2
翌日開かれた別の侯爵家でのお茶会にはヴィーシャとリアンを連れて参加した。
集まったのはイザンバを含めて男爵家、子爵家、伯爵家、侯爵家の五人のご令嬢たち。
「皆様ご存知ですか? かつて妖精と呼ばれた子爵家のご令嬢がいましたでしょう? あそこのご夫人が全身に醜い瘤が出たとか」
「色男と名高いとある俳優は突然顔半分が爛れたらしいですわ」
「あら、騎士の中には鍛え上げた肉体が見るも無惨なお姿になられた方がいらっしゃいますわよ」
「ご令嬢が突如失踪したところもあるそうよ。侍女が気付いた時には寝室にご本人の姿はなく、なぜか鼠が一匹いたとか」
そして、四人の令嬢が知りえる秘密を口々に披露する。
どれも眉を顰めたくなるようなひどい呪いばかり。そんなものが我が身に降りかかっていたらと思うと……。
「恐ろしいですわー」
四人が声を揃えた。
——私は皆様の情報網が恐ろしいです。
令嬢たちが知るものは新月よりも前に祓われたものであるが、今朝準備をしながらイザンバが受けた報告と寸分違わぬ個々の秘密。
人の口に戸は立てられぬとは言え、こうも外部に漏れ出すものかとイザンバは慄いた。
少しばかり遠い目をしていると、侯爵令嬢が真剣な表情になった。
「イザンバ様、あなたにお会いしたら言いたい事がありましたの」
「まぁ、なんでしょうか?」
改まって告げられ、イザンバが内心で身構えてしまうのは仕方がない。それでも微笑みを浮かべ続く言葉を待てば令嬢はおもむろに立ち上がった。
「呪いを祓ってくださったこと、心からお礼を申し上げます」
そう言って彼女はイザンバに対して淑女の礼を。それも最上級の敬意を表すようにしっかりと長く。
虚を突かれたイザンバだが、すぐにふんわりとまなじりを緩めた。
「お気持ちは確かに受け取りました」
悪意も敵意もないまっすぐな誠意はしかと伝わった、と。
姿勢を正した彼女ははにかみながらも躊躇いがちに事情を話し始めた。
「実はここだけの話……私……呪われておりましたの。ですがイザンバ様が王都を浄化してくださった折に私の呪いも祓われたようでお礼を言いたかったのです」
「まぁ! 一体どのような呪いでしたの?」
伯爵令嬢がいやに食いついた。過ぎたこととはいえやはり話題になるからだろうか。
令嬢たちが注目する中、侯爵令嬢は真剣な眼差しである一点を示した。
「ここ。この指の間に黒子があるのですが、どうお手入れしても一本だけ毛が生え続けていましたの」
「え?」
それを聞いて————イザンバの脳内に丸いフォルムにチョロリと毛が生えたような呪いがぴょこぴょこと跳ね回った。
——もしかしなくてもアレ⁉︎
見た目のユルさに反して地味に嫌な呪い。
まさかの告白に令嬢たちだけでなく、控えていたヴィーシャやリアンを含めた使用人たちも驚いた顔をしているではないか。
周囲の反応に令嬢は苦笑しながらも話し続けた。
「ええ、分かっております。呪いというには地味とお思いなのでしょう。私もまさかこれが呪いとは思いませんでしたが、あの浄化の後に綺麗になくなってしまったのでそうであったと気付きましたの」
彼女は笑う。だからイザンバに礼を言いたかったのだと。
その笑みは誠に感謝を伝えており向けられたイザンバの心も温かくなった。
すると、対面に座っていた男爵令嬢が恐る恐る胸の内を明かした。
「あの、実は私も。この胸元に同じく呪いを受けていました」
「私は膝でしたわ」
「あら、皆様はまだ隠せる場所で良かったではありませんか。わたくしなんてここ! 頬のこの黒子でしたのよ! 二度と社交ができないかと絶望いたしましたわ!」
伯爵令嬢の言う通り、確かに手は手袋で、胸元や膝は服で隠せる。だが、頬となると隠す術がない。
