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さて、男性陣とヴィーシャが少しだけ待つのに飽きた頃。廊下から浮き足だったような賑やかさが伝わってきた。
「婚約者様、お待たせいたしました! お嬢様のお着替え、完了いたしました!」
「わっ、待って待って無理無理無理無理」
シャスティが満面の笑みで告げるも、しかしイザンバはジオーネの影に隠れてしまいその全体像が全く見えない。
「ザナ、よく見せて」
「…………だって………………あ、足が……」
彼女が言い淀むには理由がある。
イザンバとてコスプレをするとなったのなら腹を括る。むしろ推しのため、全力でなりきり楽しむだろう。
しかし、今回は衣装の丈が問題だ。
——挿絵ではひたすら可愛いのに、実際に着ると思ってたよりも短いー!
そう、短い。
ミニスカートもショーパンツも見ている分にはいい。実際ジオーネは大変似合っていてカッコ可愛いと絶賛できる。
だが、自身が着るとなるとまた別の話なのだ、とイザンバは思う。
職業によっては腕や足を出す事もある一般女性と違い、彼女は貴族女性として足を出してこなかったため気恥ずかしさが勝るようだ。
そこへヴィーシャがどうにも色っぽくため息をついた。
「嫌やわぁ。ウチには鎖骨も谷間も出させといてそないな事言いますの?」
「そうですよー。ヴィーシャさんのスーツの方が体の線が丸わかりで断然エロいのにー」
ケイトにまでそう言われてぐうの音も出ない。
なにせキャットスーツを着たヴィーシャに一番喜んでいたのは他でもないイザンバだ。男性陣を差し置いて声の限り称えていたのだから。
「パンツの丈が短くても品のある仕立てですし、何もおかしなところはありません」
「お邸の中で、しかも見せる相手は婚約者様なんだから問題ないです!」
ジオーネが太鼓判を押し、シャスティは鼻息荒く言い切った。一刻も早くコージャイサンに見てもらいたい、と二人の熱量も上がる。
「それが一番の問題なんですが⁉︎」
「大丈夫です!!」
なんと言う事でしょう。イザンバの必死の訴えも声を揃えた四人の明るい合唱により押し負ける。どうやら女性陣の中にイザンバの味方は一人もいないようだ。
「イザンバ様一人でもうるせぇってのに……」
「いつもこんな感じだよ」
盛り上がる女性陣の声量に顔を顰めるイルシーにリアンは慣れたように返す。女三人よれば姦しいと言う。五人ならばそれはそれは賑やかな事だろう。
「ザナ」
耳に馴染んだ声が呼ぶ。イザンバは葛藤の末、その一言に降参するようにおずおずと姿を現した。
ゆるいウェーブのかかったふわふわした薄い金髪のセミロングに垂れ目で菫色の瞳。全体的に優しくナチュラルな印象を受ける。
ブラウスの上から羽織られたアイボリーのふわもこカーディガンはしっかり萌え袖。
そして、イザンバの躊躇いを大きくしていたのはショート丈の落ち着いた品のある紫のオーバーオールだ。アクセントの金のボタン、裾にかけてフレアなタイプで健康的な愛らしさをみせる。
日焼けとは無縁の足をカーディガンと同色のニーハイソックスが覆い、足元は蹄を意識した黒の厚底ショートブーツが締めた。
探偵助手のコニーはゆるふわヒツジ系女子である。
「あの……コージー様」
本人の自信のなさと垂れ目メイクを施している相乗効果か、縋るようなか弱さが面前に押し出されて男の庇護欲を大いにそそる。前回の勝気な美女風メイクとはまた異なる仕上がりだ。
コージャイサンは安心させるように、見惚れるように、眼差しを緩める。
「着心地はどうだ?」
