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「イザンバ嬢も鉄則は知ってますよね?」
クロウの問いかけにイザンバはこくりと頷いた。
すると研究員が用意したのは同量の液体が入った二つのビーカー。一つはそのまま凍らせて取り出し、もう一つは幅の広いパレットに入れ直してから凍らせる。
「この分厚い方を通常時とします。このまま叩いても割れませんけど、同じ量でも薄く伸びた方は——簡単に割れる。鉄則通りなら今のマゼランはこっちの状態であるはずです」
クロウの説明に合わせて研究員が動けば、儚い音ともに氷は砕け散る。
それを指差しながらクロウは思案顔でマゼランの方に視線を向けた。
「それなのにコイツは扉を壊しても骨が折れている様子がない。自分の体だから分かってやってるんでしょうけど、あの瞬間はとんだ大馬鹿野郎だと思いましたね」
——だからマゼラン様たちは体を丸めてたんだ。
周りの物や人たちを潰さないようにと言うよりも、鉄則通りなら人よりも脆くなった体を傷付けないように。
ちゃんとした理由にイザンバが感心したその時だ。クロウが爽やかに宣った。
「そんなわけで切って状態を確かめます!」
「突如としてデンジャラス! マゼラン様、あんな事言ってますけどいいんですか⁉︎」
「ここにも薬品あるし、医療棟でちゃんと治してもらえるから大丈夫だよー」
自らを実験台として差し出す事に抵抗するどころか、あまりにもあっけらかんとした物言いにイザンバは唖然としてしまう。
しかし、驚きに思考停止するのはまだ早い。
「それは俺も気になってました」
「だよねー! 煙が収まったから扉を開けようとしたのにドアノブ小さいし、凍ってて中々開かないからつい殴っちゃったんだけど見てー! ノーダメージなんだもん!」
なんとコージャイサンも興味津々だ。帰るように言われたはずなのにこれは雲行きが怪しい。
なんとなく、次の発言が読めたイザンバへ彼はその愛らしい顔にそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべた。
「ザナ、ちょっと待っててくれるか。サクッと斬ってくるから」
「やっぱり⁉︎ ねぇ、そんな野菜切るみたいなノリで言わないで。幼児が巨人の手を切断とか無理があるでしょう」
「剣と自分に強化、先輩に弱体化をかけたら斬れる」
「チートでゴリ押ししないでください! やろうとしている事がデンジャラス通り越してバイオレンスです!」
「だが、鉄則が覆るかもしれないんだぞ。いつ効果が切れるか分からないしすぐに検証しないと」
なんという事でしょう。彼は新しい術式を作った時のように、珍しい素材を見つけた時のように、それはもうものすごくワクワクしている。
応援したいところではあるが、このままでは目の前で流血沙汰待ったなしである。イザンバとしてはそれは避けたいわけで。
「言いたいことは分かるけどスプラッタに意欲的に参加しなくても! 状態確認なら他にやりようが……あ。はーい! コージー様、はーい!」
何かを思いついたのかイザンバが大きく手を挙げた。
大袈裟な主張のポーズにコージャイサンも聞く姿勢をとると、教壇に立つ教授かと言う風に手のひらを彼女に向ける。
「はい、イザンバさん」
「私、腕を切らなくても骨の状態を確認する方法、読んだ覚えがあります!」
「へぇ。どんな風にするんだ?」
感心を引く事に成功したイザンバはホッと息を吐いた。
顔を上げた彼女だがヘーゼルは中空を見つめ、その指先は顎をトントンとする。記憶の引き出しをあけるように、情報の糸を太くするように。
「そもそも骨の強度は骨のカルシウム量、つまり骨密度と骨質によって決まります。だから光の術式から微弱な短い波長を照射して骨と軟部組織での通り抜ける量の違いを比較する事で分かります」
「それで分かるのか」
