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さて、リアンが来てから四日目。同じ課題を時間帯だけを変えてこなし、キレるペースは初日に比べて下がったもののやはり同じくペナルティは避けられず。イザンバが散々可愛いを連発して撮影をした後のこと。
書庫のソファーで寛いでいた彼女にジオーネが告げた。
「お嬢様、例の国が落ちたそうです」
「え? それってレイジア様の故郷の?」
「はい」
あまりにもあっさりとした物言いなのは、かの国と彼女たちの関わりが呪いだけだからだろう。
ただイザンバは推しである英雄の妻の故郷が地図上から消えたことに少しだけ寂しさを覚えた。
「もうゆうてる間にご主人様もお戻りになられるでしょうね」
「……あっ!」
「どうかされたんですか?」
ヴィーシャから出た『ご主人様』という単語に何かに気付いたような声を上げるイザンバに今度は何を言い出すんだと訝しんだ。
「コージー様が少尉になられたって聞いた時からお祝いをしたいなーって思ってたんですけど、ほら、すぐにまた出られたでしょう? とりあえず先にプレゼントを用意しようかなーと思うんだけど……」
イザンバが少しばかり気まずそうなのはまだ何も用意できていないから。断じて撮影が楽しくて忘れていたわけではない。断じて。
「うーーーーーん……」
今は軍服を纏って騎士として出張しているが元々彼は研究員だ。しかし、騎士として功績を上げているのも事実なのでどちらに合わせて贈り物をするべきか悩み始めてしまった。
ふと、イザンバはある事を思い出した。
「あ、そう言えば広場で剣を投げてましたよね」
「あれは防衛局の支給品でご主人様個人のものちゃいますよ」
「そっかー。伝説の聖剣でも探しに行くべきかと思ったけどダメですねー」
ヴィーシャの言葉にイザンバは残念そうに返すが、どうしてそこで伝説の聖剣が出てくるんだとヴィーシャは呆れ顔である。
イザンバはまた考えこむと——閃いた。
「研究棟で徹夜させない為に人をダメにする系のクッションとか」
「あのふわふわ男が入り浸って使ってそうですよね」
「ふわふわ? ……もしかしてマゼラン様?」
イザンバの回答にジオーネがこくりと頷いた。確かにマゼランがそこから動かなくなりクロウが必死に引っ張っている所をコージャイサンが冷めた目でみていそうだと想像して、少し笑ってしまった。そして、またうんうん唸りながら口を開く。
「なんかこうゴージャスでキラキラピカピカ光って凄そうなのとか」
「具体的にどんなのですか?」
「どんなのでしょうねー」
リアンの疑問にイザンバも首を傾げるのは、とりあえず口に出してみただけで具体像はないからだ。
さぁ困ったとリアンも共に悩み始めたところ、ジオーネが珍しい事を言い出した。
「それなら街を散策しながら探されてはどうですか? 今が一番平和で安全ですし」
「街で……確かにその方がいいものに出会えるかもしれませんね。外出してもいいですか?」
「ええ、どうぞ。ほな、お嬢様もおめかししましょうか」
チラリと護衛たちに視線をやって尋ねると彼女たちは快諾し、すぐに準備に動いた。
さて、張り切ったシャスティによりお出掛け仕様になったイザンバはジオーネとリアンを連れて街に繰り出した。巨大なゴールデンキングビートルで駆け抜けたあの夜が嘘のように平和で賑やかな王都の表通り。変わらない人々の営みにイザンバの頬は自然と緩んだ。
馬車をおりた彼女は店先を覗き込みながら何が良いかと考える。ふと視線を感じたイザンバは辺りを見渡すが、特に誰と目が合う事もなかった。
「イザンバ様、どうかされましたか?」
「……いえ、なんでもないです」
リアンの問いかけに笑顔を返し、内心で首を傾げた。
——気のせいかな……?
