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サイン本を緩みきった嬉しそうな表情で本棚の一番いいところに飾ったイザンバは、一月後に控える彼の誕生日に向けてプレゼントを考え始め。しかし、唐突に真剣な声音で言った。
「私、今すごく重要な事に気づきました」
「今度はなんですか?」
さぁこの人は何を言い出すんだ、と身構えるリアンに彼女はキリリとした表情でその考えを口に出す。
「コージー様への誕生日プレゼント、難易度爆上がりしてません?」
「そうですか?」
「そうですよ! だってサイン本ですよ⁉︎ しかもネックレスのおまけ付き! どうしよう、何なら釣り合うんだろう……」
リアンと難しい顔で悩み始めたところ、色っぽいため息が二人を呼ぶ。イザンバが視線を向ければヴィーシャはにっこりと笑った。
「お嬢様、逆ですわ」
「え?」
「ネックレスが本命で、サイン本がおまけです」
「そんな馬鹿な! 権力行使してまでゲットしてくれたのに⁉︎」
「公爵家ならそれくらい大した労力とちゃいますでしょう」
「いやいや、だって今までも絶版になった貴重な本とか人気すぎて入手困難な本とか。大した事なくはないと思うんだけど……」
心底驚いたような反応にどれだけサイン本を喜んでいるのかが伝わるが、だからと言ってネックレスをおまけ扱いはいかがなものかとここにいる全員が思う。
彼女の言い分にリアンは純粋な疑問を抱いた。
「もしかして婚約してからずっと誕生日プレゼントは本だったんですか?」
「そうですよ。毎年宝物が増えるから置く場所に悩みまくって大変でー」
ふにゃりと笑う彼女は過去に貰ったプレゼントに何の不満も抱えていない。むしろ毎年両手を上げて喜んでいる。
柔らかな眼差しを本棚に向ける彼女にジオーネが問いかけた。
「推察するに今まで本だったのはお嬢様のお気持ちがご主人様に追いついていなかったからでしょう。ネックレスを贈る意味はご存知ですか?」
「意味って……普通にお祝いの気持ちですよね。お父様たちからもいただきましたし」
「親しい間柄ならそうですがご主人様は別です。異性にネックレスをプレゼントとして贈るのは『ずっと一緒にいたい』『独占したい』という意味がありますから」
向けられた独占欲に蕩けた翡翠が脳裏を過りイザンバの頬を赤くした。
学園の卒業パーティーや王の誕生日を祝う宴で付けていたネックレスは両親からお祝いにと貰ったもの。
お飾りをドレスと合わせて作るがイザンバはそれらは全て「お任せで!」だ。基本的に着飾ることに関心が薄い。
「つまり両思いになったからメインがネックレスになったって事?」
彼女よりも先に考察を口にするリアンにヴィーシャが良くできましたと微笑んだ。
「せやな。去年まではお嬢様の様子を見て配慮されてたんやろ」
「確かに。お嬢様なら『そういうのは本命さんに上げてください!』とか言ってそうだし」
「あり得るよねー。せっかくプレゼントしてもそれ言われたらキツいもんねー」
ケイトがシャスティの言葉に同意を示す。全員が頷いているが、そこにイザンバ自身が混ざっているあたりあながち間違いではないのだろう。
「好いてへん男からネックレスのプレゼントなんて重いし迷惑なだけやしな。うちやったら貰た後にさっさと売るわ」
「ああ、ヴィーシャならしそうだよね。プレゼントってそんな事まで考えなきゃいけないんだ」
面倒くさ、とボヤくリアンに、けれどもそこへシャスティがニヤリとしたり顔を向ける。
「ふっふっふっ。甘いね、リナちゃん。アクセサリーは形にも意味があるんだよ。今回婚約者様は雫モチーフを選ばれました。雫は豊穣、恵みの雨を表すの」
「恵みの雨……大きくなれって事?」
「残念ー、そうじゃなくてー。悲しい涙を流さないように——つまりねー、涙を流しても嬉し涙で、いつも笑顔でいられるようにっていうメッセージになるんですー」
見当違いなことを言うリアンにケイトがやんわりとかける修正。感心する彼にシャスティがさらにもう一つ付け足した。
「それに一番重要な宝石。婚約者様の瞳の色を彷彿とさせるあのエメラルド。お嬢様もエメラルドの宝石言葉はご存知ですよね?」
「『幸福・幸運・希望』と………………あ…… 『愛』」
尻すぼみになりながらも答えたイザンバはあの吸い込まれそうな透明度の高い輝きを思い返す。
——ネックレス
——形
——宝石
これ以上ないほどに想いが込められている。これを本命と言わずなんと言おうか。
メイドたちの説明にイザンバは茹だる思考の中、己の認識を改めた。
リアンも理解はしたが、それでも思うことはやはり最初と変わらない。
