7★
※注意※
これより先はコージャイサンの部下である暗殺者の彼らがお仕事をする場面でございます。
暴力が振るわれ、血が出ます。人が死にます。
そのような『残酷な描写』を過分に含んでおりますので、苦手な方はご注意ください。
また読まれた方におかれましては自己責任の範疇ですので、読後の「気分が悪い」「通報します」などのクレームは受け付けません。
あらかじめご了承ください。
ただし「良くできましたー!」などの感想は大歓迎です。
繰り返します。
この先は暴力、流血、殺人など『残酷な描写』を含んでおります。
「お前を推してやんよ!」という精神的猛者の方のみお進みください。
注意は読みましたか?
大丈夫な方のみお進みください。
戦闘になった途端、風を纏い『商人』がまたイザンバに変化した。
そして妖しい微笑みを浮かべ、からかうように顔を近づけてくる。見慣れた茶髪がイルシーのフードを掠めた。
ここでもイザンバの顔を利用してくるとはいっそ清々しい。
中毒者である『商人』はすでに痛みを感じておらず、ハナから防御を捨てた痩せた体に似つかわしくない重い攻撃とタガが外れた動きでイルシーを翻弄する。
姿勢を低くして彼が狙うはイルシーの足。相手が飛び上がった所で床に両手をつき脚を勢いよく振り上げると、丁度『商人』の踵がイルシーの腹の傷に当たる。そのまま風圧を加えて壁に向かって蹴り飛ばした。
対するイルシーも壁にぶつかる直前に圧縮した空気で自身の背中側にクッションを作り衝撃を吸収させる。
同時にグッと足の裏で壁に踏ん張り、そのまま反動をつけて逆手に構えたナイフごと勢いよく跳ね返った。纏う無数の風弾とともに。
重くなったナイフが擦れ合うひどく耳につく音が場を乗っ取った。
肉薄した攻撃から防御、そしてまた攻撃。ナイフが、風が、鋭く相手の急所を狙い、部屋の中で高い金属音が幾度も響く。
飛び違う鋭刃の行先は相手のみならず壁や天井、檻の中の人にまで至る。
『商人』は重点的にイルシーの腹の傷を狙い、そして、狙われ続けたそこは激しい動きについてこれず再び血を流した。
——クソッ、やりづれぇ。
彼が中々決定打を入れられないのは痛む傷のせいか、それとも……。
「流石にあなたもこの女には手を出せませんか?」
女っぽい声だがすでに耳に慣れたあの声ではない。
荒々しくナイフを振り回す姿に淑女らしさはない。
それでもその見た目に脳が「手を出すな」と錯覚するのだから厄介だ。
「全くあなたと言いあの男といい、こんな平凡な女のどこがいいのやら」
そう言えるのは自分が優位だからだろう。
髪を払い、勝ち気に笑む姿を『商人』とするか、イザンバとするか。決まっているからこそ、イルシーは言う。
「アンタ、分かってねーなぁ」
「……なんだと?」
「イザンバ様は平凡に見えるだけだぜぇ。本質はアンタが思ってるよりも奇々怪々で強かだしなぁ」
本当に平凡なら
——主の目に留まるものか
——公爵家が八年も時間を割くものか
——同郷が気を許すものか
一見浅く見える器の、底しれぬ彼女の真価は今や主人一人が知るものではない。
「あの人は——……誰よりもコージャイサン様に似合いのイイ女だ」
そう言ってイルシーは一層フードを目深に被り、さらに視覚を閉ざす。見た目に惑わされるのならば見なければいい、と。
彼女がしたように匂いを、それ以上に音を、気配を、感じればいい。
ここが奈落の底でも敵を捉え動く。彼はそれだけの修羅場をくぐってきたのだから。
イルシーの言葉を理解出来ないとでも言うように『商人』は鼻で笑った。
「この程度をいいと言うその美的感覚……相入れませんね。そんなだから姫を妬み殺したのだ」
「言ってろ。ンな事実はどこにもねぇ。なに? お前、文字も読めねーの?」
「そうやって煽る事しか言えない低脳な猿め」
「ハッ。ならその猿がいる国を欲しがるお前は猿以下だな。ああ、だから国が落ちぶれたのかぁ。能無しの猿以下しか居ないんだもんなぁ。そりゃ地力も人材も豊かなハイエ王国が羨ましくて欲しくなるってもんだよなぁ」
「貴様っ……!」
