7
騎士たちの暑苦しい勝負は敗者の山を作るの勢いで進んでいく。
その傍らで魔術士たちがコージャイサンとケヤンマヌを囲い術式談義をしていると、食堂の扉が開いた。
「総大将! 将軍! お疲れ様です!!!」
食堂に現れたゴットフリートとグランに全員が敬礼。さぁ彼が来たと言う事はこの酒宴も終わりの時間だ。
「殿下、そろそろ」
ゴットフリートの言葉に王子は鷹揚に頷くと立ち上がった。
「皆の者、すまないが今日はここまでだ。実に楽しい時間だった。メディオ、この後は……って、お前大丈夫か?」
「ふふふ、このメディオ・ケンインに不備はありません! 二次会会場も予約済みです! さぁ、寂しい独り身の酔っ払いども! 私に着いてきなさい! あーっははははははっ!」
「それはキミもでしょ! てか、どこ行くのさ! そこキッチンだよ!」
覚束ない足取りでキッチンに侵入しようとするメディオをロットが必死に止めている。
「はは……そう言う事らしい。まぁ飲みすぎないようにな。コージー、そして皆のこれからの活躍に期待している」
「はっ!」
王族からの激励が締めとなった。
さて、ゴットフリートと共に来たグランはある一点を見つめている。その眼力は鋭く険しい。
「キノウン、あの男に挑んだか?」
「はい」
「結果は?」
「…………瞬殺でした」
コージャイサンに身体強化をしてもらい骨が折れる事はなかったが、それでも悔しいと彼は顔を歪める。
「他も似たり寄ったりか……。明日からの訓練、より厳しくなると覚悟しておけ」
「はっ!」
「しかし——……騎士団がこの程度と思われては業腹だな」
ズン、と重いプレッシャーが食堂に伸し掛かる。
グランは挑発的にファウストを見ると軍服の上着を脱ぎ捨て、それはそれは立派な上腕二頭筋を見せつけた。
「不肖の部下たちに筋肉の真の唸らせ方を見せてやろう」
「将軍殿が相手をしてくださるとは……実に光栄ですな」
ピリピリとした殺気にも似た緊張感、二人の間に激しい火花が飛び散っている。
アームレスリング台の片方に陣取ったグランの背後に迸る闘気すらもファウストに牙を剥いているようで。
「さぁ、来い! 若造!」
「その胸、お借りしましょう!」
始まった最後の大一番。騎士たちは二人を囲み、興奮を隠しもせずに雄叫びを上げた。
「えーっと、叔父上。アレは……ヒェッ!」
どうする、と尋ねる前にケヤンマヌの顔色が変わる。
叔父から発せられるのは暑苦しい盛り上がりとは反対の冷えきった空気。
——ああ、やっぱり親子だなぁ。これがもう一人確実に増えるのかぁ。末恐ろしいなぁ。
あまりの寒々しさに少々現実逃避をしてみてもいいじゃないか。
「外にレオナルドがいます。殿下もそちらへ。俺はアレを片付けてから行きます」
「あ、はい。その、どうか程々に」
二人の勝負に熱中する騎士たちに逃げろと言いたいが、ゴットフリートの笑顔の圧に王子は速攻で白旗を振った。
しかし、すぐ彼らに拳骨を落としに行くのかと思えば、ゴットフリートは息子に目をやった。
「お前も随分と飲んだようだが……どこが好きだなんて本人に伝えるべきだろう」
「……聞いていたんですか?」
「それが今日の仕事だからな」
涼しい顔で言う父にコージャイサンが苛立ちを見せる。
警護のためにこの場に上司がいたら若者たち楽しめなかっただろう。
配慮してくれていたのなら盗聴した事も黙っていればいいのに、と視線に不満を乗せてぶつけるが、ゴットフリートはそれすらも飄々といなす。
「迎えが来ているからコージーも帰りなさい。このまま飲み続けて見知らぬベッドの上で起きたくないだろう?」
「そんな事しませんし、心配も不要です」
「おや、ついこの前子どもになっていたのは誰だったか。それに……気を付けねばならないのは異性だけではないぞ?」
「やめてください」
父の言葉に息子は心底嫌そうな顔をする。あからさまなそれにゴットフリートがクツクツと喉を鳴らしながら笑った。
