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ソファーに座る二人の前にヴィーシャが淹れたお茶が置かれると、イザンバがコージャイサンに尋ねた。
「コージー様、何か欲しいものはありますか?」
「欲しいもの?」
「はい。少尉になられたお祝いを用意しようと思ってたんですけど、ほら、買い物に行ったらね、あの騒動だったから……あとお茶会で疲れちゃってまだ用意できていなくて」
街中での火の天使騒動を思い出して彼女の表情が少しだけげんなりしたものに変わった。やはりまだ火の天使呼びは慣れないらしい。
「……あると言えばあるが」
「そうなんですね! 何か聞いてもいいですか? あ、伝説の聖剣⁉︎」
「それなら一緒に取りに行こう」
「やったー! って、ダメですよ。それでコージー様が自力でとっちゃったらお祝いにならないじゃないですか」
そもそもそんな簡単に伝説の聖剣が手に入るものか。入手する前提で話すんじゃない、と従者の心が一つになった。
冗談はさておきイザンバはニコニコとしたまま告げた。
「私に用意できるものならなんでも言ってくださいね!」
「ありがとう」
その言葉にコージャイサンもニッコリと微笑み返すのだが、従者たちが少しばかり呆れた顔をしている。
そんな彼らを横目に見たコージャイサンは素知らぬ顔で言葉を続ける。
「ザナに出来る事ではあるんだが、そうだな……後で改めて頼む。構わないか?」
「分かりました」
「じゃあ、まずは……——頑張ったザナへのご褒美から始めようか」
ある者にとっては憂鬱な、またある者にとっては歓楽的な通告。ただ一人、期待に胸を膨らませたヘーゼルがキラキラと輝いた。
コージャイサンと衣装を渡された二人、そして手伝い要員のファウストがサロンを出てから暫く。
残ったカジオン、ジオーネ、リアンと共にソファーやテーブルを部屋の隅に追いやり作った撮影スペース、さらに撮影機、転写機、そして大量の紙。
それらの準備を終えたイザンバは待ち侘びる気持ちが溢れてそわそわと落ち着きなく、扉をノックする音が聞こえるとぴんっと姿勢を正した。
そして————彼女が待ちに待った瞬間が訪れた。
「はわわわわぁぁぁぁぁぁぁ!」
昂る感情を抑えきれず、かと言って与えられた感激を表現しきれないままの声がイザンバの口から漏れ出した。シャスティとケイトも一緒に入ってきたのだが、紅潮した頬と感動に潤んだ瞳がひと足先にサロンに戻ってきたイルシーとヴィーシャを捉えて離さない。
「どんな強固な守りも不敵な笑みですり抜け鮮やかに盗み取る怪盗アダム! 屈強な護衛も堅物騎士も瞬く間に魅了する女怪盗イヴ! どっちも軽率に推せるー!」
さて、イザンバ待望の探偵vs怪盗シリーズのコスプレだが、この登場人物にはそれぞれがとある動物をイメージしている事を念頭においていただこう。
黒のタキシードと黒のシルクハット、黒の革靴と黒尽くし。紅玉と蒼玉のオッドアイを覆い隠す黒いマスクの鼻先はまるで嘴のようだ。
どこまでも黒ばかりなのに広がるマントの内側の鮮烈な赤だけがいやに自己を主張する。
低い位置でゆるく纏められた深みのある藍色の長髪を靡かせるカラスをイメージした怪盗にイルシーが扮した。
「盗み方一つにも矜持を持ってその手法は大胆であり華麗な芸術! けどお宝を手にしたほんの一瞬に見せるニヒルな顔! 自分の技に対する満足感とどこか満たされない虚無感を抱えたアダムの孤独、この狂おしさ! 分かります⁉︎」
「あー、うるせぇ」
片耳に指を突っ込みながらイルシーが鬱陶しそうに響く語りを遮った。
しかし、まだ始まったばかりのこの場において彼女がその程度で止まろうか。いや、止まらない。止まるわけがない。イザンバは撮影機を構えるとイルシーの塩対応もなんのその。元気よく声を張った。
「イルシー、喋らないで!」
「おい、またそれかよ!」
「脳内補正の準備はバッチリです! さぁ、そのままシルクハットの手前をクイッてしてください! そして視線はこっち! 探偵を挑発するように勝ち気な一枚をこっちにお願いします!」
