前が見るべき相手はこの俺だろう。余所見をするな』」
ここで彼女の言わんとすることを理解したカティンカもつられて動く。同じく構えられた時にはニヒルな笑みがそこにあった。
「『そうカッカするな。こんなにも俺を熱くするのはお前くらいだ』」
「『どうだか。随分と舐められたものだ』」
「『そりゃあ俺とお前じゃ格が違う』」
「『この道を遮る者は何者であれ斬る! そこを退けッ! レグルス!!』」
「『返り討ちにしてやろう! かかって来いッ! シリウス!!』」
彼女たちは構えただけでステッキを振り回す事はなかったが、雰囲気につられたとはいえカティンカらしからぬ表情が出ている事に彼女は気づいているのだろうか。二人は顔を見合わせてまたクスクスと笑い合う。
「敵として出てくるからレグルスって挑発する場面が多いですよねー」
「シリウスをライバルと認めているからこそ絡んでいくんですよ。基本的に雑魚は放置ですし」
「だからなんですね! その流れを汲んでからのあの絡み! ここ、好きなんですよねー!」
「どこから出したんですか、それー!」
それは四次元おっぱいから。見た目はそれと分かりずらいがオープンにされたカティンカの著書。ふと、イザンバの背後から覗き込んだコージャイサンがその文字を追った。
カティンカが可哀想なくらい顔色をなくしたのは不敬罪の文字が過ったからか、それとも身バレを恐れてか。安心して欲しい。もうバレている。
「ふーん」
「なんですか?」
見上げるヘーゼルに彼はニッコリと微笑むと、結っていた長髪を下ろした。そして、グイッとその腰を引き寄せ、逸らす事を許さないというように顎にかけられた指。紫眼は真っ直ぐに彼女へと注がれているが、赤紫の髪がイザンバに向けられた他者の視線をさらりと遮った時——。
「『お前を熱くさせた……その責任を取らないといけないな』」
低く艶やかな声が落とされた。
「きゃぁぁぁ!!」
「ありがとうございますっ!!」
背後から沸き上がった黄色い声と大変熱い謝意。ケイトなぞ連写速度が過去一番だ。
まさかのセリフ引用というサービスに感情の指針が興奮に振り切ったカティンカが叫んだ。
「こんなのアリなの⁉︎ 動悸が治りませんおかわりください! ってイザンバ様、鼻血!」
「お嬢様、下向いてください!」
慌てて駆け寄ったカティンカに続きシャスティが素早く赤き一筋を抑える。準備も対処もばっちりだ。
「大丈夫です。ただの致命傷だから」
「それ全然大丈夫じゃないですよね⁉︎」
突然のファンサを間近で受けたイザンバの脳の処理速度はスローペース。どこか夢見心地のまま、シャスティから手当を受ける。
爆弾を投下した当の本人はイザンバの反応にしてやったりとばかりに笑うと、彼女の頭をぽんぽんと撫でてアーリスに向き直った。
「じゃあ俺は着替えてくる」
「もう着替えちゃうの?」
「ああ。ザナのお願いの分は終わったからな」
「わぁ、いつもありがとう」
妹がどんなお願いをしたのか……全く分からないが、鼻血を出しながらも幸せそうな妹と、それを見て引くどころか満足気な義弟に問題ないのだろうとアーリスは判断した。
しかし、同じ格好のもう一人が動かない事に疑問を持った。
「キミは?」
「俺は初めましてがいるからこのままだぁ」
「そうなんだ。じゃあ、手伝いに誰か……」
「アイツらのどっちかが行くから心配いらねーよぉ」
茶化すような物言いなのにどこか冷めたように感じるのは彼が纏う色合いのせいだろうか。元より手配は済んでいたようで、ジオーネが静かに動いた事をアーリスも視界の端で捉えた。
そして、オタク女子二人はといえば……。
「……何食べたらあんな色気が出るんだろ」
「本当それです。鼻と心臓に悪すぎてしんどい……」
寄り添って愚痴りながら堂々たる背中を見送ったのであった。




