6★
※注意※
これより先はコージャイサンの部下である暗殺者の彼らがお仕事をする場面でございます。
暴力が振るわれ、血が出ます。人が死にます。
そのような『残酷な描写』を過分に含んでおりますので、苦手な方はご注意ください。
また読まれた方におかれましては自己責任の範疇ですので、読後の「胸くそ悪い」「見るに耐えない」などのクレームは受け付けません。
あらかじめご了承ください。
ただし「なるほど、よろしくてよ」などの感想は大歓迎です。
繰り返します。
この先は暴力、流血、殺人など『残酷な描写』を含んでおります。
「あなたみたいな人が性癖よ」という精神的猛者の方のみお進みください。
注意は読みましたか?
大丈夫な方のみお進みください。
夜になっても灯一つつかない別荘にイルシーは堂々と立ち入った。
彼の最たる目的は『商人』の狩り。そして、そこに複数あるだろう古の術式が刺繍された魔法陣の破棄も加えられた。
「研究資料としては欲しいところだが、誰でも使えてしまうところは問題だ。意味も分からず使用して惨事を招く恐れもある。残念だが、資料は写真があれば十分だ」
そう言った主の言葉のため、イルシーは忠実に動く。
エントランスで立ち止まると早速別荘の中の風の流れを読み、情報を探り始めた。
——部屋の数
——家具の配置
——罠の有無
そして、人の気配。
「俺たちを誘き寄せる餌に自分からなったって事かぁ?」
あまりの人気の無さ。伸るか反るかの勝負でも小馬鹿にしたように笑い、イルシーは足を進めた。
さて、辿り着いたのは二階、最奥の一室。一際豪華な扉を開けて目に入ったのは一人の女性だ。
平均的なプロポーション、ありきたりな茶髪、そしてヘーゼルの瞳。
ここにいるはずのない彼女の姿にイルシーが気を取られた瞬間——体が受けた衝撃と痛み。
すぐさま蹴りを繰り出し距離を取るがイザンバの顔をした人物はにこりと微笑みかけると軽やかに逃げだした。
「チッ……!」
跡を追おうにも力が抜ける。
腹の左側に出来た刺創。ナイフを抜き去られた事により、止めどなく流れ出す鮮血が暗色の服をさらに色濃く染め上げた。
ひとまず血の流れを止めなければ彼とて危ない。
だが、ゾクリ、と嫌な気配が這い寄ってきた。それは主人の部屋で見慣れた黒い動物で、四体がイルシーに向かって牙を剥くのだから捲し立てる状況に彼もゲンナリとする。
「……護符の一枚くらい掻っ払ってくるべきだったなぁ」
それらはイルシーに対して明確な殺意を持っていて、内一体が一気に距離を詰めて飛びかかってきた。
触れていいものではないと分かってはいるが彼には対抗手段がこれしかない。牙での攻撃を逆手に持ったナイフで受け止めたようとした。
その時、ロングコートのポケットから溢れ出した紫銀の光。
光はイルシーを包み、弾き返すように呪いを燃やす。イルシーは熱を感じないのに呪いの牙がドロリと溶け出したのだから、彼の口も驚きで丸くなるではないか。
まるで忌避するように呪いが一気に引いた事にイルシーは右のポケットを探った。そこから出てきたのはイニシャルが刺繍されたお守り。淡い紫銀を纏ったそれに呪いたちは警戒して近づいてこない。
「ハハ……ハハハハハハッ! こいつはいい……!」
——こんな気休めのお守りに力があるとは思わなかった
——こんな形で彼女の手助けを受けるとは思わなかった
退魔グッズを持たせなかった主の不敵な笑みが脳裏を過ぎる。彼は確信を持っていたのだ。退魔グッズに遜色ない彼女の真心に。
そしてその通り『災厄が降りかかりませんように』と願いを込めて作られたお守りは確かに効力を発揮した。
想定外の出来事に、けれどもイルシーの唇は弧を描く。
「あやからせてもらうぜぇ、イザンバ様」
呪いが引いた事によりイルシーに余裕が出来た。
そこで作り出したのは空気を圧縮した小さな玉。それを患部に強く押し当て、徐々に膨らませて形を調整した。傷口にピタリとした形になれば血が止まった。
治癒したわけではない。だが、痛みがあってもこれ以上血が流れなければ仕事はできる。
『コイツ、俺と同じタイプかもしんねぇ』
以前にそうコージャイサンに報告したのは自分。ジクジクと主張する傷はまるでイルシーの慢心を嘲笑うようで苛立ちを誘う。そして、刺された時に向けられた笑みを思い返した。
「あれ、淑女の仮面の方のイザンバ様だろうけど……ハッ、俺のが上だな」