視覚を閉ざした効果覿面。加えて会話をしたのも良かったのだろう。
イルシーの脳は敵を正しく『商人』として認識し、ナイフを振るうことに抵抗がなくなった。
まただ、と『商人』は思う。
防衛局といい、目の前の男といい、こうやって突然動きが変わるのだ。躊躇のなくなったイルシーの攻撃に彼は泡を食う。
——防げていた攻撃が身を削る
——届いていた刃が空を斬る
だが、それは双方に当て嵌まる事。
明確な殺意を乗せたナイフは鋭さを増して、ジリジリと互いの体に小さな傷を増やしながら、それでも攻撃の手を緩めはしない。
間合いを詰めるイルシーに床に落ちていた女性を『商人』が盾にするも彼は止まらない。
そのナイフが女性に刺さり切ったところで相手に押し付けるように風を放とうとして、拮抗する力のなくなった女性が大きく傾いた。
すぐに気付き、ギリギリで躱した背中側からの襲撃。躱される事を見越したイルシーの口が音もなく動く。能無し、と。
ブチリ、と何かがキレた音がした。辛うじて保たれていた女の声ではなく、それは腹の底から出された『商人』の声。
「レイジア姫を妃に迎え入れ、その高貴なる血を分け与えられたハイエ王国には我々を助ける義務がある! 婚姻が結ばれた時からここは我らの国の一部なのだ! それなのにいつまで経っても援助の一つ寄越さない! 能無しは貴様らの方だ!」
怒りの言葉は鋭い刃となってイルシーに向かう。その攻撃を紙一重でいなすイルシーの口元はまるで彼を挑発するように弓なりのまま。
「姫の血を受け継いだにも関わらず無能ばかりが蔓延って! 姫の御身が、魂が、眠るこの地を任せられるものか! この国は我らのもの! 姫を真の統治者としてお迎えする! 誰にも邪魔はさせぬ!」
怒りは大きく渦を巻き進む。床を、天井を、削りながら一直線に敵目掛けて。
あっさりと壁に大穴を開けてしまうが、彼の元には悲鳴でも苦悶でもない不愉快な声が届いた。
「ハハッ。じゃあさぁ、そんなお前にイイコト教えてやるよぉ。これからお前が言っていることと逆が起こるぜぇ」
「逆……?」
怪訝な表情になる『商人』に対してイルシーは勝気に口角を持ち上げる。
そして、オンヘイ公爵邸で決定された未来を告げた。
「お前の国はハイエ王国の一部となる」
「何を馬鹿な事を! そんな事、あるはずがない!」
「何言ってんだよ、現実見ろよなぁ。戦争ふっかけて負けたら戦勝国の属国になるのは当たり前だろぉ」
「違う、戦争ではない! ここは我が国の領土であり、我らは……我らは正しい歴史の主張をしているだけだ!」
「へぇー、すごいすごい。で、誰がそれ信じんだぁ? 軍事戦争じゃなかったらハイエ王国が誇る最強の男が率いる防衛局に勝てると思ったのかぁ?」
二の句がつげない『商人』の雰囲気から悔しさと落胆が滲む。立ちはだかるそれは敵わないと知っているからこそ目を逸らした相手。
小物や若者ばかりに目をつけたのも甘い言葉で簡単に丸め込めると考えたからだ。
「お前のせいだ」
「…………なに?」
疑問の声を上げる彼に歪な三日月は諄々と説いて聞かせる。それはいっそ親切とも言える声色で。
「お前が俺に目をつけられなければこうはならなかった」
「お前がコージャイサン様に固執しなければこうはならなかった」
「お前がイザンバ様を侮らなければこうはならなかった」
「お前が防衛局に喧嘩を売らなきゃこうはならなかった。ほら、ここまで言えばもう分かるだろぉ?」
気配を頼りに近づき、『商人』にとっては高貴な音色が耳元でそっと囁いた。
「祖国が滅びるのは————お前のせいだ」
姫の声で囁かれたそれは彼の脳の奥深くまで染み込み、老若男女の声で諄々と繰り返される。
『お前のせいだ』
『オマエのせいだ』
『お前ノせいダ』
『おまえのセイだ』
『オ前ノセイダ』
「違うっ!! 黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇえ!!!」
否定の声と共に風が唸り、すっかり化けの皮が剥げて痩せた糸目の男の姿に戻った『商人』にイルシーはほくそ笑む。
