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カティンカを待つ間、シリウスとリゲルの撮影で再び興奮していたイザンバの耳に待ち侘びたノック音が届いた。
「お嬢様、ジンシード子爵令嬢様のご準備が整いました」
「お待ちしておりましたー!」
パッと華やいだ瞳の前に、ヴィーシャとシャスティに引っ張られる形でその姿を現した。
金メッシュの入った短めの濃緑の髪、眉目秀麗ながらも暗く鋭い瞳。いや、目に暗さがあるのは彼女自身の気力のなさか。
身に纏うは濃茶の軍服で縁取りは黒、差し色に赤が使われて足元はシリウスと同じく編み上げの黒ブーツだ。
だが何よりも驚くべくは全体的に女性らしい丸みがどこにもなく、肩や胸元、腰回りが男性らしい見た目になっている事だろう。
「きゃぁぁぁぁあ! イケメン敵役キター!!」
両手を上げて喜ぶイザンバとは反対に、訳もわからぬまま着替えさせられ、メイクをされたカティンカだが、未だ目に力が戻らない。虚ろな目でぶつぶつと呟いた。
「こわい……レグルス様の軍服にそっくりでめっちゃテンション上がるー! とか言ってる場合じゃなかった……。おっぱい小さいのにお尻と一緒に潰されるし、顔も引っ張られるし、めっちゃ厚化粧されるし、何より服のサイズがピッタリすぎてこわい……」
実に手際よく着替えさせたヴィーシャは当然とばかりに。メイクをしたシャスティは達成感に汗が煌めいている。
ちなみに彼女はまだ自分の姿をちゃんと確認できていない。だからこそ困惑もひとしお。
「着心地はどうですか? 体を締め付けてる状態ですけど息苦しいとか動きにくいとかないですか? 胸つぶしは初めて作ったものだから心配で」
「作った⁉︎ いえ、もうツッコミません。イザンバ様ならアリなんだろうって気がしてきました。着心地も締め付けも大丈夫です」
「良かったー! すっごく似合ってますよ!」
「ありがとうございます。でもなんでこんなにピッタリなんですか? この前お話しした時、別にサイズとか言ってないような気がするんですけど……」
そんな疑問にイザンバは唇に人差し指を当てるとこう言った。
「それは企業秘密ってやつですよ」
「イザンバ様……恐ろしい子!」
悪戯っぽく笑う彼女にカティンカが抱いた畏怖の念。だがそれも仕方ない。カティンカの胸のサイズは平均よりも控えめだが乳は乳。それを潰してなお服のサイズをピッタリと合わせてきている。それも本人なしに。どうやったのかなんて服を作ったことがないカティンカには想像すら出来ないが、目の前の友人に底知れないナニかを感じてしまう。
「それで、あの、これはどういうことなのか説明をいただいても?」
「そうですね! でも百聞は一見にしかず! さぁ、どうぞご対面ください!」
恐る恐る尋ねたが、イザンバから返されたのは明るい声音。彼女の号令に従ったジオーネが持ってきた姿見に映るその答えにカティンカは目を見開いた。
——挿絵を一目見て恋に落ちた衝撃が
——その生き方に感銘を受けたあの日が
——幸せになって欲しいとペンを走らせた情動が
再び脳天から突き抜ける。
目の前の光景が到底信じられず、彼女は一歩、また一歩と鏡に近づく。手を伸ばせば触れられる、そんな距離まで来てまじまじとその姿を見つめた後、ようやっと声を上げた。
「レ、レレレレグ……レグ、レグルス様ぁぁぁ!!!???」
その驚きは声の大きさに反映されて周囲の空気を震わせた。しかしその反応を予測していたのか、イザンバ以外はきっちりと耳を押さえていたので問題ない。
ちなみにイザンバは友人の反応にご満悦のようで、ニコニコしながら負けじと喜びの声を上げた。
「ねー! レグルスがレグルスしててレグルスすぎるー!」
「いや、何言ってんだよ」
「彼女よりもザナの方が喜んでないか?」
「だって右見ても左見ても正面見ても正しくご本人様降臨じゃないですか! はぁ〜〜〜推しが尊い! 生まれてきてくれてありがとうございます!」
主従のツッコミもなんのその。全方向に向かって感謝の念が絶えない。キラキラと輝くヘーゼルを向けられてコージャイサンは仕方がないなというように微笑み、イルシーは「変な女」とボヤきながら首を振った。
そしてカティンカはといえば、じわじわと迫り上がってくる感情の波に呑まれた。
「わた、わたし…………あぁっ! レグルス様の大ファンなんですぅぅぅ! 愛してます! 握手して……いたっ!」
感極まって握手を求めたが、しかしそこは鏡。握り返されるどころか見事な突き指だ。
「カティンカ様ー! 一回落ち着きましょう! はい、深呼吸してー。ゆっくりー、ゆっくりー」
「いじゃんばしゃま……わたし……」
