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お誘い 結婚式13日前
飲み会〜 結婚式8日前
「おーい、コージャイサン!」
帰路につく夕暮れ、防衛局の門の外へと出ようかという時に聞き覚えのある声が彼を呼ぶ。足を止めて振り向けばそこにはキノウンとロットの姿があった。
近づいてきたキノウンは元気が有り余っているのか快活な笑みが浮かんでいる。
「今帰りか?」
「ああ。お前たちは?」
「俺たちは夜勤だ」
「お疲れ」
どうやら定時上がりのコージャイサンとは入れ違いのようだ。それとはまた別のご機嫌さでロットがコージャイサンの気を引いた。
「ねぇ。この前の祝賀パーティーの時に今度一緒に呑もうって言ったでしょ? 五日後の夜とかどう? もう予定ある?」
「……いや、大丈夫だ」
「ほんと⁉︎ じゃあ空けておいてね!」
「分かった。場所は?」
「ここの食堂だよ」
その言葉にコージャイサンは首を傾げた。
どうやら彼にも知らない事はあるようでロットは少しばかり得意顔で口を開く。
「殿下も参加するから警備面も考えないとダメじゃん? どこがいいか悩んでたら父様が食堂を使えるって教えてくれたんだ」
「護衛なしに街の酒場へは行けないし、かと言って高級店で上品に呑むのもつまらない。安全性と騒ぎたいのを両立できるのがここってわけだ」
「王族が絡む時の特例だけどね。申請して食材持ち込みなら使わせてくれるんだって」
「へぇ」
二人の説明に、確かにとコージャイサンは思った。
食堂で働く者は従業員用のロッカールームで着替えた後、必ず調理場を通ってホールに出る。
その調理場の出入り口には食材に異常がある場合や薬品を持ち込むと警報が鳴る術式が組み込まれているのだ。もちろんホールから調理場への出入り口も同じく。
これは傷んだ食材による食中毒、戦力である騎士や魔術師を狙った薬物混入を防ぐ為だ。
ただし、ホール内は食前食後に薬を飲む者もいるためその限りではないが、提供される食事の安全性が高いことは働く活力や防衛の根底にもなるのだから侮れない。
キョロキョロと周りを見た後、実はな、とキノウンが声を潜めた。
「総大将が結婚される時、当時王太子だった陛下が飲み会に混ざりたくて特例を作ったんだと」
「王太子殿下もご結婚前に使ったらしいよ。夜勤の騎士や魔術師がいるから警備面は確かに安全だけど強引だよねー」
呆れたように肩を竦めるロットだがコージャイサンは少しばかり思案して口を開く。
「仕方がない面もあるんじゃないか? 酔って王城の調度品を壊すよりマシだろ」
「本当それ!」
酔っていなくても壊す者はいるけど——と続けるはずが、それよりも早く被せるように二人の声が揃った。
「父様と将軍が会議室の備品壊したって請求書が届いた時、普段物静かな母様が叫んでて僕ビックリしたもん」
「うちは母上と姉上が揃って鬼になっていたぞ。俺は関係ないはずなのに自分も怒られている気分になるくらい怖かった……」
「うわぁ……」
「アレを見ていると王城でなんてとても言えん」
渋い顔のロットと身を震わせるキノウンに対してあの荒れようを知るコージャイサンはくつくつと喉を鳴らして笑う。
「でもさー、この食堂使用の手続きがめちゃくちゃ面倒くさいんだって。殿下が愚痴ってたよ」
ケラケラと笑う様はまるで他人事。
その面倒な手続きとは、まずは参加する王族本人が申請書を書き、宰相を含む三人の大臣から承認を得る。
さらに防衛局にて騎士団長、魔術師団長、魔道研究部長、医療管理官、料理長、そして防衛局長からの承認まで貰ってやっと使用許可が降りるという決裁リレー。
そうして決裁が通った暁には判を押した全員の当日夜勤が決定だ。備えあれば憂いなしとはまさにこの事である。
ちなみに王族と参加者の関係性も諜報部によってしっかり裏付けを取られるので、ただ飲み会をしたいだけでは通らない。
その為か代理印は認められず、もっというなら相手の呼び出し不可である為、必ず自力で本人を捕まえなければならない。なんと七面倒くさい事だろう。
しかも、その際にもれなく全員から「くれぐれも羽目を外しすぎないように」と大なり小なりの小言を頂戴するのだから、体力的に削られたあと精神的に削られるまでがセットである。辛い。
