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お茶を飲み、ホッと一息をついたと見せかけてため息をこぼす。
——なんでこんな事になってるんだろう……。
カティンカの胸中はかつてないほどに疑問と混乱で荒れている。
馬車に乗せられてそう間を置かずに辿りついた先はやはりと言うべきかクタオ伯爵邸。サロンに通されてあれよあれよと言う間に用意されたお茶をいただいている。戸惑うなと言う方が無理というもの。
——分かってる。勢いで声をかけた私のせいだけど……。
対面に座る巷で火の天使と呼ばれているイザンバから向けられる優雅な微笑みも、洗練されたお茶を飲む仕草も、とても年下とは思えないほどだ。
——もしかしたらって思ったけど……違ったならかなり失礼だし私痛いすぎない? え、でも否定はしてないよね? え? あれ??
なんだか自信がなくなってきて、カティンカはもう一度小さく息を吐き出した。
そんな彼女の様子にイザンバはもちろん護衛たちも気付いている。
時は少しだけ遡る。邸に着いてすぐカティンカをサロンに通しシャスティ、ケイトにお茶の用意を頼んだ後、彼女はジオーネを連れて急ぎ自室に戻った。
そして部屋の扉が閉まった瞬間、叫び声と共にスパーンと淑女の仮面が脱ぎ捨てられたのはいつもの事。
「あぁぁぁあ! どうしよう! あれ絶対私がオタク前提で話してましたよね⁉︎」
取り繕う事なく全力で嘆くイザンバの変わり身にジオーネは心底舌を巻く。しかしそれとは別に容赦なく事実を突きつけた。
「確信は持っていたようですね。お嬢様も本を遠慮なく取られていましたし」
「取らない選択肢なんてあるの⁉︎ でも本はオタクじゃなくても買いますよ! 見破られるなんて運が悪いとしか言いようがない!」
「我慢なされば良かったのでは?」
「だってオタクは本能、推しは栄養なんだもん! 我慢したら死んじゃいます!」
「それで見破られたのにですか?」
「ぐはっ……!」
バレたくないなら我慢しなきゃとぶち込まれたジオーネからの正論はイザンバに鋭いクリティカルヒットをくらわせた。
彼女はそのままがっくりと項垂れるばかり。ただの読書好きくらいに思われていたいところだが、兄の発言の件もある為それは希望的観測というものだろう。
「そもそも何故彼女をお連れしたのですか?」
「あそこで話し続けるのはリスキーだったからです!」
「なるほど。ではお嬢様の本性を知られましたし……殺りますか?」
「殺りません! 大丈夫です! だからそれはしまってください!」
——好戦的な光を宿す紅茶色の瞳
——谷間から取り出された銃
物騒な言葉とは裏腹のにこやかな微笑みを浮かべるジオーネに今度はイザンバから厳しい声が飛ぶ。
オタバレは回避したいが、そこまで物騒な事は望んでいない。
イザンバはここ最近の自分の様子を振り返る。どうにもコージャイサンといると仮面が緩みやすく、彼の周りの人にバレる事が増えているというのに。
——これは気を引き締めなくちゃ……!
ジオーネに向けた厳しさを自分にも向けて。
「ゆうて子爵令嬢様のご様子を見るにお嬢様と同類でしょうけど」
「私もそう思いました!」
キリッとした顔から一転。お使いから戻り、しれっと室内に入ったヴィーシャの言葉にイザンバは即答した。
抱いた危機感が同類発見の知らせに吹き飛ばされる様はいっそ痛快だ。なんといい笑顔だろう。
「ジンシード子爵家の様子はどうだった?」
「ぱっと見は可もなく不可もなく、普通の貴族って感じやわ」
ジオーネの問いかけにヴィーシャは現時点で特に問題なしと返す。どうやらお使いのついでに軽く探りを入れてきたようだ。
そんな二人のやり取りにイザンバもしたり顔で参加する。
「ほうほう。うちと一緒ですね」
ところがイザンバの言葉に護衛たちは半眼である。
「何を仰っているんですか?」
「クタオ伯爵家は普通ちゃいますよ」
「そんなバカな⁉︎」
二人の言葉にイザンバは驚愕一択である。
クタオ伯爵家は功績も見た目もパッとしない、けれども脈々と続いてきた貴族——なんて事は過去のこと。今や知らない者の方が少ないだろう勢いで名が知られており、貴賤問わず注目を浴びているのだから。
さらに付け加えると、娘の結婚相手を探す家にとっては公爵夫妻からも覚えめでたい優良物件がいるのだ。
また「使用人への待遇が良い」とどこからか噂が回り、増えた面接希望者がなぜかお勧めの地酒を持って来るとか来ないとか。
ため息を吐きながら眉間を揉むカジオンに護衛たちは大層同情したそうな。
「ほんで……お嬢様は何してはるんですか?」
「え? えーっと……状況整理?」
顎に人差し指を当てて首を傾げる様は可愛らしいがヴィーシャはその肩に手を置くと問答無用で扉の方へと向ける。
「自分で連れてきて何言うてますの。はい、腹括る」
「安定の男前ぶりですね! そういうとこ大好きです!」
「あら、いややわぁ。それはご主人様に言うべきちゃいますか?」
「うぐっ……! いや、まぁ、それはそれ。これはこれと言いますか……だって……」
