5
さてアーリスが領地に帰る前日、兄妹はオンヘイ公爵家に招待された。
画廊にて本日休みのコージャイサンと三人で写真を眺めている。
リアンが確認してくれた通りコスプレ写真はないが、火の天使が出現した辺りからの写真が追加されており、イザンバが密かにダメージを負うのはご愛嬌。
アーリスは念願の場所に大興奮だ。訓練公開日の話は聞いていたが、瞳をキラキラと輝かせて写真を見て、コージャイサンに直に尋ねてとご満悦の様子である。
対するイザンバは兄にいちゃついている写真を見られるという一体何の修行だと言いたくなる時間に精神をゴリゴリ削られたので、お返しとばかりに防衛局限定ぬいをアピールしておいた。
三人がお茶をするためにサロンへと移動中、コージャイサンがイザンバに向けて口を開いた。
「アイツらと会ったんだってな」
「アイツら? …………ああ、チック様たちですか? 偶然にも助けていただいて少しお話をしました。最初はすごくビシッとされてて勇壮な騎士様って感じでしたけど、皆様とても話しやすくて気さくな方たちですね」
「そうか」
「ジオーネたちとも面識があったんですね。皆様すごくときめいていらっしゃって『その気持ち分かるー』ってなっちゃって、特にフーパ様には詳しく聞きたかったです。みんなの事、防衛局の人たちにも話しているんですか?」
「必要な時にな」
「そうなんですね。チック様は厳つい系で兄貴って感じですし、ジュロ様はいい人っていうかよく周りを見ていらっしゃいますよね。年上の男性に対して失礼かもしれませんがフーパ様はちょっと抜けてる可愛い系だし。皆様仕事とプライベートのギャップがすごいありますよね」
「ふーん」
あの日の出来事をイザンバはニコニコと話しているが、後ろを歩いていたアーリスは気が気でない。必死に妹に視線を送るが、残念なことにこんな時に限って彼女は気付いてくれない。
アーリスは期待を込めてジオーネとリアンに視線を送る。しかし無情にも二人は首を横に振った。無理だ、と。
ならばもう——仕方がない。
「ちょっとした質問にも皆様真剣に答えてくださいました。なんかね、ジュロ様がお兄様に似て……」
「あー!!」
突然の兄の大声にイザンバは肩がびくりと跳ねさせると驚愕に彩られたまま振り返った。
「なに⁉︎ どうしたの⁉︎」
そして、彼は言った。それはもう見事な大根役者ぶりで。
「僕画廊に忘れ物しちゃったかもー! ちょっと取りに行ってくるねー!」
「兄君、ご同行いたします」
「さぁ、急ぎましょう!」
「ありがとう!」
そう言ってアーリスは護衛たちと早歩きで画廊に向かって行った。忙しない兄の動きにイザンバは少し呆れをみせる。
「もう、お兄様ったら。……コージー様? どうかしましたか?」
彼はイザンバを静かに見下ろす。一見すると冷たい無表情。ただじっと見つめてくる翡翠の奥に燻る熱がナニかを訴えている。
見つめ返してみるもそのナニかが分からない。
正体の掴めない翡翠のまま彼が距離を詰めてくるからイザンバは一歩下がる。すると彼がまた一歩詰めて、イザンバがまた下がって。それを繰り返せばトン、と肩が壁についた。
翡翠はまっすぐにヘーゼルへとその視線を注ぐ。
「あまり他の男の事を楽しそうに話すな。妬ける」
「最初に振ってきたのコージー様じゃ……って、やける?」
いつもより少し低い声があまり機嫌がいいと言えない事をイザンバに伝えた。彼女は考える。
——焼ける。灼ける。妬ける。え、妬けるって……嫉妬じゃ……?