だが今回はこれだけの手間をかけてでも王子も飲み会に参加したいというわけで。
「じゃあ俺も酒を持ってくる」
「持ってこなくていい!」
それならば自分だけ何もしない訳にもいかないだろう。しかし、コージャイサンの言葉にまたもや二人は声を揃えて慌てて返すではないか。
「だが持ち込みなんだろう?」
コージャイサンの言う事に間違いはないが、ロットは分かりやすく頬を膨らませるとその意義を説く。
「あのねー……これはキミの結婚前祝いの飲み会なんだよ。メディオにお酒も食材も多めに手配してもらってるし、先輩たちも参加したいらしくて結構な量を持ち寄る事になるから大丈夫!」
「お前の独身最後の飲み会なんだ! ちゃんと手ぶらでこいよ!」
飲みたい。騒ぎたい。
これらはもちろんだが、やはり祝いたいという気持ちも彼らにはあるから。
「分かった」
頷きながらもコージャイサンは思考を巡らせる。
——食堂か。先輩たちも来るならアイツらを別に回して……ああ、丁度いいな。
防衛局内とはいえ酒の席。諜報部も王家の影も動くだろうが目は多くて困らないだろうと考えながら帰路に着いた。
そして、当日。
食堂に集まったのは友人たちだけでなく小隊メンバー、さらにクロウ、マゼラン、スフル、エッリ、ユズの他にも防衛局内の若手が揃って中々に大所帯だ。
ちなみに女性の参加はご遠慮願った。王族もいる場で酔った勢いを演じられては困るから、と。
食堂のカウンターに次々と並べられていく酒の肴は事前に持ち込んだ食材を料理人たちが調理してくれたものだ。それを看板娘たちがテーブルへと運んでいる。
その中に混ざる長いピンクブラウンの髪をハーフツインにした同色の瞳の美少女。
「はわわわわ……妖精さんだ……妖精さんがいる!」
まだ飲んでもいないのにフーパの顔が赤い。その視線はスカートを翻しながらてきぱきと働く美少女——に扮したリアンに早くも釘付けである。
そして、色は違えど愛らしい顔に見覚えがあるのは彼だけではない。
「……なぁ、あの子ってコージャイサンの部下……だよな?」
「うん。全然雰囲気違うけど、あの格好でここにいるって事はコージャイサンの護衛でしょ」
「そうだな。しかしこれは……正体知ってても信じられないくらい違和感がないな」
「どこからどう見ても完璧な女の子だね」
チックとジュロがコソコソと話しているのはその正体を知っているから。
コージャイサンの元に酒とグラスを運んだリアンはそちらに視線を向けると微笑んだ。
——余計な事言わないでよ。
そんな意味であるが、どうやら意図せずあちらこちらでハートを撃ち抜いたようだ。
「可憐な妖精さんが食堂に舞い降りた! なんていい夜なんだ! コージャイサン、ありがとうー!」
感涙にむせび泣くフーパの熱烈な視線をコージャイサンはいつもと変わらない温度でさらりと受け流す。
そんな中でくるくると動き回る看板娘たちにクロウが声をかけた。
「ココちゃん、ロクシーちゃん、サナちゃん、今日は忙しくさせてごめんね」
「いえいえー! 食材は持ち込んでもらってますし、こういう宴会の時ってあたしたちにも特別手当が出るから気にしないでください!」
「可愛いヘルプのリナちゃんもいますから」
「そっか。それなら良かったよ」
明るいココの声とリアンを指差しながら微笑むロクシーにクロウは安心したように頬を緩めた。
「こういうところ、防衛局は融通が効きますね」
そこにメディオが加わった。
「調理や配膳をしてくれる方がいると助かります。何か足りないものはありませんか?」
「大丈夫です。たくさん持ち込んで貰ってますし、逆にお酒も食材も余るんじゃないかなってくらいで」
「余るなら賄いで使ってください。それと……夜勤で食事にきた方に出していただくデザートです。あなた方の分もありますので後ほどどうぞ」
「わぁー! ありがとうございます!」
食堂の一角で騒ぐお詫びに用意された高級店のケーキの数々に彼女たちの目が喜びにキラキラと輝く。
ただ一人、意を決したサナが彼らに問いかけた。
「あの……今日はコージャイサン様の……ご結婚の、前祝いの席ですよね」
「前祝いっていうか、アイツの残り少ない独身の夜を言い訳にはしゃぎたいだけというか」
「イザンバ嬢への想いを呑ませて暴く会です」
「……そう、ですか」
曖昧にぼやかすクロウと反対にきっぱりと言い切ったメディオの言葉にサナの笑顔が曇る。貴族女性のように取り繕う事なく滲む感情は、分かりやすく傷心を訴えているようで。
