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コージャイサンの誕生日 結婚式1ヶ月前
コージャイサンの誕生日当日。
馬車を降りた本日のイザンバの装いは紺のオフショルダードレス。ふんわりとした透け感のシフォンが紺の重みをなくし、金糸で施された刺繍が華やかさを、オフショルダーが女性らしい華奢さを際立たせる。
お飾りはもちろんあのエメラルドのネックレスだ。なにせイザンバが持つアクセサリーの中で一等煌めくものなのだから。
髪は編み込みを束ねて片方に流したサイドアップスタイルで差し込んだ花飾りが可愛らしい。
執事が会場の扉を開けたところ、クタオ伯爵一家は大変驚いた。
ホールには大勢の人、人、人。
まず目を引く集団が中央に並ぶ式典用のマント付き軍服を着ている騎士団長、魔術師団長、魔導研究部長をはじめとした防衛局員たち。
防衛局長たるゴットフリートは白、騎士団は紺、魔術師団は臙脂、魔導研究部は明灰。コージャイサンは魔導研究部の所属だが、今回は騎士として隊を率いた為に紺色だ。
左右に設けられた貴賓席には貴族議会の議長や議員、裁判局の裁判官連盟の理事や役員、教会の大司祭や司祭、その他貴族も大勢来ている。
執事はクタオ伯爵一家を貴賓席に座るセレスティアとその脇に立つコージャイサンの元へと案内した。
「セレスティア様、ご機嫌麗しゅうございます。あの、なぜこんなに人が多いのでしょうか?」
「あら、言ってなかったかしら? 領地が増えた祝賀会も兼ねているのよ」
オルディが挨拶の後に尋ねれば彼女は小首を傾げた。そんな大変麗しい姿に呑まれそうになりながらも、彼はその胸中を打ち明ける。
「いえ、聞き及んでおりますがこんなにも大勢とは思わず。あの、こういう事は王城でするものではないのですか?」
「通常はそうね。でも今日はこっちの方が都合がいいらしいのよ」
コージャイサンの誕生日パーティーには親族である王族も出席する。公爵家の安全性は王宮に勝るとも劣らないがやはり警護を兼ねて近衛隊とは別に騎士団長、魔術師団長が団員を率いて動く。
そこでゴットフリートは考えた。
どうせ王族、公爵家、防衛局、さらに火の天使と呼ばれるイザンバが揃うなら祝賀会も一緒にしてしまえばいいじゃないか、と。
コージャイサンも誕生日パーティーを喜ぶような歳でも性格でもないのでお好きにどうぞと答えた為、実に合理的な誕生日兼祝賀パーティーとなったのだ。
ホールの賑わいに視線を巡らせればイザンバが見知った顔もちらほらと見えるが、聞こえてくる話題は先日の火の天使や防衛局の活躍、そして新領地のことばかり。
——なんか……お誕生日おめでとうとか言える雰囲気じゃないんだけど……。
想定外の空気に圧倒されてしまう。少し遠い目をしたイザンバにコージャイサンが手を差し出した。
「ザナも中央の父の隣に移動して貰うことになる」
「え、私もですか?」
「ああ。聖なる浄化の炎を上げたからな」
——あー、成る程。だから今日は私も紺なんだ。
コージャイサンの装いに合わせて。そして、浄化の炎を上げた者として。
プレゼントの事ばかり考えていてその他の事がおざなりになっていた自覚がイザンバにもある。状況に思考が追いついてきたところで差し出された手を取り、二人は移動する。
ゴットフリートは訪れた二人に笑みを浮かべた。軍服の色に違いはあれど、オンヘイ父子の凛々しさに混ざる禁欲的な色香に貴婦人たちがうっとりと見惚れている。
そんな彼らの側にいれば、刺々しさや憎々しさを纏った視線がイザンバに突き刺さった——今までなら。
すっかり真逆となった認めるような、見守るような視線には未だ慣れず居心地が悪い。その中の一つとパチリと視線がかち合った。澄んだ青空に彼女は妙な既視感を覚えたが、記憶を辿る間も無くゴットフリートがイザンバを呼ぶ。
「ザナ、よく来たね。さぁ、こちらへおいで」
「はい…………あの、コージー様?」
ところがコージャイサンが手を離さない。どうしたのかと見上げたヘーゼルの前には悪戯な光を宿す翡翠。
何かする気だと、そう思った時にはコージャイサンの形のいい唇がイザンバの指先に口付けていた。
「また後で」
途端に騒つく周囲に目もくれず、真っ赤なリンゴのような頬の彼女にそう言うとコージャイサンは自分の立ち位置へと向かった。
「全く。困ったヤツだな」
分かりやすいほどの息子の牽制に呆れ返った父だが、そこにまた別の呆れが重なる。
「いや、お前もあんなだったからな」
「今もそんな変わらないでしょ」
「どちらもお熱い事ですな」