ここで今度はイルシーは風を纏い、男の左肩に自身の右足をかけ踏み倒した。驚く彼をさらに追い詰める為にフードの中から現れたのは姫の顔だ。
姫はゆっくりと男の右側に腰を下ろす。その眉は下がり、か細い高貴な声が紡いだのは横柄な哀れみだ。
「お前はなんと不憫な子なのだろう。なんと無様な子なのだろう。勇んで乗り込んだ先では何の功績も上げられず、誰にも認められず。ああ、なんと痛ましい子なのだろう」
そして姫は慰めるように、傲慢さを隠すように『商人』の頬に触れた。彼はただ呆然と姫の顔を見上げるばかり。
その姿に、イルシーが姫の顔で嗤う。
「お前は一人ここで朽ち果てる。…… ハハッ、ハハハハハハ! ゴミクズには似合いの最期。あー、カワイソウに」
「誰がっ……誰がゴミクズだ! 我らを愚弄するなぁぁぁ!」
呪いによって底上げされた魔力が暴れだした。それはイルシーを吹き飛ばし、暴虐の渦が無差別に牙を剥く。
イルシーも姿を元に戻すと、穴の空いた壁から外に出て瞬時に練った魔力。対抗するように放たれた硬質な竜巻は『商人』の渦と噛みつき合った。
その影から飛び出した黒い獣を紫銀が阻めば、イルシーは場違いにも楽しげに笑う。
耳の奥を引き裂くような激しい音の旋律。ナイフと風は互いを押し返し、絶え間ない衝突音は殺意を乗せて乱れ飛ぶ。
ここで『商人』が一枚の布を出した。刺繍された魔法陣を介した風はより太く、より大きな暴風となり、部屋の中に留め置けるものではない。
——壁は破れ
——天井は落ち
——床は抜け
——柱は軋み
ついには別荘を内側から食い破った。
風に乗り外に飛び出した二人。荒れた夜の庭を二人から舞い散る赤だけが彩りを与える。
衝撃を受け止める足が土を抉り、放たれた風が木を薙ぎ倒せばさらに荒廃は進んだ。
にわかに別荘の左後方から大きな音がした。二度、三度と続く音にニィッと唇で弧を描いたのは『商人』だ。
「ふっ、ははははははっ! あの音を聞いたか! 我らの仲間が召喚したゴーレムだ! それも一体ではないぞ! アレを止められるか⁉︎」
その言葉にイルシーもそちらに視線を向けた。そこからはもうもうと土煙まで昇っている。
ナイフを下げ、肩の力を抜いている姿に諦めたとでも思ったのだろう。『商人』は喜色満面でそれはそれは声高に宣う。
「まんまと騙されたな! だから貴様らは猿なのだ! いくら私を追い詰めようとも結果は変わらない! アレを止めるには戦力が必要だ! 防衛局長も手を取られるだろう!」
動かないイルシーに彼の気持ちは昂る。
二本目の土煙が昇るその向こうで今、誰かが一つの勝利を掴んだ。
「あの土煙は我ら仲間の勝利の狼煙! 姫はすでに復活の地に向かわれた! ここが正しく我が国の領土だと、我らの正しさを世界が知る! もはや時間の問題だ! ははははははっ!」
「なぁ……」
「あははははははっ!」
「ゴーレム、もう止まるぜ」
「ははは……は?」
イルシーの言葉に『商人』の笑い声が止まる。
耳を澄まし風の音を拾えば、気合の入った雄叫びが聞こえる。自らを鼓舞し、仲間を支え、連携をとりゴーレムに挑む騎士たちと魔術師の声。
そして同時に嘆き、逃げ惑う頼りない声も拾う。
あっさりと手のひらをすり抜けていく勝利。あまりにも分かりやすく愕然とする彼に、耐えきれずイルシーが吹き出した。
「アンタ、誰があの小隊を率いてると思ってんだぁ? ゴーレムごとき敵じゃねーし。それに防衛局長を始めとした大物は王都に残ってるしなぁ。姫さんの復活もねーよ」
「…………なぜ……?」
「お前らが何を狙って動いてたかくらい防衛局はお見通しなんだとよ。ハハハッ」
笑うイルシーの口が音もなく動いたように見えた。能無し、と。
「——戯言ばかり抜かすなっ!」
感情任せに『商人』は風弾を撃ち、呪いを放ち、魔獣を呼び。
それは癇癪を起こした子どものようで、調整の効かなくなった蛇口のようで、喚く音に意味はない。
——風には風を
——呪いには紫銀を
——魔獣には刃を
焦ることもなく冷静に捌くイルシーがまた彼の癪に障り、跳ね返された呪いで左腕に深く傷が入った。