苦笑を浮かべるクロウや他の人たちの様子から流石にメディオも彼女の胸中を察したが、どうにもならない事だと見て見ぬふりをした。
「騒がしくなりますがよろしくお願いします」
「はーい! お二人もせっかくなんだから楽しく呑んできてください!」
ココの言葉に頷き返すと、すでにガヤガヤとしている中でメディオが注目を集めるように手を叩いた。
すると、この中で一番身分の高い男が立ち上がる。
「えー、おっほん。皆よく集まってくれた。メディオ、食材の手配ご苦労だった。防衛局の食堂をこんな風に使えるとは私も知らなかったが、特別手当が出るとは言え調理や給仕をしてくれる食堂勤務の者たちにも感謝する」
非公式の場であるが、まさか王族から言葉を賜ると思っていなかった食堂勤務の面々はビシッと姿勢を正した。
料理人たちはコック帽を脱いで頭を下げ、金髪碧眼の美しい王子に看板娘たちの頬も赤く染まる。
「さて、早いものでもうコージーの結婚式が目前となったわけだが……——皆の者、今夜は無礼講だ! ただいまより、コージャイサン独身最後になるであろう飲み会を開催する!」
王子の宣言に参加者たちから囃し立てるように鳴る拍手や口笛。気分をよくしたケヤンマヌはコージャイサンに視線を向けるとニヤリと口角を上げた。
「まさかお前が一番に結婚することになるとは思わなかったぞ。コージーも私たちと同じだと思っていたんだが、驚くほどにブレなかったな。あの時は裏切り者と思わなかったわけではないが、事実は私たちが愚かであったという話だ。それからの再教育の日々が辛くなかったと言えば嘘になるが、しかし私たちは人に迷惑をかけた分しっかりと己を見つめ直し、それぞれが成長を認めてもらえるようになったのではないかと」
「殿下ー! 話長ーい!」
ところが始まった演説をロットがぶった斬り。
「せっかくの料理が冷めますよ。あ、毒味をご所望ですか。では、お先に」
メディオもさっさと料理を取り分け。
「それでは僭越ながら……乾杯!」
「カンパーイ!!!」
キノウンが勢いよくグラスを掲げれば多くの声が追従した。
「こらー! 人の話は最後まで聞きなさい!」
乾杯の音頭が先走るほど場を包む高揚感、なんとも気の抜けるやり取りと響く笑い声にコージャイサンの肩も楽しげに揺れる。
「アイツら不敬ではないか?」
「お前が先に無礼講だって言うからだろう」
「そうだが……無礼講ってそういう意味じゃないだろう」
最後まで話させてもらえず不満げなケヤンマヌにコージャイサンがグラスを掲げて乾杯を誘えば彼もその眉間のシワを解かざるを得ない。
チン、と小気味良い音を鳴らした後に一気に酒を呷り、グラスをテーブルに置いた王子はそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべてコージャイサンに迫った。
「さぁ、今日は洗いざらい吐いてもらうぞ!」
「なにを?」
「お前、いつからイザンバ嬢が好きなんだ?」
速攻でぶち込んでくるその問いにコージャイサンは片眉を上るが、キノウンはそんな表情を物ともせず。
「卒業パーティーの時は当然そうなんだろう?」
「それとも入学前からなの?」
「まさかとは思いますが卒業してからの短期間で?」
ロット、メディオと矢継ぎ早に続けながら逃げ場をなくすように身を乗り出した。
「さぁ、いつだ?」
声を揃えて詰め寄る友人たちにコージャイサンは視線を中空に向けて記憶を辿る。しかし、その沈黙を彼らは別に捉えたようだ。
「素直に語らないのならば仕方がない……」
まるで聞き分けのない子に言い聞かせるように王子が首を振る。それが合図であった。
「呑ませて暴くまで!」
早速メディオが空になったグラスになみなみ酒を注ぎ、ロットも新しいボトルを持って待機する。
興味津々と表情をニヤつかせながら寄ってきた小隊メンバーも皆いい笑顔である。
「コージャイサンを酔わせろ!」
「ベロンベロンに酔って全部ゲロっちまえー!」
「この日のために樽で用意したんだぞ!」
「我らがオンヘイ小隊長にカンパーイ!」
「独り身の夜にカンパーイ!」
さぁ、賑やかな宴は始まったばかり。暴かれるのは彼の胸の内か他の誰かの秘め事か。普段は静かな夜の食堂に陽気な声が広がった。




