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 イザンバが「好き」と言い逃げしてから二回目の朝、支度を手伝いながらジオーネが伺いを立てた。


「お嬢様。ご主人様が『事後処理が終わってから休暇を貰える。会いたいがいつなら都合がいいか』とお尋ねです」


「え。無理」


 なんと即答するイザンバにジオーネはすんとなる。そして、まるで言い聞かせるように、必ず答えを欲している事を伝えるように、その表情のままもう一度告げた。


「ご主人様が。お嬢様の婚約者であらせられるコージャイサン・オンヘイ公爵令息様が。『会いたいがいつなら都合がいいか』とお尋ねです」


「そんな丁寧に言い直さなくても! 美女の無表情怖い!」


 いつにない迫力にイザンバは思わずたじろいだが、彼女の答えは変わらない。


「無理無理。ぬいちゃんの没収は回避できたけどあんな……勢いであんなこと言っちゃったんですよ⁉︎ 当分顔合わせられない!」


「そないなことありません。あの時のお嬢様も大変可愛らしかったですよ」


「ご主人様は大層喜ばれたと聞いています。これを機にどんどんお気持ちをお伝えください。さあ、次はいつにしましょうか?」


 ヴィーシャがコロコロと笑いながら言えば、ジオーネはニコニコと嬉しそうに詰めてくる。

 しかし、だからと言ってイザンバもめげない。負けない。諦めない。


「本当無理だから! 今でもまだ私の心臓が落ち着かないのにこの状態で会えとか鬼すぎる!」


「そんなん何回もゆうてる内に慣れますわ」


「何年先の話ですか⁉︎」


「何年かかる気ぃですか?」


 イザンバの言い分にヴィーシャはついつい呆れてしまう。初々しい反応を返す彼女だが、年単位で耐える事になるのは主人が不憫でならない。

 ここでメイク用品を持ったシャスティが会話に入った。


「私たちも婚約者様とお過ごしのお嬢様を見たいのは山々なんですけど、でも実際のところしばらくお嬢様のご予定が埋まっているんですよ」


「リナちゃんの研修も兼ねて連日でお茶会に参加されますからねー」


 お茶会用の服を持ってきたケイトの言葉にヴィーシャは予定表をひと睨みしたあとニッコリと微笑んだ。


「ほなお茶会がない八日後をご主人様に伝えときますね」


「そして今日から届く他の誘いはすべて断りましょう。そうしましょう。リナの研修はお嬢様のお側にいる事で常に出来ていますから」


 ジオーネの言葉にメイドたちはうんうんと頷きあった。

 特にシャスティとケイトは直に二人の様子を見られるチャンスが訪れる事に心を躍らせているようだ。

 ただ一人、イザンバは口を尖らせる。


「ねぇ……私の意見は?」


「ご主人様のご要望が優先です」


「知ってたー!」


 声を揃えるジオーネとヴィーシャ。今日も今日とて従者たちの主至上主義が発揮されている。

 通常運転の彼女たちに対してイザンバに出来る事は嘆きながらも受け止めるだけ。


 ——会いたい。けど、恥ずかしいから会いたくない。


 矛盾を抱えるからこその恋心は複雑な色合いでイザンバの胸中を彩った。






 さて、翌日。イザンバはある伯爵家でのお茶会にジオーネとリアンを連れて挑んだ。メイドに扮した二人はきちんと背後で大人しく澄まして待つ。


「コージャイサン様のあの宣言。わたくしもその場でお聞きしたのですが、あんな風に情熱的に愛される秘訣を是非とも娘たちのためにご教授いただきたいの」


 ——真面目な様子で問う夫人の言葉に

 ——強かなまなざしのご令嬢方に

 イザンバは少し眉を下げた微笑みを浮かべた。

 ちなみに夫人の娘は五歳だ。これから娘の婚約を結ぶにあたり参考にしたいのだろう。姿勢が大変前のめりである。

 イザンバの隣に座る令嬢も気になるのか視線がうるさいほどに突き刺さってくる。


「将来娘が嫁ぎ先でもイザンバ様のように愛されているのなら家としても、親としても、これ以上の安心はないですもの。それで、どのようにしたらいいのかしら?」


「私も知りたいですわ! コージャイサン様は学生時代も毒婦に惑わされなかったんですもの!」


「何か男性の心を掴む特別な方法がおありなのでしょう?」


 捲し立てる勢いは数を増して圧となる。


「ご期待に添えず申し訳ないのですが、私も何か特別な事をしてきたわけでは……」