イザンバの声に従って目を閉じてゆっくりと呼吸をしたカティンカは、そろりと瞼を押し上げるともう一度鏡へと視線を向けた。
「あぁぁぁぁぁぁあ! 好きぃぃぃ!」
「うんうん、その気持ち分かります」
「握手が無理ならハグを……って固い!」
「それは鏡に映ったご自分だからです」
「いやぁぁぁ! 私が泣いてるからレグルス様がブサイクに!」
今度は間近で見た泣き顔にショックを受けている。感情の指針は右に左にと揺さぶられて。ああ、なんと情緒が忙しないことだろう。
イザンバは友人にハンカチを差し出し目元を示す。そっと拭い始めた彼女の頭をよしよしと撫でた。その胸中に慰めよりも申し訳なさを募らせて。
「涙が落ち着いたらお化粧直しましょうね」
「……あい」
その返事を聞いて、シャスティとヴィーシャにお願いねと視線を投げかけると、二人は揃って了承の意を返した。
さて、顔面修復を果たしたカティンカに再び着席を勧め、コージャイサンと共に対面に座るイザンバは改めて事の次第を説明した。
「つまり、私は今レグルス様のコスプレをしている」
「そうです。カティンカ様をお呼びするならレグルスだ! って思って。でもよく考えなくてもサプライズにせずにちゃんとお知らせしておいた方が良かったですね。本当に——ごめんなさい」
しっかりと頭を下げて詫びているが、これは大いに反省すべき点である。
イザンバからすれば友人を喜ばせたい一心であったが、事前情報がないゆえに友人の情緒面が大荒れになった事は変えられない事実。
ただ一つ言い訳をするのならば、彼女はコージャイサンを初めとした周囲に人に恵まれすぎた。皆あっさりとコスプレを受け入れたのだから。その為、それが未だ彼女の周辺でしか馴染みのない事だと失念していたのだ。
しかし、振り回されたであろうカティンカにそこを責める気はない。
「とんでもないです! こんな風に推しを拝める日が来るなんて思っても見なかったから本当に驚きましたけど、でも嫌じゃないですから! むしろ感謝しかないです!」
もちろん驚いた。だが、情緒が落ち着けば推しと鏡越しに対面出来る現実は嬉しいという他にない。全てがお膳立てされている中で、カティンカが差し出しているのはその身だけ。二次元の世界を三次元に投影するという発想は彼女にはなかったものだから。
「イザンバ様はシリウスのコスプレしないんですか?」
「私は見る専なんで」
イイ笑顔で言い切った。そこは本人もした方が説得力も増しただろうに。だが、彼女の言葉には続きがある。
それに、と言いながら彼女の視線はコージャイサンへと向けられた。
「こんなクオリティ鬼ヤバでカッコいいシリウス様見た後に自分がしたら……理想と現実のギャップに間違いなく落ち込みます」
「あ、察し。じゃあ別のキャラは?」
「キャラじゃないけどこれから変身予定で……まぁそれはちょっと横に置いといて」
「置かないでください! 見てみたいです!」
「えーっと、もうちょっと待ってくださいね。でも今はレグルスですよ! せっかくのコスなんですから写真撮りましょう!」
「へ?」
しかし、ずずいと迫るカティンカから逃げるように、わざとらしく矛先を変えてイザンバが撮影機を構えた。
「さぁ、カティンカ様成り切って! ダークサイドのバ可愛い戦闘狂! あなたの愛するレグルスを見せてください!」
呼びかけられたカティンカだが、撮影機を前に動けない。ポーズを決めるどころかカチンコチンに固まってしまった。
「うーん、緊張しちゃいます? お顔、だいぶ固いですよ」
「ごめんなさい! でも、写真なんて初めてで!」
「あ、そっか。じゃあまずはリラックスから始めましょうか」
カティンカはコスプレも初めてならば、写真を撮るのも初めてだ。いきなり撮影機を向けられて自然とポーズが出来るほどの余裕はない。あの主従の対応力が高すぎるのだ。
——いきなりやっちゃったコージー様を基準に考えちゃダメだよね。反省反省。
なんて思うが、写真を諦めた訳ではない。彼女は自然な動作であるメイドを呼ぶ。
「ケイト、これ持っててください。…………カティンカ様が集中し始めたら撮影よろしくお願いしますね」
「お任せくださーい」
小さな声での願いはケイトに託された。
とはいえ、一度撮影機を意識したカティンカの状態はリラックスとは程遠い。そんな彼女にクスリと笑みを漏らすと、イザンバは明るい声音で話しかけた。
「ねぇ、カティンカ様。レグルスって騎士として作中トップクラスの実力ですけど、ちょっと癖っていうか、本気を出す前は剣をくるくる回すじゃないですか」
「そうですね。余裕の表れを表現してるのかなって思ってます」
