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「カティンカ様は旦那様や婚約者の方は?」
和んだ空気に流されるままイザンバが尋ねたのはカティンカ自身のこと。もしお相手がいるのならこれからの付き合いについて確認する必要が出てくるからだ。
「あ、私独り身で婚約者もいないんです」
あっさりと返事をしたカティンカはそのまま続ける。
「実はさっき言った『特に貴族は好意がないなら受け入れられない』って言ったの、私の実体験でもあるんです。その流れで婚約も解消してるんですけど」
「え……それは……」
「あ、気にしないでくださいね! 五年も前の話ですし、その……相手の方と、本当に合わなくて……」
そう言って伏せられた青空に過去が映る。
さて、かつての婚約者はジンシード子爵家よりも上のとある伯爵家。そこの次男であった。
ちなみにだが、当時のカティンカは婚約者に対してオタクである事をちゃんと隠していた。
それはカティンカが花も恥じらう十七歳の頃。
バレたのはひとえに婚約者が約束もなしに訪れて、あまつさえ準備を待たず、止める使用人たちの声も聞かずに部屋に突撃したからだ。わざわざ婚約者が会いに来てやったのだから嬉しいに決まっている、と思い込んで。
そして、推しに囲まれて寛ぐ彼女を見て言った。
「模範となるべき高貴な者が庶民が好む芸術ともいえないそんな低俗なものに熱を上げるなんて……。ああ、気持ち悪い。今すぐやめたまえ」
勝手に来ておいてこの言い種。人付き合いがあまり得意ではないカティンカは固まってしまった。
その後も続く彼のご高説。
絵画は良いが、挿絵はダメ。
古典文学は良いが、娯楽小説はダメ。
偉人の彫刻は良いが、キャラの極彩色人形はダメ。
芸術的、文学的価値の高いものを嗜む自分がいかに意識が高く、貴族として優秀か滔々と語って帰って行った。
——あ、無理。
反射的にそう思った。
それ以降も顔を合わせれば「自分は正しい」と言わんばかりの彼にカティンカの全身から拒絶反応が出た。
会話は元々続いていなかったが、顔を合わせる事すらしんどくなって半年。伯爵家側から性格の不一致を理由に婚約解消の運びとなったのだ。
誰だって程度の差はあれど好きな物がある。それがドレスや宝石なら許されるのかなんて愚問もいいところ。何に時間と金を使うのか、その根底に差はないと言えないだろうか。
「それ以降、婚約はされなかったんですか?」
「はい。なんて言うのかな……やっぱり警戒しちゃうっていうか」
気持ち悪いと面と向かって言われた事はカティンカの心の傷となって残っている。
だからと言って「素敵な奥様になるぞ!」と意気込んでオタクを辞めようという気にもならないが。むしろ取り上げられたら生きる屍となる自信しかない。
「家は弟が継ぐので心配はありませんし、煩わしい思いをするくらいなら婚約者なんていらないなーって」
オタクを辞めて淑女らしくしなさいと言う両親に対して、あえてオープンにする事で前回の婚約解消を引き合いに出し、新たな婚約話をのらりくらりと躱して五年。
ただこのまま行けず後家になると弟が結婚した日には肩身が狭くなる。
適齢期を過ぎそうな本人よりも両親の方が焦っている今日、その内どこぞの後妻に入ることになりそうだとカティンカは思っている。
「じゃあ結婚願望自体ない感じですか?」
「どちらかと言えばそうですね。私の趣味に理解のある人、似たような趣味の人なら結婚しても気は楽そうですけど。もし許容出来ないなら不干渉でいてほしいです。無関心、白い結婚、お飾り夫人大歓迎」
ところが、カティンカは真面目な声音で言い切ってしまうではないか。
これにはイザンバも神妙な顔で顎に手を添える。だってその気持ちはコージャイサンと思いが通じるまで彼女自身も持っていたものだから。
「成る程。つまりはあれですね。『お前を愛する事はない』的なやつ」
「そうそれ! 一回生で言われてみたいですよねー!」
「そこから改心して溺愛ライフまでがテンプレ! わぁ〜、その時は実況お願いします!」
