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リアンとファウストがストーキン邸を掃討した日の夕暮れ時。
場所は変わってここはソート元侯爵家の別荘地。没落した貴族の別荘とはいえ今は別名義。そんな館の見た目は以前の持ち主の時と同じく荘厳なままだ。
そこを離れた林の中、木の陰より見据えるのは軍服を着て帯剣したコージャイサンと同じく軍服の十二名。
そのうちの一人、コージャイサンの隣の木の影からチックがボソリと声を漏らす。
「……本当にあそこにいるのか?」
「何度説明したら理解出来るんですか? そんなだから騙されるんですよ」
冷え冷えとした表情の余波が無関係な騎士を襲う。身を震わせる彼らとは別に直撃でダメージを受けたチックをフーパが励ました。
「チック、大丈夫! おれたちが捧げた時間も金も間違いなく愛だから!」
「まだ傷口塞がってないんだから勘弁してやってよ、隊長!」
ジュロの非難が飛ぶが「お前らまたやってんのか」なんてツッコミも横から飛んでくる。
そんなツッコミを全てスルーしたコージャイサンに冷や汗を流す者が一人。
「コージャイサン……先輩になんて事言うんだ……」
「何か問題があったか?」
あまりにも学園にいた頃と変わらず淡々と返されるものだから、友人はこんなだったかと彼は内心で首を傾げた。
そして、まるで何も知らぬ者に言い聞かすように口を開く。
「いや、序列があるんだ。その口の利き方はだな……」
「俺が小隊長を拝命している」
コージャイサンは新人兵から大きく飛び越して少尉、つまり尉官クラスだ。びっくり人事と言うなかれ。防衛局は実力主義なのだ。
チック達はその下、曹長や軍曹なので口の利き方になんら問題はない。
「それはそうだが……えっと、礼節が?」
「お前……それを気にするようになったのか」
しみじみと呟かれて顔がムズムズとした。コージャイサンの言う通り、以前の彼は騎士道を振りかざす割に色々と足りていなかったから。
そんな二人のやり取りにチックがニヤリと笑う。
「お、成長したな。やらかしその三」
そう呼ばれたのはキノウン・スルーマ。彼も謹慎が解けて今回の任務を命じられた。
先輩の声に姿勢を正した彼に、チックは続けて釘を刺す。
「今は任務中だ。例え友人であってもお前もきちんと『隊長』と呼べ。そう……彼こそが騎士道を体現する我らがオンヘイ小隊長だ!」
掌を上に向け、腕をまっすぐに伸ばしてコージャイサンを強調するチックに同じくポーズを決めてジュロが続く。
「防衛局の若き一等星! 無慈悲な酷氷のプリンス、我らがオンヘイ小隊長!」
「泣かせた女は数知れず! なのに婚約者一筋な我らがオンヘイ小隊長!」
さらにフーパも星を飛ばす勢いでノリにノった。彼らは呼び方こそ隊長だが、話し方は大層気安い。
便乗する「よっ、イイ男!」「羨ましいぞ!」「俺たちにも優しくして!」なんて囃し立てる声をこの人はいつもと変わらず。
「鬱陶しい」
ばっさりと斬り捨てたにも関わらずドッと沸いた嫌味のない笑いにキノウンはただただ呆然とした。
さて、この展開の始まりは話し合いの夜のゴットフリートの一言だ。
「お前も現地に行け」
「嫌です」
はい、即答! あまりの速さにゴットフリートも吹き出した。肩を揺らす父を見ながらコージャイサンは淡々と物申す。
「時間がないと言いました。俺は出来る限り王都を離れたくありません」
「俺はお前たちが見つけた獲物にトドメを刺せと言ったんだ。お前はソレの飼い主だろう? ちゃんと見届けろ」
イルシーを指差したゴットフリートが不敵に笑いながらなおも言葉を続ける。
「それに王都が気になるならすぐに片付けて戻ってくればいい。間に合わないなら……——俺の名のもとに切り札をきるだけだ」
その言葉にコージャイサンは一体何を企んでいるんだ、と不機嫌さを隠しもしない。その視線の冷たい事と言ったら……。
だが、そんなものに動じるゴットフリートではない。
「これは防衛局長としての命令だ。コージー、小隊を組み現地で指揮をとれ。いいな」
「……心得ました」
ここで発せられる鶴の一声。何と無情なことだろう。
流石にコージャイサンも防衛局に身を置く立場ではこの命令には逆らえない。不承不承ながらも引き受けた。
「ちなみに小隊のメンバーは選んである。上手く使え」
にっこりと綺麗な微笑みと共に差し出された名簿を見て、コージャイサンは小さくため息をついた。
そして、そのメンバーが彼らである。チック、キノウンを含む騎士十二名、魔術師一名、研究員六名、事務官一名。総勢二十名を率いてきた。
訓練公開日でコージャイサンの確かな実力を見せつけられた先輩騎士たちに反発はなく、むしろアレを部下においては功績を上げても「上官が手柄を横取りした」や「強い部下がいて良かったな」と言われるだろう。そちらの方が業腹だ。