そこに至りぶわりと顔が熱くなる。
それは彼女にも覚えがある感情で、思わずその熱を手の平で隠した。
「あの……ね、コージー様って普段仕事の話をあまりしないでしょ? だから小隊のメンバーだって聞いて、共通の話題に嬉しくなっちゃったっていうか。あの人たちに興味はないんですけど、あ、この言い方は失礼ですね。個人的に仲良くしたいとは思ってない、あれ、これも失礼……?」
どう言えば伝わるのか。明確な正解に辿り着けず、イザンバはただただ彼の心情を受け止める事しか出来なくて。
「次からは気を付けます。嫌な思いをさせてごめんなさい」
そろりと見上げた先の翡翠はもういつも通りで。
顔を隠さないでというように彼の手がイザンバの手を優しく剥がした。指の背で頬に触れると、そのまま顎、首と撫でていく。妙にくすぐったくてイザンバが体を捩った。
「ネックレスは?」
「っ……着けてます」
「ん」
しっかりとボタンの留められたその下にある固い感触。彼女の答えにコージャイサンは満足そうに頷くとゆっくりと指が離れた。
「仕事は機密もあるから話せない事も多い」
「はい」
「悪い。ザナがそうやって聞かないでいてくれるから俺も甘えた」
「いいえ。だって国を、私たちの日常を守ってくださっているんですから」
「気になるなら聞いてくれたらいい。話せる事は話すから」
「はい。ありがとうございます」
ふにゃりとした表情にコージャイサンが引き寄せられるように身を屈めてくる。色香を纏った翡翠にイザンバは弱々しく手で体を押し返した。
「あの、ここ、廊下……」
「誰も見てない」
確かに彼の言う通り人の気配はない。
異様に静かな廊下の片隅で、そっと啄む唇の熱に想いを重ねた。
帰り道の馬車の中、イザンバは窓の外を眺めながら先ほどの出来事も踏まえて考える。
——嫉妬するって前にも言ってたけど、あの時の対象は二次元ばっかりで冗談っぽく受け止めたちゃったし気を付けないと。ネックレス……着けてるって言ったら嬉しそうだったな。身につけるモノ、邪魔にならないモノ、願いを込めたモノ、不安を取り除けるようなモノ……。
思考とは別にイザンバの指先が服の上からネックレスに触れる。そんな妹にアーリスが声をかけた。
「ねぇ、ザナ。ちょっと本屋に寄っていい?」
「いいですよ。何か欲しいものがあるんですか?」
「うん。やっぱり領地より王都の方が発売が早いからね」
本屋に着けば、淑女の仮面で分かりにくいがやはりイザンバの気分は浮上し、兄はホッと頬を緩めた。
店内では別行動を取った二人。アーリスは一人棚を見るともなく見ながら通路を縫い歩く。
「あ」
そんな彼の目の前でコロコロとぬいが転がってくる。どうやら前を歩く女性の鞄から落ちたようだ。
アーリスはそれを拾うとハンカチで汚れを払い、早足で追いかけた。
「ご令嬢」
恐怖を与えないように、不信感を抱かせないように、なるべく優しい声かけを意識して。
振り返ったスイートオレンジの髪の合間から澄んだ青空が見えた。
「突然申し訳ない。落とし物ですよ」
戸惑う彼女にアーリスがぬいを丁寧に差し出せば、彼女は瞳を大きく見開き自身の鞄を確認した。
「あっ! す、すみません。ありがとうございます。…………あの……なにか……?」
どうやらぬいを目で追っていた事を不審に思われたようだ。
「不躾にすみません。僕の妹も同じものを持っていたのでつい」
「妹さん……?」
「汚れもないしすごく大切にされているんですね。もう落とさないよう気をつけください。では失礼します」
踵を返せばすぐにイザンバの姿が見えた。そしてジオーネとリアンの手には数冊ずつの本。背後にチラリと視線をやったイザンバが尋ねた。
「お知り合いですか?」
「ううん、落とし物を届けただけだよ。それ全部買うの?」
「はい! あれ、お兄様は手ぶらですね」
「発売日を勘違いしてたみたい。じゃあ行こうか」
そう言って会計に向かう背中をイザンバは訝しんだが、すぐにそうじゃないと気付いた。煮詰まる自分を彼なりに気遣ってくれたのだ、と。