その後も防具、文房具、雑貨屋と軽やかに回っていく。しかし、店に入るたびにどこかそわそわとした雰囲気を人々が纏うではないか。護衛たちは何も言わないが、こう何件も続けばとうとう違和感が拭いきれなくなってきた。
「お嬢様、何か気になる事でも?」
「気のせいだと思ってたんだけど、なんか……見られているような気がして」
ジオーネの問いかけにイザンバは少しだけ困ったように眉を下げた。彼女たちが警戒心すら見せていないから害意はないのだと分かるが、あちこちからの視線はどうにも落ち着かない。
「ああ。それは……」
「あっ! ひのてんしさまだ!」
ジオーネの声を遮った甲高い子どもの声。歳の頃は四歳か五歳か。一人の女の子が嬉しそうにそう言った。
「え?」
その声につられてイザンバも辺りを見渡した。しかし、彼女が思うような火の天使の影も形もない。
不思議に思いもう一度幼女を見ると、隣にいた母親と思しき人物の側から離れてタッタッタッとイザンバの方に駆け寄ってくるではないか。
「ひのてんしさま!」
そして、幼女はイザンバの前で足を止めて笑顔で言った。何の迷いもなく。
——え、私⁉︎
淑女の仮面の下で戸惑いは大変なものだ。いつの間にか護衛たちはさりげなく一歩下がっており、幼女と対面しているのはイザンバのみ。つまり彼女の言う火の天使はイザンバを指している事になる。
幼女は少し恥ずかしそうにもじもじとすると、小さな体で大きな勇気を振り絞った。
「あのね、あのね……こわいのやっつけてくれてありがとうございました!」
そう言って差し出されたのは一枚の紙。それは一生懸命に書いたのであろう微笑み祈る天使の絵であった。混乱も疑問も湧き上がるばかりだが、今はそれらを喉の奥に押し込む他ない。キラキラと瞳を輝かせた幼女にイザンバは膝を折って視線を合わせた。
「私が……もらっていいんですか?」
「うん!」
「ありがとうございます。笑顔が素敵な天使、上手ですね」
「うん! きれいなてんしさま、がんばってかいたの!」
イザンバが絵を受け取り微笑みを向けると、幼女も嬉しそうに返す。
これが皮切りとなった。通りにいた人々がイザンバに向けて口々に感謝を伝えはじめたのだ。
「火の天使様!」
——やっぱり聞き間違いじゃない⁉︎
戸惑うイザンバにある人は言う。
「恐怖を祓ってくれて、平和を取り戻してくれてありがとうございます!」
隣人が突然暴徒と化した恐怖を退けてくれたと。
「救国の天使様!」
——なんかレベルアップしてない!?!?
叫びそうなイザンバにまたある人は言う。
「大切な人が悪霊にならずに済みました……ありがとうございます。最期に……穏やかな顔を見られて良かった……!」
死に別れた人と最期の言葉を交わせたと。
「お前たち、これが真の淑女というものだぞ!」
——どれが!?!?!?
誰の事だと目を白黒とさせているイザンバにまたある人は言う。
「公爵令息様は良き人を選ばれた! 天使の名に相応しい清く優しく美しいお姿だ!」
まるで自分の事のように胸を張って。
「この目で天使を拝める日が来るとは……ありがたやー。ありがたやー」
「お礼と言ってはなんだけど、うちの自慢の品をどうぞ!」
「これも持っていっとくれ! メイドさんに渡しとくね!」
「おれ、火の天使様を守る騎士になるよ!」
「ぼくは魔術師になる!」
「てんしさま、ありがとうー!」
ご老人たちは手を擦り合わせて拝み倒し、商人たちは梱包した品物を渡し、子どもたちはキラキラと瞳を輝かせて。
王都に住まう彼らは聖なる炎の紫銀の天使を見ている。そして、どこからか流れてきた噂を耳にしていた。あの天使が実在する貴族のご令嬢だと言う事を。
だからこそイザンバが表通りに現れた時は大層驚いた。聖なる炎の天使と瓜二つなのだから噂は事実であったのだと証明されたのだから。
しかし、声を掛けたくても貴族令嬢に平民がおいそれと話しかける事が出来るはずもない。