イルシーがニヤリと笑った。ただし、撮影のためではない——これはお互いにとっても大切な線引きのため。
「イザンバ様さぁ、俺への依頼料を忘れちゃいないよなぁ?」
「任せて! ちゃんと払います! カジオン! 例のものをイルシーに渡してください!」
「どゔぞ。ご確認ください」
一万ゴアを渡されイルシーの唇が満足気に上がる。
「確かに。そんじゃあ、さっさと始めようかぁ!」
「はい、喜んで! ああ、カッコいい! アダムだ! アダムが居るぅぅぅ! その立ち姿とか扉絵まんま! 次は仮面をずらして片目だけ見せて…… いい、いいですよ! イケメンすぎる! まじ天才!」
天才と言われると気分がいい。何度かポーズを決めたあと、彼はイザンバとの距離を軽やかに詰めて綺麗な一礼をした。そして、その瞳を彼女に向けた。紳士らしく、人好きする笑みでありながらも仮面の奥から覗き見えるオッドアイは揶揄いを含んでいる。
「『宝石は鮮やかで強烈なまでに人を惹きつける。私はその美しさを、私という土台を添えて人々に伝えているだけです』」
突然のセリフ付きの再現にイザンバは盛大に咽せた。
「ゴホッ——吐血するかと思った……まさかの履修済み⁉︎ でもありがとうございます! ファンサしてくれるなんて流石アダム、これはハート盗まれちゃう! 女性の心も射止めにかかるところが怪盗紳士らしくてなお罪深い〜! と言うわけで撮り損ねたので今のもう一回お願いします!」
「いいぜぇ。一万ゴア分、イザンバ様のお遊びに付き合ってやるよぉ」
望まれた再演にイルシーは否と言う事なく依頼料に見合う働きをする。その大胆不敵な笑みにイザンバは歓喜を露わにシャッターをきり続けた。
そして、お次はこちら。
「可愛い〜〜〜〜〜!!!」
ヴィーシャは黒のキャットスーツと黒のピンヒール。鎖骨も谷間も脚線美も止めどなく魅せつける。
艶やかなストレートロングのストロベリーブロンド。こちらも目元には黒いマスクをしており、見た目の妖艶さとは反対の晴々とした空色の瞳を隠す。
さらに髪と同色の猫耳と尻尾もついているのだからたまらない。言わずもがなのネコである。
「キャットスーツで魅力マシマシの素晴らしい美乳。スラリとした美脚。そして文句なしの美ライン! セクシーとキュートのいいとこ取りてんこ盛りネコちゃんとかマジけしからん! では、まずはマスクをつけたまま視線お願いしまーす!」
「これでええですか?」
二人とも切り替えの早さが素晴らしい。自分でリクエストをしておきながらイザンバは向けられた表情にしてやられた。
「はぅっ! 妖艶な流し目、最高! 麗しい! もう一回、別角度で……ああ、ごちそうさまです!! 次はマスクを外して狙っているようで狙っていない上目遣いを自然な感じでお願いします!」
「まぁ、注文の細かいこと」
そう言いながらも難なく応えるのだから、これこそ魅せ方を知る女の恐ろしさというものか。その威力は大したものでイザンバにクリーンヒットを決めた。
「ふぁっ! エグいくらいあざと可愛いぃぃぃっ! もう本当可愛い! このいたずらっ子な猫目に小悪魔ぷるるんリップ……表情も谷間も完璧を通り越した完璧さ! エロ可愛くて綺麗なイヴお姉様、最っ高!」
恍惚とした表情と偽りのない称賛を向けられてヴィーシャの内をゾクゾクと這い上がる快感と満足感。ほぅ……と吐かれたため息が妙に艶やかで。
「これは……クセになりそうやわ」
吐息混じりの言葉にイザンバはくらりと目眩を起こした。悶絶せずにはいられない色香は同性すらも魅了してやまない。控えたシャスティとケイトですら頬を赤らめているのだから、より近い場所にいたイザンバなぞノックアウトである。
「もうっどうしてそんな色っぽいの⁉︎ ヤバくない⁉︎ これだけで堕ちる! ほんと素敵嫁に来て!」
すっかり魅了されたイザンバの言葉に、ヴィーシャは誘うように、試すように、妖艶さを増して語りかけた。
「『宝石、絵画、骨董品、美貌。確かに美しいモノは好きよ。でもね、私が一番愛しているのは……——スリルなの』」
「フゥーッ! お金よりも愛よりもスリルを取る! それでこそイヴお姉様!」
イヴのセリフに興奮したイザンバの連写をするその速さといったらない。
