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父母と共に帰宅後、部屋で日常に浸るとイザンバは途端に恥ずかしくなった。
鏡台に映るその顔、瞼が少し腫れている。
「どうしよう……ものすごい醜態を晒した。あんなに泣いたのいつ以来だろう……しかも人前で……ああ、透明人間になりたい」
「そんなに泣かれたんですか? 珍しいですね」
「お嬢様はいつも読書と推しまみれで楽しそうでしたもんねー」
椅子に腰掛け、顔を隠す彼女にシャスティとケイトは柔らかな声色で過去を振り返る。
嫌味も嫉妬も受け流す事に長けたイザンバはいつだって関心を別のところに置いていて。それは自分自身のことでさえも。
父伯爵につられたとはいえ、コージャイサンのみならず公爵夫妻の前で大泣きした事に身悶えする彼女にケイトが呼びかけた。
「お嬢様ー。私が怖くて動けない時に側で気遣ってくださってありがとうございましたー」
「私たちも邸内から見ていましたけど、彼らを送り出すお嬢様はとても素敵でしたよ」
シャスティにまで改まって言われるとイザンバはどう返して良いか分からない。落ち着かなく目が泳ぎ、推しを語る時とは正反対の弱々しい声で言う。
「いや、そんな事は……。それにあの時はヴィーシャとジオーネが居てくれたから私も心強くて……」
「はい、そこまで」
また自分を過小評価する彼女の言葉をヴィーシャが手を打つ事で遮った。
珍しいその行動にキョトンとするイザンバの前にジオーネは跪くとその間を継いだ。
「お嬢様、どうぞご自身の功績に胸をお張りください。その努力をすると仰ったのをあたしは聞いています」
「そうですよ。あんだけの事しといて謙遜ばっかりしてたら嫌味になってしまいますわ。お嬢様は素直なタチなんやさかい、褒められた時も素直に貰といたらええんです。というわけで……」
ヴィーシャの微笑みが合図だった。
「お嬢様、よく頑張りました!」
四人それぞれが笑顔で、しかも声を揃えていうものだからイザンバはさらに目を丸くした。
「ほら、お嬢様もお嬢様を褒めてあげてください!」
シャスティは笑顔のまま迫って。
「私たちの事は仕事熱心だとか上手だとかすぐ褒めてくれるじゃないですかー。それと同じですよー」
彼女のやり方を示したケイトと。
「お嬢様、これは自信を持つための訓練です。まずは自らを褒めるところから始めましょう」
ジオーネは大真面目に言い切り。
「お嬢様流やと頑張った人を褒めて褒めて褒め倒すんでしょ。ほら、彼らを送ると決めて動いたんは誰ですか? 戦場に行くことを決めたんは誰ですか?」
答えやすいようにヴィーシャが問う。
「私、です……うん……私、頑張りました……みんな、ありがとうございます」
婚約者と両親たちに甘やかされた後とはいえ、今まで『自分は平凡だから』と躱してきた賛辞を真正面から受け止める事にイザンバはまだ慣れなくて。
優しい眼差しと言葉を向けられるだけで心はいともたやすく揺さぶられ、打ち震える。
ああ、今日はどうにも涙腺が緩い。コージャイサンの腕の中でこれ以上ないと言うほど泣いたつもりだったが、涙が再びポロポロと零れ落ちた。
さて、イザンバが泣き出したと言うのにメイドたちは焦る事なく冷やしたタオルを渡したり、背中を撫でたり、言葉を送ったり、お茶を用意したりと世話を焼く。
どうやら彼女がどんな反応を見せるのか、護衛たちから聞いておおよその予測はしていたようだ。
「うう〜……みんなが泣かせる〜」
当たり前のように差し出される労りに、イザンバは耐えきれず漏れた嗚咽を涙と共にタオルに染み込ませた。
「あら、こんなもんでへこたれたらあきませんよ」
「まだまだ序の口です」
「……どういう事ですか?」
疑問符を浮かべるイザンバに護衛たちはにっこりと笑む。そう、まだまだ序の口。一回でダメなら二回。二回でダメなら三回だ。
しかし、話題を変えるように、まるで今思い出したとでも言うように、ジオーネが重要なことを告げた。
「お嬢様、明日からリナが入ります」
「どうぞよしなにお願いします」
「はい、分かりました。シャスティとケイトもそのつもりでいてくださいね」
「はい」