「はい。撮影機を応用して現像すれば視覚的にも分かりやすいですよ。さっき言った波長は金属や骨など密度が高い物質は透過せずに、紙や皮膚など密度が低い物質は透過する性質がありますから」
診た本人だけでなく他者にも伝わるように、既存の技術を活用する術を。
「ただ浴びすぎると蓄積ダメージによって体に影響が出るので要注意です。極端に回数を重ねない限りその心配はありませんが、この場合は撮られる側よりも撮る側への注意ですね」
技術によって生じる注意点を。
「骨密度が高ければ骨はきめ細かくて強いし、低ければきめが粗くてスカスカになります。骨が折れやすい方は骨密度が低いからです」
得た情報から考え、その有用性の判断基準を。
「鉄則通りに考えるならマゼラン様の骨密度も低くなっているでしょうが、今回巨大化しても強度が変わらなかったのは可能性として薬品の中に強化するモノがあって同時に作用したか、もしくはどなたかその成分が含まれたモノを飲食されてたんじゃ……って、あれ?」
チラリ、と視線が動いた先には破片の中に混ざる軽食の包み紙。そこまで話してからイザンバは静かな雰囲気を不審に思った。
周囲を見れば研究員たちが目も口も丸くしているではないか。聞いていたのはコージャイサンだけではないのだ。
あまりにも注目を浴びて居心地が悪くなったイザンバはそそくさとファウストの陰に隠れた。
そんな中でコージャイサンはニヤリと笑う。幼児であるのにどうしてこうも様になるのか。
「クロウ先輩、その方法でよろしくお願いします」
「——おう、任せろ! それなら元に戻った後でも比較できるし、もう一人の腕も切らなくて済む。お前ら今の覚えた?」
名指しを受けた彼はハッとした。普通のご令嬢から語られるにはあまりにもマニアックな話。だが、ここには知識欲が旺盛で、活用できる研究員たちがいる。
「バッチリ。すぐに書き起こす」
「光の術式使えるヤツ集合! チビ以外で」
「飲み食いしたやつ、速やかに手挙げろ! チビ含めて」
女性化した男性陣が高い声で生き生きと動き出す一方。
「イザンバ様って完璧な淑女かと思ってたけどコッチ側との両刀だったんだ……これは興味深いわ」
「あの残念具合といいギャップがすごいもの。マニアックなとこも親近感湧くわよねぇ」
「女性騎士の自称サバサバ系も魔術師のあざとい系も相手にされない訳だね〜」
男性化した女性陣が低い声でしみじみと呟きながら、数パターンの波長の構築を計算している。仕事が早い。
それにしても、とクロウが感心したように視線を向けた。
「イザンバ嬢、その知識はどこで?」
「一時、闇の医師にハマってまして。マイナーですが治癒魔法では分からない人体の神秘が紐解けてとても面白いんです」
「そうなんですね。正式な名称と大体でいいんですけど何巻のどのあたりに書いてあったか覚えてたりしますか?」
「『光の裏で生きるもの』です。これは割と最初の方から出てきた技術なので、一巻の二話ですね」
そう答えた途端、男女の研究員がダッシュで部屋から出ていった。中々に俊足だ。
驚くイザンバにクロウがいい笑顔を向けた。
「ありがとうございます。早速探しに行きました。あ、邪魔だからおチビ共はもう帰っていいぞ」
まるで邪魔扱いするようしっしと手を振られればブーイングも出るというもの。しかし、その全てが幼い声でなんとも可愛らしい。
「記録は纏めといてやるから今回は我慢しろって。その代わり各自元に戻る時間は確認しといて。比較して今後の参考にするから」
「分かりました」
ひとまず話がまとまったようだ。
流血沙汰もなくなり、これで彼も憂なく帰れるだろうとイザンバは柔らかな声音で呼びかける。
「では帰りましょうか」
「ああ。お前たち、誰か先に母上に説明を……」
ところが、従者たちに顔を向けて指示を出している最中にコージャイサンの体が浮いた。
——鼻腔をくすぐる香り
——伝わる柔らかな温もり
——人前なのに近づく顔
翡翠に驚嘆を浮かべる彼にイザンバはにっこりと微笑んだ。
