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「自覚してからも態度が変わらなかったのは何故なんだ? 婚約者なら隠す必要もなかっただろう?」
それはふと湧き出た疑問。王子が思い返す限り二人はたまに食堂で食事をしていたくらいで、学園内で仲が良い雰囲気すら見せなかったから。
「それに私たちにまで秘密にしなくてもいいじゃないか」
友達甲斐のない、と拗ねて見せる彼に。
「聞かれなかったから」
コージャイサンがあまりにも淡々と返すから、王子はガタリと椅子を揺らして立ち上がった。
「そんなだから私たちはお前もユミー……ロイヒン男爵令嬢に惚れていると勘違いしたんだぞ!」
「ちゃんと本人には『あなたに頼る必要性がないので気遣いは不要です』と言った」
「その言い方でイザンバ嬢に結びつくか! 分かりにくいにも程がある!」
学生時代のコージャイサンは誰に対しても同じ態度だった。
イザンバの方も用がなければ近づいて来なかったのだから王子たちからしたら気付きようがない。
それが今や隠しもせずに独占欲をみせるのだから人の変化とは恐ろしいものよ。
コージャイサンがボトルを揺らせば酌を受ける為に彼は椅子に座った。吐く息が重いようだが、果たして酒精の力が及んだのだろうか。
「ザナは俺と婚約した事で攻撃を受けた。しかもすぐ——身近にいた家庭教師からだ」
「そんな事が……」
「付かず離れずの距離でも嫌がらせがあったんだ。クラスも違ったし全ての悪意から守り切るのは難しかったからあえて態度を変えなかった」
差し入れと同じで全ての女性がそうでないと分かっていても、中には話の通じない相手がいるのも事実。
愛称を呼んだり、特別だと分かる態度はそういった連中の火に油を注ぐ事になると警戒したのだ。
「だが、そんなもの公爵家の力をもってすればなんとでもなるだろう。コージーが好意を持っていると示した方が彼女たちもおとなしく引いたんじゃないか?」
誰もオンヘイ公爵家の怒りを買いたくないだろう、と王子は言う。
言いたい事は分からないでもないが、コージャイサンは呆れたように返した。
「態度に出してあの有様だ」
「あ」
——王の誕生日を祝う宴の後
——訓練公開日の宣言の後
招かれざる客の数に護衛たちは大いに働いたのだ。
「確かに権力を使えばすぐ排除できるが」
コージャイサンもその権力の使い方を十歳で学んだ。
たとえ白いものでも公爵家がそれは黒いと言えば黒になる。かつて家庭教師の評判が一夜にしてひっくり返ったように。
「露骨にやるとザナが気に病む」
「程々って言葉を知ってるか?」
真面目に言い切るコージャイサンに王子はにっこりと微笑んだ。
だが彼とて理解している。目の前の従兄弟は粛々と甚大なダメージを相手に負わせるだろう、と。
——あの叔父上の息子だからな。
そして、その認識は間違っていない。
当時、名誉毀損で逮捕されたのは家庭教師の自業自得であるが、それでもまだ財産があり、住処があり、何よりも命があった事は温情に他ならない。
事実コージャイサンは卒業後の誘拐や暗殺、呪いという強硬手段に対して一切の慈悲を与えていないのだから。
やれやれと肩をすくめる彼にコージャイサンから冷ややかな視線が送られた。
「お前が言うのか? 人前であんな盛大にやらかしたお前が?」
「ちょいちょい弄ってくるのやめてくれないか⁉︎」
好いた女性の為になりふり構わず暴走した身には痛い一言だ。大袈裟に嘆く彼に構わずコージャイサンが淡々と続ける。
「それにあの頃のザナは婚約は解消されるものだと思っていたしな」
「あ、それ! さっきも思ったんだが何故そんな思考になるんだ?」
「最初に言った家庭教師が事あるごとにそう言っていたらしい。ザナ自身もそう思う事で嫌がらせへの関心を下げて心を守っていたんだろう。自分を平凡だと言って聞かなかったし」
「平凡……いや、今なら違うと分かるが確かにあの頃のイザンバ嬢は上手く埋没していたというか……成績だけで考えると……うん、そうだな」
それは妙に納得してしまうほどに。イザンバが平凡であると思っていたのはケヤンマヌも同じだ。
成績も魔力量も平均的、容姿だって人目を引く華やかさはない。
引くほどのオタクっぷりは見事に隠されており、今や火の天使と呼ばれるきっかけとなる退魔の才能もこの時点では覚醒していなかった。