「とてもいいです。このカーディガン、実物になってもやっぱり可愛いですね。ただ他の……サイズがびっくりするくらいピッタリなんですけど……」
「それはあれだ、国家機密的な?」
「どうせイルシーでしょ。そうなんでしょ。変装上手すぎとかコノヤローです」
やさぐれた物言いは褒めているのか貶しているのか。
痩せた太ったくらいは触り心地で分かるだろうが、服を作るとなるとまた違う。
そこで彼女が思い出したのはイルシーの存在だ。
彼はどんな人物の見た目も話し方も振る舞いも、高い完成度で再現する。つまり女性のスリーサイズの把握くらいお手のものという事だ。
肯定を示すようにニィッと上がるイルシーの口角を恨めし気に見た後、イザンバはコージャイサンに視線を向けた。
「それで、なんで私はコニーちゃんのコスをしてるんでしょうか?」
「シリウスをした時に『ザナがやるなら』と言っただろう」
「こんなところでも有言実行か!」
そもそもの話、イザンバは彼のあの言い分を冗談だと思っていた。探偵をして欲しいと頼んだ時、コージャイサンは何も言わなかったから。
「主が今日に合わせてイザンバ様の為に用意した衣装です。大変よく……っと、これは自分が先に言うべきではありませんな。失礼いたしました」
納得がいかない彼女にファウストがにこやかに、そしてコージャイサンに頭を下げて言えば、イザンバは諦めたように肩の力を抜いた。
「コージー様がコニーちゃん推しとは知らなかったです」
「いや、別に。特に推してるわけじゃない。ただ——……」
コージャイサンは理論やトリックに関心はあれど、登場人物に対しての熱量は持っていない。
だが、探偵のコスプレを頼まれた後に引っ掛かった母の言葉がある。
『コージーが選ぶと偏りがひどいのよ。ザナのドレスが黒と緑ばかりになるじゃない』
それでもいいと思うが、そう言えば、とコージャイサンは記憶を辿る。以前イザンバがキラリン王女に変身させられた時の柔らかな赤も悪くなかったな、と。
ただその色は普段のイザンバもコージャイサンも選ばない。
だからいつもは着ないような服であるコニーの衣装はそういった意味でも丁度よかったのだ。それでも一番は——。
「ザナが着たら可愛いだろうなと思って」
「な……っ⁉︎」
——母が『ザナを着飾るのは楽しい』と言っていたが確かにそうだな。
とコージャイサンは思う。いつもと違う服装は思いの外彼の目を楽しませているからだ。
けれども、そんな一連のオンヘイ母子のやり取りを知らないイザンバは信じられないとばかりに口を開けたり閉じたりすることしか出来ない。
彼が瞳に纏う黄金色がモノクル越しでも分かるほどにとろみを増した。
それは探偵が助手に向けるには些か不相応で、間違いなくコージャイサンからイザンバに向けられているものだ。
「似合ってる。可愛いよ」
「あうっ……そんなこと………………えっと、その……ありがとう、ございます」
告げられた言葉に、そんな事はないと言いたくなる条件反射は一旦口を閉じる事で阻止をした。
そして困ったように、照れたように、眉が下げながらもイザンバは笑った。
その笑みを受け止めた彼は徐に立ち上がると、ジャケットを羽織りイザンバの隣へ行く。
「それに見てみろ。二人組の怪盗に対抗するには助手がいた方がバランスがいいだろう?」
そう言って二人は怪盗と相対する。目の前には挑発的な笑みを浮かべる怪盗たち、そして隣には絶対的な自信を滲ませる探偵。
「くっ……こんなシーンあった〜! でも、出来るなら私は客観的にこの風景を見たい!」
「それなら、ほら。あれで解決済みだ」
イザンバが漏らした苦悩に対してコージャイサンはある一点を指差した。