促された二人は連れ立って扉に向かう。騎士以外にお疲れと手を振り、扉が閉まる直前の拳骨の二重轟音にケヤンマヌだけが体を震わせて。
食堂の外へ出ると春の夜風が酒で火照った体をそっと撫でた。
「元帥は……あそこか」
レオナルドは少し離れた位置にいたが、どうやら誰かと話しているようだ。
少し近づくと彼の影に隠れていた柔らかなグリーンの裾が見えて、コージャイサンは目を見開いた。
「なんで……」
零れ落ちた小さな呟き。訝しんだ王子がその視線を辿り、固まった従兄弟の代わりに問うた。
「イザンバ嬢、どうしてここに?」
「ご機嫌よう、殿下。今日は飲み会だから迎えに行った方がいいって皆さんに言われまして」
「皆さん?」
「オンヘイ公爵夫妻と護衛たちに」
「ああ、成る程」
イザンバの言葉に王子は理由を悟ったが、コージャイサンは納得していなさそうな表情になる。
「それにしてもこんな時間に出歩いたら危ないだろ」
「心配しなくてもイザンバ嬢が来てまだ十五分も経ってないよ。さっきまで私たちと一緒に局長室にいたし。もちろんコージャイサンが付けてる護衛たちも一緒にね」
「はい。クタオ伯爵にも伝えた上で、お嬢様はこちらに参りました」
サプライズが成功したと笑うレオナルド。その後ろで護衛たちも頭を下げる。
酔ったコージャイサンをどこかの誰かが持ち帰らないように彼女が呼ばれたと分かるが。
——今は俺と一緒の方が危ないと思うが……。
飲酒後だからか妙に会いたくて。ただそれは健全な気持ちだけではないと彼自身が一番分かっている。
酒精の囁きにより本能に傾きやすくなった天秤が、彼女の姿を見た事ですでにグラついている危うさを悟られないよう、そっと息を吐いた。
それにしても、とレオナルドは若者たちに近づいた。
「二人とも、レディの前で酒臭いのはいただけないな」
そう言って肩を叩けばたちまち術式が二人を包む。するとどうだろう。体内をめぐるアルコールが綺麗さっぱり消え失せた。
驚く二人にレオナルドは満足気だ。
「すごいだろう? 魔術師団長の秘技の一つだよ」
「……こんな術式があるなら迎えはいらなかったんじゃ」
「ああ、そうだ! イザンバ嬢!」
コージャイサンの言葉を華麗にスルーして、レオナルドはわざとらしくイザンバを呼ぶ。そして、彼女に向かってパチンと一つ飛ばしたウインク。
「魔導研究部、局長室ときたから次は魔術師団においで。脳筋騎士団なんか汗臭いし行かなくていいからね」
「何を言うか! 汗は漢の結晶だ!」
「なんでこの短時間でそんな汗かいてるの? あー、キモ」
たんこぶを付けて遠くから叫ぶグランに相変わらずレオナルドは喧嘩腰で。しかし、グランの背後にいる同じくたんこぶを付けたファウストにイザンバの目は釘付けだ。
それはもちろんヴィーシャたちも同じで、言葉をなくして目を丸くしているではないか。
「全く……石頭具合もいい勝負だな。殿下、お待たせしました。城まで送ります」
まだ冷ややかさの漏れるゴットフリートに促されて王子はこの場を辞す。
「それじゃあコージー、イザンバ嬢、またな」
「ああ、また」
「ご機嫌よう」
さて、後に残ったのはコージャイサンとイザンバと従者たち。どうやらコージャイサンだけが迎えにくる事を知らなかったと察したイザンバは少し気まずそうに声をかけた。
「あの……怒ってますか?」
「いや。会いたいと思っていたから驚いただけだ。迎えに来てくれてありがとう」
和らいだ翡翠にイザンバはホッと息をついた。
「俺たちも帰ろうか」
差し出された手をイザンバが素直にとって、二人は馬車へと向かった。
ほのかにランプの暖色が照らす馬車にイザンバを乗せると、コージャイサンは御者台のファウストに行き先を告げる。
「先にクタオ邸へ」
「え、コージー様の方を先に……」
