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「リナ、聞きましたよ。可愛いって言われて凄んだそうですね」


「っ……!」


 イザンバの言葉にリアンはそれはそれは気まずそうに息を呑み、そっと目を逸らした。

 イザンバから事情を聞かされていた使用人たちは明るく、それはもう明るく美少女新人メイドを受け入れた。すでに暗殺者がメイドとしてお嬢様の側にいるのだから一人増えたところで今更誰も気にしない。

 しかし、そんな使用人たちが課題をこなそうとするリアンの前に立ちはだかる事になるとは彼も思ってもみなかったのだろう。

 使用人たちと顔を合わせるたびにまるで息をするように、日常の挨拶のように「可愛い」と言われるのだから堪らない。

 流石に手は出さなかったものの彼は元々沸点が低い。笑顔は瞬時に吹き飛び、睨みつける事を我慢出来なかった。

 ちなみに伯爵夫妻は猫可愛がりよろしく誉めそやした。これにはリアンがただただ俯いてやり過ごすほかなかったのは仕方なし。


「しかも計二十四回。五分に一回ペースですね」


「……申し訳ございません」


「謝らなくていいんですよ。改善した時に分かりやすくていいじゃないですか」


 小さく肩を窄めるリアンにイザンバは怒りのいの字もなくニコニコとしている。

 しかし、リアンの表情が晴れないのはこの後に待ち構えている時間を考えただけで気分が沈むから。


「ですが、それとこれとは話は別……。と言うわけでペナルティタイムです! シャスティ、ヴィーシャ、やっておしまいなさい!」


「はい!」


「お任せください」


 イザンバの号令にすっかり意気消沈したリアン。対して主人に負けないくらいニコニコとしたシャスティと容赦ない微笑みのヴィーシャ。

 二人に引き摺られていく姿を見送ったイザンバはのんびりとティータイムを楽しんだ。そして三十分後。


「可愛い〜〜〜!!」


 イザンバは歓喜の声を上げた。

 淡いパステルピンクの薔薇柄のワンピースを着て、それに合わせたメイクをしたリアンはまるでお人形のような出来栄えである。表情は大変不服そうではあるが。

 けれどもその愛想のなさもまた良いのだと彼女は相好を崩す。


「え、可愛い! リナ、マジ美少女。可愛いオブ可愛い! 可愛いの可愛いによる可愛いのための可愛いがここに存在している! やだ、私この空間にいていいの? いいんだ、ありがとう。鬼レベ、いや神レベで可愛いんだが! 可愛い、ねぇもう見て! きゃわ〜〜〜〜〜!!」


「その気持ちは分かりますけどお嬢様ー。可愛いを言いすぎておかしい事になってますよー」


 ケイトのツッコミもなんのその。イザンバはデレデレだ。

 一体どれだけ可愛いを連発するのか。彼女が壊れたスピーカーのように繰り返すほどのリアンの可愛らしさには満場一致で同意をいただいているのでよし。

 普段なら怒っているリアンもこれだけ言われると怒る前に圧倒されるのか、それともおめかしで気力を削られたのか。その表情はもはや無である。


「リナ、笑って!」


「無理です」


 しかしだからと言って笑えるわけではない。イザンバの要望にリアンは即座に無理と返すが、その程度で諦める彼女ではない。


「これはペナルティなんだから楽しく無かろうが嫌だろうがやるんですよ。はい、ニコーっ!」


 楽しくないのも嫌なのも分かっているからこそのペナルティだ。

 イザンバは自分の頬に指を当てて笑顔を促す。まるで小さな子どもを相手にしているように。

 渋々表情筋を動かしたリアンだがそれは笑顔と言うにはだいぶ固く、嫌々である事は誰が見てもよく分かる。


「んー……シャスティ、手鏡を用意してください」


 イザンバは顎をトントンと指先で叩くと、シャスティに指示を出す。その間にリアンに向き直り、高く上がったテンションを平常時のところまで下げると落ち着いた声で話しかけた。


「笑顔は顔全体で作るんです。まずはリラックスですよ」


 そう言って固まった表情筋を解すためにリアンの顔をマッサージしようと手を伸ばしたら、察したヴィーシャが手を上げた。


「お嬢様、それはうちがします」


「そうですか? じゃあお願いします」


 ヴィーシャは早速リアンを椅子に座らせ少し上を向かせると、背面に立ってマッサージを始める。すでに完成しているメイクを崩さないように顔はゆっくりと優しい手付きで、力の入りすぎた肩は少し強めに。