学園内において突出しすぎたコージャイサンとは正反対のその他大勢に埋もれてしまうような少女だったのだ。
「きっと——……あの時に俺が好きだと言ってもザナは信じなかった」
——長年の情があるから
——本命の隠れ蓑かお飾りか
想いが通じる前の状態ではイザンバは受け入れるどころか逃げただろう。
そんな確信を持った強さとは裏腹に声音はどこか寂しそうで弱々しい。王子も眉を下げた。
「え、じゃあもしもだぞ? もしも、万が一あの時コージーが私たちと同じように言っていたら……」
「迷いもせずに『はい、喜んで』って言ってたんじゃないか」
その答えに王子は頭を押さえて項垂れた。卒業パーティーでのイザンバのノリを思い出し、容易に置き換え想像ができてしまったから。
「……お前はそれで良かったのか?」
「俺に婚約解消する気がないんだからいいも悪いもないだろう。たとえザナが解消されるものだと思っていてもそれだけで伯爵家から言い出せると思うか? 俺が言わなければそんなモノはないも同然だ」
「でもあの時点で彼女はそのつもりだったんだろう?」
「だから?」
向けられたのは反論を許さない強い意志が宿る翡翠。
「ザナがどんなつもりでも、気持ちが友愛や親愛で止まっていても、結婚すれば共に過ごす時間は増える。想いを伝えて、甘やかして、俺への気持ちを変えればいいだけだ。何か問題あるか?」
「成る程な。つまりコージーは元々結婚したら気持ちを隠すつもりはなかった。それが早まっただけというわけか」
ケヤンマヌは悟った。彼女がどれだけ足掻いても、最初から結末は決まっていたのだ、と。
学生時代に知っていたのなら彼だって信じるには時間を要したであろうコージャイサンの想い。下手に拗れる前に今の状態に落ち着いてくれて良かったと王子は胸を撫で下ろした。
「それにしても二人ともよく隠し切ったものだ」
「二人で話す時は防音魔法を展開していたし。ザナの発作が周りにバレないよう覚えてよかった」
「……今なんて?」
何やらおかしな単語が聞こえだぞ、と王子は真顔で聞き返す。
「ザナの発作が周りにバレないよう覚えてよかった」
「そんな理由で使えるようになるやつがいるか!」
「ここにいる」
「そうだな! コージーはそういうヤツだ!」
その多才さが妬ましいやら悔しいやら。コージャイサンを見る王子の目は据わっている。
「お前……実はイザンバ嬢絡みで使えるようになった術式、他にもあるだろう?」
王子の問いに聞き耳を立てていた魔術師の目がギラリと光った。
「その話題なら我らも混ぜていただこう!」
「あのエグい魔法陣以外にもあるんでしょ⁉︎」
「ねー、誰か元帥呼んできてー! ここで喋らせたら訓練なくなるかもー」
青白い顔をしたユズ、反対にスフルは真っ赤な顔で好奇心と酒精に後押しされて。
エッリの言葉に魔術師たちが騒ついた。しかし、これには待ったがかかる。
「待て待て。お前たちの気持ちは分かるがさっき私の話を邪魔して乾杯したんだから今は待て。後で時間を取ってやる」
「おい。勝手に俺の時間を取るな」
だが、従兄弟の非難めいた声を封殺するように彼は王子らしく笑うのみ。
「きゃー! マニー殿下、素敵ー!」
「私たちの命運はマニー殿下にかかっているわ!」
「流石イケメンやらかし王子!」
「褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ⁉︎」
裏声とケラケラした笑い声を残して去っていく好奇心たち。王子もそれ以上追求はせず、従兄弟と会話を元の軌道に戻した。
「まぁ防音魔法の中なら発作もバレないし、嫌がらせの愚痴も言えるか」
「ザナは誰に何をされたとかあまり言わないけどな」
区切られた空間の中にただただ軽快な笑い声を閉じ込めて。彼女が一息ついてまた淑女の仮面を被り直せるまでの束の間の時間を共にしていた。
不意にコージャイサンの眉間に皺がよる。
「自分の方が相応しいとか、ザナが相手では納得できないとか、口を挟む権利すらないのに言ってくるのはなんなんだろうな」
「彼女たちからしたらイザンバ嬢はライバルになるわけだし、自分の優れているところをアピールしていただけだろう?」
しかし、言い方というものがある。
イザンバを蹴落としたいという感情から令嬢たちは彼女のことを悪く言いがちなのだ。どこにいても、誰が聞いていても。たとえばそれが思い人を目の前にしても。