なにせあの主人を納得させたイルシーの変装だ。素の部分を知る自分の方が上だ、とふつふつと込み上がる対抗心にイルシーの口の端がイタズラに弧を描く。
「今度リアンをからかってやろ」
自ら楽しみを作り出し、その口元はいつもの調子を取り戻す。
ここで彼は傷口を押さえてついた血をペロリと舐めとった。
——毒はなし、か。
殺すつもりの割に手抜きだな、とイルシーは思う。
だが、その理由は深く考えなくても分かる。商人のナイフに毒が塗っていなかったのは呪いを用意していたからだろう。
さて呪いの他に仕掛けはあるのかと彼は部屋を見渡した。
どうやらここは主寝室と思しき部屋だ。豪華な内装、天蓋付きのベッドには人が横たわっていた跡があるが、そこに影も形もない。
だが、そのすぐ側の床に落ちている美しい青。
近づいてみればそれは銃弾で貫かれ事切れた一羽の青い鳥ではないか。
「姫さんは入れ替わって生きながらえたのか、それとも鳥のままおっ死んだのか。流石にこの状況だけじゃ分かんねーよなぁ……ま、どっちでもいいけど」
姫の魂の生存の有無。そして器の行方。器だけが運び出されたとしたのならば特に問題ではない。
仮に元に戻ってどこかに逃げ出していたとしよう。
「廃人の体力でどこまで逃げ切れんだか」
どっぷりと麻薬に浸かった体を思うままに操ることは難しい。脳は「こうする!」と指令を出しても途中で指示が途切れたり、思考ごと塗り変わったり。儘ならぬ体を女一人でどう出来ようか。
それよりも気にしなければいけないのはベッドボード側の壁に貼り付けられた色鮮やかで見事な刺繍の魔法陣。
三重円に三重の六芒星ではないが、彼はこれが入れ替えに使われたものであると推察する。
じっと見ていると魔力を帯びた刺繍がふるりと揺らいだ。
——まるで誘い込むように
——まるで異性を口説くように
——まるで無垢な乙女のように
それは禁断の果実のように魅力的で、身の内の欲望を刺す。
「へぇ……」
誘う。誘う。妖しげに揺らめく刺繍は誘う。その欲をみせて、と。
イルシーがそっと手を伸ばし——大きな風の爪が壁ごと刺繍を破り裂いた。
はらり、はらり、と布糸が舞う。それは暗色を纏う彼を彩るように。
悠々と立つその背に突き刺さる殺意。呪いは今なお飛びかかる隙を窺っている。ところがイルシーの心境は焦りとは反対、まるで心地良いと言わんばかりに落ち着いている。
この殺意が満ちる世界で彼は生きてきた。
怯むどころかイルシーは余裕の笑みを浮かべて牙を剥く呪いたちに向き直る。
退魔の才能がないイルシーにはいくら注視しても呪いの効果は分からない。だが……。
「このお守り……どこまで効くんだぁ?」
それは主人に似た好奇心で。そう、例えばの話、目の前の呪いで確かめた結果を報告したとすれば……。
——コージャイサン様、面白がるだろうなぁ。
ニィッ、と一層の曲線描いた口元。不吉な笑みは呪いに負けず劣らずだ。
イルシーはナイフの柄にお守りの紐を括り付けると、ゆらりとした軽い足取りで呪詛に向かっていった。
廊下に飾られた巨大なアートを動かし、隠し部屋に逃げ仰せたイザンバの姿をした『商人』はすぐに元の痩せた糸目の男に戻った。
部屋は中々の広さであるが物が少なく、それでいてその三分の一を占める巨大な檻がある。中にはぐったりと横たわる者、虚な目でブツブツと話している者、ひたすら泣き続ける者、そして怯えを見せる者など。
『商人』はその顔に薄らと笑みを貼り付け檻まで行くと、無造作にまだ反応のいい一人の女性を引っ張り出した。
「いや! やめて!」
「道具が口答えをするとは恥知らずですね」
「ぎゃっ! ごめ……なさ、い、あ゛、やめ……ぐっ……いだ、や……」
必死に足掻く女性に振り下ろされる拳。鈍い音が部屋に響く。
無言で振るわれる拳に込められたその苛立ちに、惨めさに、身を任せて無遠慮に。
「ああ、醜い。ああ、穢らわしい」
月明かりさえも拒むように窓を締め切り、部屋の中を濁った香りが支配している。
その香りに身を包まれると『商人』の動きが止まる。そして殴る事に飽きた、とでも言うようにその胸にナイフを振り下ろした。呻き声も血の匂いも眼中にない。
肺いっぱいに吸い込めば全てが満たされる感覚に『商人』の動作がゆっくりとしたものとなった。
香りの正体、それは幻惑の花。麻薬の原料となる花を直接燻した煙は実に濃厚でタバコに混ぜた比ではない。
深く、深く。それはまるで錆びついた鉄のように、落ちない汚れのように心身にこびりついて離れない。