 暫くしてリアンの血色が良くなったところを見計らいイザンバがまた口を開いた。


「口元だけ意識してもぎこちない笑顔になるんです。だからね、こうやって頬から口角を少し上げて、上の歯を見せるように。それから目元は意識的に力を抜きます」


 まずは対面に腰掛けたイザンバが見本を。彼女は流石に手慣れたもので不自然さの欠片もなく微笑みを形作った。


「じゃあ鏡を見ながらリナもやってみましょう。頬から上に持ち上げる感じで……あ、下の歯は出さない。そう、上手です」


 そして、シャスティが持ってきた手鏡をリアンが受け取ると、イザンバの指示に従い表情を作る。


「次に目元を意識して……ああ、違います。目を瞑るのではなく目尻を緩める感じで……そう、下げるように……うん、良い感じですよ。そのまま保って——」


 そこには随分と印象の柔らかくなった笑顔がある。

 しかし、今のリアンにはまだ保つだけで精一杯で、会話どころかうんともすんとも言えない。もちろん楽しくないのに笑いたくないと言う思いもあるが、何よりも女性陣がこぞって覗き込んできて大層居心地が悪いからだ。


 ——でもこの笑顔も繰り返せばその内に癖になる。


 かつてのイザンバ自身がそうであったように。

 淑女の仮面の微笑みは自身を、そして情報を守るための鎧である。だからこそ、相手に付け入る隙を与えないように、剥がれ落ちないようにぺたりと貼り付けるのだ。


 だが、今はそこまで考えなくてもいいだろう。さて、ここでイザンバは大層にこやかに次の行動に出た。


「よし! リナ、こっち向いてくださーい!」


 なんと撮影機を構えたのだ。それに合わせてケイトとジオーネは照明係に早変わりである。


「写真まで撮るんですか⁉︎」


「こんな可愛いもの残さないわけにいかないでしょう! 驚いた顔も可愛いとかどうなってるんですか⁉︎ 早速いきますよー! あ、その前に膝、くっつけて下さいね」


 驚きによって崩れたリアンの表情。イザンバはそれすらも嬉しそうにシャッターをきると彼の一挙一動に注目しながらさらに言葉を重ねた。


「リナ、もう一回! はい、こっち見て! え、なに⁉︎ 次はあえての無表情でって事⁉︎ 任せてください! フゥーッ! それもお人形さんっぽくていい!」


 リアンに人形っぽくしようとしたつもりは全くないのだが、イザンバが一人盛り上がるので中々口を挟めない。そのまま黙って無表情を貫いた。

 イザンバは数枚撮った後にニコニコとしながらねだるように言った。


「でも、やっぱり笑顔が見たいなー。ね、リナ。笑顔をお願いします」


「いや、それは無理って言うか、そんなイザンバ様みたいにすぐ笑えないし……」


「そこは心配しなくても大丈夫ですよ! 私の腕の見せ所ですから!」


 元気よく上がった親指がリアンのやんわりした拒否を弾き飛ばした。

 リアンに求められている返事は『はい』か『イエス』のみである。


「シャスティ、私の隣で鏡持ってください。リナはこっち見て。さっきしたみたいに一つ一つ意識して……鏡を見ながらゆっくりで大丈夫ですよ。あ、ちょっと口角上げすぎです……そう、上手ですよー。目元は目頭じゃなくて目尻です。そうそう、もう少し緩めて……あ、今だ!」


 貴重なその一瞬を見逃さずに軽快に押されるシャッター。イザンバの隣でシャスティもその出来栄えにうんうんと頷いている。


「きゃー、可愛い〜〜〜! 次はちょっとだけ顔の向きを変えてみましょうか。……そう、いいですよ。目線は……あの花瓶に向けましょう。うん、上手です。あ、口角下がってますよ。いいですね、はい! その角度で止まって!」


 褒めて、ダメ出しをして、また褒めて。誰よりも楽しそうにイザンバは撮影機を構える。


「あの、イザンバ様。まだ撮るんですか?」


「もちろん! 次は全身を撮りますね。はい、立ってください」


 恐る恐る伺い立てるリアンにイザンバは満面の笑みを返す。

 やめるどころか別パターンでの撮影が始まってしまったのだから藪蛇だったのではなかろうか。


「片足を前に出して背筋を伸ばして。前に出した方の足の甲を撮影機に見せるように……そう。それで、かかとを少し上げた状態にしてみましょう。おお、流石ですね! リナ、立ち姿綺麗ですよ! バランス感覚素晴らしい!」