「へぇ。呪いってそういう風に返るのか」
そんなイルシーの楽しげな声に虫唾が走り、悔しさから噛み締めた唇に血が滲む。
そこへ転がるように飛び込んできた一人のローブの男。
「おい! なんだ、あの小僧は! あんなのがいるなんて聞いてないぞ!」
吐き出されたのは誰かに頼り切った恨み言。不快感に『商人』が眉を顰めた。
「アイツ、あっさりとゴーレムを斬りやがって! 他の騎士も調子に乗って! 呪いもだ! 足止めにもならねぇ! なぁ、アレはなんなんだよ!」
「あれは……」
会話の最中でキン、と冷気が肌を刺す。『商人』の目の前で逃げてきた男が氷漬けになった為だ。
冴え冴えとした氷の向こうに闇夜の如き黒い髪、切れ長で翡翠の瞳の軍服を纏った男が一人。
——最高の姫の為の飾り
——最良の魔力の元
——最悪の……邪魔者
『商人』の目がコージャイサンを捉えた。
「おのれ……おのれぇぇぇえ!!!」
彼は驚くほどの瞬発力を発揮してコージャイサンに向かって飛び出した。強く蹴られた土が抉れ、駆ける速さは烈風の如く。
「お前さえ……——お前さえ大人しくいう事を聞いていればぁぁぁっ!!」
力の込められたナイフ、四方八方から飛びかかる風刃、恨みつらみの籠った血走った目。一気に距離を詰めた憤怒の形相に、しかしコージャイサンが剣を構える様子はない。
相手が後もう一歩踏み出せば届く、その一瞬————鮮烈な朱に染まる視界。
鮮やかで、艶やかで、咲き誇る薔薇のような夜に映える緋。それは『商人』の首から咲いた紅。
背後から烈風を越す勢いで追い付いたイルシーが『商人』の頭を鷲掴み、後ろに引いた。そして無防備に晒された喉をナイフで掻き切ったのだ。
食いしばった歯だけがイルシーがどれだけ必死で駆けたかを知る。
『商人』の体はそのままコージャイサンの横をすり抜け、頭を押さえつけられた状態で地を滑った。
ヒューッ、ヒューッと切られた喉から漏れる空気の音。まだ息がある彼は天を仰ぐその片眼で憎き敵を探す。
そこへ遮るように現れた群青。聖母のような笑みを浮かべながら、手は命の一欠片さえ残さぬようにナイフを振り下ろす、その無慈悲さを最期に見て——……。
呼吸、心音、魔力の流れが完全になくなったところで、イルシーは風を纏いフードスタイルに戻ると改めて主人に片膝をついた。
「商人の狩り、完了いたしました」
「よくやった」
「恐悦至極に存じます」
褒め言葉を賜ったイルシーだが、立ち上がると呆れたように、拗ねたように口をへの字に曲げた。
「あのさぁ……剣構えるとか術式使うとか、もうちょい自衛してくんね? こっちが焦るわ」
「お前は必ず仕留める。だから問題ない」
そこに込められた絶対の信頼を読み取って。
「ハッ。当たり前だろぉ」
コージャイサンの緩く上がった口角が満足感を示すように、イルシーも強気にニヤリと笑って見せる。
そんな彼のある部分にコージャイサンの視線が向いた。左の腹から足にかけてさらに染みついた血で暗色が濃くなった服に。
「珍しいな」
「あー……ちょっとしくじった。ちょっとだけな!」
「そうか」
そう言ってコージャイサンはその傷を治してやるではないか。主自らの治癒にイルシーが驚いたように口をぱかりと開けた。
何があったのか、今コージャイサンが詳しく聞くことはしない。ただその口は淡々と次の指示を出す。
「あの瓦礫の山から証拠品を回収してこい」
「えぇ……マジで言ってる?」
「壊さなければ探しやすかったものを……」
「俺のせいじゃねーし!」
傷を治したのはまだやるべき事があるから。通り過ぎた憤怒は翡翠の眼中にない。
「俺は早く帰りたいんだ。さっさと片付けろ」
「それは知ってるけどさぁ……りょーかい。我が主の仰せのままに」
ああ、敬愛する主人のなんと人使いの荒い事だろう。けれども、彼の憂いを払うのがイルシーの役目だ。
さぁ、面倒事は早く終わらせて帰ろう。月が完全に黒くなってしまう、その前に。
活動報告に従者と友人の会話劇をアップ予定です。
これにて「影で踊る月隠」は了と相成ります。
読んでいただきありがとうございました!