「ああ、何ということだ。私はどうやら麗しい園に迷い込んでしまったようだ」


 イザンバが答え始めると、まるで被せるように場違いな声が響いた。

 その声にピシリと動きを止める夫人。客人たちからの注目を浴びながら一人の男性がお茶会の場に姿を現した。


「おや、そこにおられるのはイザンバ嬢ではありませんか」


 まるで今気づいたという体だが、そのわざとらしいまでの姿に周りから苦笑が漏れる。


「義姉上も人が悪い。イザンバ嬢がお見えになられたのなら私にも声をかけてくださればいいのに」


 どうやら意気揚々と乱入してきたのはこの家の令息のようだ。

 一歩二歩と近づいてくる彼に対して、イザンバの隣にいた令嬢がスススと距離をとる。

 義姉である伯爵夫人がイザンバに近づかないよう間に入った。


「今はわたくしがおもてなしをしている最中です。あなたが出る必要はありません。下がりなさい」


「そんな狭量な事を仰らないでください。私はただご挨拶をしたいだけです。なにせ彼女は王都一有名な女性なのですから」


 お茶会に乱入してきただけでなくイザンバ目当てだと言わんばかりの態度だ。これがどれほど他の客に対して失礼な事か、彼は理解しているのだろうか。

 夫人の視線は一層冷ややかとなっているではないか。


「わたくしはあなたを呼んでいません」


「ああ、家族だというのになんて意地悪をおっしゃるのですか。お客様の前でそのような態度は改めたほうがよろしいですよ」


 ああ言えばこう言う。苛立ちを抱いた伯爵夫人がこそこそとしているもう一人に気づき素早く詰め寄った。


「旦那様。彼の態度は皆様に対して大変失礼に当たります。兄として、当主として、きちんと手綱を取ってくださらないと困りますわ。さあ、早く連れて戻ってください」


「……すまない。挨拶が済んだらすぐに下がるから」


 そうじゃないだろう。

 歳の離れた弟が可愛い当主はつい彼に対して甘くなりがちだ。


「義姉上は気にしすぎなんですよ」


「お客様をもてなすのに気にしすぎも何もありません。これ以上失態を重ねる前に早く下がりなさい」


「やれやれ、義姉上は年を取って怒りっぽくなりましたね。ほら、イザンバ嬢をご覧ください。まるで天使様が見守ってくださっているようではありませんか」


 義姉を下げ、イザンバを上げて。彼の発言に他の客も呆れ返った。

 突如巻き込まれる形になったイザンバも驚いたが口を噤む。


 ——お話聞かない系の人かー。無理寄りの無理だなー。


 むしろ令息の発言を聞いて関わりたくない人物だと判断した事もまた淑女の仮面の下である。

 歩を進めようとする彼の動きを察して二人のメイドが警戒心を強めてイザンバの前に出た。


「……申し訳ありませんが、お嬢様にお近づきになりませんようお願いいたします」


「無礼な。顔を上げたまえ」


 その言葉に令息は眉を顰めた。一介のメイドが言うにはあまりにも無礼だからだ。

 しかし、メイドの顔を見た瞬間に眉の皺がなくなった。


「なんと……これは一段と麗しい花々だ。君たちはイザンバ嬢のお付きかな?」


「オンヘイ公爵令息様の命により護衛も兼ねて仕えております。あなた様はお控えを」


 ジロジロと二人を見る。片や爆乳美女、片や可憐な美少女。それはとても無遠慮で、無作法な視線が二人に纏わりつく。


「成る程。多様な美しさを集めるとは公爵令息も趣味がいい」


 どこから目線だ。苛立ちから紅茶色の瞳が剣呑さを帯びる。それを察したイザンバは宥めるようにジオーネのエプロンを軽く引っ張った。


「可憐な君が自らを護衛だと語るのは誠に愛らしいね」


 見た目で侮り、見くびった物言いにリアンが目に見えて苛立った。イザンバはエプロンを引っ張りその意識を逸らす。内心は大慌てであるが。


「心配しなくても君たちと話す時間も後で取ってあげるよ」


 おかしい。誰がそんなことを言ったんだ。


 ——もう黙って欲しい。


 そう思ったのはイザンバだけではないだろう。リアンに至ってはすっかり微笑みが外れ青筋が浮かんでいるではないか。


「イザンバ嬢。私はこの家の……おっと、と、と……」


 そう言って足を踏み出した伯爵令息だが、足首をひねりバランスを崩した。何とか持ち直そうとしたが体幹は傾いたまま戻らず、片足で不格好にひょこひょこと進むと、イザンバの前に立つ可憐な美少女メイドの方へと向かっていく。

