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パーティー中 結婚式1ヶ月前
防衛局へ〜 結婚式15日前
パーティー会場に戻った二人は顔見知り達と順に会話をしていた。
チック達からは出張中の武勇伝を、改めて紹介された魔術師団のスフル達からはオンヘイ父子の無茶振りを。
気やすさを感じさせる彼らの語り口にイザンバはコージャイサンの隣で淑やかに微笑んでいた。
「最初言われた時は驚きました。あの複雑な術式を四日で九枚ですよ⁉︎ しかも刺繍をした事がない者ばかりでしたから、よくやりきったと我が事ながら鼻が高いです」
ユズが胸を張って言えば。
「術式が成功した時は本当に嬉しくて、魔術師団に入って良かったと思いました。イザンバ嬢、素晴らしい浄化の炎を上げてくれてありがとうございました」
エッリは慇懃に会釈をし。
「火の天使、すごく綺麗でした。あれを見た瞬間、もう大丈夫だっていう安心感と過酷な徹夜の日々が報われた達成感がすごくありましたから」
スフルは心から晴れやかな笑みを浮かべた。
対してイザンバは淑女の仮面の微笑みと共に口を開く。
「あの時、元帥様が魔力回復薬の瓶も見たくないと仰っていました。そのお気持ちに至るとは一体どれほど大変な作業であった事でしょう。皆様、誠にお疲れ様でございました」
瓶も見たくない。そのその気持ちはイザンバにも痛いほど分かるから。
「魔術師団の皆様のお力がなければ聖なる浄化の炎と言えども王都を守る事は出来なかったでしょう。私も皆様と共に一翼を担えた事、とても嬉しく、そして誇らしく思っています。ありがとうございました」
確かに目立った功績が彼女の元に転がり込んできたが、それは魔術師団の存在があってこそと言葉を返す。
駆け回る活躍を見せた騎士と違い裏方に回っていた彼らの活躍は目立たない。
だがそこに脚光を浴びせるように、魔術師団の注いだ魔力が一切の無駄なく発揮されたあの瞬間を——他でもないイザンバが労り讃える。
「どうしよう……嬉しくて泣きそう」
「コージャイサンにもこの優しさを見習ってほしい」
スフルとエッリが打ち震えるその向いで、しかしコージャイサンはけろりと宣った。
「流石防衛局が誇る魔術師団です。先輩達ならこの先もまだまだイケると信じています。次はどんな図案にしましょうか?」
「いや、そういうのはもういいから!」
ユズの言葉に全員から和やかに笑い声が漏れる。
なんだかんだ言いながらも互いを讃え合う彼らの姿に同じ防衛局の仲間としての信用が垣間見えて、イザンバはその状況を微笑ましく見守った。
しばらく話した後、彼らとは入れ替わりにやって来たのはマゼランとクロウだ。
軍服を着ていてもいつもと変わらずふわふわと人懐っこい笑みのマゼランは立食スペースから取り分けた料理を皿に載せたまま歩き、クロウは彼が皿をひっくり返さないか冷や冷やとしている。
「ねぇねぇ。婚約者ちゃんはいつ防衛局にきてくれるの?」
もぐもぐと口を動かしながらのマゼランの問いかけにイザンバはぱちりと瞬いた。
「先週の訓練公開日は来なかったでしょ? せっかくゴールデンキングビートルの翅を広げるところ見せてあげようと思ったのにー」
「まぁ、それはすみません」
イザンバが誕生日プレゼントにああでもないこうでもないと悩んでいた丁度その頃、二月に一度の訓練公開日があったのだ。もちろん彼女の脳内はそれどころではないので綺麗さっぱり頭から抜け落ちていたのだが。
申し訳なさそうに眉を下げる彼女にクロウが首を横に振る。
「いやいや、イザンバ嬢が謝る事じゃないですよ! マゼランが勝手に言ってるだけですから!」
「えー、オレだけじゃないし。首席も今度こそ話したいって一緒に待ってたもん」
「訓練後に姿を見ないと思ってたら……揃いも揃って女性を待ち伏せるなよ! それ普通に怖いからな!」
どうやらマゼランはファブリスと共に彼女が来るのを待ち構えていたらしい。
言い聞かせるようなクロウの言葉をさらりと流し、彼の関心はその日のコージャイサンへと向く。
「そう言えばコージャイサンはまた演習場の訓練に参加してたんだよ! 前は一対三だったけど今回挑むヤツ増えててさー、急遽勝ち抜き戦になったんだけど結果一人勝ちしてたんだから笑うよねー!」
写真で見た一対三の攻防も迫力があったが、現役の騎士を連続して相手にするとなるとその難易度はいかほどだろう。
一人勝ちと聞き流石だなと思いながらも彼女の瞳が案ずるように彼を見上げた。
「お怪我はされませんでしたか?」
「問題ない」
むしろ挑んだ側が満身創痍である。
しかし前回の熱気に当てられたせいとは言え、結果として挑んだ彼らは騎士としての高みをまた一段登ることが出来た良い訓練であった。