ここには居ないリアンに変わりヴィーシャが頭を下げたので、イザンバも承諾の旨を返す。元々リアンの請け負っている仕事が終わったらと言う話だ。
しかしイザンバの表情が翳った事にジオーネが目敏く気付いた。
「何か問題がありましたか?」
「あ、いや、みんなもコージー様も休みなく動いて大丈夫なのかなって気になって……」
「ご心配には及びません。あたしたちは上手く休息をとっていますし、ご主人様もお嬢様が起きる一時間前までは隣の個室でお休みになられていました。他の小隊のメンバーも大部屋で休んでいだそうです」
「そうなんですか」
一応休んだと聞いてイザンバはホッと胸を撫で下ろした。
とは言え、自分と同じ時間だけ横になっていた訳ではない事くらい容易に想像できる。
——コスも見たいしお祝いもしたいけど、まずはゆっくり休んでほしいかも……。
なにせ昇格から出張、戻ってきてすぐにあの戦闘だ。その働きぶりの足元にも及ばない自分が褒められて、のんびりとしている事に申し訳なさを感じてまたキュッと肩身が縮こまる。
そんな胸中を知ってか知らずか、ジオーネがコージャイサンの行動報告を続けた。
「起きられてあたしたちの報告を聞いた後は公爵閣下とお話をされ、国内を四分割した一つを担当として残党狩りに向かわれる事が決まりました」
「四分割?」
「お守り三つとご主人様で四つらしいです。残党が呪いを持っていないとも言い切れないのでこれは念の為だそうですが」
「へぇ」
どうやら一人で国中を回るわけではないようだ。
それはゴットフリートの指示で。昨夜もそうであったが、作った本人よりもうまく使いこなしているのは流石だとイザンバは思う。
「そのお守りってこれと同じものですかー?」
「そう。これほんますごいねんで。二人も大事にしぃや」
「もちろんです! お嬢様の手作りなんですから!」
ケイトが見せたのはイザンバ特製のイニシャルを刺繍したお守りだ。
帰宅した伯爵から使用人たちへ事の顛末が説明されたのだが、それはなによりもこのお守りのことがあるからだ。
『災厄を跳ね除ける力が宿ったお守り』と言うだけでも欲しがる人はいる。
同じものは二つとない一点ものである事がその価値をさらに高めてしまい、金や権力にモノを言わせる輩が居ないとも言い切れない。なにせ王族すら持っていない代物だ。
だからと言って奥深くにしまい込んではイザンバの真心を無下にする事になる、と言われてしまえば使用人たちも困ってしまう。
だから伯爵は言ったのだ。
「所有者の名簿を防衛局に提出してあるから今まで通りにしてくれて構わない。ただし紛失には十分に気をつけるように。もし紛失した場合は速やかに報告しておくれ。防衛局が取り戻してくれるそうだよ」
とのお達しであった。
同じお守りを持ち、なおかつ戦場に行ったヴィーシャがすごいと言うのだから本当にすごいのだろうとシャスティは心底大事そうにエプロンのポケットに手を重ねた。
さて、コージャイサンの行動にはまだ続きがある。
「その後、小隊メンバーを叩き起こして残党狩りの準備を始めさせ、あれこれ聞きたい魔導研究部長の追及を交わし、迎えに来た二人を仕置きとして吊るされました。その足で騎士団長、魔術師団長にお礼と報告に行かれたところ『こちらに来い』との熱烈な勧誘を剣と術式で語り合い断られ。そしてお嬢様の元に戻られました」
「何その濃い一時間」
ジオーネの口からつらつらと述べられた行動は情報過多にも程がある。
それはイザンバが縮こまるのは筋違いだと言うほどで。
魔道研究部長のくだりは先ほど聞いていたが、それにしても起き抜けからよく動くものだと彼女はすっかり感心する。
——コージー様は一度決めたら行動が早いし、人の事もよく見てるから指示は的確なんだけど言葉を省略しがちだからなぁ。随行してた騎士様たちだいぶ大変そうだったし。
広場にコージャイサンを追って駆けてきた小隊の騎士たちが肩で息をしていた事に対して彼自身はいつもと変わらなかった。
もちろん回復や身体強化をうまく使っているからだと今のイザンバなら理解はできるのだが、コージャイサンはそういった諸々を懇切丁寧に説明する人ではない。
騎士たちが基本スペックが違いすぎると絶望しなければいいのだが。