なんだろう、とその先を辿ればそこではすでにケイトが撮影機を構えていた。
「僭越ながら私が撮らせていただきましたー。このまま何枚か撮りますねー」
そう言ってピースサインをした彼女はまたファインダーを覗く。ピントをイザンバたち四人に合わせるとまたカシャッと小気味良い音が場面を切り取った。
「さぁ、それではお嬢様! 皆様同様単体で撮った後は婚約者様とのツーショットを! ツーショットを是非!」
「……張り切ってますねー」
「前回は撮り損ねましたが、今回はお嬢様もコスプレしていますからクリストフ先生な婚約者様と並んでも問題ありませんよねー?」
「ソウデスネ」
シャスティもケイトも彼女の心理をよく分かっている。興奮から鼻息は荒く、気合は十分だ。
リアンの肩に手を置いたヴィーシャが言う。
「お嬢様、リナが見てますよ。表情作ってください」
「コニーちゃん、可愛いですー。笑ってくださーい」
さぁ、コールが来たなら応えよう。
イザンバは一つ息を吐くと普段よりも柔らかさを意識しておっとりと笑ってみせる。
シャッター音が幾度も響く中、いつもの違う彼女の姿は確かに収められた。
「コニーはクリストフに助けてもらって以来助手として働いている女性キャラだそうですね。穏やかな性格で見た目に反して大食いで常に何か食べている、と。では、お嬢様。こちらをどうぞ」
「おー」
ジオーネが持って来た皿にはシェフが作った飾り気のないシンプルなドーナツ。山盛りである。
「と言うわけで、美味しそうにドーナツ頬張ってくださいー」
「その後は探偵助手らしく虫眼鏡持ってみましょう!」
小道具も出てきて撮影は順調に進む。合間合間に「可愛い!」「尊い!」の声が入るのはこれもイザンバの教育の賜物だろう。
そして、また一つケイトが新たなポーズをお願いした。
「お嬢様ー。こう言う感じで、その場でしゃがむ事って出来ますかー?」
「こうですか?」
「そうですー! あ、姿勢はそのままで表情だけ色々変えてくださーい!」
真剣に考えている顔。
面白いものを見つけたような顔。
少し落ち込んだ顔。
ただ遠くをボーッと見ている顔。
ご機嫌にニコニコとしている顔。
手は垂らしてみたり、頬に当ててみたり。イザンバのようでイザンバではない誰かの表情が代わる代わる現れる。
そんな彼女をケイトはあらゆる角度で撮りまくり、リアンは一つ一つの変化をつぶさに観察した。
ファインダーから目を離したケイトは額の汗を拭うその爽やかさたるや。
「ありがとうございますー! いい太ももが撮れました!」
そして、満面の笑みである。
「太もも⁉︎ そっち撮ってたんですか⁉︎」
「だってお嬢様の生太ももですよー。絶対領域ですよー。レアじゃないですかー」
「レ……⁉︎ うぅ〜」
達成感に満たされるケイト、対してイザンバはちらりとコージャイサンに見ると、再びしゃがみ込んで素肌を隠すようにカーディガンを引っ張った。
俯き唸る彼女にここでジオーネが荒いパスを投げる。
「お嬢様、次はニーハイを脱いで生足で撮るのはどうでしょう?」
「脱ぎません! 撮りません! まったく、ジオーネも何言い出すんですか」
「ご主人様がお喜びになられるかと」
「ならない! ね、コージー様、ならないですよね⁉︎」
壁際のソファーに座る彼に念を押すような、そうであってほしいと乞うような菫色の瞳。それを見てコージャイサンは笑む。
「さぁ、どーっちだ?」
「…………ならないったらならないー!」
黄金色の瞳を細め、意地悪く上がる口角のなんと絵になることだろう。
——クリストフ先生はそんな顔しない!