実にスムーズに話が進んだのは騎士が脳筋だからと言うわけではない。断じてそれだけではない。
林の中程、開けた場所を拠点としている彼らは簡易テーブルを囲んで作戦会議を始めた。
地図を指差しながらコージャイサンが淡々と言う言葉に彼らは耳を傾ける。
「生贄にするつもりで麻薬漬けのまま放置されている人々がこの付近に多く見受けられます。まずは彼らの救助を。魔法陣の形状から別荘を中心とした六芒星の頂点に位置する場所に固まっているはずです。それぞれを第一から第六ポイントとします。暴徒となる者を抑える必要があると心してください」
麻薬は人の理性を侵す。廃人になっていれば運ぶだけですむが、理性の消え方は同じではない。
それでも放置されているのは国民なのだから、無力化を図る為の武力行使はやむなしではあるが出来れば無傷で抑えたいところだ。なので、コージャイサンは騎士をこちらに回す。
「全ての人を一箇所に集め症状別に振り分け、重症者から優先的に麻薬断ちの治療を行います」
「了解。けど、どうやって運ぶんだ?」
騎士は二人一組で行動するとは言え、馬が引く荷車まで一度に運べる人数には限度がある。
ジュロの疑問にコージャイサンは当然だと頷くと、一人の人物に視線を向けた。
「その為の魔力量に自信がある魔術師です。補助系も使えますので順番に回らせます」
「あ、やらかしその二じゃん! 頼りにしてんぜー!」
その人物は今回唯一の魔術師、ロット・デヤンレ。彼はジュロの声に一つ会釈をすると「ねぇ」とコージャイサンに戸惑いの言葉を返す。
「補助って浮遊の術式を使えばいいの? それも対象数が多かったり、個体が重かったりすると魔力が多く必要になるし、いくら僕でも全部は回れないよ」
「麻薬漬けにされているのは善良な民間人だ。無差別に彼らを虐げるなんて人のする事じゃないだろう? ぜひ救ってやってくれ」
「ほんと……キミ、そういうとこだよ!」
「騎士に身体強化をかけてもいいが、運び方が雑になるからな」
「どっちにしろ一人でカバーしきれないよ! それだって途中で切れたら騎士も民間人も危ないじゃん!」
なにせ同行している魔術師は彼一人。他は別任務で忙しいにしても中々にハードな内容だ。
ここでコージャイサンが手助けの品を取り出した。ポイっと放られた魔力回復薬はロットの所に真っ直ぐ届く。
冷たい瓶の感触、チャプンと揺れた水音が彼に告げた。働け、と。
「安心しろ。回復薬は用意してある」
「っ〜〜〜あーりーがーとっ!」
反発心は精一杯喉の奥に押し込んで。嫌味たらしく言ったお礼もさらりと流されるのだからロットとしては悔しいやら、腹立たしいやら。
不意にポン、と肩を叩かれた。
「まぁ、なんだ……ドンマイ!」
白く歯を煌めかせたジュロと便乗した騎士たちのいい笑顔。チヤホヤされるわけでも恐れられるわけでもない気安さにロットはゆっくりと肩の力を抜いた。
そんな会話にケラケラと笑っていたフーパだが、笑いを収めるといつになく真面目な声を出す。
「で、優先順位の判定は誰がすんの?」
「研究員と共に待機する事務官がします。頭も切れるし耳もいい。記録係としてもうってつけです」
「出たよー、やらかしその一! 頑張れよ!」
ところがすぐにおちゃらけた。その標的となったのは事務官として同行したメディオ・ケンインだ。
本来なら文官として登城するはずだったが、「ついでだから防衛局預かりでいいだろう。その方が面白いし」という鶴の一声である。
「あの……話しの腰を折ってすみません。さっきから気になっていたのですが、その呼び方はなんですか?」
彼とて察してはいる。だが、ツッコまないとずっとそう呼ばれそうだとも思っている。
先輩に物申せないキノウン、スルーしたロットに代わり思い切って声を上げたのだ。
彼の質問に答えたのはチックだ。
「殿下と共に婚約破棄騒動を巻き起こしたお前らの事だよ。ついでに言うなら、訓練公開日で隊長に突っかかった俺たちはやらかしその四、五、六だ」
イェーイ! と肩を組む三人にメディオは脱力するばかり。
しかし、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げるとキリッと顔を改める。
「厚かましいお願いではありますが、その呼び方は長いですし、名前で呼んでいただけないでしょうか?」
「オッケー」
軽い。なんの抵抗もなく上がった親指は先輩騎士と研究員の全員分。慣れないノリに気圧されて、メディオはそっと息を吐いた。
「優先順位の判定基準は理解したか?」
そんな彼の耳に届いた以前と変わらない淡々とした声。賑やかな周囲にも表情一つ変えない友人にメディオも落ち着きを取り戻す。
「問題ありません。薬が足りなくなったらどうするんです?」
「研究員が随時追加する。なるべく人物の特徴、症状、薬の効きを記録しろ」