グラン、レオナルド、ファブリスと続いた言葉は、しかし残念な事に淑女の仮面の下で羞恥に叫び悶えるイザンバには聞こえていなかった。
そこへ響くファンファーレ。王族の登場だ。
厳かな空気に誰も彼もが緊張を孕み、錚々たる顔ぶれを前に王が口を開く。
「防衛局の活躍、そしてイザンバ・クタオ伯爵令嬢の協力により我が国は危機を脱し、領地を広げることとなった。皆の者、大儀であった」
王の言葉に防衛局員たちは揃って敬礼を、イザンバは淑女の礼を。
「聖なる浄化の炎は民の心を救い、また拠り所となった事だろう。民は誰がその稀なる力を奮い、誰が支えたのかを知っている。故に慢心せず、驕らず、我が国が長く平和でいられるよう皆が努めよ」
「我ら一同この先も変わらぬ忠義と平穏を我が国に」
ゴットフリートが返礼すれば防衛局員たちはまた揃った敬礼にてその意を追った。
乾杯の音頭が終わればホールはまた賑やかさを取り戻す。コージャイサンがすぐにイザンバの元に来てくれた事で彼女の肩からも強張りが解けた。
しかし、王族がコージャイサンの元に近づいてくるではないか。イザンバはその場を辞そうとしたのだが、その腰に手を回した彼はやんわりと引き留める。
「え?」
「いいから。このまま」
結局イザンバは離れるタイミングをなくしコージャイサンの隣で王族、さらに関係各所のお偉い様と挨拶をこなすこととなった。
挨拶の合間も二人に注目する人は多い。
——視線を交え微笑み
——顔を寄せて囁き
——互いに気を遣う
特別いちゃついているわけではない。それはどこにでもある仲睦まじい婚約者同士の姿だ。
防衛局の面々が顎が外れるほどに口を開けて驚いているのは仕事中の彼の冷徹さとあまりにも合致しないからだ。「その優しさをオレらにも……」は、もはや鉄板ネタだろうか。
お偉い様との挨拶を終えると、まるで待っていたかのようにそれはそれは大きな声が通った。
「コージャイサン! イじゃんびゃほぉう!」
キノウンの声をロットとメディオがその手のひらで遮った。いや、遮ったなんて優しいものではない。口ごと顔面を思いっきり叩いたのだから。
「馬鹿なの? ねぇ、馬鹿なの? そんな大声出す必要ないでしょ?」
「本当にこの脳筋は……。もう少し考えてから口を開きなさい」
詰め寄りガンを飛ばすロットに、心底呆れ返ったメディオの追撃。「コージャイサン」と呼んだ時点でギョッとした二人は全く容赦しなかった。
お陰で続けて呼ばれたイザンバの名前が大変おかしな事なって彼女の腹筋に打撃を与えたではないか。
強張った体に気付いたコージャイサンが案ずるように投げかけた視線にイザンバは大丈夫だとヘーゼルを和らげた。
しかしこちらはそうではない。叩かれた箇所を押さえながらキノウンは反論する。
「気合は大事だろう!」
「いらないし」
「いりません」
だが、その言も友人二人はばっさりと斬り捨てる。過ぎた気合は場を乱す。実際問題、多くの耳目を集めているのだから。
「皆驚かせてすまない。揉め事ではないから心配しないでくれ」
それをケヤンマヌが笑顔で宥めた。王子様然りとした姿、堂々と落ち着きのある様子に彼自身の変化が見られ、人々も静かに目を逸らす。
彼は二人に向き合うと穏やかに言った。
「貴方たちとゆっくり話がしたいんだ。別室に移動しないか?」
「俺は構わない。ザナもいいか?」
「はい」
六人はホールを離れ、休憩用の部屋へとやって来た。
さて、扉を閉めたのならば役目を終えるものが一つある。真っ先に口を開いたのはこの場においての紅一点。
「別室でお話……それも最初から……。コージー様、明日は大雨になるんじゃないですか?」
「いや、これは天変地異の前触れだ」
「大変! お父様に備蓄の確認をするよう言わなきゃ!」
「もうすでに荒れ始めているかもしれない。危ないから今日は泊まっていけ」
イザンバとコージャイサンが交わすテンポの軽い会話。ひと足先に経験したことのある王子が肩を震わせた。
「そこー! 初っ端から飛ばし過ぎじゃないか⁉︎」
ビシッと突きつけられた指に、けれども二人は「はて?」と首を傾げるではないか。
「そうは言っても……なぁ?」
「ねぇ?」
視線を合わせただけで多くは語らず頷き合う。成る程、以心伝心とはこの事か。
ケヤンマヌはがっくりと項垂れた。そしてため息のあと、上げた顔に苦笑を浮かべた。
「貴方たちは相変わらず仲がいいな。それにしてもイザンバ嬢は淑女の仮面を外すのが早すぎないか?」
「以前外してもいいと許可をいただきましたので。まさかこのような場を持たれるとは思いませんでしたが」
「あんな事があったし、下手な考えで暴走されるくらいならちゃんと見せしめておいた方がいいだろうと父と叔父上に言われてな。まぁ、出鼻を挫かれたんだがな」