「…………何してるんだ?」
「だって体が小さくなったから靴も合わないでしょう? 裸足で外を歩くんですか?」
「別に馬車までならこの靴でも大丈夫だ」
「結構距離あるの知ってますよね? 合わない靴は危ないからやめておいた方がいいと思います。転んじゃいますよ」
正論である。
子ども用の靴をすぐに用意できるわけがない事はコージャイサンも分かっているが……これはいただけない。
「だからって何もザナが抱き上げなくてもいいだろう」
「今なら私の方が体力あります! 任せてください!」
「いや、そうじゃなくて」
何やらやる気に満ち溢れているイザンバだが、コージャイサンはやんわりと腕を突っ張りどうにか降りようと試みる。
「そんな事しなくて大丈夫だから」
「もう。コージー様、そんなに反ったら危ないです。ちゃんと捕まってください」
けれどもイザンバは言い聞かせるように、宥めるように声をかけると、彼の小さな背を支えた。そして、腕の力が緩んだ隙にギュッと体の前面同士をくっつける。
大人しくなった彼に「これで安心」とイザンバは満足気な表情をするが、しかし余計な口は挟まれるというもので。
「アハハ! 婚約者ちゃんに抱っこされてコージャイサンってば本当に子どもみたい!」
マゼランの言葉にコージャイサンは真顔になった。再び体を起こしたところで忠実な影を呼ぶ。
「イルシー」
「へいへい。イザンバ様、俺が運ぶぜぇ」
「えー……」
コージャイサンの要望とはいえ手を伸ばしてくる従者にイザンバは不服そうに唇を尖らせた。
「えーじゃねーし。人形と勘違いしてんのかぁ? いくらガキになったとはいえか弱いお嬢様には重いだろぉ」
「余裕ですがなにか?」
彼女は時に台車に山積みになった本を書庫まで運び、時に孤児院で小さい子の相手をし、なんなら遺跡で落とし穴に落ちかけた時に自分の体重を支えて、さらに這い上がった実績があるのだからドヤ顔である。
イルシーは白けたように憎まれ口を叩く。
「淑女の仮面はどうしたんだぁ? さっさと付け直しとけ」
それな対して彼女はキョトンとした後、その視線をコージャイサンに向けた。
「コージー様、持ってますか?」
「悪い。今は手持ちがないんだ」
「……だそうです!」
「ちげぇ!」
またもや向けられたドヤ顔に腹立たしさを隠さずイルシーが吠えた。誰も現物の話なぞしていないというのに。散々やらかしたイザンバが開き直っているだけと分かるからなおのこと。
——このまま歩かせてへばるまで待つかぁ。でもなぁ……。
しかし、彼の主がこの状態を良しとしていない。イルシーは短くため息を吐くと手を差し出した。
「ボケはいいからコージャイサン様をこっちに寄越せっての。ファウスト、出勤前の服の回収忘れんなよ。ヴィーシャ、先に公爵邸に行け。夫人に説明頼んだぜぇ」
彼女に合わせていてはいつまでも話が進まないとばかりに指示を出す。イルシーの言葉に二人は頷いた。
「お嬢様、ご主人様のお姿に心配になるのも分かりますけど、ここはイルシーに任せた方がよろしいかと。代わりにこちらをお持ちください」
「あちらほどではないにしても主の服も心許なくイザンバ様に抱き上げられているのがお恥ずかしいのです。どうか繊細な男心とご理解をくだされ」
バスケットを差し出すヴィーシャとツナギと靴を回収するファウストがチラリと視線をやったのは、服が破れ下半身を布で隠す巨大化した二人。
そして、黒インナーのみで動き回る幼児たち。その下は言わずもがな。
「あ、そうですね……分かりました」
流石に察したイザンバが少しばかり気まずそうにコージャイサンをイルシーへと託す。
そうして移動している彼の姿にまたもやマゼランから楽しそうに落とされた呟き。
「そうやってるとまるで従者君がパパで、婚約者ちゃんがママみt……」
どうして彼は黙っていられないのか。
コージャイサンが指を一つ鳴らすとマゼランはたちまち氷に包まれた。