さて、ヴィーシャのコスプレは本人の魅力もさることながら、イザンバのいきなりの無茶振りに応え見事に仕上げた人物がいるからである。
「シャスティ、このメイク……花丸パーフェクトです!」
「お褒めいただきありがとうございます!」
煌めく笑顔でサムズアップするイザンバにシャスティがえへん! と胸を張った。前回イルシーから変装メイクのダメ出しをされて以降、研究に研究を重ねた成果である。彼に対してドヤ顔をキメるのも忘れない。
「ヴィーシャさんもシャスティもすごーい!」
ケイトも惜しむ事なく拍手喝采だ。
そこへ響くサロンの扉をノックする音が彼らの関心を攫う。ファウストが恭しく開いた扉の向こうに現れた人影の革靴が床を鳴らした。
「キタキタキタキター!! ヤバいヤバいみんな落ち着いて落ち着いて落ち着いて落ち着いて!」
「アンタが落ち着け」
イルシーがツッコみをいれるがイザンバの鼻息は荒いまま。
豊かで光沢のある銀髪のウルフヘアに理性的な目元。黄金色の瞳はまるで極上の蜂蜜を溶かし込んだよう。仕立てのいいブラウンのスーツはスマートな体型によく合っている。
色を揃えた革靴は品があり、頭にはハンチング帽、手にはステッキ、さらに右目には知的さ際立つモノクルをきらりと煌めかせながら——真打登場である。
「ほぉうわあぁぁっ! カッコいい! すっごくカッコいい!! あらゆる難事件を即座に解決! 探偵の鼻で事実を嗅ぎ分け容赦なく突きつける名探偵クリストフ! 顔が良くてエレガントでエクセレントで顔がいい!」
しかし、ここで珍しくイザンバの言葉が途切れた。どういうわけか恥ずかし気に目を逸らして俯いているではないか。
暫しの沈黙。彼女の体が小刻みに震えたかと思えば、ポツリと一粒の滴が落ちた。
「………………——生きてて良かったぁぁぁっ!!!」
飛び出したのは心底の喜び。雄叫びと呼ぶに相応しいそれは今日一番の声量だ。イザンバは顔を上げると感涙を流しながらも目に焼き付けるようにコージャイサンに熱い視線を送った。
「クリストフ先生がスマートなワンちゃんなんて誰が言ったの? これもっと高貴なお犬様じゃないですか? え、私推しと同じ空気吸っていいの? ご褒美過ぎて肺から幸せが満ちていくんですけど⁉︎ むしろパンパンに詰め込みたいし、息の根止められるところだけどでもそれもよし!」
ときめき指数も声量も上がって、上がってまた上がって。
——推しが目の前に存在する
夢と見紛うほどの現実に昂らずにいられようか。
「次から次へと……よく言葉が出てくるよね」
そんな彼女にリアンはすっかり感心してしまい。
「リアンのペナルティーの時でも一回一回言葉を尽くしてくださっていたしな」
ジオーネが頷きながら同意を示せば。
「流石イザンバ様。培われた教養の賜物ですな」
ファウストは追従するように称賛を送る。
「どれも本気で言うてはるから言われる側は気分ええで」
そんな言葉を散々向けられたヴィーシャは変わらず上機嫌で。
「あれだけは真似出来る気がしねーわ」
イルシーが盛大に呆れ返った。さてはて彼らは褒めているのか貶しているのか。
だがしかし、そんな声も全て耳に入らないほどイザンバはコージャイサンが扮するクリストフに夢中だ。
「クリストフ先生カッコいいー! ステッキ持った立ち姿も素敵! うわ、足ながーい! 次はこう人待ってる感出しながら……あぁぁぁ! 尊っっっい!!!」
撮影機を構えながら条件反射のように飛び出す言葉。感情の振り幅は大きく、極まっていると言っていいだろう。
「ちょっと帽子と上着脱いで腕まくりを……きゃあぁぁぁ! 引き締まった腕とかほんと良きー! よだれ出ちゃう!」
「よだれは拭こうな」
「おっと失礼」
長袖シャツにベスト。よりラフになった格好からの腕まくり。イザンバは大興奮だ。
スマートに見えるコージャイサンだが筋肉のつき方はやはり男性そのもので、さらに腕まくりという相乗効果で男味が増した。
コージャイサンに指摘されてハンカチで口元を拭うと彼女はその視線を別の人物へと向けた。
「あ、ファウスト! そのソファー、こっちに運んでくれますか?」