帰ってきて怒涛の勢いでその胸中を吐き出した程だ。きっと今も心配をしているだろうに、その優しさが心に沁みる。イザンバは兄を呼び止めた。
「お兄様」
「ん? なーに?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
優しい微笑みは昔から何一つ変わらない。いつか兄の為にこうした気遣いを返したいな、と思うがとりあえず今は……。
「あのね、邸にオススメの本があるんです。領地に持って行ってください」
「いいの? じゃあ借りていこうかな」
心配ないよ、と笑顔を返そう。
あっという間に時間は過ぎ、アーリスが領地に帰る日。もうあとは馬車に乗り込むだけという彼を一家総出で見送る。
「気を付けてね。向こうについたら連絡して頂戴」
「大丈夫だよ。ご利益バッチリなお守りを持ってるし」
心配そうな母にアーリスはイザンバ特製のお守りを揺らして見せる。
「だがそれを狙われる事もあるかもしれないしやっぱりもう少し護衛を増やして……いや、もう戻るのをやめないか⁉︎」
「大丈夫だから。閣下のご厚意もいただいているんだし」
父の暴走を止めるのは公爵閣下、いや、防衛局長の厚意。職権濫用? まぁいいじゃないか。
オルディにピシャリと言い切ったあと、彼は妹に視線を向けた。
「ザナ、くれぐれも……くれぐれもネタでプレゼントを選ばないようにね!」
「心配するところ、そこなんですか?」
最後まで念を押す兄にジト目になるが、二人は互いの顔を見て吹き出した。クスクスとした笑いを収め、イザンバが声をかける。
「お兄様、風邪引かないように気をつけてくださいね」
「ありがとう。ザナもね。結婚式にまた来るから」
「はい。お待ちしてます」
見送りの後、また書庫で本を広げながらプレゼントについて考えていたイザンバ。考えて、考えて——立ち上がった。
「そうだ。遺跡に行こう」
「なんでそうなるんですか⁉︎」
さっきまで大人しかったのに、とリアンが驚きに声を荒げた。だが、侮っては困る。彼女は暗殺者の里にも行く行動力を持っているのだから。
イザンバはリアンの疑問に堂々と胸を張る。
「遺跡はコージー様も楽しんでたし、希少なモノとか掘り出し物があるかもしれません!」
「自分から危険に足を突っ込まないでください」
「どうしても行きたいならご主人様にご相談してからにしましょね」
成る程、兄が最後まで心配するのも分かるというものだ。回り回って感心してしまう。
ジオーネとヴィーシャが唱えた否に、しかし彼女はもごもごと言い募る。
「でも誕生日プレゼントだし。当日まで内緒にしたいからコージー様には言わない方向で……」
「じゃあ無理です」
護衛たちの綺麗な三重奏にイザンバはがっくりと肩を落とした。
そんな彼女の元にカジオンが届けた一つの知らせ。
「お嬢様、急ではありますが本日午後からお会いできないかとの申し出が一件入りました」
「今日? たった今予定がなくなったからいいですけど……どなたですか?」
「宝飾店の方です」
「宝飾店?」
ますます首を傾げたイザンバだが断る理由もなく、もしかしたら依頼した宝石のことかもしれないと承諾した。
そして、彼女の元を二人の女性と一人の男性が訪ねてきた。
「突然の訪問にも関わらずお時間をとっていただきありがとう存じます。わたくしは宝飾店オーナーのダイアナ・ハモンドと申します。店長のビル、そしてスタッフリーダーのサーフィアでございます。先日はご来店いただき誠にありがとうございました。店員の態度に失礼があった事、深くお詫び申し上げます」
一身を立ててきた女性の魅力とでも言おうか。凛々しく清潔感があり、それでいてさりげなくおしゃれなジュエリーを着けたフェリシダと同年代の女性、ダイアナ。
彼女に倣い他の二人もイザンバに向かって深く頭を下げた。
「まぁ、ご丁寧にありがとうございます。それで今日はどういったご用でしょうか?」
「僭越ながら申し上げます。先日のご来店は婚約者様への贈り物を探していらっしゃるのではありませんか?」