「そんなに何でもかんでも意味があるの? なんか本当に面倒だね」
「あんたも口説きたい女が出来たらそうゆうなん意識しぃや。なんやったら相談に乗ったるしな」
「そんなの居ないよ。って言うか興味ないし」
ヴィーシャが愉悦を混ぜて楽しげに笑うが、そっけなく返すリアンにメイド四人が向ける視線のまぁ生温いこと。
「まだまだやなぁ」
「まだまだだな」
「まだまだですね」
「まだまだだねー」
「なんかムカつく!」
子ども扱いされたように感じたリアンが露わにする苛つき。最近は可愛いと言われても流せるようになったというのに……残念賞である。
ニマニマとした四人からプイッと視線を外したリアンがじっとイザンバを見る。
飾り気のない彼女が普段から付けているのは《自業自得》が仕込まれたピアスくらい。服も襟のあるブラウスでボタンも上までしっかり留まっている。つまり、どこからどう見てもいつも通りだ。
「ネックレス、着けてるんですよね?」
「まさか! だってあれ絶対高いやつですよ? 無理無理。傷付けたり無くしたりしたら大変じゃないですか! ちゃんと仕舞ってあります!」
イザンバの手持ちのアクセサリーの中で一際目立つネックレスはアクセサリーボックスの主としてしっかりと鎮座しているという。
公爵夫人ともなろうお人がなんという小心者ぶりだとヴィーシャは呆れを見せた。
「純度は高いでしょうが小ぶりの石やし、ご主人様は普段使いのつもりやと思いますけど」
「服の下で見えなくなっても着けるべきですよ! いえ、着けましょう!」
いそいそとアクセサリーボックスを取りに行くシャスティは着ける気満々で。
「せっかくのプレゼントなのに仕舞い込む方がもったいないですよ。って言うか、失礼なのでは?」
「うっ……」
トドメはリアンのど正論。
陽光の下で見るネックレスは相も変わらず美しい煌めきを放つ。その緑の深さに蕩けた翡翠が重なって……触れる部分が熱を持ったように感じた。
意識が全てそちらに持っていかれそうになり、イザンバは慌てて顔に溜まる熱を発散するように頭を振る。
「それよりもコージー様へのプレゼントですよ!」
「今まではどんなものをプレゼントされてたんですか?」
「消耗品とか実用品とか。ネタ枠で選ぼうとしたらいつもお兄様に止められるんですよね」
「ネタはやめましょう」
兄君グッジョブ、とリアンとジオーネがサムズアップした。
ちなみにその兄は久々に友達と会うとお出かけ中である。ここは彼女たちがネタ枠を阻止せねばならない。
だと言うのにイザンバの口から出るのは貴族令嬢らしからぬものばかり。
「やっぱりプラチナゴーレム狩りに行く?」
「この前の出張でゴーレムを斬ったそうですよ」
「そっかぁ、斬っちゃったのか。じゃあダメですねー」
ジオーネの言葉にイザンバは肩を落とすが、もっと驚くとか惚れ直すとかないのかとジオーネは思う。
イザンバはまた考えこむと——閃いた。
「いっそみんなで歌って踊るとか」
「僕らを巻き込まないでください」
「えー、楽しそうなのに」
リアンの拒絶にイザンバは口を尖らせる。だが、冷静に考えると目の前の美女たちは運動神経抜群だ。平凡な自分が一番のお荷物だと気付き、これは見る専でいこうと思考を切り替えた。
そして、またうんうんと唸り——最終手段とばかりに目を光らせた。
「こうなったら……お兄様に負けないくらいユーモアでエキセントリックな蛙の銅像を作るしかない!」
「そんなもん誰もいりませんて」
「辛辣!」
ヴィーシャが微笑みと共に一刀両断。ばっさり斬り捨てた。兄の小粋なプレゼントの真似はダメらしい。
それにしても……なんとまぁ色気のないものばかりが飛び出すのか。お嬢様らしいわ、と思いつつもヴィーシャはにっこりと綺麗に微笑んだ。
「ご主人様がお喜びになるプレゼントを用意するなんて簡単ですよ」
「え? 何かいい案があるんですか⁉︎」
さぁ食いついたぞ。この瞬間、メイドたちは目配せをして素早く動く。
「お嬢様、ご覧ください。ここに素晴らしい手触りのサテンリボンが」
「綺麗なレースのリボンも!」
「オーガンジーリボンもありますよー!」
ジオーネ、シャスティ、ケイトが色とりどりのリボンと共にいい笑顔で迫ってくる。
リボンの出所? ここには四次元おっぱいがあるじゃないか。
「わー、どれも素敵なリボン。これをクルクル〜って巻くんですねー」
「そうそう。ほんで『プレゼントは私』っていうんですよ」
「やーだー、恥ずかしいー! ってリナの前でなんて事言うんですか! しかもそれも十分ネタですからね! やりませんよ!」