けれども変更が聞き入れられるわけもなく、従者たちが四方から護りながら馬車は走り出した。
「大丈夫。もう酒は抜けてるし、ザナをこんな時間に一人で帰す方が心配だから」
「でも、それじゃお迎えに来た意味が」
「意味なら十分果たしてる」
食堂の窓から見ていたのは小隊メンバーたちだけではない。それに防衛局の門の近くの死角にいた者たちに対して十分その役目を果たしたと言えよう。
だから俺のためを思うなら邸に入るのを見届けさせて、と彼は言う。
「えー。あ! じゃあうちに泊まりますか?」
「………………いや、着替えもないしやめておく。心配しなくても真っ直ぐ帰るし、アイツらもいるから大丈夫だ」
ポンポンと頭を撫でればイザンバはそれ以上食い下がる事はしなかった。
「肩、借りていいか?」
「どうぞ。姿勢、辛くないですか?」
「ああ。もっと広ければ膝を借りたんだけどな」
残念だ、という彼にイザンバはクスクスと笑う。
心地良い無言の中、黙っていて他の者から聞かされるのもどうかと思いコージャイサンが口を開く。
「さっき食堂に勤める女性に好きだと言われた」
「え?」
「もちろん断った。彼女なりにケジメをつけたかったらしい。大勢の前だったからどこからか耳に入るかもしれないが」
「そうですか」
イザンバの平坦な声にコージャイサンは体を起こした。彼女の顔にかかる髪を避け、瞳を覗き込む。
「悪い。不安にしたか?」
けれどもイザンバは彼にこそ安心感を与えるようにふわりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。今話してくれたって事はやましい事はないって言っているようなものですし、コージー様の気持ちを疑ってはいません。ただ……」
「ただ?」
「その女性はすごいなと思って」
死ぬかもしれない、と思った時ですら手紙で、本人に伝えるにも言い逃げしかできなかったイザンバ。
——きっと、本当にすごく好きだったんだろうな……。
告白するという事はすごく勇気がいる事だ。それも大勢の前でなんて、イザンバにはとてもではないが勇気が出ない。
今自分が周囲から認められているのは、コージャイサンや防衛局のお膳立てがあったからだと思うと、イザンバは余計に自身が情けなく感じる。
膝の上で重ねられた彼女の両手。まるで左手で覆い隠すように包まれたその右手が固く握り込まれる前にコージャイサンが解いた。
初めて手のひらを重ねた時とは違う。自分の手の中にすっぽりと収まってしまう小さな手。
「俺がずっと隣にいてほしいと思うのはザナだけだ」
爪の跡がついたイザンバの右手を包み込んで。
「今日アイツらに言われたけど俺は独占欲が強いらしい。ザナが俺のものだと示すけど、ザナの想いも、可愛い顔も、他のヤツは知らなくていいと思ってる。だから——……」
そっと手のひらに唇を落とす。
「俺にだけ聞かせて」
好意を乗せる声が、甘く蕩けた翡翠が、イザンバの言葉すら独り占めしたいと訴える。
何を求められているか、分かるからこそイザンバはしどろもどろになって視線を泳がせた。
「あう……あの、待って急には、恥ずかしい。でも…………私の想いはここに、込めてありますから」
淑やかな指先がコージャイサンのペンダントトップをしゃらりと爪弾く。示すというのなら自分だってそうだ、と言うように。
「信じてくれると嬉しいです」
「俺もだ」
コージャイサンの指の背がゆっくりとエメラルドに触れる。至近距離で感じる吐息の熱に引き寄せられらように、二人の唇が重なった。
しかし軽いリップ音と共にすぐ離れた彼にイザンバは小さく首を傾げた。
「どうした?」
「……いえ! 何でもないです!」
「ひょっとして物足りない?」
意地悪な、けれどどこか嬉しそうな笑みにイザンバの頬がカッと熱くなる。
「ち、ちがっ……コージー様がいつもいっぱいしてくるから……あ、の……だから……ちょっと……何でかなって……」