伯爵令嬢に同情の視線が集まった。
「ですので、この場をお借りしてわたくしからもお礼を。イザンバ様には本当に感謝しておりますわ」
ありがとうございます、と令嬢たちが次々に頭を下げる。
まさかのカミングアウトであったが、イザンバは彼女たちの思いも先ほどと同じく「はい」と受け取った。
「ねぇ、イザンバ様。祓われた呪いはどうなりますの?」
「願い主の身に返るだけです」
「ではもしも……もしも、わたくしたちに呪いをかけた者が同一人物であれば……少なくとも四つの黒子から……?」
侯爵令嬢の問いかけに「それは気になる」と他の令嬢たちもその視線をイザンバに向ける。
注目を浴びたイザンバだがここで一つ、彼女たちと同じく秘密を明かす。
「いいえ、五つです」
微笑むイザンバの言葉の意味に思い至った令嬢たちは目を見張った。
しかし、イザンバはすぐに視線を落として静かに語る。
「ただ、皆様が受けた場所に近い所から一本ずつなのか、別の場所から一本ずつなのか。あるいは……一つの黒子に束で生えているのか。どうなっているのかまでは私には分かりかねます」
彼女たちの話を聞いて呪いが一つの黒子につき毛が一本と分かった。
そして呪いの使用者が同一人物である可能性は高いが、返した後のことまでは流石のイザンバでもわからない。
「まぁ!」
「……なんて事!」
「ありえないわ」
「本当に……」
彼女たちがどのような状況を想像したのか、皆自分に置き換えて顔色を悪くしている。
「恐ろしいですわー!」
まったくである。
その後もお茶会は続く。
「あんなにも堂々と愛の宣言をされるなんて女冥利に尽きますわね」
「婚約者と愛し愛される関係になんて羨ましい限りです」
「私の息子にも愛を教えてくださらないかしら」
「画廊のお二人の写真、本当に素敵でしたわ!」
「本当にイザンバ様を想っていらっしゃると伝わってきましたわ」
「あの紫銀の天使の麗しさたるや……感動しました!」
「浄化の力も心の清らかさも火の天使と呼ばれるに遜色ありませんわ」
「オンヘイ公爵家も安泰ですわね」
「側付きに優秀な者をお望みではなくて?」
「イザンバ様以外に相応しい人は居ませんもの!」
「コージャイサン様への愛がイザンバ様を以前より一層美しく輝かせているのですね」
投げかけられるは今までとは正反対の言葉たち。
くるり、と。それはもうくるりと返された掌のあまりの華麗さにイザンバは拍手を送りたい一心だ。
慣れない態度や言葉に消化不良を起こしながらイザンバは日々のお茶会をこなして行く。
とはいえ、連続でのお茶会への出席はイザンバの気力・体力を以前と変わらずに削ぐ。リアンに見せる為とはいえ、それはもうゴリッゴリに削いでいく。
そして、この日も——。
睡眠もしっかりと取り、シャスティ渾身のお手入れをされて肌ツヤはいいはずなのに、どうにも気分が上がりきらない。
いつものようにメイドたちに世話を焼かれながらも脳内で現実逃避をしていた彼女が知らず知らずのうちにため息を吐くこと数回目。ふと鏡を見て疑問を口にした。
「あれ? なんか今日はいつもと雰囲気違うような……?」
お茶会に行く際の隙のないメイクと違い、ふんわりと柔らかな色合いのナチュラルメイク。彼女の疑問にシャスティがしたり顔で答えた。
「今日は婚約者様がお見えになられますから、癒し系メイクにしてみました!」
「え⁉︎ もうそんな日⁉︎」
「そうですよー。お嬢様が頑張って好きって言って以来ですからお会いするのが楽しみですねー」
ケイトに言われて羞恥と気まずさを思い出したイザンバだが、すぐに持ち直す。
「くっ……こうしちゃいられない……!」
そう言いながら彼女は慌ただしく鏡台から離れ、クローゼットの中から三つの箱を取り出した。