ホッと安堵の息を吐いた彼女にマゼランがズイッと迫る。
「それでいつ特別招待券使ってきてくれるの? 明日? 明後日?」
「イザンバ嬢にも予定があるんだからそんなすぐに来れるわけないだろ!」
「オレは早めがいいなー」
「お前はもう黙ってろ!」
パーティー会場には似つかわしくない痛快ないい音が鳴る。
しかし、だからといってめげるマゼランではない。口を尖らせてコージャイサンとイザンバを見遣った。
そんな彼にコージャイサンが返すのはそれはそれは冷めたた視線だ。
「マゼラン先輩は本当にしつこいですね」
「でもコージャイサンだって婚約者ちゃんがまた差し入れ持って来てくれたら嬉しいでしょ? 前来てくれた時めっちゃ喜んでたじゃん」
「それとこれは別問題です。クロウ先輩、その人の口を塞いでください」
「よしきた、任せろ」
そう言ってクロウは未だ何かを言いそうなマゼランの口に肉を突っ込んだ。
そんな彼らのやり取りにイザンバはクスクスと上品に笑う。そして穏やかに微笑んだ。
「日時に関してはコージー様と相談してから伺わせていただきます。その暁にはゴールデンキングビートルの翅を見せてください」
彼女の言葉にマゼランは目をキラキラと輝かせ、クロウは申し訳なさと有り難さを滲ませる。マゼランが何か喋っているが口の中の肉が入っているためうまく聞き取れない。淑女の仮面はスルーッと聞き流すことにした。
「無理しなくていいからな」
出歩けばまだ火の天使と呼ばれ囲まれてしまう。そう言って気遣いを見せるコージャイサンの耳を拝借して彼女は小声でその胸の内を打ち明けた。
「あのね、コージー様が嫌じゃなかったらでいいんですけど、魔導研究部でお仕事しているところ一度でいいから見てみたいなーって思って。……ダメですか?」
「分かった」
遠慮がちな申し出にコージャイサンはゆるりと頬を緩めると柔らかな声音で応えた。
さて、防衛局前に停車したクタオ伯爵家の紋章が掲げられた馬車の中。イザンバとヴィーシャ、そしてファウストがいる。
イザンバは自らを鼓舞するように至極明るい調子で言い放った。
「というわけで、やって参りました。防衛局リターンズ!」
「何事もなく終わればええんですけどね」
「ヴィーシャやめて。妙なフラグ立てるような事言わないでください」
ところがヴィーシャが何とも不穏な発言をするではないか。途端に真顔になった彼女にファウストがフォローを試みる。
「そうだぞ。それに万が一何か起ころうともその為に自分たちがいるのだからな」
「ファウストもダメです! それ何か起こるって言ってるようなものだから!」
「そのようなつもりはありませんが……気をつけましょう」
だが、今日赴くのは魔導研究部。果たして『何事もなく』が通用するのだろうか。イザンバはここに来て一抹の不安を抱えたが、引き返すなんて事も出来るわけがない。腹を括り馬車を降りた。
差し入れのバスケットの数は三つ。ヴィーシャが一つ、ファウストが二つを持ち、三人は連れ立って受付に向かう。
そこでイザンバは少し驚いたように息を詰めた。なぜなら壁にもたれる人待ち顔の彼が既にいるから。
イザンバの到着に気付いたコージャイサンはその表情を和らげた。
「ザナ、おはよう」
朝から甘く蕩けた笑みを炸裂させるとは何事か。可哀想に、横顔を見ただけの受付嬢たちが被弾して悶えているではないか。
「おはようございます。コージー様がお迎えに来てくださったんですか?」
「ああ。それと……もう先輩たちも来てるから心づもりをしておけ」
「おー、早いですね。分かりました」
そんな話をしているうちにヴィーシャが手続きを済ませてしまう。今回はすんなりと受付を通れば——さぁ刮目せよ。
「婚約者ちゃん、いらっしゃーい!」
陽光の下、翅を広げたゴールデンキングビートルの何と眩い出迎えだろう。キラッキラである。
「どう⁉︎ すごいでしょー! この後翅もちゃんと動くんだよ! 見ててね! いくよー!」
「マゼラン待て! ここでそれはやめ——……!!」
静止を物ともせずにポチッと押されたボタン。土煙を立ち上げながらブンブンと鳴る羽音が周囲の音を掻き消した。それなのに……。
「移動するぞ」
至近距離で耳に吹き込まれた声に知らず頬に熱が灯る。
研究棟までの距離を騎士や魔術師から冷やかしの声を受けながら二人は並んで歩く。
途中ゴールデンキングビートルに抜かされたが、前回辿り着けなかった演習場を案内してもらってから研究棟へと足を向けた。
件の研究棟は演習場のさらに奥、周りから距離を取ったような場所に建つ。三階建ての横に広い造りで入り口は左右中央の表裏に六つ、裏には倉庫や農場もある。
「ここだ。では、改めて——……」
