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コージャイサンの誕生日前はプレゼントを考えるのに忙しく控えていたのでイザンバは久々のお茶会に参加した。護衛二人を伴い訪れたのはとある侯爵家だ。
春の陽気麗らかな侯爵家の庭先に集まったのはイザンバを含めた五人のご令嬢たち。
侯爵令嬢のアイネ
伯爵令嬢のディエス
子爵令嬢のエミーラ
男爵令嬢のミーリア
そう、イザンバと同じく黒子から毛が一本生え続ける呪いを受けた令嬢たちだ。
妙な仲間意識が生まれたのか同じメンツで再び集まった今日、明るく楽しくお喋りに花を咲かせる彼女たちからイザンバは集中砲火を浴びていた。
「祝賀パーティーでのお二人の仲睦まじいお姿。本当に素敵でしたわ」
アイネの言葉に追従するべく激しく同意を示すミーリアがうっとりと頬を染めた。
「コージャイサン様がイザンバ様のお側を離れるとき、指先にキスされてましたよね。軍服であんなスマートに……カッコ良かったですよねー!」
「ご挨拶の間も殿下たちとお話の後もずっと腰を抱かれて……イザンバ様を愛おしそうに見つめるコージャイサン様に鼻血が出そうでしたわ!」
「今日も付けられているそのネックレス! コージャイサン様からの贈り物でございましょう⁉︎」
エミーラとディエスは興奮した様子を隠しもしない。
令嬢たちは最初からノンストップ。むしろフルスロットルである。おかしい。彼女たちだって淑女教育を受けているのに、どうやらそれぞれの淑女の仮面はお茶会を欠席しているようだ。
さぁ、令嬢たちの注目がネックレスに集まった。
憧れと羨望に煌めく四対の瞳にイザンバは淑女の仮面の裏でたじたじだ。好意的とは言えガン見されているのだからそれはもう居心地が悪い。
逃げ場を探してチラリと護衛たちの方を見たが、令嬢たちの言葉に満足そうな顔をしているので、どうやら助けは見込めなさそうだ。
光が当たることでさらに輝きを増したネックレス——雫の形のエメラルドに三つの小さなダイヤモンド——を見たアイネが真剣な声音で言った。
「過去、現在、未来に捧げられたコージャイサン様の愛でイザンバ様がいつでも笑顔でいられるように……かしら⁉︎」
その審美眼によって詳らかにされた内容に即黄色い悲鳴が上がった。
「甘い! 甘いですー!」
「キュンキュンしますわー!」
「イザンバ様、愛されてますわねー!」
キャッキャッと盛り上がる彼女たちとは対照的にイザンバは内心で悲鳴を上げた。
——恥ずか死ねる!
羞恥心から視線を下げるイザンバにアイネが微笑ましいとばかりに穏やかに笑う。
「あらあら。イザンバ様、お顔が真っ赤ですわよ」
「うふふふ、可愛いですねー!」
令嬢たちから向けられるのは嫉妬に穿った視線ではなく、ニマニマと弓形になった生温かくも見守る視線。以前とは違う意味で今すぐ帰りたい衝動に駆られるイザンバにディエスが尋ねた。
「そう言えばパーティーでクタオ伯爵令息様をお見かけしませんでしたが」
「その日は兄は領地に。ちょうどパーティーの一月前に私の誕生日がありまして。その時に帰ってきてくれていたのですが、仕事もあり続けてくることが難しくて」
「そうでしたの。でも、逆にいらっしゃらなくて良かったかも知れませんわ」
首を傾げるイザンバに彼女たちは口々に言う。
「クタオ伯爵令息様は独身ですよね? 今その妻の座を狙っている令嬢が多いのです」
「うまくいけば実家の方もオンヘイ公爵家と王家と縁ができるかもしれませんし。未亡人や出戻りの娘も狙っているそうですわ」
「ここだけの話ですが、中にはコージャイサン様とお近づきになりたい下心を捨てきれない方もまだいらっしゃるそうよ」
「あら、大事な事が抜けていますわ。それを狙っているのは学園に在籍する二年生以下の令嬢ですわ」