そして、それはもう真剣な眼差しをメイドたちに向けるではないか。
ただ事ではないと、誰かがゴクリと息を呑んだ。
「ケイト、これをコージー様に渡してください。探偵コス、楽しみにしてますって伝えてくれると嬉しいです!」
「はーい」
ケイトは明るく請け合い。
「ジオーネはイルシーにお願いしますね。依頼料払うって言ったら間違いなく着てくれるから!」
「かしこまりました」
ジオーネが納得しながら受け取り。
「ヴィーシャはこれを。絶対絶対ぜーったいに、似合うから是非着てくださいお願いします!」
「あら、ウチの分まであるんですか?」
コロコロと楽しそうに笑うヴィーシャと。
「シャスティ、これはヴィーシャのキャラメイクの指示書です! あなたなら出来るって信じてます!」
「お任せくださいっ!」
信頼を持って託された思いにシャスティの目が輝いた。
ヴィーシャはどんな衣装を渡されたんだと全員が箱を覗き込んでいる間に、イザンバはすかさず部屋の扉を開けるとそこに待機しているリアンに一言。
「リナは今日も可愛い! 私の癒し枠、本当最高っ!」
「あ、はい」
元気よくサムズアップする彼女に「だから何?」と言わんばかりのリアンだが、イザンバはそれを尻目に一目散に駆け出した。
彼女の怒涛の勢いに呑まれていたメイドたちもその足音にはっと気付くが、時すでに遅し。
「しもた……逃げられた!」
「また雲隠れなさる前に捕まえるぞ!」
「じゃあ僕は隠し通路から攻めるね!」
遅れをとったとはいえ護衛である三人は流石に対応が素早い。ヴィーシャとジオーネはまず手に持った衣装を預けた。
「任したで! シャスティ、悪いけど衣装持っててくれる?」
「ケイトもすまんがイルシーの分も頼む」
「了解です!」
なんと急遽開催の鬼ごっこ。
リアンが一番に駆け出してイザンバの後を追うように隠し通路に飛び込むとジオーネは通路の出口の一つへと向かう。そして挟み撃ちの要領でヴィーシャがその反対側に駆ける。
特にジオーネの気合いの入り方は段違いで、前回見失ったことが余程悔しかったのだろう。
バタバタと駆ける複数の足音が去ってしばらくのち、イザンバがひょっこりと隠し通路から顔を出した。
「右よし、左よし」
人影なし、と慎重に辺りを見回す。
前回はまんまとコージャイサンに行動を読まれてしまったが彼女とて学習能力がある。書庫は真っ先に探されるだろうと予測して、ぐるりと回ってもう一度自室の近くに戻ってきたのだ。
さて、どこに移動しようかと思案しながら歩き出した彼女は完全に油断していた。
「よう、イザンバ様」
「うひゃあっ!」
その声かけはあまりにも突然で、イザンバは小さく飛び上がった。一気に速度を上げた心拍を宥めながら振り向けば、壁にもたれて口角を意地悪く上げている男が一人。
「イルシー! なんでここに⁉︎」
音も気配もなく近づいた彼に対して心の準備も何もあったものじゃない、とイザンバは思う。
そんな彼女にイルシーは特に悪びれもせず問いかけを返した。
「コージャイサン様が来るからに決まってんだろぉ。で、アンタはこそこそと何やってんだぁ?」
「やー、なんの事ですか? 別にこそこそなんてしてませんけど……」
そうは言うが目が泳ぎまくっているのだから、答えはわざわざ思考を読まなくても分かるというもの。
「ハッ。どうせ初めて好きって言った後だから顔合わせるの恥ずかしいっつってまた逃げ回ってんだろぉ」
「なぜバレたし!」
わざとらしく鼻で笑うイルシーにズバリ当てられてしまった。なぜと言われて彼は至極冷静にイザンバの行動を鑑みる。
「行動がワンパターンすぎんだっての。毎回毎回ちょっと進んだと思ったらウダウダしやがってさぁ」
