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続・残念だったな。うちの婚約者はそんなことしない。  作者: 雪椿
影も踊った新月 ★残酷描写あり
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 夜空に黒い月が浮かぶ。

 その夜よりも濃い黒をイザンバは書庫の中腹の一人掛けのソファーから不安気に見つめ、ポツリとこぼした。


「だから……環境条件が雲のない新月なんだ」


 それは空に冥府への入り口がぽっかりと開いたようで、不気味な影を地へ落とす。まるで招かざる客が今にもやってきそうだ。

 反魂の術式の環境条件にピッタリだと、イザンバは一人納得する。


 祓う術があるなら呼び寄せる術も当然ある。


 そうは言っても死という概念は覆すことは出来ない、いや、覆してはならない今昔に通ずる理だ。

 ふと、イザンバの脳裏に過ぎる英雄が大事にした愛しい妻と同じ色合いの鳥の話。


 ——そう言えば、鳥にも帰巣本能があったっけ……。


 遠く離れた場所からでも馴染んだ場所に帰る事が出来るその習性が、死地から蘇り姿を変えて愛する人の所へ戻ったように見えたのだろう。


 かの英雄がまた笑えるようになったのは妻を彷彿とさせる鳥がそばに居たからで。

 ——種族がちがっても

 例えばその噂は悪意ではなく、古代の人々の誰かを思う切なさが元となったのなら。

 ——性別がちがっても

 思い合う二人の潰えた未来がこうであって欲しかったという願いだったのなら。

 ——時に限りがあっても


『王は理を侵して最愛の妻を死地から呼び戻したのではないか』


 その真偽は分からない昔話。

 希望を込められた御伽話か、それともただの与太話か。

 元を辿れば恋し恨めしの人情話だ。

 そして、恋しい人を、最愛の人を、亡くしたら……きっと誰もが一度は願う再会の涙話。


 ——私も……。


 自分がいなくなる分にはいい。思い出という過去にして、彼には未来を、幸せを掴んで欲しいとイザンバは思う。

 けれども、それが逆だったのなら……。

 コージャイサンの存在がこの世から消えてしまったのなら。


 それは交わしている言葉が、触れ合える手が届かなくなるということ。


 今、イザンバが瞼を閉じても、記憶に新しい彼の姿は鮮明に思い浮かべることができる。

 例えばイザンバが一人騒いでいても「しょうがないな」と言いながら受け止めてくれるところも。

 舞踏会の混ざり合う香水に苦戦した時、悪夢に苛まれた時、包み込まれるだけで安らぎを与えてくれた彼の香りも。


 ——それがなくなったら悲しい。けれど、きっと……それ以上に寂しい。


 時が経つほどに人の記憶は薄れていく。

 最初に声を。

 次に顔を。

 触れ合った感触も、共に囲った食事の味も、混ざり合うほどに近かった香りも。

 そして、最後には思い出さえも——。

 だから人はもう一度会いたいと願う。

 夢でも、幻でも、姿形が違ってもいいから。

 その悲しさを、寂しさを、伝えたくて。

 当たり前に続くはずだった日々に伝えきれなかった想いを言葉にしたくて。


 ——でも、それで禁術に手をつけるのは……なんか違うような。いや、分かんないわけじゃないけど……。


 それは考えても詮無き事で、多くの人が叶わぬ夢と理解して、大切な人を失った現実を受け止めて生きていく。

 そこまで考えてイザンバがその表情を固めた。そして、あっという間に真っ青になってしまうではないか。


「あれ? 私、禁術知っちゃってるけど……え、もしかして防衛局に消される?」


「ジオーネさーん、お嬢様が急に物騒なこと言い出しましたよー」


「……それはこの前の日記の話ですか?」


 本棚の死角にならないギリギリの位置で控えていたケイトがのんびりとジオーネに回し、ジオーネは主人が来た日を振り返る。

 ところがイザンバは自分の発言に少しばかり混乱をしているようだ。


「だって禁術って禁止されてる術式だから禁術なんでしょ!?」


「お嬢様、落ち着いてください。ご主人様の婚約者と言うことはオンヘイ公爵家の庇護下にあるということです」


「それは危険物指定ってことですか⁉︎」


「違います。古代語が読めるんですからどちらかといえば貴重な人材です」


「いや、コージー様も読めるし、防衛局では普通にいるっぽいですよね?」


 変人の巣窟を基準にしてはいけない、とジオーネは思う。

 確かに防衛局には読める者もいるだろう。しかし、ごく普通に生活している一般人は読めないし、形を見たところでまずピンとこないものだ。


「お嬢様は今一度『普通』や『平凡』の意味を正しく認識されるべきかと」


 これはジオーネが最近しみじみと思ったことで。されど、イザンバはキリリとした表情で真面目に返す。


「普通とはいつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないことです。平凡はここと言うすぐれた点もなく、並なことです。つまり私!」