「魔導研究部へようこそー!!!」
コージャイサンが扉を開けば、研究員たちの明るい合唱と軽快なクラッカーの音がイザンバたちを出迎えた。女性研究員の姿も見えるが彼女たちの態度に刺々しさはなく、同じく歓迎してくれているようだ。
「本日はお邪魔いたします。こちら、よろしければ皆様でお召し上がりください」
イザンバの言葉と共にファウストがバスケットを差し出したところ彼らは喜色満面に溢れた。
「ありがとうございます!」
「やったー! 糖分!」
「これは絶対安全なやつ!」
差し入れに求められるのが安全性とはこれ如何に。
しかし、ここまで喜ばれて悪い気はしない。彼らの様子にイザンバはそっと胸を撫で下ろしていると、馴染んだ香りが近づいた。
「俺の分は?」
まさかみんなと同じじゃないよなと強請るように問う翡翠に彼女は視線をヴィーシャへと向けた。
「あっちのバスケットに入ってます。今お渡ししますか?」
「それなら後で貰う。ありがとう」
コージャイサンが浮かべるのは嬉しいと咲く柔らかな笑み。ちゃんと特別だと分かるように用意されているそれは彼の独占欲を満たす。
シェフが作るものには及ばないのに、と思うイザンバだがそれでもこれだけ喜んでもらえると……成長してきた自尊心がむずむずとくすぐったい。伏せた目元とは反対に緩く口角が上がった。
「仲良いな。爆発しろ」
「独り身に喧嘩売ってるよな」
「なんだあれ。二重人格か?」
「別人説が濃厚」
ジト目で文句を垂れ流し始めたかと思えば検証するような声もある。
研究員は表立って活躍する騎士や魔術師に比べるとさらに出会いの場が少ない。よしんば積極的にいけたとしても一癖も二癖もある彼らと一般人では感性が噛み合わなく、長く続かない。
かと言って職場では互いのクセが強すぎて恋愛に発展しにくい。
研究員は皆ハマれば一途なのだが、そこに至る道が険しく若い者は独り身が多いのだ。
そんな事情の一人であるクロウが二人を先へと促した。
「あー……コージャイサン。首席には部屋で待ってもらってるから行ってきたらどうだ?」
「分かりました。ザナ、行こう」
魔導研究部長であるファブリスは研究棟の三階の真ん中にその部屋を持つ。
その場所に近づくにつれてイザンバの中に緊張感が募る。コージャイサンの上司の期待に応える事が出来るのだろうか、と。
ところがコージャイサンがノックをするより先に勢いよく扉が開かれた。
「イザンバ嬢、ようこそおいでくださった!」
扉前で全力待機、そんなファブリスの前のめりな勢いにコージャイサンがイザンバを背に庇った。
「首席、近いです」
「それは申し訳ない! なにせ一日千秋の思いで待ちあぐねていたのでつい! と言うか、コージャイサンがもっと早く連れてきてくれたら良かったのですぞ」
「俺たちも暇ではないので」
ああ、なんとつれない言葉だろう。ファブリスがあからさまにしょんぼりと肩を落とした。
「コージャイサン、小生これでも魔導研究部長でしてな。ちょっとでいいから敬ってほしいですぞ」
「首席の発想や知識、応用力は尊敬しています。人間性はその限りではありませんが」
「そういう遠慮ないところ総大将とそっくりですな!」
「イザンバを連れてくると言う目的は達したのでもう帰っていいですか?」
「まだ部屋にも入っておりませんぞ! 小生は腰を据えて話したいと申したはず!」
上司と部下であるというのにまぁ遠慮のない事だ。コージャイサンの背後でそのやり取りを聞いたイザンバはつい笑い声を漏らした。
コージャイサンは背後を見遣り、その表情に問題ないと判断したのだろう。その体をずらせばイザンバは改めてファブリスと対峙した。
「クルーツ首席様、ご機嫌よう。本日はお邪魔いたしております」
「そのように固くならずとも結構ですぞ。ささ、そこの椅子にお掛けくだされ。あ、コージャイサンも座る? どうぞどうぞ」
勧められた二人はソファに揃って腰掛けた。ファブリスもその正面に座るとニコニコとした笑みのまま口を開いた。
「それでは時間も惜しいので早速……退魔の呪文や魔力の直接譲渡、思考を読む事ついてもお聞きしたいが、まずは撮影機について。どうして作るに至ったか、順に聞いてよろしいか?」
緩い雰囲気を引っ込め背筋を伸ばし、キリリとした表情の彼は紛う事なく魔導研究部長。
飽くなき探究心の持ち主はその高い理解力を発揮し、多角的な視点から新たな提案をする。
それにイザンバもコージャイサンも応えるものだから、まぁ盛り上がること。
三人は予定を大幅に超えて二時間ほど膝を突き合わせた。
終わる頃には淑女の仮面の下で疲労の色を滲ませるイザンバとは反対にファブリスはツヤツヤとしている。
彼にとって実りある時間であった事は語るまでもない。