「物語ならテンプレが最高ですけど、私の事は是非放置で! 胸キュンと言えばフィリカ先生の作品なんですけど——……」
後味の悪さも真剣な雰囲気も尾を引く事なく綺麗さっぱりと話題が変わる。
尽きる事のない話題、溢れる笑い声。カティンカが帰るまでサロンは終始明るい雰囲気に包まれていた。
入浴後、自室で物思いに耽る横顔に護衛たちがそっと尋ねた。
「お嬢様、今日はジンシード子爵令嬢様とお話が弾んでおられましたね」
「はい、すっごく楽しかったです! 本当はコス写も見せたかったんですけど、流石にコージー様に許可取ってからの方がいいかなーって思って」
「それでよろしいかと」
話し方こそ素であったが、それでも興奮のまま全てを晒す事をしていなかった彼女にジオーネは感嘆した。
「うん、それでね……カティンカ様が言ってたオタクに理解がある人。私一人心当たりがあるなーって思って」
「あら、奇遇ですね。うちらも同じ人を思い浮かべましたわ」
ヴィーシャの声は至極愉快と弾む。
そう、あの時カティンカ以外の全員が思い浮かべたのだ。アーリス・クタオ伯爵令息を。
彼がカティンカの趣味を否定するとは思えない。なぜなら、それは妹を否定する事と同義だから。
帰ってきた時のイザンバとの会話の様子を見るに、共に推し活をする事はなくても見守りの姿勢は取るだろうと予想できる。
ただ現時点での困った事をあげるとすれば、双方に結婚願望がない事か。
「カティンカ様がお義姉様になってくれたら私は嬉しいし楽しいけど、本人たちの相性が一番大事ですよね。なら今はまだお兄様には私のお友達として紹介するだけでいいかな。お友達……えへへ」
初めてのオタク友達にイザンバの頬がだらしなく緩む。
しかし紹介するにしても結婚式に合わせて帰ってくる予定の兄は今はまだ領地だ。
「お兄様が帰ってくるタイミングでカティンカ様にもう一度うちに来てもらって……口実は……そうだ! レグルスだ!」
閃いたとばかりにイザンバは机に向かう。その横顔は真剣で、素早く要点を纏めた手紙を書き上げた。その中には彼の腹心に対して一つお願いを……。
「これ、コージー様に渡してくれますか?」
「かしこまりました」
口頭ではなく手紙というのが珍しいと思いながらも、護衛たちは揃って頭を下げた。
「ご主人様」
さて夜も更けてきた時間、コージャイサンの元にジオーネが現れた。
「お嬢様より手紙をお預かりしました」
「珍しいな」
そう言いながらも彼はすぐに目を通す。
そこには新たにできた繋がりとそれに関したお願いが綴られていた。
「ザナは侯爵令嬢たちと上手くやれそうか?」
「お茶会では恙無く過ごされていました。ご主人様の事が話題に上りましたが、令嬢達はお嬢様がご主人様に大切にされている事に感銘を受けている様子でした」
従者たちの調査に対して最終的に許可を出したのは彼だ。想定通りの様子にその口角がゆるりと上がった。
「お嬢様は場の流れを見事に作られておいででしたが……兄君の噂をお聞きになり気にしておられました」
「そうだろうな。本来なら他家の事情に介入するべきではないが、アルの婚約に関してはいいだろう」
過去の出来事がある故に。
今は見守りの姿勢をとっているクタオ伯爵だが、送られてくる釣書や高位貴族の圧にいつまで耐えられるか。
——伯爵の元来の人の良さが災いして押し切られれば
——またアーリスが傷付くような縁組になってしまえば
父子の間に修復が難しい溝が出来かねない。
それをイザンバが知れば当然気にするはずだし、心優しい友人も自分を責めるだろう。
だからコージャイサンは多少なりとも介入するつもりでいる。
そして、そちらにも絡みそうな一件。
「想定外はこっちか。ジオーネ、お前たちから見た子爵令嬢の印象は?」
「本日の様子ではお嬢様と同類である事に間違いないかと。兄君が落とし物を拾った事がきっかけのようですが、最初に打ち明けたのはジンシード子爵令嬢です。またご主人様に対して特別な思いはないようで、お嬢様に対する悪意、害意も感じ取れませんでした」