 二人が接触すると思われたその時——まるで令息を拒むように紫銀の光が瞬いた。


「うわあっ!」


「きゃあっ!」


 バチリ、と弾かれた令息は体の向きを変え、そのまま一人の令嬢を押し倒すように転んだ。

 彼から一番遠いところに居たにも関わらず巻き込まれた哀れな令嬢の胸に顔をうずめる令息。さらに彼女のスカートは捲れ上がり太ももまであらわになってしまっている。

 その太もものある一点に客が気付けば、案ずるよりも冷ややかな空気が舞い降りた。


「……貴女、烙印持ちでしたのね」


 そんな厳しい一言が客の中から漏れると、令嬢は否定を口にしながら自身に乗っかていた令息を投げ飛ばす勢いで起き上がった。


「これは……っ! 違う、違いますのー!」


「まぁ! なんて穢らわしい!」


「身の程も弁えずに……一体誰を呪ったのかしら」


 慌てて太ももを隠すが時すでに遅し。イザンバと令嬢を見比べるように嘲り笑う声が続く。

 そして、投げ飛ばされた令息はテーブルの脚に頭をぶつけたそのまま気を失ったようだ。


 ——烙印?


 内心で首を傾げていたイザンバにリアンがそっと耳打ちをする。


「新月の夜に呪いの使用者に出た痣の事です。貴族間では烙印と呼ばれています。痣は体のどこかに残っているとか」


「そう」


 あの夜以降、イザンバは呪いの使用者に出会っていない。そんな呼び名が浸透していたのかと感心していると令嬢が縋るような瞳を向けてきた。


「あの……わたし、悪気はなかったんです! 本当です! 今日もイザンバ様がお茶会に参加すると聞いて、それなら烙印(これ)をどうにか出来ないかお尋ねしたくて……」


「まぁ! なんて図々しい方なの!」


「呪いって悪気なく使えるものかしら」


 周囲の厳しい視線にすっかり立ち上がる気力をなくした令嬢は怯えたように蹲った。


「一体どんな呪いが返されたんでしょうね」


 周囲に聞こえないように、けれどもリアンは至極小さな声で楽しげに呟いた。

 イザンバも少し気になったのだろう。静かに令嬢を注視する。じっと集中するとゆらゆらと視えてきたその正体。


 《一日一回ラッキースケベに遭う呪い》


「え?」


 イザンバが驚いたのは呪いの内容に覚えがあるから。

 そして、さらにその奥に転がる紫銀に拒絶された令息からもあらぬ正体が告げられた。


 《肝心なところでキマらない呪い》


 なんと言うことでしょう。イザンバは思わず身を震わせた。

 先ほどの転倒は偶然にも二つの呪いがいいタイミングで働いた結果だったようだ。


「どうやら烙印持ちは二人いたようですが、お嬢様が巻き込まれなくて良かったです」


 令嬢に関してはなんとなく察したジオーネが何でもないようにさらりと言った言葉は、しかし主催者の伯爵夫人にもしっかりと届いていて。


「あの、さっきの光はもしかして……浄化の……?」


 強張った表情で尋ねる彼女にイザンバは眉を下げて少し申し訳なさそうに頷いた。


「彼女たちは私の護衛も兼ねているので呪いに対抗する手段を持っています」


 それは肯定を示していて。

 イザンバの言葉を信じたくないような、それでもあの夜に見た美しい聖なる炎を彷彿とさせる紫銀を否定するだけの材料を伯爵夫人は持っていない。


 だが、令息がメイドに触れそうになった時に紫銀の光は出現した。これは覆しようのない事実である。


 懸命に冷静であろうと、心を鎮めようとしている伯爵夫人の姿はどこか痛ましい。

 それもそうだろう。彼女自身はコージャイサンやイザンバと年が九つ違う。その為コージャイサンに熱を上げることも、イザンバに対して嫌がらせもしていなかったのに……。

 婚家の甘やかされた次男がやらかすのだからたまったものではないだろう、とイザンバを含めた客は心底同情した。


「二人? あのご令嬢の他にもう一人居たのかい? 怖いねぇ」


 ここで伯爵が倒れた弟を介抱しながら呑気にそんな事を言うものだから……つい伯爵夫人から怒りを煮詰めたような低い声が出るのは仕方がない。


「——旦那様」


「ヒッ! いや、ハイッ!」


 姿勢を正した伯爵に夫人は微笑んだ。それはもうにっこりと。


「すぐに、ええ今すぐに。その恥さらしを連れて下がってくださいませ」


「恥さらし? え? もしかして……もう一人って……?」


「お下がりくださいませ」


「もちろんだ! それでは皆様、弟がお騒がせして申し訳ない! 私たちはこれにて失礼する!」


 伯爵の胸中としては「まさか可愛い弟が?」とにわかに信じがたい話だが、黒く微笑む淑女(つま)に誰が逆らえようか。伯爵は執事と二人がかりで伯爵令息(おとうと)を引きずっていった。