ズバリ言われてイザンバは少し眉を下げた。そんなに分かりやすかったのだろうか。
「ご存知でしたか」
「あの方も有名ですので」
——今まで縁のなかったイザンバが訪れた事
——自分のモノではない探し物
——そして彼女の婚約者が誰か
ここまで揃えば推理せずとも答えは分かる。
付け加えてダイアナの店は王都一の宝飾店だ。過去にコージャイサンの誕生日に宝石を贈ろうと訪れた令嬢が数多居たのだ。しかし、余計な事を言わないのがプロというもの。
「イザンバ様の瞳を模すとなると確かにスフェーンがよろしいかと。ですが、希少であるためおそらくお日にちも間に合わないかと存じます」
ダイアナが言うことはもっともだ。分かっていたからこそイザンバは無理を言わず店を去った。
しかしだからといってそこで指を咥えて待つだけの商売人がいようか。いや、いない。
「そこでお髪に合わせる事はいかがでしょうか? こちらにブラウン系の宝石をお待ちしました。どうぞご一考くださいませ」
ダイアナの言葉に合わせ、ビルが厳重に施錠していたケースを開けるとその名称を口にした。
「こちらからスモーキークォーツ、アンダリュサイト、アキシナイト、ブラウントパーズ、ブラウンダイヤモンドです」
シックでいて独特な美しさを放つ宝石たち。華やかさはなくとも目に優しい色合いは心を落ち着ける。
「トパーズは黄色、ダイヤモンドは透明なものだと思ってました」
「確かに真っ先に思い浮かべられるのはその色でしょう。ですが実は様々な色がありここまで色味が強くなるとカラーストーンとして価値が上がるのです」
「へぇ——……」
ダイアナの説明に感心したように、魅入られるように、イザンバは宝石を見つめる。
「ご参考までに男性向けのアクセサリーもお持ちしました」
次にサーフィアがもう一つのケースを開ければ、リングやカフスボタンなどのメンズアクセサリーがずらりと並んでいる。
「ここにあるものはほんの一例にございます。お好みのデザインがございましたらお申し付けください。誠心誠意ご用意いたします」
彼女の言葉にイザンバは不思議そうな顔をする。それではまるでまた来ると言っているようなものだ、と。
「火の天使様と讃えられるイザンバ様がご来店くださるのはとても栄誉な事です。しかし、先日のようにサービスが過剰になってしまえばゆっくりと見ていただく事が難しいかと存じます」
ダイアナは案じるように。
「そこでわたくし共の方で厳選したものをお持ちいたします。惹かれるものがないのであれば首を横にお振りください。良いモノにお出会いなさるまで何度でも参りましょう」
ビルが力強い笑みで。
「ぜひわたくし共にイザンバ様のお心にそうプレゼント選びのお手伝いをさせてくださいませ」
サーフィアも丁寧に願い出る。
「ですが、そう何度も来ていただくのは……」
「イザンバ様はこのようなスタイルに不慣れでいらっしゃるようですね。しかしどうぞ遠慮なくお呼びつけくださいませ。間も無く公爵夫人になられるのですから」
——行動力
——責任感
——気配り
そして、何よりも商機を逃さない強かさは流石王都一の宝飾店のオーナーだと舌を巻く。
ここでヴィーシャが口を挟んだ。
「僭越ながら……お嬢様、この申し出はお受けするべきかと」
「お嬢様の安全性の確保も出来ますし、店の知名度を考えると宝石鑑定への信用性もあります」
「専門家であるからこその知識はイザンバ様のお役に立つのではないですか?」
ジオーネとリアンが畳み掛けるのは危険性の回避と残り時間で確実にプレゼントを決める為。
自分で選ぶと意気込んでいたイザンバだがすっかり煮詰まっていたのも事実。護衛たちの助言もあり、彼女はこの申し出を受ける事にした。
そして、彼女たちは打ち合わせを繰り返した。
タイムリミットが一月もない為に日をおかず何度も足を運んでくれるダイアナたちに申し訳ない気持ちになりながらも、これだと決めたプレゼントがイザンバの手元に届いたのは彼の誕生日の二日前だった。
活動報告にアーリスと従者たちの小話をアップ予定です。