「そうか」
どれだけイザンバの口から「コージー様」という単語が出てもカティンカからは嫉妬や羨望、執着といった恋慕の情を一切感じなかったのだ。
それどころか彼女の態度は一貫していた——『オンヘイ公爵令息様』と。
決して馴れ馴れしくその名を呼ばなかったカティンカにジオーネは好印象を持ったほどだ。
「ちなみにジンシード子爵令嬢はレグルスが推しで、シリウスとレグルスの絡み本の著者だそうです」
「そうか」
先ほどと同じ言葉なのに声にこもる感情が全く違う。カティンカの推しにも作品にも微塵も興味がないと、それだけで分かる声音だった。
「お二人の会話ですが。話の展開が早く内容も非現実的でどうしてそうなるのかよく分かりませんでしたが、それでも話が通じていたようです。初恋の話など大変盛り上がっておいででした」
「初恋⁉︎」
イルシーたちは驚いているが、コージャイサンは椅子の背もたれにゆったりとその身を預けながら言う。
「どうせサタンがどうのとか言ってたんだろう?」
「いえ、『ひよっこ兵士物語』のロイドと言っていました」
「ロイド? …………ああ、アレか」
怒るでもなく、嘆くでもなく、淡々と。初恋の相手が三次元ではなく二次元であると断定してしまう辺りコージャイサンは彼女の嗜好をよく分かっている。
「今ので分かったんですか⁉︎」
一も二もなく驚愕するリアン。
「つか、それカウントすんのかよ!」
イルシーはその対象にツッコまずにはいられず。
「イザンバ様も本当にブレませんな」
ファウストは心底感心した。
イザンバが本の中の人物にときめきを覚え、そちらに夢中になるのは当たり前の事。これまでを思えば初めて心を動かされた人物がいるのは当然だ。
それでも、イルシーは納得しきれず不満の声を上げる。
「コージャイサン様はそれでいいのかよぉ?」
「どこに問題がある?」
「どこって普通に考えておかしいだろ……いや、でもイザンバ様だしなぁ……」
頭を掻くイルシーを横目にコージャイサンは余裕の笑みを浮かべている。
——コージー様を好きだ、と。
——三次元でこの感情を抱いたのは後にも先にもコージー様だけだ、と。
今は引き出しの奥、大切に保管されている手紙でそう告げたのは彼女だ。
だから初恋が二次元であろうが彼にはなんの問題もない。
「ジンシード子爵令嬢は現在婚約者が居ないとの事です。お嬢様は兄君に彼女をもう一度合わせてみてはどうかとお考えです」
その事についてはコージャイサンの協力を願う旨が綴られていた。
コージャイサンもその案に否はない。
なぜなら彼女がオタクであるという事はアーリスにとっても悪い話ではないからだ。
それはカティンカが一つのことに夢中になれる純粋さ、そしてストイックさを持ち合わせている人という事。
そんな人物ならアーリスをコージャイサンに乗り換える足掛かりにしたり、浮気をする事はないだろう。
「イルシー、仕事だ」
そう言って差し出されたイザンバからの手紙。自分が読んでいいのかと怪しむ口元に、主人は読めと促した。
「今のところジンシード子爵家に問題があるという認識はないが探ってこい。そういえば昔クタオ伯爵家の調査に父が諜報部を使ってたな。応援を頼むか?」
「は? いらねーし。俺らだけで十分だっての」
「なら——徹底的に洗い出せ」
アーリスとの縁がどうなるかまだ分からないが、イザンバとはもう縁が出来てしまっているのだから。
諜報部に後れをとるなと、挑発的な表情で命じる翡翠。令嬢本人だけでなく、家族についても全ての情報を彼は望む。
「全ては我が主の意のままに」
彼らは主命に対して恭しく頭を垂れた。
さてはて、縁は異なもの味なものとはよく言ったものだ。
しっかりと固く結びついた彼らの絆に惹かれるように新たな縁が————ほら、もう出逢ってしまったから。
切れる事なく紡ぎ、繋がりを生み、点と点を結ぶようにその道はいずれ交わる事だろう。
活動報告に従者たちの会話劇、アップ予定です。
これにて「点と点の懸け橋」は了と相成ります。
読んでいただきありがとうございました!