そこへ無邪気な幼女の登場だ。件の令嬢は相手が平民の、それも子どもだからとぞんざいに扱わず、丁寧に応対している事にまた驚いた。
——この方は身分という垣根を超えて話を聞いてくださる方だ。
そう確信を持った大人たち。なに、オタ活をしてきた結果がここで現れただけだが、それを彼らが知る由はない。幼女に便乗した形になるがどうしても感謝を伝えたかった彼らは次々に口を開く流れとなったのだ。
そうこうしている内にどんどんと渡されるお礼の品でジオーネとリアンの手はいっぱいになっていく。
「あの!」
これ以上は自分も護衛たちもキャパオーバーになるとイザンバは思い切って声を上げた。
「たくさんのお気持ちをありがとうございます。ただ……どうかその感謝は防衛局の皆様にもお伝えください」
淑女の仮面は穏やかに微笑み、心地よい声音で紡ぐ。
「私は魔力量が平均的で、あの時あんなにも力を出せたのは魔術師様たちがその力を貸してくださったからです」
魔術師たちがくたびれるほどにその魔力を注いだ事を。
「それに現場では騎士様たちが守ってくださいました。それは私だけではなく、皆さんのことも」
騎士たちが汗も傷も厭わずに王都中を駆け回っていた事を。
「研究員様も麻薬断ちの薬を多く作られたと聞いています。ロマン溢れるゴールデンキングビートルも見られましたしね」
夢の体現にクスクスと笑えば、男性陣がこぞって頷いているではないか。
「私が一人で成したわけではないんです。ですので、どうかそのお気持ちはハイエ王国の高潔な防衛局の皆様にもお伝えください」
秘技『言うべき相手はあちらですよ』が発動した。彼女の言い分に納得した者たちは心得たとばかりに頷く。
ところがイザンバのスカートがくいくいと引っ張られた。最初に声を掛けてきた幼女だ。
「ひのてんしさまはひのてんしさまだよ。だからありがとうなんだよ」
イザンバはまた膝を折ると彼女に柔らかな笑みを向ける。
「————ありがとうございます。そう言って貰えて私も嬉しいです」
「うん! まじゅちゅちさまときしさまと、えっと、かっこいいびーとるのえもかくね!」
「はい。素敵な絵をたくさん描いてください。皆さんもきっと喜んでくださいます」
「うん!」
幼女の元気な返答にイザンバも優しい笑みを浮かべた。けれどもこのような騒ぎになってしまった以上買い物を続けるのは難しいと判断してイザンバたちは帰路に着くことにした。
しかし、道中もイザンバが馬車に乗っている事が知られたのか外から「火の天使様!」「ありがとう!」との声が聞こえてくる。彼女は淑女の仮面を付けたまま、ジオーネに問うた。
「そう言えば、さっき頂いていたものはどうしたんですか?」
荷物を載せれば三人が乗れず、三人が乗れば荷物が載せれず。そんな状態であったにも関わらず、今は三人と荷物が綺麗に馬車内に収まっている。
「あのままではお嬢様が座るスペースがなくなってしまいますので、食べ物以外はしまいました」
「谷間に?」
「はい。やはり気付かれていましたか」
「気付いたって言うか、この前そこに埋もれた時に魔法陣が見えちゃって」
それまではイザンバも挟んでいると思っていたのだが、顔が埋もれても乳圧ばかりで銃のように硬いものには一切触れなかった。不思議に思ったところ胸の真ん中あたり、上から覗き込んだだけでは見えない位置に刻まれている魔法陣に気が付いたのだ。
「ああ、そうでしたか。弾倉も銃も数が増えれば荷物になり面倒なので。大きいものを持っているなら有効に使えと里の女衆に言われました」
「戦闘方法が銃の場合はどうしても弾数が必要ですもんね。手数が多いに越した事はないけど自陣ならともかく敵地だと隠して置ける訳でもないですし」
「はい。それに手ぶらの方が潜入する時やターゲットに近づく時のボディチェックをパスしやすいので」
爆乳ゆえに魔法陣さえ見られないようにすれば服や靴に小細工するよりも楽なのだろう。
イザンバも感心したように相槌を打つ。
「へぇ。流石にバズーカ砲が出てきた時はびっくりしましたけど、ジオーネの戦法や特徴を考えると納得です。そこってなんでも入るんですか?」