コロコロと笑うヴィーシャに乗ってみたが、揃いも揃って女性陣には既成事実推奨派しかいない。イザンバは孤立無援である。
綺麗なリボンを手慰みにしながらもぷりぷりと頬を膨らませた彼女にリアンが一つ提案した。
「じゃあ主に倣ってイザンバ様の瞳の色の宝石を使ったモノはどうですか?」
「いや、私の瞳の色って地味でしょ? 見栄張ればオレンジ色か黄色って……いや、言えないですね」
けれどもイザンバは乗り気でないのか渋ったような声を出す。彩りも鮮やかさないから、と。
「何言うてるんですか。地味ちゃいますよ」
「え?」
「お嬢様のヘーゼルアイは青や緑が混ざった美しい色です」
「そんな色してます?」
ヴィーシャやジオーネはそう言うが、イザンバが鏡で見る自身の瞳はいつもと変わらない。どこにでもいるありきたりな明るい茶色だ。
納得しきれないまま護衛たちに視線を向けた。
「もしそうだとしてもそんな色の宝石ってありましたっけ?」
「あるにはありますがかなり希少です」
「宝石商でも滅多にお目にかかれへんとか」
「無理ゲーじゃないですか! やっぱり難易度高過ぎません⁉︎」
なんてつれない宝石なんだとイザンバは叫んだ。もう諦めモードの彼女に冷静に進言したのはリアンだ。
「でも主の誕生日は来年も再来年もあります。お目にかかれた暁にすぐに買って用意を進めればいいんじゃないですか?」
「んー……どっちにしても一度宝飾店に行ってみないと分からないですね」
「邸に呼んだりしないんですか?」
「そんなツテありませんよ。本屋さんなら来てくれるかもしれないですけどねー。とりあえず一番有名なお店に行けば何とかなるかなぁ?」
イザンバがそう言えばキラリと輝く一対の猫目。
「それでは……レッツおめかしですー!」
シャスティを筆頭にすぐに準備に動いてくれる彼女たちに背を押されて、イザンバは外へと向かう。
さて、本日も張り切ったシャスティによりお出掛け仕様になったイザンバは護衛を連れて邸を出た。前回の騒動もあり三人体制である。
馬車でやって来たのは王都一の宝飾店。イザンバが店内に足を踏み入れると気付いた店員がすぐさま飛んできた。
「まぁっ!!! 火の天使様ではありませんか!! ようこそおいでくださいました!!」
それはよく通る声でまるで声楽のプロのようだ。ジオーネとリアンは眉を顰め、店内にいた人はもちろん店外からも声に釣られた視線が舞い込んでくるではないか。
どんなジュエリーがあるのか店内をゆっくりと見て周りたかったイザンバだが困った事に店員が側を離れない。
「それは有名ブランドの最新作でして!」
「それは素材が大変珍しいものでして!」
「私もこれを持ってるんですけど最近の流行りでして!」
「どれも火の天使様にとてもお似合いです!」
しかし、気合の入ったセールストークも淑女の仮面は鉄壁の微笑みで受け流す。見事だ。
商品を見ることを諦めたイザンバは早々に目的を口にした。
「ありがとうございます。今日はスフェーンという宝石を探しているのですがありますか?」
「まぁ、あの希少な宝石を! すぐに確認致します」
邸を出る前に調べた希少な宝石の名前を出せば、視線を受けた別の店員が頭を下げて確認に下がった。
大して間を開けず戻って来た店員だが、イザンバに向かって深々と頭を下げる。
「誠に申し訳ございません。希少な宝石の為、生憎と在庫がございません」
「ああ、やはりそうですか。では……」
「代わりと言ってはなんですがこちらの宝石などはいかがでしょうか⁉︎」
——この人グイグイくるなぁ〜。でも、ちょっとでいいからお話し聞いてほしい。
別の宝石を勧めてくる店員に内心で辟易しながらも淑女の仮面は動じないまま。
「まぁ、素敵ですね。でも今日はやめておきます。そこのあなた、スフェーンの入荷予定があったら連絡をいただけますか?」
「かしこまりました」
「またその時に寄らせていただきます。ご機嫌よう」
——冷やかしになっちゃってごめんなさーい!
ただでさえイザンバは宝飾店には馴染みがない。注目を浴びた居心地の悪さを誤魔化すように、店員と周囲に詫びるように丁寧に淑女の礼をするとそのまま店の外へと足を向けた。
「あ……そんな……お待ちください!」
「お嬢様が本日お探しなのはご自分のものではありません。気合の入った接客も結構ですが、もう少しお相手が何を求めているか観察をしっかりとなさる方がよろしいかと」
「なっ……!」
殿のヴィーシャが気合いが空回りしてしまった店員にチクリと一言刺す。怒りと羞恥で顔を赤くする店員にうっとりするほどの笑みを向けると、彼女はイザンバを追い店を出た。