しばらくするとガリガリと爪を噛む音が響きはじめた。
落ち着いたはずの心がまた波風を立て始める。
愚かな夢には甘い餌を
——即ち内諾された未来
不平不満には煽動を
—— 即ち復讐という名の正義
挫けた心には現実逃避を
—— 即ち麻薬という名の幻想
それぞれが望むものを与えて、水面化とはいえ徐々に勢力を増やしてきた。
なのにある日突然、防衛局の動きが変わった。
手駒を壊され、販路を潰され、手段は中々実を結ばず。せっかくかき集めたものがポロポロと失われていく。
——ああ、イライラする。
飾りとして選んだ男、コージャイサン・オンヘイ。
もちろん他にも候補はいたが、何やら馬鹿げた騒動を起こし謹慎になったとか。
——そんなバカは『姫』に相応しくない。
コージャイサンはかの英雄の再来と言われている。魔力の元としても良い材料であるのだから、これ以上に相応しい飾りがいるだろうか。
だが、再来と言われる実力は本物だった。一時確かに手中に堕ちたはずなのに……。悔しさから一際強く爪を噛む。
——ああ、胸糞が悪い。
ならば、と標的をコージャイサンの婚約者に変えた。
平凡な女だが奴との関係は良好と聞く。この女を餌にすればあるいは、と考えたのだ。
たかが女一人、攫ってくることは容易いはずなのに届く報せは望みとは正反対のものばかり。
——ああ、腹立たしい。
もう『商人』には後がない。コージャイサンがこの地に現れたのなら婚約者に成りすまして殺すつもりだった。だが、実際に現れたのは斥候と思しき男。
——ああ、忌々しい。
口の中に鉄の味が滲む。とうとう爪ではなく皮膚を噛んだようだが、痛みに顔を歪める事なくその歯は変わらず動き続ける。
思考に耽った『商人』のすぐ側、檻の中で変化は起きたが彼は気付かない。
きっかけは道具と呼ばれた人の体の一部に小さく紫銀の火が灯ったこと。それを呼び水に次々と変化が現れる。
——目元がボコボコと膨らみ醜くなった
——片肘が切られたようにゴトリと落ちた
——手足がカラカラに干からびた
——皮膚がドロリと溶け出し液体となった
しかし、『商人』の注意は檻には向かない。
思考は幕の内側奥深く、音も、光も、匂いも、全ては別の世界の出来事。
淀んだ空気が一箇所に集まる事さえも、遠くの出来事。
「大丈夫ですか? 気分が悪いならお医者様をお呼びしましょうか?」
突如耳に届いた声。ゆっくりと目を向ければ平均的なプロポーション、ありきたりな茶髪、そしてヘーゼルの瞳の女性。それは先ほど『商人』も摸した憎き男の婚約者で、その登場に男は目を見開いた。
心配そうに眉を下げた彼女の視線がふいに『商人』から幻惑の花へと向く。
「この花……そんな……これは直接燻しちゃダメですよ! 酩酊感や多幸感が得られるでしょうが、中毒性も強いんです! しかも、こんなにたくさん……分かってるんですか⁉︎ これは致死量です。あなた、死んでしまいますよ!」
分かりきったお説教にすぐにナイフを投げつける。だが、イザンバは令嬢とは思えぬ動きでそれを避けるではないか。
一陣の風が吹く。部屋に充満していた濁った香りはすっかり入れ替えられ、視界と思考が合わせて明るくなった。
そして、『商人』が視線を向けた先にはイザンバではなく、腹を刺した斥候——イルシーが立っていた。
そのニィッと持ち上がる口角にグンと増した『商人』の不快感。
「よぉ。気分はどうだ?」
そう問われて「良い」と言える時間はとうに終わってしまった。『商人』は忌々しげにイルシーを強く睨み付ける。
「どうしてここが分かったんですか?」
「そう簡単に逃すわけねーだろぉ。なに? 呪いで死んだとでも思ったかぁ? 残念だったなぁ」
挑発するように、感情をかき混ぜるように、声の調子も口元も余裕を離さない。
もちろん『商人』とて余裕を見せる。ナイフをチラつかせながら。
「ふん、悪運だけは良いようですね。まぁ少し寿命が延びたに過ぎませんが」
「そりゃしゃーねーわ。なんせ俺には火の天使の加護があるからなぁ」
「眉唾物を信じるとは……随分と可哀想な思考回路をしているようで」
「それなんて自虐だぁ? 知能が低いのはお前だろ」
これは狐と狸の化かし合いか。探り合う腹の内。気の抜けない駆け引き。
さぁさ、皆様お立ち合い。演じるのは花形と道化。ヤジを飛ばす観客がいないのなら自ら飛ばすスタイルで。
青筋すらも舞台化粧と変わる、この瞬間に。戦いの火蓋が落とされた。