そう思っても、一瞬、見惚れてしまったせいで反応が遅れた。イザンバは妙な敗北感に見舞われ、さらに小さく丸まった。
そんな二人のやり取りの反対側、転写機から出てくる写真を見ていたヴィーシャからは感心した声が上がる。
「ケイト、上手やんか」
「いやー、リナちゃんの撮影風景をずっと見てたじゃないですかー。やってみたいなーって思ってたらお嬢様が貸してくださったんですけど実際に撮り始めるとすっごく楽しくてー。新しい扉、開いちゃったかもしれませんー」
ようこそ、2.5次元の沼へ。
イザンバがしていたように煽りも俯瞰も活用しまくったケイト。中々良い腕前だ。
「じゃあ、次はクリストフ先生な婚約者様とコニーちゃんのツーショットお願いしますー」
「はーい」
ケイトの声に二人は動き出す。向き合って立ってみたが、さてどうする? とコージャイサンが首を傾げた。
「どういう構図で撮るんだ?」
「そうですねー……コージー様、ソファーに座ってくれますか?」
「ん」
コージャイサンが指示に従いソファーに座れば、彼女はとことことその背後に回った。
「私は助手なんで後ろに立ちますねー。あ、ここって前のリゲルポジじゃない⁉︎ きゃー! 後頭部可愛いー!」
「は?」
その発言に部屋中に疑問符が飛び交った。
コージャイサンは自身の後頭部を触れて可愛いと言われた要因を探すが、さっぱり分からない。
「……後頭部を褒められたのは初めてだな」
「だってこの位置から見る事って滅多にありませんし。なんて言うのかな、良い感じの丸みって言うか……あっ! 丸いって言えば、あのね、コージー様。この前お茶会ですごい話聞いちゃったんです!」
「へぇ、どんな話?」
それはまるで助手が探偵に報告するような、あるいは子どもが一日の出来事を親に話すように始まった会話。
最初はコージャイサンが見上げるように首を曲げて、イザンバも身振り手振りをつけていたが、いつしか彼女はソファーの背面に肘をつきながら話している。
同じ目線で会話をする二人だが、時折その眼差しが一等柔らかくなる。その瞬間はやはり探偵と助手でも、ましてや親子でもない。
恋する瞳の美しさ。
いつもと違う色でも、メイクでも、その想いは変わらない。そんな二人の姿も見事写真に収められた。
全ての撮影を終えたイザンバはホクホク顔だ。写真を確認する前にさぁ着替えようという時、なんとジオーネから待ったがかかった。
「お嬢様、服はそのままにしましょう」
「え、なんで?」
それは当然の疑問で。
「せっかく婚約者様がご用意してくださったんですよ! すぐに脱いだら勿体無いじゃないですか!」
「今脱いだら二度と着てくれない気がしますー」
「さぁ、メイクだけいつものに戻しましょね」
「はぁ」
メイドたちが壁となり、イザンバのメイクはその場で素早く整えられた。
コージャイサンもイザンバに合わせて服だけはそのままで顔や色は元に戻す。
イルシーはさっさといつものフードスタイルへ早替わり、お色気すぎるヴィーシャもメイド服へと着替えた。
定位置に戻された机の上にドドンと積まれた写真。イザンバとケイト、二人が撮った数は相当のものだ。
しかも、そこにはペナルティを受けたリアンのお人形の如し写真も加わっているのだから机も埋まるというもの。
イザンバは自分なりに考えた指導法を説明した後、写真を指差した。
「これが初日のリナ。それとこっちが直近のものです。変わっているの分かりますか?」
「確かに。ちゃんと身についているようだな」
イザンバの言葉にコージャイサンも頷いた。
初日の写真は微笑みを形作れていても表情の強張りが残っている。けれども、最近のものとなればその微笑みも他の表情も強張りが解けているのだ。
「ぶっ、ハハハハハハ! マジかよ、リアン! お前、人形じゃねーか!」
「これはまた……随分と可憐な少女になって……いや、リアン、よく似合っているぞ。この可愛さならその手のターゲットを骨抜きに出来るに違いない」
「あー、マジでなぁ、可愛い可愛い……ハハハハハハハハハッ!」
同じく写真を見たファウストはその可憐さに感心しきりだ。
しかし、しつこいほどにゲラゲラと笑うイルシーに主人の前であるというのについにリアンが鋭く鋼線を向けた。
「っ————うるさい! それがペナルティだったんだから仕方ないでしょ! それ以上笑うなら絞めるよ⁉︎」
「ああ? やってみろよ、クソガキィ」
今度は難なく避けるイルシーだが口元はニィッと弧を描く。けれども声は苛立ちよりも楽しさを表して。
「これはこれで……いつも通りで安心するな」
「したらあかんやろ! ご主人様の前やで?」
「イルシーにつられるな! 早く二人を離すぞ!」
しみじみと言うファウストに女性陣が喝を入れた。
ファウストがリアンを羽交い締めにし、ヴィーシャとジオーネがイルシーを追いやるが、騒がしい従者たちにコージャイサンからはため息が漏れる。
「ザナ、残りはもう少し厳しくしてやれるか?」
「……イルシー相手ならあのままでもいいと思いますよ」
それでも見守る温もりを彼からは感じるから。イザンバも戯れる従者たちに穏やかな視線を向けた。