「私そのくるくる回すのに憧れたんです。だからね、ちょっとだけ出来るんですよ。室内じゃ危ないかな。外に出てもらってもいいですか?」
さて、ぞろぞろと庭先に出てきた御一行。彼らを前にイザンバが手にしたのは棒。長さはイザンバの身長よりも少し短いくらいだろうか。
それを見てコージャイサンが尋ねた。
「剣じゃないのか?」
「剣は危ないからダメってお兄様に言われて。棒術っていうんですけどね。それじゃあいきます!」
そういって両手で棒を持ち体の正面で構えるとゆっくりと回し始めた。くるくる、くるくると。速さを上げると正面で回されていた棒は空に大きく円を描くように動かされた。
「わぁっ! すごい!」
「あ」
しかしやはりと言うか、棒がイザンバの手から離れて飛んでいく。
回転を纏ったまま飛んでいく棒の行方を追えば、なんと馬車が止まっているではないか。イザンバは慌てて駆け出したが時すでに遅し。棒はゴンッと大きな音を立ててその屋根を叩いた。
「うわっ! なになに何事⁉︎」
突然の打撃音に驚いたのか、馬車から慌てたように人が降りてきた。
「ごめんなさい! 手からすっぽ抜けちゃって……って、お兄様。おかえりなさい」
「ただいま。ねぇ、馬車に何かぶつかったみたいだけど何してたの?」
「棒回しです」
「あー、ね。棒で良かった……」
と、遠い目をしたアーリスだが、妹の背後にその視線がいった。そこには常にない違和感が。というか違和感しかない。
その中で一際存在感を放つ黒の軍服を纏う紫眼の男性にアーリスの目が奪われた。
「……ねぇ、もしかして彼は……」
まさか、と体が震える。
——信じられない、と。
まさか、と肝が冷える。
——認めたくない、と。
知るはずのない彼を知っている妙に確信めいた心。違うよね、なんて願いは妹の晴れやかな笑顔によって打ち砕かれた。
「はい! 私の推しのシリウス様です!」
「ザナの推し……ってことはやっぱりコージー⁉︎」
「ああ」
「うちの妹が本当ごめんね! でもカッコいいよ!」
「ありがとう」
メイクで顔の印象は全然違うが声を聞けば確かにコージャイサンで、アーリスは申し訳なさ半分、感動半分の心境を吐き出した。
見慣れない軍服ではあるが、コージャイサンに着せられている感はない。
——卒なく着こなすスタイルの良さ
——堂々とした立ち姿
加えて妹を受け入れてくれる器の大きさに、同性でありながらもつい見惚れてしまう。
しかし、惚けている場合ではないとアーリスは頭を振った。だって見慣れない人はまだいるのだから。
「えっと、それじゃあ……そちらはどなたかな?」
「こっちはシリウス様の部下のリゲルです! 可愛い顔してガンガン攻めるところは鬼畜なシリウス様の部下って感じなんですよ! そしてこの方はレグルスです! 傍若無人ながらカリスマ的な魅力で部下をまとめ上げ、作中トップクラスの実力でシリウス様たちの前に立ちはだかる忠臣の騎士の敵役!」
尋ねれば妹は嬉々として教えてくれたが、理解できたかと言えば、答えはノーだ。
疑問符を浮かべるアーリスに助け舟を出したのはやはり彼。
「ザナ、そっちじゃない。本体の説明」
「おっと失礼。お兄様、ご紹介します。このリゲルはコージー様の部下で、こちらは私の友人のカティンカ・ジンシード子爵令嬢です」
「子爵令嬢……令嬢⁉︎」
失礼だと分かってはいてもアーリスは二度見した。だがそれも致し方がない事だろう。なにせ絶賛男装中なのだ。令嬢要素がどこにもない。
そんな困惑を露わにする兄にイザンバはポケットからあるものを取り出した。
「お兄様、これ覚えてますか?」
それを顔の前まで持ってくるとその小さな手をちょこちょこと動かす。そんな妹の仕草にほっこりとしたアーリスの肩から力が抜けた。
「覚えてるよ。これってザナが好きなキャラクターのぬいちゃんでしょ?」
「そうです。このぬいちゃんと本屋さん。これで思い出す事ないですか?」
「えーっと、確か……これと同じぬいちゃんを落とした人がいたから拾って渡したけど……ええ⁉︎ もしかしてあの時の⁉︎」
「そうです。あの後で私もお出会いして。それでね、すっっっごく趣味が合うんです!」
えへへ、と笑う妹は本当に嬉しそうで。アーリスは再びカティンカへ視線を向けた。
——趣味が合う……。
事実その通りなのだろう、と彼女の格好を見れば一目で分かる。
けれども、彼女の視線はうろうろと彷徨う。それは今の姿の気恥ずかしさからか、それとも……。
「先程は不躾に失礼しました。改めましてアーリス・クタオと申します。妹がお世話になっています」
「ジンシード子爵が娘、カティンカと申します。あの時はぬいを拾ってくださりありがとうございました」
二度目の邂逅。すでに紡がれた縁の糸に、今もう一本が重ねられた。