「入りますが食料は腐るので普段は武器収納のみです」
「あれ? じゃあ魔力回復薬はどうしてたんですか?」
「あのサイズですから普通に挟んでました」
魔法陣に触れなければ収納はされない。つまり、それよりも手前に挟んでいたのだ。
「だから人肌の温度感だったんですね。まぁ入り口が入り口だし保冷とかあるわけじゃないですもんね。お肉とかケーキが谷間から出てきたら色々とヤバいですし」
クスクスと笑うほど和やかに会話をしていたが、帰宅し玄関の扉が閉まった瞬間——イザンバはそれはもう勢いよく淑女の仮面を吹き飛ばした。
「それでアレは何事!!?? 火の天使って何のことですか!!!???」
「お嬢様のことです。見事な浄化をなさったじゃないですか」
「私は呪文を唱えただけで、あれは魔術師団の皆さんが魔法陣を作ってくれたから出来たんですよ!」
しれっと答えるジオーネにここでもイザンバは魔術師団の頑張りを伝えるが、その二つが揃ったから出来た事であり、彼女が賞賛を受けるのも当然だと使用人たちも思うわけで。彼らと共に出迎えていたヴィーシャも微笑みながら言う。
「素敵な天使を作られてましたやん」
「恐怖心をなくすようにってコージー様が言ったからです! それにイメージしたのはアズたんですよ! ノット私!」
イザンバは確かに天使をイメージしたがその像が違う。それなのにどうして自分が火の天使だと言われるのか納得できないと言う彼女にジオーネの方が納得がいった。
「成る程。お嬢様からは見えていなかったんですね」
「え?」
疑問符を浮かべる彼女にヴィーシャからにこやかに落とされた見知らぬ事実。
「あの時、ご主人様から魔力を受け取られたでしょう? 途中で火の天使の顔が変わってお嬢様にそっくりでしたよ」
「えっ⁉︎」
確かにイザンバはコージャイサンから魔力を受け取った。その時にイメージを書き換えられたのだ——彼女の想像力を上回るほど明確なイメージで。みるみる内にイザンバは青褪めた。
「つまり……もしかして……もしかしなくても……火の天使の顔=私で認識されているって事……?」
「はいっ!」
なんとここで使用人一同いい笑顔で声を揃えた。「うちの自慢のお嬢様だ」「見下していた奴、ざまぁみさらせ!」「お嬢様バンザーイ!」なんて一気に賑やかになった玄関ホールに一際大きな声が響く。
「いやぁぁぁっ! 人造黒歴史ぃぃぃっ!!!」
一人叫ぶイザンバにヴィーシャがコロコロと笑った。
「せやから言うたでしょう? 序の口やって」
「これも訓練です。お嬢様には王都中から賞賛を受けていただきます」
「嘘でしょうっ⁉︎ もうお外歩けないー!」
ジオーネが言ったあまりにも規模の大きい訓練にイザンバからは悲鳴しか上がらない。
悲壮感丸出しでおいおいと泣き出す彼女にシャスティとケイトが追い討ちをかける。
「え、でもお嬢様、何件かお茶会に出席する旨のお返事されましたよね?」
「明後日はオンヘイ公爵夫人主催のお茶会ですよー」
「ぬあぁー! そうだったー! なんとかして回避を……!」
仮病でも使いかねないイザンバにジオーネが容赦なく現実を突き付ける。
「無理です。公爵夫人から直々に確認されて行くと答えていました」
「ノォォォォッ!! …………詰んだ……」
叫んで落ち込んでクルクルコロコロと一人忙しない。そんな彼女をじっと見つめる薄緑色の瞳。
「どないしたん?」
「イザンバ様、あの場で叫ばなかっただけじゃなくて馬車でもずっと変わらなかったから。火の天使って呼ばれて満更でもないのかと思ってたんだけど……」
「普通に会話している分にはいいが、お嬢様のあの声量では外に漏れる。ご主人様がいらしたら防音魔法を展開なさっただろうが今日はご一緒してないからな」
「それが感情を制御するってことやろ」
二人の言葉にリアンはイザンバに視線を戻す。何かを考えるように、探るように、今までの様子を反芻しながらただじっと目を凝らした。