 立ち上がったリアンのワンピースの裾をケイトがさりげなく整えて。


「顎は軽く引いて手はお腹のあたりで指先を重ねるように組んで。ああ、肩に力が入りすぎです。こう、ゆったりと横に広げるイメージで……うん、上手ですよー!」


 そこに立っているのは上品な印象の美少女だ。


「あ〜〜〜、左右も煽りも俯瞰も、どの角度も天才的に可愛い! もう目が可愛いで埋め尽くされて幸せ! ありがとうございます!」


 カシャ、カシャ、と小気味よく続くシャッター音。もはやリアンは次々と飛んでくるイザンバの指示に従う人形となってしまった。


「笑って」

「視線を下げて」

「口角だけ上げて」

「遠くを見て」

「頬に手を添えて」

「表情を抑えて」


 リアンにとってはイザンバのお遊びに付き合っている感覚なのだろう。全くと言っていいほどやる気はなく目に力が入っていない。

 けれどもイザンバはそこに一切触れない。

 こうして、一枚撮るごとに褒めまくるイザンバの声がサロンに明るく響きつづけるのであった。




 さて、日が沈んだ頃。使用人部屋の一室でぐったりと椅子に凭れるリアンがいる。

 そんな彼のメイクを落としてあげたヴィーシャが労りを口にした。


「お疲れさん」


「うぅっ……なんかめちゃくちゃ疲れた……顔もだけど体の変なところが痛い……」


「普段使てへん筋肉を使たんやろ。ちなみにお嬢様は明日の分の衣装も用意してはるからな」


「早くない⁉︎」


 悲鳴に近い声を上げるリアンに薔薇柄のワンピースを片付けていたジオーネがさらに追い詰める。


「向こう十日分はあるぞ」


「ペナルティ確定してんじゃん!」


「今のリアンなら仕方がないだろう」


「くっ……!」


 それはリアンが誰よりも重々承知していること。だがしかし、どうしても不貞腐れた思いが顔を出す。


「でもこれでいいのかなー。写真まで撮り出してさ。もうイザンバ様が楽しいだけのお遊びだったじゃん」


「……ほんまにそう思てんの?」


「え?」


 リアンの言い草にヴィーシャは呆れたようにため息をついた。そして、不思議そうに首を傾げるリアンに彼女から見た視点で振り返り説く。


「写真撮る時の笑顔の作り方。感情を隠す時に仮面として貼り付ける訓練になってたやん」


「あ」


 ただでさえ使用人たちの可愛い攻撃に怒り疲れていたところ、おめかしでガッツリと気力を削られていたリアンはあの時点で思考がそこまで回っていなかった。

 課題である仮面を被ることすら出来ていなかった彼に、イザンバはペナルティと称し、さらに撮影機を向けて微笑みを被らせる事にしたのだ。

 それも笑顔だけでなく口元だけ、目元だけとさりげなく一部ずつを強調することで表情の動かし方を意識させながら。


「立ったり座ったりもリアンがスカートに慣れていないから考慮されたんだろう。どちらの動作でも足を開いているよりも閉じた方が女らしいしな」


 さらにポージングを丁寧にする事で所作の直しに繋がっているというではないか。


「そんなの……言ってくれなきゃ分かんないし……」


「お嬢様はリアンに自己研鑽をさせるのが役割だと仰っていた。ただ教えを待つのではなくリアンが自分で気づきを得て、その上で教えを乞えば答えてくださる」


「ああ見えてちゃんと考えてはるで。課題が始まった時からお嬢様がずっと『リナ』って呼んではったん気付いてた?」


 まるで可愛いと言われているのは『リナ』であると思い込ませるように。

 ただのお遊びだと思っていたリアンは目を見張った。課題をこなす事もイザンバの考えにも気付くことができないほど自分のことばかりになっていたのだと知ったから。


「それに珍しい事にお茶会に参加する予定も増やさはるみたいやしな」


「リアンのために、至れり尽くせりだぞ」


 確かに二人の言う通り至れり尽くせりだが、得た気付きに彼の表情はすっかり影を背負うものに変わっている。

 それでも、ヴィーシャはにこやかに言った。


「ま、これからも気張りや。ほな行ってらっしゃい」


「……どこに?」


「ストレス発散だ」


 疑問符を浮かべたままのリアンはジオーネに連れられていく。外で待つファウストの元へ。





 見送ったヴィーシャが思い返すのは待ち時間の合間の会話だ。


「あのね、リアンが戻ったら——……ストレス発散に付き合ってあげてくれませんか? 慣れない格好で、しかも怒りの感情を我慢するってすごく大変なんです。あと、私は可愛いを連発します」


「そないに連発したら怒鳴られてしまいますよ」


「そうですね。でも……リアンは私が相手だと無理にでも我慢するでしょ? この際だからそれで聞き慣れちゃえばいいんじゃないかなーって思って。もしかしたら、今日はそんな余裕もないかもしれないけど」


 そう言って彼女は軽く笑う。短い時間だがリアンにかかる負荷は相当で体力も気力も削る事は容易に想像できる。


「そう言う事ならお任せください。ファウストを呼んどきますわ」


「ご配慮ありがとうございます」


「いいえ。よろしくお願いしますね」


 さて、一体どんなストレス発散になるのか。だが、護衛たちの言葉にイザンバが持ったのは安心感だ。

 気心が知れた仲間であるからこそ上手くガス抜きをしてくれると信じて、彼女は本を読みながら時間が過ぎるのを待つ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今回、ザナがとても楽しそうで何よりですまあこれくらいの役得があっても良いですよね でもそんな中でもちゃんと考えてるザナは素晴らしい でも10日分か...頑張れリナちゃん
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