一気に下がった室温と巨大な氷像作成に様子を窺っていた面々からも上がる驚きの声。
「ホント馬鹿! 余計な事言うなよ!」
完全に自爆であるが、果たして氷像にクロウのツッコミは聞こえているのだろうか。
今にも「馬鹿じゃねーの」と言いそうなイルシーの腕の中、突然コージャイサンがくたりともたれ掛かった。
「コージー様⁉︎」
「おいおい、大丈夫かぁ?」
「……ああ」
その身を案じる二人に返された声には覇気がない。
「ごめん、ちょっと見せて。コージャイサン、今の魔力の状態は分かるか?」
観察するクロウの声に問われた彼は自分の内側を探るように目を瞑る。深くゆっくりとした呼吸の後、短く答えた。
「不安定です」
「あー、成る程ね」
呑み込み顔で頷いたクロウは心配そうにしているイザンバに微笑みを向けた。
「大丈夫ですよ。今回変身が三種類に分かれたことで想定外の影響を受けて魔力が乱されているんでしょう。容量が安定しないせいでいつも通りにしたつもりでもタイミング悪くごっそり持って行かれただけです。魔力回復薬を飲めば治ります」
通常時ならなんて事ない氷像作成も今の状態には負担だったようだ。研究員が魔力回復薬を渡せばコージャイサンはコクリ、コクリ、と飲み干した。
そこへ氷が砕ける大きな音が響き、人の注目を攫った。
「魔力が安定してないのは確かだよねー。見てよ、冷たさも強度も前より落ちてるし。あ、今はオレがデカいから相乗効果で簡単に壊せちゃったのかも! ほら、簡単! 面白ーい!」
「お望みなら閉じ込めてあげますよ。永遠に」
楽しそうに氷を砕くマゼランにコージャイサンから向けられた一等冷えた視線。マゼランは巨大な手でクロウを引き寄せるとしくしくと泣き出した。ぐえっ、と潰されたような声は無視である。
「ひどーい。オレらの扱いって婚約者ちゃんに比べてホント雑だよね。オレ泣いちゃう」
「嘘つけ」
「嘘だよー」
悪びれもしない彼にイラッとしたクロウは自身を拘束する巨大な手をバシリと一発叩いた。
中々いい音がしたがマゼランが折れたと騒ぐ事もなく、叩いた箇所を観察しても特に変わりはなかった。
「安定してないって事は言い換えれば子どもによくある魔力暴走を起こしやすくなってるって事だ。なるべく魔力は使わない方が……いや、待てよ。例えば総大将がいらっしゃれば、お前が暴走しても止められるよな?」
「そうですね」
かつて八つ当たりを受けても平然としていた父である。感情任せのあの行動もある意味暴走だ。
「よし、ちょっと総大将に上奏してくる。許可が降りたら儲けもんだ。コージャイサン、もし魔力使ったら状態を記録しといて。出来るだけ細かくな。子どもの魔力暴走を言語化するいい機会だし」
「分かりました」
なんと、クロウは恐れ多くもゴットフリートに願い出ようとしている。これは知的好奇心が勝ったのか、それとも偶然が重なった出来事にハイになってしまっているのか。
ただその姿も相まってイザンバには大変珍しく見えた。
「クロウ様ってツッコミ要員だと思ってたけど、ちゃんと研究員だったんですね」
「その気持ちはよぉ分かります。あの騎士の人らもやけど防衛局の人らってほんまクセが強ぉて」
「お前が言うのかよぉ」
ヴィーシャの言葉にイルシーがツッコむが「お前たちも大概クセが強いぞ」とは言わずにいたファウストは賢明である。
「主よ、お加減はいかがですか?」
「もう大丈夫だ」
その身を案じる彼にコージャイサンが鷹揚に返せば、従者たちは揃って動き出す。
「んじゃ、帰るかぁ」
「ほな、ウチはひと足先に行ってますさかい」
「イザンバ様、お側を離れられませんよう」
イルシーはコージャイサンを丁寧に抱き直し、ヴィーシャは伝達係として姿を消す。イザンバを気遣うファウストに頷き返した彼女は改めて研究員たちに視線を向けた。
「それでは、皆様お邪魔いたしました。ご機嫌よう」
そして綺麗な淑女の礼を残してその場を後にした。
活動報告に残った研究員たちの会話劇アップ予定です。