それを聞いて彼女たちは一様に呆れ返ると……。
「身の程知らずですわー」
綺麗に声を揃えた。
——皆様相変わらずいい情報網をお持ちで。
少し遠い目をしたイザンバは肉食系令嬢に狙われる兄を想像して気の毒に思った。だが、妹目線から見ても今のところ本人に結婚願望がない。
三度の婚約解消が尾を引いているのは間違いないのだから、イザンバとしてもせめて同じ轍を踏みそうなコージャイサン狙いの令嬢はご遠慮願いたいところだ。
——この事はお父様にも共有した方がよさそう。
すっと気持ちを切り替えるようにイザンバは話題の矛先を変えるため声を発した。
「皆様は婚約者様はいらっしゃるのですか?」
「ええ」
「恥ずかしながら今までこんな風にお話できるご縁がなくて……よろしければ皆様のお話も聞かせてください」
少し寂しげに微笑むイザンバの姿に、以前は茶会に参加しても辛く当たられていた日々を知る彼女たちは心得たとばかりに頷いた。
「もちろんですわ」
さぁここは年頃の乙女らしく、恋の話に花を咲かせようじゃないか。
まずはエミーラが話し始めた。
「私は婚約者と同じ年でクラスも一緒でした。授業でグループワークがありましたでしょう? その時四人一組の班になって活動していた時のことです。私の班は、私と私の婚約者を合わせた男女二人ずつの班でした。一緒に話し合いをしている最中、参考図書を探しに行こうという話になりまして。みんなで行くのかと思えば彼が『アイツ、あの子の事好きなんだ。二人で行かせてやって』と引き止められたのです」
そこまで話すと彼女は一口紅茶を飲んだ。場に漂う緊張感は煌めく令嬢たちの圧からか、それとも当時を思い出したからか。
同じく紅茶を飲んだアイネが「それで?」と続きを促した。
「図らずも二人きりとなりいつもよりも良い雰囲気で話せました。暫くして参考図書を持って二人が戻ってきたのですが、『なんだ、もう帰って来たの? せっかく婚約者と二人きりだったんだからもっと遅くて良かったのに』って彼が……ご友人を応援する意味もあったのでしょうけど思わず胸がときめきましたわ!」
そこまで話すと染め上がった頬を抑えるエミーラ。
「婚約者様やりますねー!」
「ご友人の方は上手くいったのかしら?」
「学生ならではの甘酸っぱさですわね」
そこからさらにあれやこれやと掘り下げて、青春の一幕を思い出すように令嬢たちは盛り上がる。
そして次に手を挙げたのは……。
「わたくしの婚約者は年下ですの。昔からヤンチャな子でわたくしに剣の稽古で打ち負けるたびに泣いていたのですが、わたくしが学園に入る頃から随分と生意気……いえ、可愛げがなくなりまして。それで長期休みの折に久々に会ったので学園でどういう風に過ごしているとか、授業の内容はこんな感じだとか話していましたわ。なのに返事もなく、つまらなさそうに聞いているなと思っていましたの。そうしたら……」
「そうしたら……?」
「『いいなぁ。僕も同じ年だったら良かったのに……』と、少し拗ねたように言われて。普段は生意気な事ばかり言いますのに不覚にも胸がキュンってなりましたわ」
悔しそうに、でも嬉しそうに語るディエス。
「どちらもなんて可愛らしいの!」
「きゃー! 母性本能くすぐられる!」
「年下あるあるですわね!」
勝ち気な彼女が見せた表情も相まってお茶会の熱気は増すばかり。扇で赤くなった顔を隠しながらディエスは逃げるようにイザンバへと話を振った。
「イザンバ様はコージャイサン様と学園ではどのように過ごされていましたの?」
「私たちは同じクラスになる事はありませんでしたし、その……中には過激な方もいらっしゃったのでどちらかと言えば邸で顔を合わせる方が多かったです」
イザンバは少し困ったように、申し訳なさそうに眉を下げる。実は婚約解消される前提で過ごしていたなんて余計な事は今は言うまい。