コロコロと揶揄うような笑い声で返されればイザンバは気まずそうに目を逸らす。推しと、彼と、親しい人では込める意味合いが違うから、と。
「けちけちせんと言いましょね」
「ご主人様は大変喜ばれますよ」
護衛たちは主人が喜ぶ為ならばイザンバの羞恥心なぞ知ったことではないとばかりだ。主至上主義は今日もブレない。
彼女たちの言い分をイザンバも理解している。
だが、いざ伝えようとコージャイサンを目の前にすればやっぱり恥ずかしい。だって言ってしまえば……
——蕩けた翡翠に
——告げられる言葉に
——漏れ出す色香に
どうしたって酔わされてしまうから。
そう考えて、はたと気付いた。
——コージー様に好きっていうよりカティンカ様にオタバレする方がハードル低くない? だってもうカティンカ様が言った後だし。
そう、最初の一歩はもう踏み出されている。
「……よし!」
そうと分かれば話は早い。気合いを入れてイザンバは本棚に向かう。
「お手伝いしますか?」
「じゃあこれとこれを持って……あー! やっぱり同じぬいちゃんだ! もう! 親切心だけならともかくうっかりバラしちゃうなんて。あれだけダメだって言ったのに……お兄様のバカー!」
帰ってきた時にしっかり言い聞かせなきゃ、と兄に対してぶつぶつと文句を言いつつも手際よく目的のものを手に取っていく。
頼もしい護衛たちの存在を背中に感じて、気持ちを切り替えるように一つ深呼吸してからイザンバは部屋を出た。
そんなわけでサロンにいる現在。何食わぬ顔をして対面に腰掛けているイザンバだが、カティンカの混乱と同様で決して平常心ではないとお伝えしておこう。
相手の出方を窺うこと暫し。居心地が悪そうに泳ぐ青空に、ついに——意を決してイザンバが口を開いた。
「『おい、お前が見るべき相手はこの俺だろう。余所見をするな』」
ハッと息を飲んだのは誰だろう。イザンバらしくない語気の強い言葉に緊張感が走る。
けれどもただ一人。彼女だけは何を言われているのか理解していて……ゆっくりと視線を合わせたカティンカが恐る恐る、それでいてしっかりとした口調で言葉を返す。
「…………『そうカッカするな。こんなにも俺を熱くするのはお前くらいだ』」
「『どうだか。随分と舐められたものだ』」
「『そりゃあ俺とお前じゃ格が違う』」
「『この道を遮る者は何者であれ斬る! そこを退けッ! レグルス!!』」
「『返り討ちにしてやろう! かかって来いッ! シリウス!!』」
徐々に熱が入り睨み合うように立ち上がった二人だが、そのまま固く力強く握手を交わした。
「ふふ……ふふふ……あはははははははははっ!」
顔を見合わせて笑い声を上げる二人はつかえが取れたような晴れやかな表情だ。
突然の寸劇についていけないながらも壁際で控える四人のメイドたちは澄ました顔の裏で一つ確信した。
——このご令嬢は間違いなくうちのお嬢様と同類だ。
ひとしきり笑った後、イザンバは表情を真剣なものに変えるとゆっくりと頭を下げた。
「いきなり『おい』なんて言ってごめんなさい。それとノッてくれてありがとうございます」
「いえ、とんでもないです! あのシーン、カッコいいですもんね! すぐ分かりました!」
謝罪に慌てたカティンカだが、何一つ嫌な思いをしていない。むしろ楽しんだ。
イザンバがふわりと微笑んだのを確認すると「でも……」と呟いた。
「あぁぁぁあ、焦ったー! イザンバ様本屋でも馬車でも全然態度変わらないし、私やらかしたかと思いました!」
安堵からソファーにぐったりと凭れるカティンカにイザンバからは苦笑が漏れる。
「すみません。オタクである事を隠しているのでどうしてもあそこでお答えできなくて」
「ですよね! いくら小声でも躊躇しますよね! 自分がオープンオタクだからって考えなしでごめんなさい! でも祝賀パーティーでお二人が結婚間近だって聞いて。あの時声をかけないとこれから先会える確率がもっと低くなるって思ったんです……」
公爵夫人が自ら店を訪れない、と彼女も考えた。たとえお茶会や夜会で会えたとしても、接点のない二人が言葉を交わす機会は早々にないだろう。
だからと言って彼女の行動は一か八かにしても危うい。
今回はその一声が小声であった事、すぐに移動した事で事なきを得たと言えるが、もしも大声ならば完全なアウティング。それは隠したいオタクからすれば大変な災難で、無慈悲な災厄で、無配慮な人災でしかないのだから。
「こちらこそ本当に申し訳ありませんでした」
後悔を滲ませ頭を下げるカティンカは自分の迂闊さを本当に反省しているようで。
危うい行動ではあったが配慮もされていたし、何より——護衛たちが彼女自身を警戒し続ける素ぶりを見せていないから。
「赦します。顔を上げてください、カティンカ様」
そんな彼女に呼びかけて注意を引いたイザンバがポケットから取り出したシリウスのぬい。それを顔の前まで持ってくるとその小さな手をちょこちょこと動かす。
「忠臣の騎士、私も大好きです」
それは高揚感か羞恥心か。まだ照れが残る顔で笑うイザンバは、初めてコージャイサンと身内以外には隠していた一面を他人に見せた。