「皆様、義弟が失礼な態度を取り大変申し訳ございません。重ねて恐縮なのですが本日は早めのお開きといたしまして、また日を改めてご招待させていただきますわ」


「まぁ、無理をなさらないで。きっとこれからお忙しくなられるでしょう」


「お気の毒ですがお身体を大切になさってね」


 真摯に頭を下げる伯爵夫人に客は一言言って去っていく。誰が烙印持ちであったか、きっと瞬く間に広がるのだろう。

 そしてイザンバも歩を進めようとした時、彼女はそっと伺うように声をかけてきた。


「イザンバ様、烙印を消す事は可能なのかしら?」


 その問いかけにイザンバは首を横に振った。


「残念ながら一度手を出してしまえば生涯消す事は叶いません」


「やはり——……そうですか」


「ご心労お察しします。視たところ一族郎党や末代まで続くような呪いではないのでご家族に害はありません。そこは安心していただければと思います。ただ、あの方は……」


「それは自業自得なので構いませんわ。お気遣いありがとうございます。こちらも今後の対処を考えますわ」


 伯爵夫人はもう義弟を切り捨てる方向に固めているのだろう。烙印の事は頭の痛い話ではあるが彼を社交界から遠ざける理由にはなる。ここで見切りをつけなければこの先我が子の未来が翳る——それは御免こうむりたい。


 二人の会話を蹲ったまま聞いていた令嬢はラッキースケベが生涯続くと聞いて絶望をあらわに泣き出した。

 ——みんながやっているから

 ——命を取るようなものじゃないから

 そんな出来心や一時の優越感が大きな瑕疵となってしまったのだから。


 泣き続ける令嬢に何か声をかけるべきかと悩んだイザンバだが——辞めた。

 彼女は自らの意思で呪いに手を出した。イザンバは降りかかるそれを祓っただけに過ぎない。

 そして、声をかけたところで彼女が生涯呪い返しに苛まれる事も変わらない。

 半ば無理矢理思考を切り替えると伯爵夫人に淑女の礼(カーテシー)をして場を辞した。

 帰り道の馬車の中、護衛二人が言葉を交わす。


「ねぇ。呪い返しは消すことが出来ないって防衛局を通して周知した方が良さそうじゃない? お茶会のたびにこんな風に絡まれたら面倒だよ」


「そうだな。このままでは返された呪いを消させようとお嬢様の誘拐を目論む輩が出てくるかもしれない。それも含めてご主人様に報告しておこう」


「今回みたいな分かりにくい呪いはともかく分かりやすいのあったよね。あれもどうなったかもう一度確認しに行こう」


 リアンの提案にジオーネは神妙に頷いた。


「お嬢様、そんなわけで後ほど二人離れますがよろしいですか?」


「分かりました。気をつけて行ってくださいね」


 彼女を思えばこその提案に誰が否を唱えようか。微笑み了承の意を返すが、しかしイザンバは明日以降のお茶会を考えると憂鬱にならざるを得ない。


 ——お義母様のお茶会は微笑ましいものを見る生温い視線とニヤけ顔で居心地が悪かったのは確かだけど、お客様の品が違うというか……どちらも気を遣ってくださったんだろうな。


 セレスティアもイザンバの性格を理解しているからこそ招待客をさらに選別をしたのだろう。

 公爵夫人のお茶会に招かれる。

 それは一種のステータスであり、招待客自身にセレスティアの眼鏡にかなう相応の品や教養があるという事だからだ。


 チラリと成長を続ける彼を見遣る。

 ——苦手な環境下での不屈さ

 ——願いに見合う貪欲さ

 ——期待に応える純粋さ

 イザンバは塞ぎ込みそうな気分だからこそ顔を上げて己を鼓舞する。モヤモヤとした空気を体から追い出すように吐き出した。


「ジオーネ、リナ、さっきは庇ってくれてありがとうございます。でも……——リナは帰ったらペナルティですよ」


「え⁉︎ ああああ……!」


 失態を自覚し嘆く彼にイザンバとジオーネは目を合わせてクスリと笑った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます [一言] ザナ、あまり待たせるとコージャインサン様の甘々が余計増すのでは? コージャインサン様は絶対溺愛系だと思うのです しかし(ラッキースケベ)は女性だったのね…
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