最後はほぼ掠れた音になるほど尻すぼみになっていく言葉。それは先ほどの羞恥心を軽く上回り、茹るイザンバの顔からは湯気が出そうなほどだ。
「酒は抜けてるけど流石に今夜はタガが外れやすそうだから自制したんだが」
「はい! それでいいと思います!」
術式によってアルコールの巡りはなくなったが、楽しい時間の余韻は彼の体に残っている。
——話している内に膨らんだ愛おしさも
——妙に会いたくなった恋しさも
落ち着くどころか増すばかりで。
「心配しなくてもここまで来たらあと数日くらい我慢する。その後は……今までの分も貰うけど」
少し低くなった声に混ざる抑えきれない色香。とっくに消えたキスマークの跡をするりと撫でる指の背に、イザンバの肌が震えた。
「あわわわ、えっとー。あの、その…………あ、ねぇ! そう言えばどうして!」
「ん?」
あからさまに話を変えてくるイザンバにコージャイサンは触れていた指を離すと優しげな声音で聞き返す。
「どうしていつもそういう風に触るんですか?」
首筋やネックレスに触れる時、彼は指先ではなく指の背で触れる。他の部分は指先なのにどうしてと、イザンバは疑問を持った。
「ああ、その事か。だってこうされるの……怖いだろ?」
そう言って正面から首に向けられた大きな手のひら。
今度はイザンバが驚かされた。丸くなった瞳が零れ落ちそうだ。
相手が生き霊だったとはいえイザンバは首を絞められている。手のひらを向けられるのは怖いだろうと考えたコージャイサンは、羽のように軽く、少しでも恐怖が和らげばとなるべく指の背で触れていたのだ。
ドクン、とイザンバの心臓が大きく跳ねた。そこからは心拍が落ち着く事を忘れたように動く。
彼の気遣いを理解して、顔どころか身体中が熱くなって、いっそ馬車から飛び降りて逃げ出したい衝動に駆られた。
——息が……胸が……ドキドキしすぎて苦しい……。
それでも逃げ場のない馬車上。騒がしいほどの心音も彼に聞こえているかもしれない。
「確かにそうやって向けられたら身構えちゃいますけど」
イザンバはそろりと伸ばした手でコージャイサンの右手を引き寄せると、頬擦りをした。この手に恐怖を感じた事はない、と伝えるように。
身の内で駆け巡る想いの熱さに翡翠を見つめるヘーゼルが蕩けた。
「気遣ってくれてありがとうございます。コージー様のそういうところ——……好きです」
恥ずかしくて言えないと言っていたのに、甘やかな声が好意を告げる。
言わなければと意気込んでも出てこないそれは、込み上がる愛おしさにかかれば驚くほどするりと口からまろび出た。
ところが、コージャイサンははにかむ彼女から顔を逸らすと、低く唸った。
「だから……そういうところが……」
「あ、あれ? あの、コージーさま?」
思っていたのと違う反応に彼女が怯んだが、コージャイサンは逃がさないと言うようにその体を両腕で囲い込む。
あっという間に詰まる距離。優しさや穏やかさよりも、真剣さと色香を滲ませた翡翠がヘーゼルの色を塗り替えた。
「可愛くて困るって事」
そう言って愛おしくもちょっとだけ憎らしい唇に喰らいつく。
だって彼は言ったではないか。今夜はタガが外れやすい、と。
極上の美酒と紛うほどの唇を味わいながら、馬車が停まるまでの束の間、甘く切ない息苦しさを二人で分かち合った。
芽吹いた恋慕は決して単純ではない、唯一の花。
それはまるで同じ形がない氷の結晶のようで、けれども熱に負けるような儚いものでもない。
長い年月をかけてひっそりと花弁の数を増やし、今や盛大に咲き誇る花はただ一人に向けられたもの。
一時の浮ついた熱量ではないからこそ、その心に咲く想いが融ける事は——ない。
活動報告に食堂に来る前のゴットフリートたちの会話をアップ予定です。
これにて「凍て開く氷の花」は了と相成ります!
読んでいただきありがとうございました!