「かしこまりました」
まるで重さを感じさせずにひょいとソファーを持ち上げイザンバの指示に従うファウスト。
「ありがとう。流石力持ち、頼りになりますね! クリストフ先生はソファーに座ってください! 目線は奥、向きは斜め下あたりで考え込んでる風に……」
ファインダー越しでも分かるほどにうっとりとした見惚れるヘーゼルにコージャイサンも気分よくポーズを決める。それはあまりにも様になっていて、まるでそこだけが別空間のようにイザンバの視線が吸い込まれた。
「ちょっとほんと信じられないなんなのもぉ〜存在が神最高大好きありがとうございますー!」
興奮して早口に捲し立てる彼女に向けられるニヒルな笑み。それはファインダーを通り越して見事イザンバのハートを撃ち抜いた。
「くっ……むり尊すぎてしぬ……いや、死んでも推せる……!」
胸を押さえてガクッと膝をついた彼女は最早息も絶え絶えである。むしろここまでよく保ったとイザンバは自分で自分を褒めてやりたい気持ちになった。
「イザンバ様の熱量は何というか……凄まじいですな」
確かにイルシーが手掛けたコージャイサンのコスプレは素晴らしい。だが、他の誰かが感想を言葉にするより先に全身全霊で喜びを表現するイザンバの様子にファウストは圧倒されてしまったようだ。
「久々だからだろう。それにしてもこの衣装、三人分もどうやって用意したんだ?」
「ジオーネの服を作ったときに術式を紙に起こしてくれてたでしょう? アレを使ったんです!」
コージャイサンに話をふられてイザンバは顔を上げてニコニコと言った。
その言葉に引っ掛かりを覚えたのはイルシーだ。
「俺は採寸した覚えねーんだけど?」
「前にリゲルのコスしてくれた時に着てた軍服を参考にしました!」
「チッ。似たもんカップルが」
イザンバの煌めく笑顔とサムズアップにイルシーが舌を打つ。しかしながら、そんな反応もまるっと華麗にスルーする彼女の脳内はすでに別のことで占めらていて。
「次はジオーネとファウストとリアンにも着て欲しいなー! 誰にどのキャラコスしてもらうか、妄想が捗ってしょうがない!」
「楽しそうで何よりだ」
「はい! すっごく楽しいです! それで、次はツーショットお願いします!」
そう、お楽しみはまだまだこれからだ。
怪盗同士のツーショットではイルシーとヴィーシャが互いに煽りあい、それにまたイザンバが興奮して。
コージャイサンとイザンバに配慮して探偵とのツーショットを辞退するヴィーシャを熱弁で説き伏せて。
止めどない賛辞と煌めく汗が休む間も無く飛び交い続ける。
そして、探偵と怪盗が対峙するシーン。しかし、コージャイサンは怪盗を飛び越してイザンバに視線を向けるとあるセリフを引用した。
「『どんな姿をしていても君が怪盗である限り、僕はどこまでも追い続ける。そして、必ず君を捕まえるから覚悟しておけ』」
なんと見事な一撃を放つのだろうか。これはイザンバにクリティカルヒットだ。
「婦女子のハート盗難事件発生! 持ってけドロボー!」
「叩き売りしてんじゃねーよ」
「主は泥棒じゃなくて探偵ですよ」
イルシーがツッコみ、リアンが訂正を促した。しかし、興奮治らない彼女の鼻から赤き一筋が……。
「お嬢様、鼻血! 鼻血でてます!」
「お気持ちはすごく分かりますけど抑えてくださいー!」
せっかくの衣装を汚してなるものかと慌ただしく世話をやき始めるシャスティとケイト。拭くものをきちんと用意しているあたり二人のイザンバの行動予測に磨きがかかっている。
「あぶ、危ない……! これはアダムに言ってるセリフなのについ自分に言われてるって勘違いしそうになった。脳がバグる完成度こわっ! あ、動悸が治らない……もうダメ……」
「お嬢様ぁぁぁぁぁ!」
鼻を押さえながらパッタリと倒れ込むイザンバにメイドたちが大いに狼狽えた。
そんないつぞやのような状況にイルシーがボソリと呟いた。
「なんか前よりひどくなってねぇか?」
「ザナだからな」
幸せそうな顔で倒れている彼女にも確実に狙ったであろう主人にも心底の呆れるばかり。けれども、コージャイサンはただ静かに緩く口角を上げた。