だから、と続くコージャイサンの声に嫌悪感が滲む。
「性格が悪いと言うことしか分からなかった」
「ちょ、紳士の嗜みはどうした! オブラートに包め!」
「俺が惚れている女に手を出して……どうして自分が選ばれると思えるのか。思考回路が謎すぎて知りたくもない」
「知的好奇心すら動かなかった!」
「自分の方が相応しいというのならアイツらのようにその実力を示せばいい。それすら出来ない者を選ばないのは当然だろう」
「婚約者じゃなくて部下の採用試験か⁉︎」
いい感情を持っていないことだけはひしひしと伝わった。
重なることのなかった縁の話はもう十分だろう。ツッコミに忙しかった肩の力を抜くと、ケヤンマヌはちらりとピンクブラウンの髪の美少女に目を向けた。
「アイツら……ね。聞いているぞ。全員相当な手練らしいが、そんな連中をよく手なづけたな」
「ああ。それもザナが居たからだ」
「そうは言うがな。普通は危険地帯に行こうと思わない」
「うん、だから——……いい出会いをしたと思う」
——己の背を任せられる程に
——己の宝を任せられる程に
剣となり盾となる彼らとの邂逅は、コージャイサンにとって予定外でありながらもこの上ない幸運だったと言えよう。
「そうか。イザンバ嬢が齎したものは大きいな」
従兄弟が見せる信頼度の高さに王子は釣られたように頬を緩めた。そう思える人材に出会えた事に、ほんの少しの羨望を織り交ぜて。
「他はどんな危険地帯に行ったんだ?」
「そんな危ない場所ばかり行ってたわけじゃない。普通にカフェに行ったりもした」
「そうなのか? そう言えば一時劇場やカフェで二人を見たと言う話をよく聞いたが」
「それはザナじゃない」
「は? 影からも報告があったんだぞ。あれがイザンバ嬢じゃないって言うなら誰だって言うんだ?」
その言葉にコージャイサンはニヤリと笑う。
「ドッペルゲンガー」
「ドッ……?」
聞きなれない言葉に王子が首を傾げるも、彼は面白がるような表情をしていてもそれ以上詳しく話そうとはしない。
ゆっくりと口元に運ばれたグラスの中で氷が涼やかに鳴った。
「ザナとカフェに立ち寄ったのは地方に行った時だけだ」
「ああ、あの聖地巡礼とかいうやつか」
〜〜〜
イザンバが聖地をたっぷりと楽しんだ後、小腹が空いた二人は隠れ家的なカフェに立ち寄った。
その時イザンバが頼んだパフェに通常一つのサクランボが三つもついていたのだ。どうやらこの辺りでは中々お目にかかれないレベルの美形を目の前にしてサービス精神が出たようだ。
「さっきから何してるんだ?」
彼女は一番にサクランボを食べたかと思うとその後ずっと口をもごもご動かしている。
不審に思ったコージャイサンが尋ねるとフキンを口に当てた後、あのね、と口を開いた。
「コージー様はサクランボの茎を舌で結べますか?」
「舌で?」
「もしかしてやった事ないですか? じゃあやってみてください。あ、そのサクランボ食べちゃっていいですよ」
それになんの意味があるのかと問う前に期待に満ちたヘーゼルを向けられてコージャイサンは口を噤む。
「舌で結ぶっていうよりも半分に折って輪の中に押し込む感じらしいです」
「ふーん」
そしてサクランボを食べた後、言われた通り挑戦した。もごもごと数秒。
「ん……出来た。ザナは?」
「出来ません!」
「で、これが出来るからなんなんだ?」
「これが出来る人はキスが上手いらしいですよ」
「へぇ」
「あははははは! 全然興味なさそうですねー!」
イザンバはひとしきり明るく笑うとパフェに視線を向ける。嬉しそうに綻んだぷっくりとした唇が溶け始めたクリームを乗せたスプーンを咥えた。
〜〜〜
「あー、はいはい。どうせその後イチャイチャしたってオチだろ」
分かっている、と口をへの字に曲げる従兄弟にコージャイサンは頬杖をつきながら余裕の笑みを見せた。
「その後に『コージー様は予行練習バッチリですね! 本命さんにも自信持って挑んでくださいね!』って笑顔で言われた男の気持ちを答えてみろ」
「イザンバ嬢ぉぉぉ! そこはイチャついて!」
「どうしてやろうかと思ったけど、ザナにその気がないのは明白だったからその時は何もしてない」
まぁ店内でナニが出来るわけでもないのだが。結局思いが通じるまでそこから三年耐える事になるとは、この時は思いもしなかったことである。