「うぐっ!」
「つか、逃げてる時点で失礼以外のなにものでもねーし」
「うぐぐっ!」
「ンな事ばっかしてっとそのうち愛想尽かされんぜぇ?」
「っ————…………分かってます……」
痛いところを突かれた、とイザンバはしょんぼり項垂れた。恥ずかしいからと逃げ回っているが、それが好意に胡座をかいた行動だと分かっているからだ。
——ま、コージャイサン様は追うのも楽しんでるみたいだから言うほど気にする必要もねーんだけどなぁ。
主の婚約者は他者に興味が薄い割に従者である彼らを信用する素直なタチである。恥ずかしがり屋な面はあれどその素直さは御し易い。
——アンタはあの人の為に大人しく差し出されてろ。
とイルシーは密かに思う。そのための餌も必要というもので。
「ほらよ」
「なんですか?」
イルシーが一通の封筒を指に挟んでイザンバに差し出した。首を傾げる彼女に、いいから受け取れと言わんばかりに封筒を揺らせば、イザンバは素直に手を伸ばした。
「感謝しろよぉ。中身はイザンバ様が言い逃げしたせいで見れなかったチョー貴重なお宝写真だぜぇ」
「え?」
「マジで珍しい表情だから覚悟しとけよぉ」
「はぁ……お代はいかほどで?」
「イザンバ様には借りがあるからなぁ。それでチャラにしといてやるよぉ」
いやにハードルを上げるからどれだけふっかけられるのかと思っていたところ、とんでもない発言が飛び出すではないか。
あのイルシーがなんと言った、とヘーゼルの瞳が零れ落ちそうなほど見開かれた。
「えっ!!?? どうしたんですか⁉︎ イルシー、もしかして具合悪い⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎ それとも天変地異の前触れ⁉︎」
「ンなわけあるか。じゃあなぁ」
慌てるイザンバを置いてあっさりと立ち去るイルシーに彼女はますます疑問符を浮かべた。
「借りって何……?」
廊下にポツンとイザンバは一人。疑問の答えは得られないまま、その手に残ったのは一通の封筒のみ。
ここで立ち止まっていても仕方がないし、とお行儀悪くも歩きながら封筒を開けてみれば……。
「ま゛っ……!」
目にした写真にイザンバは言葉を失った。
そこには頬を紅潮させるコージャイサンの姿があるのだからこれは珍しいなんてものじゃない。イザンバとて初めて見る表情だ。
「え? え。えぇぇぇぇぇえっ⁉︎」
二度見、三度見、さらには写真の角度を変えて四度見、五度見までした。
——何これナニコレなにこれぇぇぇっ!!??
いつだって余裕の態度を崩さない彼の新たな一面を収めた写真。それもイルシーの言葉を正しく理解するならば、イザンバが発した言葉でこうなったと言うのだから驚く他ない。
写真の中のコージャイサンに負けず劣らず頬を染め上げたイザンバはまるで気の抜けたようにへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
「…………く、うぅ〜〜〜!」
目を閉じて唸りながらも写真を握り潰さないように指先だけはしっかりと力加減をして。
駆け足の心拍を抱えて、それでも恐る恐る盗み見るように上げたヘーゼルは写真の中の貴重な一瞬に釘付けになる。
——ずっと見ていたいような、他の誰にも秘密にしておきたいような……。
この直前には紛う事なく騎士としての凛々しさや荘厳さがあっただけに写真の中の表情との落差が大きい。
これをギャップ萌えと言わずなんと言おうか。
「あぁぁぁもぉ〜………………ほんとズルい……」
逃げ隠れしたくなる羞恥を上塗りするほどに温かな想いが胸の内に膨れ上がる。イザンバは独りごちるとゆっくりと立ち上がってその場を後にした。