「記録は箇条書きでも構いませんか?」
「後で清書出来るなら構わない。成果は報告。不審点は連絡。不明点は相談。思い込みで動くな」
「……分かっています」
それはもう重々に理解している。耳が痛い言葉にフレームの影で顰められた眉を見て、コージャイサンがそれ以上確認を重ねることはない。
「じゃあ、判定と記録はメディオに任せる! おれらそういうの苦手だからさー!」
フーパに明るい調子で頼られて、メディオの鬱屈とした気分が少し晴れた。
さぁ、まだここで一番肝心なところが決まっていない。チックが逸る気持ちを抑えて好戦的な声を出すのだから、彼のやる気はいかほどだろう。
「救援後に別荘には全員で乗り込むのか?」
「いいえ、それはコイツ一人で十分です」
そう言ったコージャイサンの背後にスッと降り立った一つの影。驚きに目を見張ったチックたちだが、その風貌に僅かに警戒心を滲ませる。
「そんな細い男一人に務まるとは思えないが?」
あからさまな騎士たちの警戒と不信感にイルシーの口元がニィッと歪む。そして、分かりやすい挑発に乗るように放たれた殺気。
瞬時に、先輩騎士たちが臨戦態勢をとった。
——カタギには到底出せない濃密さ
——押し付けられる裏社会の残忍さ
——命の灯火を軽く吹き消す冷酷さ
殺気に慣れていない新人や研究員たちの中には腰を抜かす者もいるが、それほどまでに鋭い殺気は実践経験がある彼らにこう思わせた。コレは危険だ、と。
騎士と従者に一触即発の空気が流れる中、ただ一人が悠然と動く。
コージャイサンが一つ手を挙げるとたちまち殺気は消失し、従者は大人しく頭を垂れた。
そんな彼に向けられたのは静かな闘志を宿す翡翠。
「お前のする事は変わらない。——狩れ」
「全ては我が主の意のままに」
頭を垂れた状態でさらに膝をつき、主人に捧ぐは忠誠と勝利。主人が鷹揚に頷いた気配を合図にイルシーはその場から掻き消えた。
規格外の後輩もさることながら、音一つ立てずに消えた従者への信頼とそれに値する力量を見出して。
いっそ馬鹿らしくなるほどの跳ね上がった驚きに体の力が一気に抜けた。
チックは重くなった体を軽くするように長く息を吐き出し、心底から言った。
「…………なんつーもんを従えてんだ……」
「出会う機会があっただけです。それに元々アイツに任せていた件でもありますから。アイツを信用する事は難しいでしょうが任せてください。責任は俺が負います」
イルシーの心情としてもずっと追い続けた獲物を横取りされては堪らない。
ゴットフリートに小隊を率いろとは言われたが騎士に『商人』を任せろとは言われていないのだから、とコージャイサンは変わらずイルシーに狩りを命じたのだ。
その一言でコージャイサンがこの一件にだいぶ前から関わっていた事を彼らも察した。
「なるほどなー。って、普通に生活しててあんなのとどうやって会うんだよ」
ジュロが呆れたように言うものだから、コージャイサンもつい出会いを思い返す。
ただそれだけで自然と彼の目元は柔らかく緩むのだが、さぁ、それを目敏く見られたのだから大変だ。
「あー! 今絶対婚約者の事考えただろ! 何だよ、そのゆるっゆるな顔!」
「さてはアイツから婚約者を守ってご褒美的なイイコトして貰ったな⁉︎」
口火を切ったフーパ、羨ましそうな顔をするチックだけに収まらない。
「任務中にニヤけるなんていけないと思いまーす!」
「次の訓練公開日には婚約者さんは来てくれるんですかー?」
「いつ特別招待券使ってきてくれるんですかー?」
「おれたちも差し入れ欲しいでーす!」
「可愛くてイチャイチャしてくれる彼女欲しいでーす!」
「婚約者さんのお友達、紹介してくださーい!」
なんて他の騎士も口々に言い始めるのだから、なんと喧しい事だろう。メディオたちも呆気に取られている。
しかし、そこはコージャイサンだ。
「待機する研究員にも指示を出してきます。どのポイントに誰がいくのか、組み分けを決めるように」
騒ぐ一同を無視である。一瞥すらくれないのだから対応の冷ややかさは推して知るべし。
「隊長、組み分けに特別な指示はあんの?」
未だニヤニヤと笑うジュロからの声かけにコージャイサンはその視線をキノウンに向けた。
「お前はチックと組め」
「え?」
「彼はお前と同じパワータイプだ。体捌き、特に力の抜き方をよく観察しろ。いい手本になる」
そう言って立ち去るコージャイサンを見送る彼らに騒がしさから一転、感嘆の吐息がもれる。
「ああ言われちゃ仕方ねーな。キノウン、行くぞ!」
「——はい!」
満更でもないチックの背をキノウンが追う。
もちろんそこに「チック先輩頑張ってー!」「素敵よー!」なんで声援もすかさず飛んだ。微妙な裏声と野太い声という現実は脳内で美女の声援に切り替えよう。
「んじゃ、残りもサクッと決めよーぜ!」
フーパの舵取りに明るい応答が林の中を賑わした。