—— 集中すると時間とか空腹とか全部すっ飛ばすし、騎士様たちが休憩を取りにくくなってなければいいけど……。なんか違う意味で心配になってきた。
好奇心と集中力が発揮されれば人としての最低限の営みすら蔑ろにする彼だ。かと言ってイザンバは仕事について行くことは出来ないし、少尉という地位にはまだ副官は付かない。
ふとイザンバはコージャイサンに付き従う彼の事を口にした。
「ねぇ、イルシーってあれからずっとコージー様と一緒に行動してるんですよね?」
「そうです」
「じゃあ、小隊の騎士様に上手に声かけて……ないかー」
「ないですね。イルシーがそないな事する訳ありません」
期待を込めた顔から一転。ヴィーシャと揃って確信を持った顔でイルシーの行動を断言した。
「アイツはついて来れない者は容赦なく置いていくような奴ですから」
「ですよねー」
ジオーネもフォロー一つ言わないのだから彼の行動は昔から変わらないのだろう。
イザンバは諦めと納得の言葉を返すしかない。
「もしも気にしよっても『この程度でへばってんのかぁ?』って言いながら鼻で笑うとこしか想像出来ませんわ」
ヴィーシャが麗しい顔を顰めて言った言葉は全員の同意を得るもので。
「あー、言いそうー」
「あの言い方は心底ムカつく」
「そりゃそうですよ! あの男、本当に腹立たしい……!」
ケイトは笑いながら、ジオーネとシャスティは怒りを湛えた。
彼女たちの様子にイザンバはクスクスと笑う。色々と心配ではあるが、今更ここであれこれと気を揉んでも仕方のない事だ。
コージャイサンはもちろんの事、小隊のメンバーも無事に帰って来れるよう窓の外に視線を向けたイザンバはそっと祈った。
彼女から穏やかな雰囲気が漏れるとメイドたちの表情も自然と和む。
ケイトがお茶を勧め、一息ついたところでヴィーシャが落とした爆弾発言。
「その後はお嬢様もご存知の通りです。ほんまはお休みになられる時、隣の部屋に行かんとそのまま同衾したらどうですか? って勧めたんです。そしたらまぁえらい冷たい目を向けられてしまいましたわ」
ヴィーシャはコロコロと笑っているが、イザンバは飲みかけのお茶が別のところに入った。それはそれはひどく咽せている。
「あらあら。お嬢様、大丈夫ですか?」
「だい、ゴホッ、じょぶっ——って、人が寝てる間に何を勧めてるんですか!」
「戦闘後で昂ってるし、せっかくやから既成事実もと思て」
「皆まで言わないで!」
キラキラエフェクト付きのいい笑顔で言うヴィーシャに対してイザンバの顔が赤いのは咽せたせいか、それともナニかを想像したからか。
「両思いやしそもそも婚約者やし問題ないのに、なんであないに初夜まで待つて頑ななんかと思てましたけど……。今日のご両家の歓談を見てたら意味がわかりましたわ」
「お嬢様を娶るからこそ多大な愛情を向けられているご両親への誠意。ご主人様なりのケジメなのでしょう」
「同衾したら絶対手ぇ出してしまうでしょうしね。お嬢様、ご結婚後は覚悟しといた方がええですよ」
遠いようで近い未来を想起させて。
咽せた直後よりも頬を赤く染めたイザンバ。こうなれば、やはりシャスティとケイトは盛り上がるしかないだろう。
「きゃー! それって『今夜は寝かさないぜ』ってやつですねー!」
「婚約者様のご寵愛を一身に受けるお嬢様! 実に愛いー!」
言葉で、表情で、嬉しさを表すメイドたちはまるで自分ごとのように喜んで。
けれどもニヤニヤとした顔をシャスティはキリリと表情を引き締めた。
「愛されているお嬢様はさらに肌ツヤ良くなりますよ! 昼夜逆転の心配もなくなったし、結婚式に向けて心身もお肌も整えていきましょう! いざ、肌荒れ撃退!」
「シャスティ、頑張ってー!」
メラメラと闘志を燃やす彼女にケイトもエールを送る。
イザンバはその熱気に少しだけ気後れしながらもクスクスと笑った。
「わぁ、やる気満々ですねー」
「何言ってるんですか! 外側だけじゃなくて内側から磨くんですよ! お嬢様もやる気出してください!」
「……おー!」
これは怯んでいる場合でも他人事のように笑っている場合でもなさそうだ。
叱責されて自分を鼓舞するように、期待に応えたいと願う心を抱いてイザンバも拳を上げた。