「まぁ!」
「……なんて事!」
「ありえないわ」
「本当に……」
今の二人の様子を知るからこそ上がっていた期待値に伴わないその答え。
「もったいないですわー!」
声に含まれるのは同情と心配と憐憫と。令嬢たちは悲壮感を隠しもしない。
けれども、当の本人はそんなにもったいないとは思っていない。
「でも学園内ではというだけでお話やお出掛けはしていましたから。皆様、お気遣いありがとうございます」
これ以上話すにはオタバレが必須。彼女たちに対してまだ淑女の仮面を外せないイザンバは感謝を込めて綺麗に微笑み、そしてそのまま次の人へとバトンを渡す。
「ミーリア様は婚約者様とどんな風にお過ごしなんですか?」
「私のとこはですねー……」
ミーリアの後にアイネが語り、またイザンバに話を振られて。話題も盛り上がりもかけることなく、侯爵家の庭先に楽しそうな笑顔が咲き乱れた。
さて、帰りの馬車に乗ったイザンバから大きな、それは大きなため息が出た。どうやらキラキラ女子たちのエネルギッシュな恋バナに随分と気力を削られたようだ。
すっかり淑女の仮面が外れた彼女にジオーネが労りの眼差しを向ける。
「お嬢様、お疲れ様です。場の流れの掌握はお見事でした」
「彼女たちはこれから先お嬢様の派閥の一員として社交界でええ働きをしてくれるでしょう」
「派閥?」
首を傾げるイザンバに彼女たちは言う。
公爵夫人として社交界に立つのであれば今までのように孤立する訳にはいかない。
——個人に
——家に
——国に
有益な情報を些細なお喋りから読み解き、流行の発信の傍ら情報の統率を図る。派閥の形成もその情報源の一つだ。
「でも今の状況で私が何かしてあげられる事ってないに等しいのに……」
「ご令嬢たちがお嬢様に感じている恩義は、お嬢様が思うよりもずっと深く確かなもんですわ」
訳もわからず無差別に呪われて、一生苛まれるかもしれなかった呪い。
傷付いた貴族令嬢の矜持、普段は隠せる場所でも伴侶や世話をしてくれる者に隠し切るのは難しいだろう。
だからこそ、それが王都を救うついでであったとしても彼女たちは救われた恩義を忘れない——護衛たちはそれを確認している。
「うちらも出来る限りお側におりますけど、護衛として顔が知られてきてますさかい令嬢に化けてもバレるかもしれません」
「その点、生粋のご令嬢たちなら社交界において違和感なくお嬢様に侍ることができます」
人目を引く美女たちは例えばその色を変えたところで見る人が見ればその正体に気付かれる可能性がある。
ほぅ、っとヴィーシャが艶かしいため息を吐いた。
「それに人は忘れるもんです。ご令嬢たちの言う通り、自分の方が若いからご主人様に相応しいなんてぬかすアホがわいてくるやろし」
「そんな愚かな輩にいかにご主人様がお嬢様を溺愛しているかを知らしめるには、下品なお喋り雀よりも上品な金糸雀の方が効果的でしょう」
程よく情報通で、イザンバに恩義を感じている彼女たちならば……新たな流れを生む次代の派閥の一翼を担えるだろう。
「言語が通じひんアホにはうちらが対処しますさかいご安心くださいね」
「残らず蜂の巣にしてやります」
「まだ見てもいないご令嬢に対して当たりが強すぎませんか?」
過激派はこの護衛たちもだった。二人にいい笑顔でサムズアップされてイザンバはまだ見ぬご令嬢超逃げてと願う。
「オンヘイ公爵家にとってだけでなく、お嬢様自身の味方を増やしていきましょう」
「成る程……つまり黒子毛女子同盟ですね」
「そのネーミングはどうかと思いますわ」
イザンバの軽口はどうやら空回ったようだが、婚約とは家と家を結ぶ契約。ついそこに兄自身の幸せを願ってしまうのは、彼が当たり前のように妹の幸せを願ってくれたからだろう。