 両親指で自分を指しながらイザンバが見せるいい笑顔。初めて会った時ならジオーネもこの言い分に納得しただろう。だが、今は……。


「改めてください」


「私もその方がいいと思いますよー」


 なんと、ここでケイトの援護射撃だ。これは頼もしい。


「えぇ……。まぁ、どうせ私の魔力値は平均だし。禁術、しかも古の術式なんて使えないんですけど」


 イザンバの言葉にケイトとジオーネは顔を見合わせて苦笑を浮かべる。仕方ないな、と。

 そんなメイドたちの反応に不貞腐れたイザンバはまた一人、思考の海に戻った。


 ——コージー様だったら使えちゃうかもだけど……。


 絶対零度も《自業自得(インフェルナーレ)》も撮影機も、コージャイサンは「面白い」と言ってその翡翠を煌めかせていた。

 時に冷たさを纏うけれど、いつだって微笑み返してくれる柔らかな眼差し。

 最近直視しづらいのはそれが色濃く艶めいて、驚くほどの甘さを、色香を含んでいるからで。

 そんな翡翠に見つめられるだけで胸が締め付けられて苦しく、それ以上に熱くなる。


 そう考えると同時にイザンバの顔も赤く色づく。乙女思考になった自分に気付くと、彼女は勢いよく肘置きに頭を打ちつけた。


「今の音、なんですかー⁉︎」


「……なんでもないです」


 控えていたケイトが心配の声を上げるが、イザンバは顔を上げられない。

 別に悪いことはしていない。けれど、思い出して悶える自分を見られる事に抵抗がある。

 こっそりと視線をあげればかち合うつぶらでキリリとしたお目目。


「やだー。ぬいちゃんたらそんな顔で見ないでー」


 そう言ってぬいの視線を外に向けた。今は無機物の視線といえども耐えられない。

 そしてイザンバは一つ唸り、大きく深呼吸して思考の切り替えを試みる。


 けれどもそんな制御をものともしないのが恋心というもの。

 脳裏にまた呼び起こされるコージャイサンの姿。それはまるで「会いたい」と願う心の内を曝け出せとでも言うように。


 ギュッと抱きしめてくれる力強さには安心するのに、そこで蕩けた翡翠を向けられると途端に落ち着かなくなる腕の中。

 すっかり耳に馴染んだ声は聞いていて心地いいのに、愛称を呼ぶ声の性質が変わるとそれだけで羞恥が走る。

 緩く口角の上がった唇はいつだって余裕を醸し出していて、そして……触れた時のあの熱さも——。




 イザンバのヤキモチから二人きりになったあの時。

 まだ足りない、と一度どころかそれよりも進むことを望んだコージャイサンは、イザンバが恥ずかしさから慌てふためいていると分かっていながら再び唇に触れた。


 それは宣言通りにレベルを上げてきて。


 イザンバの口内を彼の舌が優しく撫でたあと、戸惑い隠れるように縮こまっていた舌を捕えられた。

 深く、浅く、角度を変えながら絡みつくが、イザンバの反応に合わせて探るように、そしてその柔らかさを味わうようなゆったりとしたものだ。

 けれども突然のレベル上げにいっぱいいっぱいのイザンバは。

 ——絡まる感触に

 ——溢れる水音に

 ——抜ける吐息に

 羞恥が一層そそられる。

 そればかりか背中を伝い上がるぞくぞくとした感覚に身が震えてしまうから。

 息継ぎさえもままならないほどに高鳴る自分の鼓動に怯えて縋るように、助けを求めるように、コージャイサンの手を握りしめた。

 すると、それに気付いてくれたのか彼が唇を離した。

 酸素が頭に回っていないからか、初めての深い口付けに酔ったからか、瞼を押し上げたイザンバのぼんやりとする思考にとろりと甘く濡れた翡翠だけが映る。


 ——きれい……。


 けれども、呼吸が整ってくると間近で向けられている事を理解して羞恥が勝る。思わず俯いて訴えた。


「……コージーさま」


「ん?」


「恥ずかしいから……こっち見ないで、ください」


「んー……それは無理だな」


 さっきから少しも聞き入れてくれない彼にイザンバは不満を覚えた。

 だが、コージャイサンはそれでも笑む。絡めとっていた手を解放する代わりに持ち上げられた顎。