そう言って彼はチラリと友人を見遣る。ぽりぽりと頬を掻いているのはその意味が伝わったからだろう。
しかし、イザンバは彼の言葉に首を傾げコージャイサンに尋ねた。
「あんな事?」
「気にするな。終わった話だ」
「そうですか」
それで終わらせてしまうのは聞いておきながらさして興味がないのか、それとも二人がしっかりと信頼関係を築いているからなのか。
彼らには判断がつかないが二人の空気に刺々しさがないのだから問題はないのだろう。
「それで話って?」
翡翠に促された四人は顔を見合わせ頷き合うと揃って頭を下げた。
「コージャイサン、イザンバ嬢。卒業パーティーの時は申し訳なかった」
——一方の話だけを聞いて判断した事
——思い込みで決めつけた事
——自分が世界一不幸だと酔っていた事
——独りよがりの正義感で突っ走った事
「彼女たちの事も、周りの事も、知ろうとしなかった私たちが貴方たちを巻き込んだ。本当にすまなかった」
向けられた四つの旋毛。カチコチとなる秒針の音だけが部屋の中に響く。その静寂の何と気まずい事だろう。
イザンバはススス、とコージャイサンに近づくと囁いた。
「…………コージー様、黙ってちゃダメですよ」
「いや、ザナの方だろう」
「あれに巻き込まれたのはコージー様ですよ。私は笑いを我慢していたのが辛かっただけですし」
「気にしてないのか?」
「え? 気にするような事ありました?」
コージャイサンの問いかけに返した彼女の声も、表情も、実にけろりとしていて、かつての彼らの言動に何一つ傷ついていないのだと分かる。
「……だ、そうだ。その気持ち、受け取ろう。だが、謝る相手が違うんじゃないか?」
姿勢を直した四人に彼は問う。
「もちろん分かっている。元婚約者には手紙を書いた」
キノウンは表情を引き締めて。
「もしも会ってもいいと思える時が来たのなら、その時に改めて謝罪をさせてほしいと」
メディオがいつかを願い。
「そんな時は来ないって言うならそれも仕方のない事だしね」
ロットもその日を待つ。
「赦す時を決めるのは彼女たちだ。コージーもそう言っていただろう?」
ケヤンマヌがそう言えばコージャイサンは口元を緩めた。
「お前たちが自覚を持っているのならそれで十分だ」
「再教育の後にあんな強行軍に参加したら嫌でもね」
肩をすくめるロットの隣で、キノウンとメディオは激しく首を縦に振る。
「学園での自分がいかに天狗だったのか今なら分かる」
「私もです。お陰で視野が広がりましたよ」
どうやら彼らにとって良い機会となったようだ。しかし、これがゴットフリートの狙い通りとは……全く恐れ入る。
彼らの言葉に目を丸くしていたイザンバを王子が呼んだ。
「あの浄化の炎、火の天使は見事だった。王都を救ってくれた事、感謝してもしきれない。ありがとう」
そう言ってまた四人が頭を下げた。それは卒業パーティーでの高圧的な態度と真逆で、こんなにも腰の低い人たちだったかと驚きの連続だ。
「恐縮です。ですが私だけの力ではありませんので」
「それならばなおの事、これからも是非コージーの側に居てくれ!」
「へ?」
ケヤンマヌの言葉にイザンバの口からつい間の抜けた声が出た。
「貴方が居てくれるだけでこの国の平和は守られる! 頼む! この通りだ!」
「え? え? 別に私が居なくてもコージー様はお勤めを全うされますが」
「そうか、貴方は叔父上の様子を知らないのか。だが、あのタチは厄介なんだ。間違いない」
従兄弟であるからこそ王子は確信を持って断言した。コージャイサンはあの叔父上の息子だからと。
だが、残念ながらそれではイザンバには伝わらない。
「えぇー……。コージー様、なんとか言ってください」
「なんとか」
「違う! 何で急にそんな適当になるんですか⁉︎」
「アイツが大袈裟なだけだ。そんな事より遺跡に行きたいんだって?」
ヴィーシャ達から報告が言ったのだろう。彼の言葉にイザンバがパッと顔を輝かせた。
「そうなんです! でもね、遺跡よりもこの前いただいたサイン本の舞台モデルの地が気になっちゃって。今度行ってみませんか?」
「考えておく」
「ありがとうございます!」
コージャイサンの返事にイザンバは満面の笑みでその表情を彩り、その姿に彼は柔らかく目を細めた。
彼らの目の前で繰り広げられたそれはまるであの卒業パーティーの時のような気安いやり取り。
「ぷっ……あはははははは!」
思わず、四人は吹き出した。
「本当に、貴方たちは……」
そういうところは変わっていないのに、
——その眼差しに
——身を彩る色に
友人たちは二人の変化を確かに見つけた。