「こんなに可愛いから」


 すぐに離れた一瞬の触れ合いなのに、絡み合う視線が蕩けていって。


「もっと、見たくなる」


 逸らせない視線と近すぎる吐息、真正面からぶつけられる色香にイザンバの頭はショート寸前だ。体を捻り、なんとか逃げようと試みる。


「も、おしまい……」


「ザナ」


 けれど終わりを告げようとしても翡翠が、声が、手が、甘えてむずがるようにもう少しと呼びかける。

 そんな状態で愛称()を呼ばれては敵わない。


「……意地悪」


「うん」


 耐えかねたイザンバがキッと睨み付けてもコージャイサンの表情は柔らかいまま。


「知ってる」


 ただ声はその自覚を持って近づいて、手が退路を塞ぐように後頭部に回る。

 そうやって、言葉は甘く混ぜあった吐息の中に溶けこんだ。





「違う! 一旦落ち着こう、私!」


 これはなんという自爆だ。イザンバは冷静さを求めて、それはもう盛大に頭を打ちつけた。

 普段のクールさと正反対の情熱的な口付けに翻弄された事が蘇ったイザンバの顔はすっかり茹だって赤くないところがないほどだ。これ以上を思い出せば溶け出すのではなかろうか。

 この際だ、肘掛けの使い方が間違っている事は横に置いておこう。

 しかし、イザンバの奇行にケイトの戸惑いは置いておけない。


「お嬢様、さっきからどうしたんですかー⁉︎」


「なんでもないです! ちょっと頭が沸いただけ!」


「それ、なんでもないって言わないですよー!」


「本当なんでもないから! 気にしないでください!」


 強く言い切るイザンバにケイトは困ったように眉を下げると彼女の側による。そして、そっと前髪を避けた。


「本当に大丈夫ですか? あ、おでこ赤くなってますねー。すぐに冷やすものを持ってきますから大人しくしててくださーい」


「はーい」


 ケイトはイザンバの返事を聞くと踵を返した。

 ジオーネの前まで来ると彼女は谷間から手のひらサイズの銃を取り出してケイトに差し出した。さて、これで何をしろと言うのか。


「これは鉄だから冷たいぞ」


「うーん、谷間(そこ)から出した時点で人肌に温まってるかなー?」


「ダメか……」


 にこやかにケイトが使えないと言えばジオーネの肩がしょんぼりと下がる。


「お気遣いは伝わりましたよー。私は席を外すので、ジオーネさんあとお願いしますー」


「任せろ」


 その言葉にジオーネはさっと表情を引き締めた。

 また銃を谷間にしまっているが、この護衛は存外素直で、それでいて頼り甲斐があるからケイトの頬も緩む。

 そんな二人のやり取りをよそにイザンバは火照る頬を手で扇いだ。


「あっつ……」


 そして、闇夜に姿を隠した月を仰ぐ。導いてくれるような輝かしさも、見守ってくれるような柔らかさのない黒い月でも彼の色だと思えば怖さはない。

 イザンバは生き霊に襲われたあの日から、どうしても彼の安否が気になった。

 けれども、仕事に口を出せるわけもなく、自分の不安を紛らわせながら一心に刺繍したお守り。


『これがあれば俺はどこにいてもザナのところに戻ってこられる』


 コージャイサンは強い。あんなものがなくても今までだって危なげなく帰ってきた。

 それでもここに、自分の元に戻ってきてくれるというのならば……。


 ——どうか、無事でいて。


 見えない月に、ただ、それだけを祈る。


「きゃあぁぁぁぁあ!」


 しかし祈りを遮るケイトの叫び声が、イザンバの不安とジオーネの警戒心を煽った。

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― 新着の感想 ―
[一言] ザナがすっかり恋する乙女に...ホロリ しかしコージャインサン様けっこうグイグイいきますね(笑) でもザナいい加減認めようあなたは平凡じゃあない絶対‼️
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